育児日記
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五月晴れ、野球日和2 / 3



 観客席なんてたいそうなものはない河原のグラウンドから少し離れた木陰から、良之助が子犬のようにかけてくる。
 久しぶりのお出かけに興奮して今な朝早く起き出した良之助は、ゲームの中盤から眠たくなってしまって、この木陰で寝ていた。そうしてお昼寝が終わった今では元気いっぱいというわけだ。宇野としては後半の疲れ切った様子を見せずに済んで助かったのだが、唯一のヒットもまた後半なのでどっこいどっこいかもしれない。
 高い声でぱぱと呼び、転げそうになりながら斜面を下りてくる良之助に思わず手を伸ばして駆け寄る。宇野と同じように上体を倒した状態で手を伸ばして、斜面を転がり落ちそうになったときいつでも助けられるようにした修平が良之助の後をついてきている。
 手元まできた良之助を抱き寄せると、運動した熱も引いた宇野より高い体温と柔らかさを感じる。
「重くなったなぁ」
 抱き上げない日などないくせに、抱き上げるたびに同じことを言う宇野に、良之助もやはり同じように笑う。
「お疲れ様、智」
 役目を終え上体をのばした修平も柔らかく宇野を歓迎した。酔った勢いとはいえ、見に来いよと自信満々で言った手前どんな顔をしていいのかわからない。
「お弁当食べる?」
「もらおうかな」
 宇野のことなど全部わかったようにそういうものだから、宇野は自分の体が空腹だということに気付く。えてして運動しているときはあまり空腹を感じず、後からひどい空腹を感じるものだ。胃袋に詰まった空気が抜けて、その空間にじわじわと空腹が押し入ってくる。そこを満腹になるまで食べると食べた分がそのまま幸福になるような気がした好きだった、と学生時代を思い出す。
「じゃあ良之助と一緒に手洗ってきて」
 そうしてすべて見越してタオルを手渡し水飲み場指差す修平は、たいそうできたやつだと思う。水飲み場から帰ってくると、ビニルシートには色鮮やかなおかずが詰められたプラスチックの重箱が二段。大人二人と子供一人には少し多い。
「たくさん作ったな」
「作り過ぎたかも」
「帰ったら冷蔵庫に入れてまた明日食べればいいさ」
「食べれるかな」
「俺は大丈夫だよ、たぶん」
 靴も脱がないうちに良之助が四つん這いでビニルシートにのって、忙しなく話しかける。
「これぼくがやった~」
 そう言って指すのは黄色にいい加減焼き色がついた卵焼きだ。はて、良之助はフライパンも握れる天才児だったかと首をかしげると、修平が良之介に話しかける体で補足する。
「りょうがまぜまぜしてくれたんだよね。ほら、ちゃんと靴脱いで」
「まぜまぜした~」
「靴脱いで」
「偉いなりょう、ありがとな」
「うん」
 靴を脱ぐために足を外に出してビリビリと靴のマジックテープをはがしていく良之助の頭を撫でると、嬉しそうに笑うものだから幸せになる。
 マスクを外して箸を持つと、真っ先にその卵焼きに手を伸ばす。良之助は自分もおなかがすいていないわけではないだろうに、じっと卵焼きが俺の口に入っていくのを見ている。宇野の好みを熟知した甘さ加減、そこに運動することを考慮していつもより少し多めに塩気が含まれていて、疲れた体によくしみる。
「うまい」
 少々大げさくらいに眉をあげて声も高くなる。良之助は照れて顔を隠して体をくねらせる。それから自分も一番好きなたこさんウインナーにフォークを刺す。
「うまいよ。ありがとう」
 もう一つは、今朝一番におきだして弁当を用意してくれた人にだ。すると修平も照れて目線を外す。その様子がどことなく良之助に似ている。日に日に行動や言葉の端々が似ていく二人に、共に過ごす時間の濃度を感じる。
 実際、良之助が一番長く時間を共にするのは修平なのだ。昼は修平の勤める保育園に通い、宇野が帰ってくるまでは家で二人っきりなことになる。夜は皆で夕食をとって、三人並んで寝る。
 修平は保育園では良之助の組を担当しているわけではないし、良之助ばかりに目を配るわけにいかないが、子供というのは大人をよく観察している。修平が気づかないところで観察して、こうして似ていくのだろう。

 重箱のもう一方、おにぎりと漬物が詰められた段に目を移す。真ん中に大きな丸いおにぎりが三つある。不揃いで丸も歪なので、良之助が作ったものだろう。その間に詰め込まれた几帳面なほどきれいな三角のおにぎりは修平作だ。
 その一番大きな丸のおにぎりに海苔をちぎった欠片が置かれていて、何かを意味しているのが分かる。丸いおにぎりは三つ。その中の一つが一際大きく他の二つが同じくらいの大きさだ。
 良之助と暮らし始めて二年もたつ宇野だ、今までの経験からこれが動物であることは分かった。けれど何の動物なのか、それが重要なのだ。
 横顔に期待に満ちた視線が刺さるのを感じる。目線をやれば期待がにじんだキラキラした目で見つめている良之助と視線がかち合う。
「これりょうのおにぎり?」
「うん、りょうの」
 なんだと思う?と無言の問いかけにしぶしぶ口を開く。たしか良之助の一番好きな動物は。
「うーんとネコさんかな」
「ぶー」
 それでは良之助が他によく画用紙に書く動物は、と思いを巡らせる。その中で耳が丸いのは。
「わかった。ねずみさん」
「ちがーう」
 三つめに入ったあたりから不機嫌さが混じり始める。機嫌を損ねていく良之助の様子を見かねて、修平が助け船をよこす。
「りょう、その動物さんはなにがすきなの」
「あのねえ、はちみつ」
「蜂?!」
 はちみつから思い出す生き物の名をとっさに叫ぶと周りに冷たい空気が流れる。ぼそりと修平の呟いたヒントでようやく思い至った。確かいつもはちみつを舐めている黄色のキャラクターがいたはずだ。
「動物」
「あ、くまさん」
「ぴんぽーん」
 良之助がくまさんを書いたりしているところを宇野は見たことがない。新しくテレビか保育園か絵本から習ったのだろう。知らないところでもどんどん変わっていく、知識や栄養を蓄えて大きくなる。
 途端に表情が明るくなる良之助に、単純だなと思う。けれどその単純さや率直さにこそ愛しさを覚えるのだ。
「おっきいのがぱぱので、これがぼくので、これはしゅうちゃんの」
 そういってそれぞれにおにぎりを手渡す。そのちいさな手のひらから作られたとは思えない重量に、どれだけご飯を詰めたのかと苦笑する。
 几帳面に八本の足があるたこさんウインナー、白ごまと醤油が別の容器に用意されたおひたし、彩を添えるトマトブロッコリーコーン。昨夜から冷蔵庫で下味をつけられた唐揚げは冷えても旨い。それから少しの冷凍食品。どれも弁当の定番だ。けれどそのなかに見え隠れする気遣いや手間が、特別感を与えて嬉しい。
 大きな握り飯を口いっぱいに詰め込んで、しゃっくりが止まらなくなってしまったのは予想外だったが。

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