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陽が傾き、昼の暑さが少しだけ和らいだ事を確認しお店の外に出て水を撒く。
暑い日が続くようになってから朝と夕方は打ち水を行うことが日課になっていた。

(…とうとうこの日が来ちゃった…)

今日は定休日…アンコさんに誘われた飲み会の日だ。30分後にはアンコさんが迎えにきてくれる予定だから、そろそろ出かける準備をしなければ。

そう思いながら全ての水を撒き終えてお店の中へ足を進める。と、不意に店内にあるテーブルが目に止まった。

…それは以前、カカシさんと会った日に彼が座っていた場所。

途端に顔に熱が集まるのを感じ、テーブルから視線を外して自室へと戻る。準備の為結い上げていた髪を解き化粧を施すも、頭の中ではあの日の事ばかり考えていた。


あの雨の日、彼の怯えるような瞳を見て放ってはおけなくて。
私には彼が抱えているものの重さや痛みは理解できないかもしれない…それでも何か出来ればと、また食べたいと言っていた茄子の味噌汁とおむすびを作った。

そうして自身の想いを告げたら…少しだけ引き寄せられ、私の身体に頭を預けるように俯いて。
暫くして離れていった彼の瞳に怯えの色は無くなり、いつもの優しい笑みに戻っていた。

その時の事を再度思い出してしまい、顔に集まった熱を落ち着かせようと目を閉じてゆっくり深呼吸をする。瞼を開け鏡を見るとまだほんのり頬が染まっていた。

(このみが"好きになる要素はあるのね"って言ってたけど…)

確かに、カカシさんに惹かれているとは思う。彼と一緒にいると心がじんわり温かくなるし、落ち着く自分がいるから。
…けれどこの気持ちが果たして"好き"という感情なのか、未だよく分からなかった。

男性とお付き合いしたこともないし、そもそも誰かを好きになった事なんて―――


――「…じゃねーか」――


―…その時ふいに脳内に響いた声と、朧げな表情。

(…?今何か…思い出しかけたような…)

けれど直ぐに奥深くに消えてしまい、どうにか記憶を辿れないかと必死に思考を巡らせていた―――その時、扉をノックする音が響いた。少しの間を置いて扉がゆっくり開くと、そこには父の姿。

『お父さん、どうしたの?』
「お前にお客さんだ。みたらしアンコさんという人が今下で待ってる」

その言葉にハッとして時計を見ると、アンコさんが迎えに来ると言っていた時間を指していて。
考え事をしている場合じゃないと慌てて準備を終え外に向かおうとした時、再度父が口を開いた。

「最近やけに忍の人と交流があるな。このみちゃん繋がりか?」

『ううん、そういうわけじゃないんだけど…気付いたら知り合いが増えてたって感じかな』

「そうか…」と呟いた父の表情は、普段よりも幾分か穏やかに見えた。
私が幼少期虐められていた事が原因で中々友人を作れずにいたものだから、このみ以外の誰かといる事に少なからず安堵しているのかもしれない。

『…じゃあ、待たせちゃってるし行ってくるね』

「ああ。あまり遅くならないようにな」

表情を変えない父だけれど昔から大切にしてくれているのは伝わっている。そんな父を心配させないよう笑顔を向け店を出ると、アンコさんが此方に振り向いた。

『アンコさん、お待たせしました』

「名前!…って、なに、今日髪おろしてんのね!」

『はい、せっかくなので』

「いいわね!お店にいる時と雰囲気変わって…あーほら、早く行きましょ!もう他の奴ら集まってるから!」

言いながら笑みを浮かべ私の腕を引くアンコさん。そのテンションの高さと強引さに少々戸惑いつつも、引かれるまま後をついていった。




「アンタ達、待たせたわね!!」

辿り着いた居酒屋で、アンコさんが先程と同じ明るい口調で3人の男性に声をかける。

1人はゲンマさん、そして彼の向かいに座っている人は以前お店に来てくれた顔に火傷の痕がある人。もう1人の男性は初めて会う人だった。

「ほら名前、突っ立ってないで座って座って!」

背を押され半ば強制的に座らされた場所はゲンマさんの隣の席で、その横にアンコさんが腰を下ろす。
意図せず彼の側に来てしまい先程から感じていた緊張がより一層高まったが、きちんと挨拶をしなければと向かいの席にいる男性2人に視線を移した。

『えっと…雅亭の和雅名名前と申します、宜しくお願いします』

「ああ、こちらこそ宜しく。俺はライドウで、こっちの眼鏡の奴が…」

「アオバだ。宜しくな」

そう言って笑みを浮かべる2人に幾分か緊張が解れた時「はい、自己紹介も終わったし乾杯するわよ、乾杯!」とアンコさんにお酒の入ったグラスを手渡された。

早く飲みたいのか挨拶もそこそこに彼女の掛け声で始まった飲み会。私自身もう少し気を解したいという思いもあった為早速それに口をつけていると、ライドウさんに名を呼ばれた。

「悪いね名前ちゃん、アンコが無理に誘ったみたいで」

『いえ、無理にだなんて…そんなことないです』

「そうは言っても、こんな忍と交流することなんてあんまないだろ?一般人は忍ってだけで委縮する奴らもいるって結構聞くしなぁ」

『そこはあまり気にならないですよ、私にも忍の友人がいるので』

「え?そうなの?名前の友達ってどんな子?」

私の言葉に今度はアンコさんが反応を示し、このみの容姿や苗字を伝える。すると「あー、あの子」と皆さんも誰のことなのか分かったようで。

自分は何の取り柄もない中忍だからと以前言っていたこのみだったけど、きちんと認識はされているようだ。
今度会ったら教えてあげよう、きっと喜ぶに違いない。そう思いながら再度お酒を飲んでいた時。

「…なぁ、その友達って昔からの知り合いか?」

今まで黙っていたゲンマさんに唐突に話を振られ、どきりと心臓が跳ねる。隣に座っている彼を見ると視線が交わったが、すぐに逸らされてしまった。

『えっと、そうですね。幼少期からずっと一緒にいるので』

「ソイツとは仲良いんだよな?」

『はい、1番の親友です』

「そうか…良かったな」

一言、そう言葉を零すとそのままお酒を口にして。たったそれだけの会話だったけれど、"良かったな"と呟いた彼の口角が少しだけ上がったのを見て以前のように一瞬詰まる息。

…まただ、またこの感じ。
カカシさんと居る時とは違い、ゲンマさんと居るとどうにも心臓が煩くなってしまう。

何故こんな風になってしまうのだろうと考えつつテーブルに並べられているおつまみを箸で摘む――が、アンコさんが発した言葉でポトリと落としてしまった。

「ねぇねぇ、ところで名前って好きな人いないの?」

『…へ!?』

「前に聞きそびれちゃったからさぁ!で、どうなの?」

少しだけ頬を赤く染めたアンコさんがニヤリと笑みを浮かべる。この短時間で既に彼女は乾杯用のビールを飲み終え、追加で頼んだお酒も殆どない状態だった。

『好きな人は…いません』

「そうなの…じゃあ気になる人とかは?あと、どんな男がタイプ!?」

『えっと…それは…』

…"今隣にいる人が気になってる人です"なんて口が裂けても言えない。

でもここで上手く会話を躱す技術を私は持ち合わせていないし…どうやって切り抜けようかと沈黙を貫いていた時、隣から低い声が聞こえた。

「アンコ…お前余計なこと言うんじゃねーよ」

「女子トークして何が悪いってのよ!…あ!名前、そういえば昔に――「だからそれが余計なことだっつーんだよ!!…おい、悪ィが席変わってくれ」

『え?あ、はい…』

「ちょっと、なんで名前と変わるのよ!?」

「うるせーな!お前がいらねぇこと吹き込もうとするからだろーが!!」

先程の笑みは嘘のように消え、眉間に皺を寄せ不機嫌オーラを放つゲンマさん。あまりの剣幕にそのまま席を譲ると、彼は尚も文句を言っているアンコさんにヘッドロックをかけて。
その様子を見て止めなくていいのかと向かいの席に助けを求めたが、ライドウさん達は表情を変えずお酒を飲んでいた。

「名前ちゃん、気にしなくていいよ。いつもこんな感じだから」

『い、いつもですか…?』

「アンコの悪酔いにゲンマが鉄槌を下すのは日常茶飯事だからな。…まぁ今回はアンコの奴が100%悪いが」

アオバさんは一つ溜息を吐き「グラス空いてるけど次何飲む?」とメニュー表を此方に向ける。
隣の様子が気になって仕方なかったけれど、目の前のお二人が大丈夫というなら気にしなくていいのかな…と意識をメニュー表へ向けた。


そうして飲み会が始まってあまり時間も経たない内にアンコさんが早々にダウンして――飲むピッチが早く私の何倍も飲んでいたからなのだけれど――色々と気を遣ってくれていたライドウさんやアオバさんとの会話を楽しんでいたらあっという間にお開きの時間になった。

飲み会自体は最初に感じた緊張もなくなり、楽しかったと思う。…ただ、ゲンマさんとは序盤で話してからまともに話せていなかった。会話の流れで相槌を打つ程度はあったけれど、それ以外は殆ど目も合わなくて。

「名前ちゃん、今日は有難うね」

彼とあまり話せなかった事に若干気持ちが沈んでいたが、ライドウさんに声をかけられた為その思いを胸に仕舞い込んで笑顔を向ける。

『いえ、こちらこそ有難う御座いました。楽しかったです』

「名前ちゃん意外に飲むからびっくりしたよ、また飲もう」

『はい。お店の方にもまた是非いらしてくださいね。その時はアオバさんもご一緒に』

「ああ。雅亭の弁当は美味かったからなぁ。また寄らせてもらうよ」

「名前ー!!私もまた行くから、次は男抜きで恋バナし「アンコ、お前いい加減絡むのやめろ!!」

酔った勢いで私に抱き着こうとしたアンコさんだったが、直ぐにライドウさんとアオバさんの手によって引き離された。その素早い動きを見て、やっぱり言っていた通り飲み会の時はいつもこんな感じなんだなぁと思っていた時。

「ゲンマ、俺とアオバでアンコ送ってくから、お前名前ちゃん送ってやれ」

ライドウさんが放った一言に鼓動がどきりと跳ね上がる。

「…あ?なんで俺なんだよ」

「なんでって、お前の家名前ちゃんの店通り道だろ。じゃあ頼んだからな」

そう言ってゲンマさんの返事も聞かず、3人は別の方向に歩いて行ってしまい。残された私達の間に微妙な空気が漂う中、彼が小さく息を吐いてお店の方向に歩き出した。

「……ほら、行くぞ」
『あ…っ、はい。有難う御座います…』

先を行く彼に遅れないよう小走りで駆け寄り隣に並んで歩く。折角2人になれたのだから、何か会話をしなければと思い口を開いた――が、それより先に小さな声が耳に届いた。

「……髪」

『え?』

「髪、いつもと違うなと思ってよ」

『あ…はい。働いている時は邪魔になるので纏めていますが、休日は割と下ろしてるんです』

「そうか…そっちのが――って、いや…やっぱ何でもねぇ」

言葉を途切らせると、彼は口を噤んでそれ以上何も話さなくなってしまった。…そして先程から前ばかり見て、話している時でさえ目を合わせてくれなくて。

(…やっぱり、気のせいじゃない…)

――避けられている。
勘違いかもと思っていたけれど、これだけ頑なに目を合わせないのはそういう事なのだろう。

その事実にズキリと心が痛み、気が落ちるに連れ目線も地面に落ちていく。ゲンマさんの事をもっと知りたいと思っていたのに、これじゃあ何も変わらない。…むしろ遠くなってる。

「……い……」

何かしてしまったのだろうか、気づかない内に失礼なことでも…それで怒らせてしまっ―――


「……っ名前!」
『…え…』


突如その場に響いた声にハッと我に返り顔を上げると、目の前には電柱があり、もうぶつかる寸前で。

足を止めることもできないまま衝撃に備えぎゅっと目を瞑る。


――しかしそれと同時に、右腕を掴まれ後ろに引き寄せられた。


(2021.5.29)

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