進めど進めど白銀世界。
こんな雪景色、テレビでしか見たことがないぞ…と梶谷地黄は思う。
住んでいた地域は稀に雪は降れど、一面積もるだなんてことはなかった。
(こんなに寒いのは初めてかもしれない)
そんなことを考えつつ、ただただ真っ直ぐ進む。
(ああ…騙されたのだろうか。いくら進んでも村とやらは一向に見えない…)
悪い夢だと思いたい…。
――…次第に、足取りも重くなり、瞼も重くなって…
(………)
働かせていた思考すら寒さで動かなくなってしまう。
そしてついには……
ドシャッ――…
冷たい雪のベッドに体が落ちた。
……
………
酷い寒さだ。
死ぬのだろうか、こんなわけのわからないまま、わけのわからない場所で…
梶谷地黄は頭の中でそう考えていた。
(考えていると言うことは…まだ生きていると言うことか…そんなことを考える余裕があるのか…それとももう、雪に埋もれて死んだのか?なんだか、暖かい気もする…)
少しだけ、寒さが和らいだ気がして…
人生が終わりを迎えたのかもしれないなんて梶谷地黄は思う。思って……
目を開けてみた。
(…目が、開けれた…?視線も、動かせる…)
目に映ったのは火。
釜戸だった。
「目が覚めたのか」
頭上から声がして、梶谷地黄はゆっくりと見上げる。
(…ピンク色)
梶谷地黄は固まった。
声の主は少女だった。
…ピンク色の髪をした…その髪をポニーテールにくくった、更には赤い目をした……
「……ああ、天使か何かだろうか…やはり私は死んだのか…」
梶谷地黄は諦めた風に呟いた。
「死んでいない。私は天使じゃないし、あんたは生きてる」
少女が言って、
「村の近くであんたが倒れてたのを偶然、私が見付けたんだ。私が見付けなければ本当にあんた、死ぬところだったぞ、雪に埋もれて」
「…」
少女の言葉に梶谷地黄は沈黙する。沈黙した後で、
「ここは…」
と聞く。
「私の家だ」
「あ、そうじゃなくて…ここは…どこの地域なのだろうか」
「…?ここはイオニルの村だが…」
少女は不思議そうな顔をして梶谷地黄の質問に答えた。
「イオ、ニル?…やはり外国なのか?だがなぜ…」
「どうした、どこか痛むのか?」
険しい顔をする梶谷地黄に少女が尋ねれば、
「えっ、あ、いや。ここは外国のどこの辺りなのかな?日本…ではないんだよな?」
「…??」
少女がまた不思議なそうな顔をするので、
「私は何か…可笑しなことを言ったかな」
そう聞けば、
「ああ、何を言っているのかさっぱりだ。がい、こく?だとかにほ…とか、聞いたことのない言葉ばかりだ」
少女が言う。
少女が言うので、
「じっ…じゃあ一体ここは…」
梶谷地黄はますますわからなくなって頭を抱えた。
「あんた、記憶喪失か何かか?」
なんて、ミラトダラータと同じことを少女は言う。
「いっ…いや、そんな、はずは…」
梶谷地黄は段々と自分がおかしいのか?なんて思ってしまう。いやだが、自分は日本で会社に勤めていて、普通に日常生活を送っていたはずだ、そう思う。
「名前は?」
「え」
少女に聞かれて梶谷地黄は顔を上げる。
「名前は?と聞いてるんだ」
「あっ、ああ…名前。私は梶谷地黄…」
すると、
「…が…ジた…お??む…妙な名前だな」
なんて言われた。これもミラトダラータと同じような反応だ…
「…妙かい?じゃあ、君の名は?」
「ラーラファ」
「へ?」
「ラーラファだ」
「ら……」
これはまた妙な名前だ、と梶谷地黄は思ったが、口にはしなかった。
「らーらふぁさん、か。とりあえず、遅くなったが…助けてくれてありがとう」
梶谷地黄はそう礼を言う。
「気にするな。それより、何か暖かいものでも淹れてこよう。待っていてくれ」
そう言ってラーラファは部屋から出ていった…
一人になり、梶谷地黄は考える。
ここは何処なのか。
自分がおかしいのか、記憶喪失なのか。
ラーラファやミラトダラータが正しいのか…
自分は会社から家に帰る帰路を歩いていたはずで…
なぜ気を失っていたのかわからないが、目覚めたら白銀世界で、ミラトダラータが居て…
(そういえば、鞄も何もないな…)
そう思い、ますます自分は会社に行っていたのかさえ疑問に思えてきた。
ふと、自分はスーツを着ていることを思い出し、ズボンの中のポケットに手を入れてみる。
カサッ…と、何かが手に触れて取り出せば…
コンビニのレシートだ。
(そうだ、昼の弁当をコンビニで買って…確かに私は会社で弁当を食べた!では、やっぱり私はおかしくはなくて……じゃあ、何がおかしい?)
梶谷地黄は頭を抱えた。
「か…じ、だ、……む…、…ガジ?」
部屋に戻って来たラーラファが、言いにくそうに梶谷地黄の名を呼ぼうとして、結局うまく言えなくて疑問気になってしまった。
「…あ、はは」
なんだかそれが可笑しくて、梶谷地黄は笑う。それにラーラファは恥ずかしそうに目をちらつかせていた。
「言いにくいなら、言いやすい呼び方でいいよ」
そう言ってやれば、
「む…。ガジ…でいいか?」
と聞かれ、
「構わないよ」
と、梶谷地黄は笑い、どうやらここではガジと名乗るべきかと思った。
「温かい茶を淹れてきた。置いておくよ」
と、ベッドの横にあるテーブルにカップを置いてくれた。
「ありがとう」
ガジは礼を言い、
「今は、夜かな?」
と尋ねる。窓の外を見れば辺りは暗かったから。
「ああ、夜だ。うちに泊まっていくといい」
「ありがとう。じゃあ、ご両親に挨拶を…」
ガジが言うと、
「両親はいない」
「出掛けているのかな?」
「いや…とっくに他界している」
ラーラファは表情ひとつ変えずに言ったが、ガジはしまった…と思い視線を落とす。
「すまない…悪いことを聞いたね」
「いや、気にするな。だから、ガジも気にせず泊まっていくといい。家はどこなんだ?」
「家は…日本に」
「…」
それにラーラファはガジをじっと見つめて、
「ガジは、違う世界から来たのか?」
「え」
そんな…
そんなラーラファの非現実的な発言にガジは口をぽかんと開けてただ彼女を見つめ返した。
いや…非現実なのだ。
彼女やミラトダラータの髪の色も目の色も、地名も、ここでの何もかもが、彼女が今言った'違う世界'。その言葉があまりに似合いすぎて…
だが、そんな子供が夢見るような空想(ファンタジー)…
「ガジ?」
心配そうな声音で名を呼ぶラーラファに返す言葉が浮かばず…
「あ、…すまない」
と、それだけしか言葉が出なかった。
それから、今しがた彼女が淹れてくれた茶のカップに手を運び、それを啜る。
…恐らく紅茶だろう。
ただ、ちょっと甘いなと感じた。砂糖の量が多いらしい。
「ありがとう、美味しい茶だよ」
そう、ガジが言えば、ラーラファは照れ臭そうに薄く笑って頷いた。
茶をぼんやりと飲みながらガジは考える。
ここは、異世界なのだろうか?……と。