人見知りと世間知らず
(な、なんでこんなことになっているのかな)
木製の椅子に腰掛け、背中を丸く縮めながら彼女は思う。
テーブルを挟んで、自分の目の前には黒いコートの人物ーーレトが座っていた。
先程の『尻餅をつかせてしまったお詫びに』とのことで、二人は通りに並ぶ喫茶店に入り、レトはメニューをまじまじと見ている。
しかし、彼女は気が気じゃない。
会って間もない人物、レトの奢りだと言うのだ。
更には断り切れなかったとはいえ、知らない人について来てしまった事に頭を悩ませる。
「えーっと、チョコ君だったかな?決まった?遠慮せずに好きなものを選んでよ?」
先ほど彼女ーーチョコはレトに名前を聞かれ、名乗った。
チョコの悩みに気付かずに、レトは微笑んでメニューを促してくる。
ーー結局、選んだのはこの店で一番高いパフェとセットの紅茶。いや、選んでいない。
レトに先程パン屋で買ったパンを食べたばかりだと、断りがてら言ってみたら‥‥「なら、デザートにしとこうか」と言われ、レトが勝手にそれを注文したのだ。
注文されては逃げ場もなく、目の前にはフルーツ盛りだくさんのパフェと紅茶がやってきた。
チョコは困惑しながらも「いただきます‥‥」と、スプーンに手を伸ばす。
レトはケーキとアイスコーヒーを注文して、それに手を付けた。そして、
「そういえば、なんだかんだ私が勝手に君を連れ回してしまう形になったね。夕方だし、ご両親が心配しているかな?」
ようやくレトがそんなことを言ったが、
「い、いえ。私は近くのマンションで一人暮しですから‥‥」
「一人?まだ学生なのに‥‥若いのに偉いね」
と、レトは感心しながら言い、
「そうそう。お詫びにって誘ったのは、勿論その気持ちもあるんだけれど、実はちょっとした口実でね」
なんてことを言うので、チョコはしばらく呆然とし、
(‥‥え、口実?ま、まさかこの人、ナンパ!?不審者!?)
なんて、不安要素が頭の中を駆け巡る。
「この街にたくさん貼り紙がしてあるだろう?スノー‥‥なんたらって。あれはなんなんだい?実はそれが聞きたくてさ。これならゆっくり話を聞けそうだなぁって君を誘ったんだ。ごめんね」
「‥‥」
その、至ってシンプルなそれだけの質問に、チョコは拍子抜けしてしまって、
「それって、snow・e・o・wのこと‥‥ですか?」
「うん。その‥‥スノー・イー・オー・ダブル?それって、なんなんだい?」
「えっ!?知らないんですか?」
思わずチョコは叫び、
「snow・e・o・wですよ。本当に知らないんですか?」
釘を刺すようにもう一度聞けば、
「うん、知らない。久々にこの街に来たからさ」
と、レトは苦笑する。
「じゃあ‥‥大昔にこの世界をメチャクチャにしようとした悪い悪魔‥‥クリスタルの伝承は知ってますか?」
チョコの質問に「うーん」と、レトは唸り、
「知らないなぁ。でも、悪魔なのにクリスタルだなんて。綺麗な名前だね」
「え‥‥ええ!?その話も知らないんですか?ど、どこの国にだって‥‥」
「本当に知らなくてさ。よければ聞かせてくれないかな?」
レトがそう言うので、チョコは驚きつつも授業で習うはずの常識的な知識をレトに語る。
ーー大昔、悪魔クリスタルは世界を自分たち悪魔だけのものにしようとした。
何人かの‥‥今では勇者と呼ばれ、歴史に名は残らなかったが、その勇者達が悪魔クリスタルを倒し、世界に平和をもたらした。
戦いの終わりは、雪が降り積もった寒い冬の日。
それを記念日として、
【snow・end of war】
ーー雪終戦ーー
などと、その戦いから何百年も後の世にそう呼ぶようになった。
それが、snow・e・o・w。
「悪魔クリスタルは、まるで雪の結晶のような姿だったそうで、それで人間達はその悪魔をクリスタルと呼んだそうです」
パクパクとパフェを口に運びながらチョコは熱く語り、
「そして、snow・e・o・w。冬の歴25日がその記念日で、その日は世界中が盛大に賑わうんです。街を着飾ったり、自分達を着飾ったり‥‥何より、大切な人達にプレゼントを渡す。それが一番の目玉なんです」
「プレゼントを?なぜ?」
ケーキを食べ終え、アイスコーヒーを飲みながらレトがニコニコと聞けば、
「この話自体が全て伝承だから、事実かどうかは謎なんですが、悪魔を倒した勇者の内の一人がその戦いで命を落としたそうです。仲間達はそれを嘆きました。命を落とした勇者には恋人が居たそうです、同じく勇者の。遺品整理をしていた時、命を落とした勇者の荷物から一通の手紙と‥‥指輪が出てきたそうです」
そこまで聞いてレトは、
「もしかして、プロポーズ用とか?」
そう察するように聞けば、チョコは静かに頷く。
「命を落とした勇者はとても寡黙な人だったそうで、手紙に想いを連ね、全ての戦いが終わったら、恋人に手紙と指輪を渡すつもりだったようです。世界が平和になったら、結婚を考えていたんでしょうね。それを知った恋人の発した言葉が、snow・e・o・wに影響しているんです」
チョコは真っ直ぐにレトを見て、キラキラと目を輝かせ、
「『これは形見ではない。大切な人からのプレゼント。一生の思い出であり、一生の宝、いつまでも続く絆なのだ』‥‥と」
チョコは力強くその言葉を発した。
「何百年も後の世にその言葉に影響を受けた人々は、雪終戦の日は大切な友人、家族、恋人‥‥そんなかけがえのない誰かにプレゼントを渡す日にしよう、なんて決めたんです。それがsnow・e・o・wなんです」
そこまで熱く語り終えたチョコを、レトは変わらずニコニコと見ていて‥‥その視線に熱が引いてきたチョコはようやく冷静さを取り戻し、顔を真っ赤にする。
「わっ、私、何を熱く言っちゃってたんでしょう」
再びチョコの声はか細くなってしまった。
「いや、わかりやすい話だったよ、ありがとう。君は‥‥その話が好きなんだね」
「え、あ、いえ‥‥」
「だって見た所、君は人見知りがあるだろう?でも、さっきの話をしていた時はそんなのは吹っ飛んでいた」
「‥‥」
人見知りだろうがなんだろうがいいじゃないーーそう思いながら、チョコは紅茶を啜る。
「でっ、でも‥‥こう言っては失礼ですが、あなたは世間知らず過ぎなのでは?今の話、どこの国でも有名ですよ?」
snow・e・o・wを知らない。
伝承も知らない。
そんなレトを【世間知らず】と称した。
言われてレトは微笑み、
「うん、そうだね。うん‥‥私は、記憶喪失なんだよ」
「‥‥はい?」
いきなり出て来たワードに、チョコは耳を疑う。
「記憶喪失になったのはつい最近のようでね。医者にも看てもらったけど、記憶が戻るか戻らないかは時間の問題って言われたよ。家族が居たのかどうかもわからなくて、転々と旅をしてるんだけどね。なかなか手掛かりは掴めない」
「そっ、そう‥‥なんですか。わ、私、そうとも知らず、失礼なことを‥‥」
「そんなことないよ」
申し訳なさげな表情をするチョコに、レトは優しく微笑み掛けた。
「それより‥‥ということは、君もsnow・e・o・wには毎年誰かにプレゼントを渡すのかい?」
そうレトに聞かれ、
「‥‥さっき、あなたとぶつかったお店の前。雑貨屋なんですけど、そこでよくお世話になっている店主のお婆ちゃんに‥‥毎年」
チョコは苦笑して言い、
「学園でも人見知りしてばかりだから、友達も居なくて」
もごもごとそう吐き出す。
「チョ‥‥」
「リボン女じゃないか」
レトがチョコの名前を呼ぼうとした所で、背後から誰かの声が割って入った。
レトが振り向けば、恐らくチョコと同じ学園の生徒なのであろう。
癖毛のある濃い茶髪で、眼鏡を掛けた学ラン姿の少年と、肩まで伸びる赤髪をしたセーラー服姿の少女が立っていた。
チョコはその二人を見て、また最初みたいに背中を丸め、体を縮めてしまう。
茶髪の眼鏡を掛けた少年はじろじろとレトを舐め回すように睨み付け、
「おー、リボン女。なんだよこの優男。お前の彼氏かなんかか?お前みたいな根暗には似合いのタイプだな」
と、嘲笑うように言って、
「ち、ちが‥‥」
チョコは否定しようとしたが、声が震えて言葉が続かない。その様子にレトは察した。
人見知りで友達が居ない。
そして、眼鏡の少年が言った‘根暗’。
どうやらチョコはそのような扱いを受けているようだ。
「チョコ君。引き止めて悪かったね。もうすぐ暗くなる、君は家にお帰り。たくさん話を聞けて助かったし楽しかったよ」
レトが穏やかな口調でチョコに言えば、
「えー?リボンちゃん帰っちゃうのー?あっ、そっか。恥ずかしいもんね、彼氏にこんなイジメられてる姿を見られるの」
赤髪の少女が嫌味に笑いながら言うと、チョコはガタッ‥‥!と席から立ち上がり、青ざめた表情のまま逃げるように店から出て行った。
「ねえ、なんで君達、彼女をリボンなんて呼んでるの?」
レトが聞けば、
「だってあの子、リボンばかりつけてるし、リボンが好きでたくさん買うのよ?リボンばかり買って、きっと家中リボンまみれだわ!」
赤髪の少女がケラケラ笑う。
「ねえ、君。チョコ君が好きなら、イジメて気を引こうなんてやめなよ。もうそんな子供じゃないだろう?」
次にレトが眼鏡の少年に言えば、少年は口元を引きつらせ、
「はあ?なに言ってんだよ、あんた。オレがリボン女を好き?んなわけないじゃん、あんな根暗。第一、あんた彼氏だろ」
「彼氏じゃないよ。彼女に出会ったのはつい三十分程前。彼女とぶつかって彼女の制服に土埃をかぶせてしまったから、お詫びをしていただけだよ。ほら?そんな発想をする君は、チョコ君が好きなんだろう?恥ずかしがらなくてもいいさ」
余裕そうに言葉を紡ぐレトとは対象的に、眼鏡の少年は陳腐な言葉でしか反論出来なくなってきて‥‥
「え、嘘。ワイト、そうだったの?」
赤髪の少女が眼鏡の少年ーーワイトを疑いの眼差しで見て言えば、
「ん、んな、んなわけ!!」
「そうだ。もう一ヶ月程したらsnow・e・o・wなんだろう?チョコ君にプレゼントをあげなよ、ワイト君。それなら照れ臭くないだろう?」
そう言いながらレトは席から立ち上がり、口をパクパク開け閉めするワイトとクエスチョンマークを浮かべたままの赤髪の少女を残し、レジで代金を払って喫茶店を後にした。
日も暮れて、ぽつぽつと空に星が浮かび出す。
チョコのことは少しだけ心配ではあるが、もう会うこともないだろう。
先程の伝承の話を思い出し、深くため息を吐く。
「え?」
一人、街中の通りを歩きながらレトは首を捻り、
「大嘘吐き?それは‥‥」
レトは横目で背中に背負った剣を見て、
「あなたにだけは言われたくないね」
と、もう一度ため息を吐いた。