人間界の昼4
「あなたは一体何者で…何が言いたいんですか」
と、動きが停止した黒い影の中心に立ったままの女性を、ハルミナは睨んだ。
「おや…?カーラの話には食い付かないの?」
そう、女性が首を傾げれば、
「リーダーの話なんかより、私はあなたが何者なのかを聞いているんです」
ハルミナは強い口調で言う。
「ふふ。無理に強がらなくてもいいのに。ほら、得体の知れない恐怖に、体が震えているよ?」
そう、女性に指摘されるが、ハルミナは何も言わない。
それに、女性はニヤニヤと笑い、
「でも、惜しかった。折角の成功作なのに、魔界で出会った人物が悪かったのね…」
「…!?成功作…魔界…」
ハルミナは女性の言葉の意味を考え、そして、
――君が幼い頃に魔界に落とされたのは、全て実験なんだよ
マシュリの言葉が重なる。
「私が魔界に落とされたのは…実験?」
ハルミナは、女性にそう問い掛けた。
「そうさ、私のハルミナ。君は、実験の為に産まれて来たんだよ」
「…」
その実験がなんなのかはハルミナにはわからない。ただ…
(産まれて来た。…この人はさっきから、私のことを'私のハルミナ'と言っている…まさか…)
ハルミナは額から汗を流し、
「あなたはまさか…私の…」
「私は君の母親だよ」
ハルミナが言うより先に、女性が種を明かす。
…ハルミナは何も言葉が出なかった。
「ふふ、あはは。昔の話を少ししてあげる。私とミルダとカーラ。私達は世界が一つだった頃からの存在よ。そう、私達三人は…共に戦った仲間だった」
女性はそう話し出す。
「カーラは昔からずっと、私に好意を抱いていたけれど、私はミルダを選んだ。ねえ、私のハルミナ。この意味が、君にはわかるかしら?」
女性はハルミナの前まで歩きながら話し、目の前で止まると、ハルミナの顔を覗き込みながらとてもとても、歪んだ笑みをした。
ハルミナの顔は青冷めていて…
「そう、私のハルミナ。察した通り、君は私とミルダの大切な大切な…娘なのよ?」
「……ぁ…」
ハルミナは思わず後退ろうとしたが、女性に腕を掴まれる。
「私はね、人間と魔族が憎くて憎くて仕方がないのよ。散々、私達を苦しめた下衆共がね…!だから、その下衆共を滅ぼす為に沢山、沢山…実験したの。わかる?わかるかしら?」
段々と早口に…そして狂気染みた口調になる女性に、ハルミナは恐怖した。
「この黒い影も、君も、全部全部、私の研究成果なのよ」
「…え!?」
そこで、黒い影の名前が出て来たことにハルミナは驚く。
「黒い影は…あなたのせいなの?」
ハルミナが聞けば、
「ふふ。黒い影の話はいいよ。君について知りたくないの?何の為に産まれて来たか知りたくないの?」
女性はそう凄んできて、ハルミナは知りたくもないと首を横に振った。
しかし、女性は笑い、
「幼い頃から魔界に居た君は、天使なのに魔族に近い体になっているんだよ。その証拠に、天使は魔界では力を出し切れないのに、君はそうじゃないでしょう?」
「魔族に近い…体?」
「そう。君をそんな兵器に育て、魔界で暴れてもらうつもりだったけれど…君は温厚な魔族に出会い、それに育てられてしまった」
ギリギリ……
ハルミナの腕を掴む女性の手に力が込められ、ハルミナは痛みに目を細める。
「君の脳の中身は失敗作だけど、身体は成功作なんだ…!今からでも遅くない。脳なんて必要ないんだ、君は黒い影と同じ、兵器なんだから!」
「なっ…」
女性が口走る言葉の数々を理解出来なくて、ハルミナは絶句するしかない。
「あなたは…あなた達は…復讐の為の兵器として、私を…産んだの?」
「そうだよ?それ以外に、理由なんて要る?」
「…」
ハルミナは目を見開かせ、
(これが…私を産んだ人?私の産まれた理由は…そんな、陳腐な理由なの?)
頭の中の整理が追い付かずの状態だった。
「カーラも知っているはずだよ、君が私の娘だということをね」
「…!」
「だからこそ、まだ私に未練があったのね。私が手に入らなかったから、娘である君を…」
「あなたは、最低な人ですね」
女性の言葉を遮り、ピシャリとハルミナは言いながら、掴まれていた手を振り払う。
「ん…?最低、とは?」
「リーダーの考えは、リーダー自身しか知り得ません。あなたの勝手な解釈に付き合う暇はないです」
「ふーん…」
女性は鼻で笑い、
「すまなかったね。確かに私の勝手な解釈だった。謝るよ。でも、カーラが私を愛していたのは変えようも無い事実だけれどね。そして、私は彼に殺された」
「…殺された?なら、今、目の前に居るあなたは、なんなんですか…?」
「さて。君がこの真実に辿り着く事はないよ。だって…」
女性が手を宙に掲げると、行動を停止していた黒い影が一斉に行動を再開し、
「だって君の脳を、私が破壊するから。必要なのは魔界で全力で動ける身体だけ。黒い影に飲み込まれなさい、連れて帰ってあげるから」
「くっ…!!」
ハルミナは悔しそうに唇を噛んだ。
とても、不味い状況である。だが…
「ここで、あなたみたいな人にどうこうされるわけには、いかない!ネヴェルさんが…そしてジロウさんが頑張っている!だから、私も…!!」
「…成る程。ジロウ、と言うその名に、特別な感情を込めているのね。まあ、どうでもいいことだけれど」
女性はただただ笑う。
微弱ながらも、黒い影に立ち向かう娘の姿を、滑稽そうに見て笑う。
「…っ、は、…」
ハルミナは悔しそうに顔を歪め、
(やっぱり、私なんかじゃ…戦えない私なんかじゃ……ジロウさん…)
笑顔を可愛いと言ってくれた、自分達の為に前に進んでくれているジロウのことが脳裏に浮かび、
「やっぱり私……笑え…ないよ、ジロウ…さん」
そう、ハルミナが弱々しい声音で呟いた時にはもう、数体の黒い影がハルミナに覆い被さり、飲み込んでいた。
――…
―――…
(…暗い)
目を開けたハルミナが居た場所は、一面真っ暗だった。
(そう、だ。私、黒い影に…ここは、黒い影の中?)
自分は飲み込まれてしまったんだ、と、ハルミナは理解する。
(…ダメだ、何も、考え、られない…)
息苦しい空間だった。
思考を巡らせるのすら、苦痛な程に…
(苦しい。いつだって、苦しかった。…でも、前にも、どこかでこんな…息苦しさが…)
うっすら開いていた目をハルミナは閉じた。
瞼の裏も、真っ暗だ…
『ハルミナ、ハルミナ?…酷い熱だ。このままじゃ…』
(…これは、記憶?…そうだ、リーダーが私を森から連れて来て数日……私は熱を出したっけ…)
『ハルミナの体は…魔族に近くなってる…この天界では力を出し切れないし、病気の治りも悪い……なんだよ、苦しいばっかじゃないか…。ハルミナ、大丈夫か?…駄目だ、意識が消えかかっている…。やるしか、ないか』
(…何を…?)
『ハルミナ、少し君の手を握らせてくれ。僕の魔力を、命を、君に分けてあげる。これで君は、この天界で普通の天使として生きれるよ。これから先、ずっと』
(…え?)
『ねえ、ハルミナ。フェルサなんか関係ない。僕は……』
――…そこで、記憶は途切れた。
「今のは、何?なんなの?事実…なの?」
そして、ハルミナはもう一つのことに気付いてしまう。
(リーダーは、人間界への扉を開いた時も…私に魔力を分けてくれた。さっきの記憶が事実だとしたら…リーダーは…彼の、命は…)
涙が頬を伝い、真っ暗な空間に落ちていく。
なぜ、彼が自分の為にここまでしてくれるのかがわからなくて。
ハルミナはそれを拭った。
そして、感じた。
自分の中に、ずっとずっと、流れていたものを…
(私は、逃げていたのね、諦めていたのね。戦う事から。傷付ける事から。こんなにも頼もしい魔力が、私の中に巡っていたと言うのに…)
そう思い、カーラが二度も自分に分けてくれた魔力の流れを体に感じ、ハルミナは手に魔力を溜めて…
「なっ…んだと?」
…女性の、母の、フェルサの、驚愕するような声がした。
「私はこんな所で倒れるわけにはいかない」
黒い影に飲み込まれたはずのハルミナは、カーラに分け与えられた魔力のお陰で内側から黒い影を打ち破ることが出来た。
「そう…カーラ。魔力を分けていたのか」
フェルサはそう呟き、
「ふふ、でも、カーラの魔力があるからといって、所詮、使うのは君だ。この黒い影を殲滅することは難しい」
「それでも、私はもう逃げない。守りたいものがあるから、だから、自分が傷付くことも、守る為に傷付けることも…恐れない!」
「っ?!」
ハルミナのその威圧感にフェルサは一瞬怯むも、すぐに笑みを称える。だが、
「よく言ったな、ハルミナ」
少し遠くからそんな声がして、
「ネヴェルさん、カトウさん!」
ハルミナは二人の姿を見つけた。
カトウを抱えたまま飛んでいたネヴェルは地に足を着け、カトウのことを降ろした。
「…懐かしい顔だね」
フェルサはネヴェルを見て笑い、
「……貴様は…」
同じ時代に生きていたネヴェルもフェルサを知っている様子だ。
「ふふ、厄介だね。まあいい、必要なのは私のハルミナだけ。さあ、おいで。魔界に侵された、綺麗な髪の色ね」
フェルサはハルミナの長い髪に手を伸ばし、グイッと強引に引っ張る。
その様子にネヴェルが動こうとしたが、
「大丈夫です、ネヴェルさん!」
ハルミナはそう言い、魔術で風の刃を作った。
――ザシュッ…!
と、音がして、
「ああっ…!?」
フェルサは咄嗟にハルミナの髪を掴んでいた手を離す。
その手は風の刃に当たり、軽く血が流れていた。
「ハルミナ……貴様…」
ネヴェルは驚くように彼女を見る。
ヒラヒラと、緑色の髪が流れた。
フェルサの手を切ると同時に、ハルミナは掴まれていた髪も風の刃で切ったのだ。
腰まで伸びていた長い髪が、今はもう、肩の辺りまで短くなっている。
「リーダーとあなたに何があったのかなんて知らない。リーダーが、カーラさんがあなたを愛していたとしても、私は彼の傍で彼の優しさを見てきた。だから、あなたの言葉になんか、私は惑わされない」
「くっ…、ふふ、あはは。まあ、いいよ。好きにしなさい。まだこれはただの手始め。黒い影が存在する限り…私は…」
フェルサがそこまで言うと、彼女の体が弾け、黒い影共々消え去った…
「…しかし、一体何があった。貴様と今の女…」
「ハルミナさん、綺麗な髪だったのに勿体無い!!」
ネヴェルの言葉の途中でカトウはそう叫ぶ。
言葉を遮られたネヴェルは呆れるような表情をしていた。
「ところでジロウと占い師はどうした?」
「ジロウさん達は…っ…!?」
急にハルミナは頭を手で押さえ、
「どうし……ぐぁっ!?」
ネヴェルも同じように頭を押さえ、
「どうしたんですか、お二人共?!」
カトウだけが平気そうな表情で…
――絶対に、ハルミナちゃんとネヴェルとの約束を…守る!!――
「ジロウ…さん?!」
「ジロウ…?」
ハルミナとネヴェルの頭の中に、ジロウのそんな声が、なぜか響いたのだ…