ラーラファの家に厄介になり、夜が明けた。
一面の雪景色。
小さな家々が並ぶそれは、まるで田舎みたいな感じである。だが、小さいながらも洋風な建物の造りだった。
ピンク色の髪をした…その髪をポニーテールにくくった、更には赤い目をした少女、ラーラファはここは『イオニルの村』だと言っていた。
(夢でもなければ…現実とも思えない。ダメだ、何もわからないな…)
イオニルの村にある小さな公園のベンチに座りながら、ガジは深い溜め息を吐く。
考えても考えても、何も掴めない。
『違う世界から来たのか』
先ほどラーラファはそう言っていて…後からガジはこう聞いた。
『違う世界って、君はあると思うかい?』
ガジの問いにラーラファは考える。考えて…
『いや、言ってみただけだ』
と、苦笑した。
ラーラファも自分で言ったはいいが、そんなのは非現実だと思ったのであろう。だから、ガジはそれ以上言わなかった。
だが、ここは違う世界……異世界なんだとガジは思うことにする。
年甲斐もないが…そう思わなければやっていけない。
「こう考え付いたはいいが、どうやって日本に…自分の世界に帰れるのか…」
深い溜め息がついつい何度も出てしまった。
不意に、目覚めた時に出会った、不思議な雰囲気を漂わす少年…ミラトダラータの顔が浮かぶ。
(昔読んだヒーロー物の作品とかでは、初めてその世界で出会った人間が鍵を握っている…とか言う設定をよく目にしたな…)
もしかして、ミラトダラータが元の世界に戻る鍵を握っているのでは?
…と、そこまで思ってガジは笑う。
(ああ、駄目だ駄目だ。頭がおかしくなりそうだ。…でも、他に宛ても何もない、この世界のことも何もわからない。今の私に出来ることは、彼に、みらと君に会うことなのだろうか)
なんて、なんだかファンタジーの主人公みたいな考えをしてしまうのにガジはまた可笑しくて笑う。
「ガジ、冷えるぞ」
後ろから冷静さを帯びた少女の声がしてガジは振り返る。
「らーらふぁさん」
と、彼女の名を呼んだ。
「早起きだな。何処に行ったかと思った。まさか、もう発つつもりか?」
「ああ、いや、少し村を見ていて」
「村を?楽しいか??」
なんて、ラーラファは聞いてくるので、ガジは少し考える。考えた上で……
「らーらふぁさん。やはり私は、違う世界から来たみたいなんだ」
「は?」
唐突なガジの発言に、ラーラファは当然目を丸くした。
「私は日本と言う国に住んでいて、会社員だったんだ」
「……か、いしゃい?」
「はっきりとはまだわからないけれど、ここは私からしてみれば異世界だ。君の髪色や目の色も、私から見たら非現実なんだ、このイオニルなんて村も知らない」
「あ、あの、ガジ…」
言葉の止まらないガジに、ラーラファが困ったように声を出す、それにガジは、
「あ……その、やはり信じてもらえないかもしれないが…私も、信じられないことだらけで…」
「………いや、私も考えてたんだ。昨日ガジと話した時から、ガジはなんだか不思議だなと思っていた。名前も、その格好も…」
と、ガジのスーツを指差す。
「だから、私はガジの言うことを信じて話を聞こう。ガジは嘘を吐くような人間じゃないと私は思う」
「らーらふぁさん…」
ラーラファの言葉に、なんていい子なんだろうか…と、ガジはそんな気持ちになった。
「とにかく、朝は冷える。話の続きは家でしよう。朝飯も作ってある」
と、ラーラファが言い、昨日の晩もラーラファが食事を用意してくれたことを思い出す。その味はとても美味しかった。
……
………
「す、すかーふ?」
食事を囲みながらラーラファが疑問気な表情をしてガジを見つめた。
「あっ、ああ。私が初めてこの世界で出会ったみらとだらーたと言う少年は、紫色の髪に、黒い服に身を包んで、首には赤色のスカーフを巻いてた不思議な少年で…」
「すかーふとは、なんだ?」
ラーラファに聞かれ、ガジは困ってしまう。この世界ではあれをスカーフと言わないのだろうか?
ガジは室内をキョロキョロと見回し、キッチンにあるピンク色の布を見つけた。ちょうどスカーフぐらいだ。それを手にして、キュッと自分の首に巻いてみせ、
「スカーフって言うのはこんな感じのものなんだが」
それを見てラーラファは「ああ」と納得し、
「マフラーか」
と言った。
「マフラー?これが?マフラーってもっとふかふかしてて、もうちょっと長いんじゃ…」
「ふむ、ガジの世界ではそれをすかーふ、と言うのか。私達はそう言うのをマフラーと言うんだ。若い者がお洒落でよく巻いてる。私は興味ないけどな」
と、ラーラファは言った。
「へえ、これはマフラーかー…」
言いながら、スカーフ、いや、マフラーを外そうとするが、
「外すのか?」
とラーラファに言われ、頷けば、
「勿体無いな、似合ってる」
なんて言うので、
「このピンク色が?それにこれは君のキッチンにあったものだが…」
「ガジにあげるよ。似合ってる」
「はあ」
あまり、ピンク色を似合ってるなんて言われても嬉しくはないが…なんだかラーラファが嬉しそうなのでガジはそのまま外さなかった。
「それで、ガジはその赤いマフラーを巻いた男を捜したい、と?」
ラーラファが話を戻すので、
「ああ、会ってどうもならないかもしれないが…彼に賭けるしかない気がするんだ、私が日本に帰るには」
「ふむ……」
ラーラファは考え込み、
「わかった。私も手伝うよ」
「え?」
「村の外は危ないから、私もついていく」
「危ない?まさか、モンスターでも出るとか…」
「もん……?」
「あ、いやいや、気にしないで」
そこまでファンタジーではないか、と、ガジは苦笑した。
じゃあ、何が危ないと言うのか。そういえば、ミラトダラータは、
『ほら、またアレだよ。世界のお偉いさん方がさ、壊していってるんだよ』
などと言う、意味深な発言をしていたことをガジは思い出す。
「はっきり言って、私はこの村から外に出たことはない。私だけじゃなく、村人全員がだ」
「え?」
ラーラファの言ったことをガジは考え、
「村人全員って…じゃあ、物資の仕入れだとか、ちょっとした買い物とか不便じゃないか?」
「定期的に中央国から運ばれてくる物資で私達は生活を強いられてるんだ」
「中央国?」
「この世界全てを管理している人間が集まっている国だそうだ。誰も見たことないからどんなものか知らないけれど」
管理……それが、ミラトダラータが言っていた世界のお偉いさんと言うものだろうか。
「私達人間は、生まれた地から外に出てはいけないと言う決まりがあるんだ」
「なっ!なんだそれは、束縛じゃないか!」
ガジはあまりに驚いて大声を出してしまう。
「うむ…、私達はそれが普通の生活だから驚きはないが、やはり他の世界の人間が聞いたら可笑しな話か…。それから、噂にすぎないんだが、それを破り、生まれた地から外に出てしまい…もしそれが中央国に見つかったら…」
「見つかったら…?」
「見つかった人間は二度と村に戻って来なかったとかなんだとか…」
「………それって、捕まったとか?」
「或いは殺されたか…」
それにガジはゴクリと息を飲む。
「じゃっ…じゃあ、私はこの世界の人間じゃないから大丈夫だろうか?」
「そこがわからない。たぶん、大丈夫だと思うが…断言はできない」
「じゃあ尚更、らーらふぁさんに着いてきてもらうわけにはいかないな。ありがとうらーらふぁさん。泊まらせてもらった上に美味しい飯までいただいて、話も信じてくれて」
ガジはペコリと頭を下げた。
「別れみたいに言うな、ガジ。私は一緒に行く」
「えっ、いや、でも、今の話を聞いたら…」
「大丈夫だ、実は私はウンザリしていたんだ。この世界の仕組みに」
ラーラファはそう言い、
「だから、ガジと一緒に外の世界に出てみたら、この世界の仕組みを変えられるかもしれない」
言った表情はとても凛々しい。
まるで勇者みたいな発言と表情だ、なんてガジは思う。
「でっ、でも、危険だ。それに別の村に辿り着いたとしても、その村の住人にすぐに余所者だってバレるんじゃ…」
「大丈夫だ、なんとかなる」
「どこからその自信が…」
「私がガジを護るから、だから安心してくれ」
いや、だからその自信はいったいどこから…
ガジは思うが、口にはしなかった…
「さあ、ガジ。まずはその服をどうにかしよう。待っていてくれ」
と、ラーラファは席から立ち上がり、奥にある部屋に向かう。
確かに、この世界だとスーツはおかしいのかもしれない。ミラトダラータにも指摘された。
奥の部屋からラーラファが戻ってきて、
「はい」
と、白いシャツに茶色いコートと同色のズボン、下着類まで差し出してきて…
「これは――…」
「父が着ていたものだ。これなら雪の中でも暖かいだろう」
「いいのかい?お父さんの…」
「構わない。タンスに眠ってるより、誰かが着てくれた方が父も喜ぶ。…本当言えば、捨てるかどうか迷ってたりもしたから」
小さくラーラファは笑い、ぐいっとガジの胸に衣類を押し当てる。それをガジは受け取って、
「ありがとう、これなら不審がられないな。じゃあ、部屋を借りていいかな、着替えてくる」
それにラーラファは頷く。部屋に入るガジを見て、
(それに、ガジなら大事に着てくれる気がしたんだ)
と、ラーラファは思った。
着替えながらガジは思う。なんだかおかしな事態になったな、と。
この世界とかあの世界とか違う世界とか…
先ほどからガジも、ラーラファまでも平然とそんなことを言って…
まだそうと確定したわけではないが、もはや夢ではないだろう。
夢にしては長すぎるしハッキリしすぎている。
室内にある鏡を見て着替えた自分の格好を確認し、部屋を出た。
もちろん、彼女に言われたように、スカーフ…いや、ピンクのマフラーを首に巻いたままで。
部屋から出ると、ラーラファが完璧と言うように頷いて、
「さあ行こうガジ。必要な荷物はここに詰めてある。これはガジの分だ」
と、肩掛け鞄をガジに渡した。
「そういえば、君はその服で寒くないのか?」
ラーラファは昨日から半袖で、下は太ももも出ているしで…雪の中にはとてもじゃないが似つかない服装だ。
「私はずっとこんなだな、慣れてるんだろうな」
と言った。
慣れるものなのだろうか?
「さあ行こうガジ。村の人に見つかると面倒だ」
そう言ってラーラファはずんずんと歩き出した。
(本当に大丈夫だろうか)
と、ガジは思いつつも、今は彼女に頼るしかない。
彼を、赤いマフラーを巻いた少年、ミラトダラータを捜して、
――さあ、夢か現実かなんなのか、冒険の始まりだ。