18

    

***


…人間ってのはよく出来た生き物で。
どれだけ奥深くに眠っていた記憶でもキッカケがあれば呼び起こす事ができちまう。

―――その時感じていた気持ちまでも、だ。





飲み会の帰り道、ライドウに送ってやれと言われ黙々と歩いていく。

古い記憶を思い出してから接し方が分からず、目も碌に合わせられず。何とか話しかけてみたものの、長くは続かず訪れる静寂。

(…なぁにやってんだ俺は…)

こんな態度を取っていたら変に勘違いさせちまうかもしれねぇ…そう思い再度話題を振ろうと視線を向ける――と、前を見ず俯いた姿が目に映った。

雅亭は左の道を曲がった先にある。なのに考え事をしているのか、そのまま真っ直ぐに進んで行く。

「おい、何処行くんだよ」

声をかけても返事はなく、足も止まらず。行く先には電柱があるのにそれも見えていないようで。

このままだとぶつかる――

「……っ名前!」

直前、右腕を掴み後ろに引き寄せ、バランスを崩した身体を支えた。

――…それと同時にふわりと微かに香る、この女自身の匂い。

「…あー、大丈夫か?」

ぶつかるのを避ける為とは言え咄嗟に抱き止めちまった気まずさから、触れていた身体を離し恐る恐る問いかける。すると頬を赤く染め、俯きながら『はい…大丈夫、です…』と消え入りそうな声で呟いて。

…やめろよ、こっちまで恥ずかしくなんだろーが。

「…危ねぇからちゃんと前見て歩け」
『ごめんなさ…考え事していて――「…名前ちゃん?」

その時、背後から聞こえた別の声に視線を向ける。そこには銀の髪をした男が此方をじっと見据えていた。

『カ、カカシさん…っ!』

「…意外な組み合わせだね。2人でデート?」

『え!?い、いいえ…っ、以前アンコさんに飲み会に誘われまして…皆さんと飲んでたんです…!それでゲンマさんに送って貰ってまして…』

「へぇ…そう。ま、ちゃんと家まで送ってあげなよゲンマ。名前ちゃん、送り狼には気を付けてね」

そう言って唯一出ている右目を細め笑みを浮かべるが、肌を刺すように空気が一瞬ピリついた。

忍だから、俺だからこそ分かる微弱な反応…瞬間、勘づいた。

―ああ、この人はこの女に好意を寄せている…と。


「…カカシさん、変な事言わないでくださいよ。じゃあ俺達はこれで。ホラ、行くぞ」

『あ、はい…っ!カカシさん、おやすみなさい…!』


その空気に気付いてねぇフリをして、再度歩き出す。道中話もせず店に辿り着くと、礼を述べて頭を下げる女に「じゃあな」と愛想のカケラもねぇ返事を返して帰路に就いた。

家に帰宅して直ぐシャワーを浴び、碌に髪も乾かさずソファに腰掛ける。

「……」

頭の中に巡るのは今日の飲み会でのことや咄嗟に引き寄せたこと…そして、以前ライドウに言われた言葉。



―――・・・

「ほら、あれだよアカデミー時代!お前イジメられてた女の子助けた事あったろ?あの子だよ!!お前があんな面倒事に首突っ込むの珍しいと思ってたから頭の片隅に残ってたんだ!!」

―――・・・



…あの言葉を皮切りに、それは脳内に溢れ出した。




***



「あ゛ー…あっちぃ…」

アカデミーを終えてライドウ達とも別れ、1人で歩きながら溜息を漏らす。少しでも暑さを和らげようと持っていたゴムで髪を適当に結ぶも、全く意味はなく。

蒸し暑い夏の日差しやそれを助長するような蝉の鳴き声にも嫌気が差して、早く帰ろうと歩く足を早めた時。

「……ん?」

不意に聞こえた声に視線を向ける。すると近くの公園で1人の女の子を男女複数人で囲い、苛めている姿が目に映って。

……ダッセーな。

そう思うも面倒ゴトには極力首を突っ込みたくないし、俺には何の関係もねぇ事だと、その時は見て見ぬフリをした。

けれど後日、再度その道を通った時。

「……げ、」

またもや出会でくわしてしまった。
こないだとは違う時間帯だったが、同じ場所で同じように女の子一人虐める連中と。

今日もたまたま見かけただけだ。それに関係もねぇ赤の他人。…けれど二度も同じ現場に遭遇してしまっては、見て見ぬフリをするのも何となく気が引ける。

(…仕方ねーなぁ)

普段はこんな事絶対しねぇけど…そう溜息を一つ吐いて公園の中へ足を踏み入れた。

「おい、何してんだお前ら」

声をかけると俺の存在に気づいたソイツらが振り向く。同じくらいの年…けれどアカデミーでは見た事がないヤツらばかり。とすると、一般のヤツらだというのは直ぐに分かる。

「かっこ悪りぃな、女一人に寄ってたかって」

「なんだよお前…!関係ねーだろ!!」

「ああ、そうだな俺には関係ねぇことだ。…ただ見てていい気もしねーからよ」

ここで大人しく引き下がってくれればいいが、そう上手くいくはずもなく。1人の男が「う…っせぇよ!!邪魔すんな!!」と声を荒げ殴りかかってきて。

…まぁ普段アカデミーの奴らと組手をしている俺からしたら、コイツらなんて相手にもならねーが。

振り上げた拳を躱したついでに足を引っ掛けてやると、見事に派手に転んだ。たったそれだけの事だったが他の連中は怖気づいたらしく、女の子を残し全員逃げ去っていき。

…結局弱ぇーヤツらが群がってただけか。

呆れてモノも言えずに銜えた楊枝を揺らすと、地面に座ったままの女の子へ手を差し伸べる。暫く微動だにしなかったが、やがてゆっくり俺の手を取り立ち上がった。

見たところ手や足は擦り傷があるものの、大した怪我もなさそうで小さく息を吐く。

「こないだも此処で虐められてたよな。いつもやられてんのか?」

『……』

「…助けてくれる友達いねーの、お前」

話しかけても俯いたまま何も答えず、両手で服の裾を握っているだけで。怖がられているのか何なのかは分からねぇが、こうも沈黙が続くと俺自身も気まずい。

もうこのまま帰っちまおうか…そう思い始めた頃、漸く女の子が口を開いた。

『いる…けど、ずっと避けてる…』

謝りたいけど、怖くて…謝りに行けない…

…ぽつりぽつりと、蚊の鳴くような細い声で。
煩いくらいに鳴る蝉達に掻き消されそうな、小さな声で。

服がシワになるんじゃねーかと思うくらい、先程よりも力を込めて裾を握りしめる姿はなんとも弱々しく。

(…このまま放っておくっつーのも寝覚めが悪りぃよな…)

仕方ねぇ、お節介なんて焼くガラじゃねーが乗りかかった舟だ。

「…よし、んじゃあ今から行くか。ソイツのところ」

『え……え!?』

「こういうのは勢いだ。そんでもって、時間が経てば経つほど行きづらくなんだよ。ほら、行くぞ」

言いながら公園の出口へと歩き出すと戸惑いながらも後をついてきて。その姿を横目に同じ学校のヤツかと聞いたら、まさかのアカデミーに通っているという予想外の返事が返ってきた。

この時間だとまだいるかもしれねぇ。そう思いアカデミーに向かい門のそばで暫く待っていると。

『……あ、』

どうやらソイツがアカデミーから出てきたらしく、門をじっと見つめていた瞳が大きく見開き、俺の後ろに身を隠した。

「おい、何隠れてんだよ」

『だ、だって…』

「こういうのは勢いってさっき言ったろ。ここまで来たんだ、いい加減腹括れ」

ほら、行ってこい。

そう言って背中を押してやると、漸く決心したのか足を前へ踏み出しソイツに駆け寄る。そして何かを話した後頭を下げると、ソイツの目が次第に潤んでいき。

…ポロポロと涙を流しながら、その女の子を抱きしめた。

(…ちゃんと仲直りできたみてーだな)

大きな声で泣く友人に抱き締められ慌てている後ろ姿を暫く眺めていると、女の子がその手を解き此方に戻ってきた。

『あ、あの…っ謝ってきた…!』

「ああ、みてぇだな」

『もっと頼ってって怒られたけど…でも、仲直り出来たよ…っ!』

心なしか先程よりも表情が明るく見え、必死になって話す姿につい口元が緩んじまう。

「よかったじゃねーか」

そう言ってくしゃりと頭を撫でてやり、役目も終えたし今度こそ家に帰る為「じゃあな、もう喧嘩すんなよ」と声をかけて家へ歩き出した。

慣れない事をすんのも偶にはいいかもしれねぇと、そう思いながら。




そうして数日後。いつものようにアカデミーに行き、いつものように帰り道を1人歩いて公園の前を横切った時。

『あ…お兄さん…っ!』

聞こえた声に視線を移すと、以前助けた女の子が此方に駆けてくる姿。額にはうっすらと汗が滲んでいる。

「よぅ、何してんだこんなとこで」

『よかった…お兄さんに会えるかなって思って…この公園で待ってたの』

「待ってたって…ここ数日ずっとか?」

『うん。ちゃんとお礼言ってなかったから言いたくて…こないだは色々ありがとう』

(…んな事の為に態々待ってたのか?)

俺と会えるかも分からねーのに…そんな事を言う為だけに、この数日暑い中一人ここで待っていたのかと思うと若干の罪悪感が身を襲う。

「…どういたしまして。っつっても別に大したことしてねーけどな」

『ううん、そんな事ない。お兄さんのおかげで友達と仲直りもできたし、最近イジメられなくなったの。だから…あの…』

「…?なんだよ」

『お…っ、お兄さんの好きな食べ物ってなに!?』

「……は?」

以前のように服の裾を握りしめて、若干顔を赤らめ唐突に投げられたその質問。話の意図がまったく理解できねぇが、取り敢えず問われた事に答えてやろうと数秒考える。

「好きな食いモンか…あんま食いモンに拘りはねぇんだが…あー、強いて言うなら煮物が好きかもな」

『…煮物?』

「ああ、ジジくせぇって思うかもしんねーけど。…でもそんな事聞いてどーする『えっと、あ、明日もこの時間ここで待ってる…!!』

「は…明日?って、お、おい!!」

聞くだけ聞いて俺の質問には答えず、そのまま走り去っていく後ろ姿に益々困惑する。

(…って、俺明日もこなきゃいけねーのか?)

返事は返しちゃいないが、待ってると言われちゃ来ない訳にもいかない。よく分からないソイツの行動に小さく溜息を吐いて、この日はそのまま家路へ就いた。




「あー!終わったぁ!!」

翌日、アカデミーも終わり隣の席でライドウが腕を伸ばしながら視線を此方に向ける。

「ゲンマ、お前最近よく髪縛ってんな」

「ああ。暑いから少しでも涼しくなるようにな」

「確かに毎日あっついよなぁ…そうだ、今からかき氷食いにいかねぇ?」

「お、いいなそれ!!暑い日にはやっぱ冷たいモンだよな!」

ライドウの提案にすぐ近くにいたアオバも話に食いついてきて。何処の甘味処に行こうかと相談しているのを横目に、部屋を出る為立ち上がる。

「悪ィ、俺パス」

「へ?ゲンマが断るなんて珍しいな。今日なんかあるのか?」

「ああ、ちょっと野暮用」

俺もその提案に乗りたいところだが、生憎先約がある。…まぁ一方的な約束だったが。

そうしてライドウ達に別れを告げてあの公園へと向かう。辿り着くと女の子はまだ来ていないようで、仕方なくベンチに腰掛けた。

(あー…やっぱあちぃな)

幸い木陰になっているが、それでもやはり暑いことに変わりはない。それに待っているだけのこの時間は、煩わしい蝉の声もいつも以上に煩く聞こえて。
早く来ねぇかな…そう思い公園の出入り口を眺めていたら、ソイツが走ってくる姿が目に映った。

『お兄さ…っ、ごめんなさい、遅くなっちゃって…っ』

「おー、別に大して待ってねーから謝んな。で、今日は何だよ?」

そう聞くと、頬に流れる汗を拭って呼吸を整えながら話を続ける。

『えっと…煮物が好きって言ってたでしょ?何がいいか分からなかったんだけど、お父さんに相談して…これ、作ったの』

これ、と言って持っていた袋を差し出され、訳もわからないまま受け取り中を覗く。…そこには、小さく切られた南瓜が容器の中に入っていた。

『それ南瓜の煮物なんだけど…私の家、和食屋さんで…でね、今頑張って色々作れる様に毎日練習してて…だから、あの…』

俯いたまま話を続ける女の子。だが二度三度目を泳がせた後、意を決したように顔を上げた。


『こ…っ、こないだのお礼に…作ったから、食べて欲しくて…っ!』


漆黒の、曇りのない瞳。暑さのせいだけじゃないだろう、赤く染まる頬。


帰り道の途中で横切っていたこの公園は、滑り台とベンチが一つしかなく、誰かが遊んでいるところもあまり見かけない。

そんな、いつもだったら気にも留めないこの場所で偶然出会った女の子。

いじめられているところを助けただけ。しかも俺にとっちゃ気まぐれだったあの日の行動。けれどそれは、この女の子にとって大きな出来事になっていたのだと。

…こうして、必死に礼を伝えたくなる程に。

そう解った途端、心ん中がくすぐったい様な変な感覚に陥って。それを悟られないように「…ありがとな」と礼を述べて頭をくしゃりと撫でてやる。

すると少しだけ驚いた表情をした後、赤く染まった頬を綻ばせ――…嬉しそうに、笑った。

その表情を見た瞬間、何故か詰まる息。心ん中のくすぐったいような感覚は忽ち消えて、代わりに熱を持って身体中にじわりと広がる。

『…?お兄さん、どうしたの?』
「あ?あー…いや、俺用事あるしもう行くわ。じゃあな」

撫でていた頭から手を離し、不思議そうにする女の子と視線も合わせずその場を後にした。暫く走って公園から離れると足を止めて、胸の辺りをぎゅっと掴む。

(…なんだ?これ…)

ドッドッ…と激しく胸を打つ心臓は、明らかに走った事だけが原因じゃない。だが今はその原因を考えるよりも、早くこの忙しなく動く音を鎮めようと必死になっていた。





あの後漸く鼓動も落ち着いたところで家へ帰宅し、貰った南瓜の煮物を母さんに渡した。「誰に貰ったのよ?」としつこく聞かれたが、頑なに沈黙を貫いて。

そうして夕飯時、食卓に母さんの作った味噌汁や煮魚と一緒に並べられたそれを見てまた心ん中がくすぐられるような感覚に陥ったが、気にしねぇようにしてほくほくと湯気が立つソレを箸でつまむ。

一口食べると見た目以上に柔らかく、優しい甘さが口内に広がって。

(…美味いな)

煮崩れして、お世辞にも店になんて出せねぇだろう目の前の煮物。…それでも俺にとっては、今まで食べた物の中で一番美味いと、そう思ってしまった。

もう一つ、と箸を伸ばした時。不意に脳裏によぎった今日の出来事。

…そして、あの笑顔。

照りつける太陽や蝉の声に嫌気がさしていたが、あの瞬間はそれらが感じられない程、胸の内の熱さや鼓動の音に気を取られた。

(…って、だから何考えてんだよ俺は)

思い出してまた顔が熱くなるのを感じ、それを必死に振り払うように食う事に集中した。


胸の奥が熱くなる感覚、鼓動が早まる理由。
それが何なのかは分からない…だが一つだけ思ったことがある。


――それは…またあの女の子に会って、「美味かった」と伝えたいということ。





「あ゛ー…暑い…」

いつものように太陽が照り付け蝉の鳴き声が響く中、ライドウが手で顔を扇ぎながらぼやく。
アカデミーの後修行をし、今はそれを終えて家へと帰っている最中だった。

「なぁ、今日もどっかで涼んでから帰ろうぜ」

「そうだな…あ、昨日行った店でまたかき氷食うか?ほら、ゲンマも行けなかったし行きたいだろ?」

「あ?あー…」

アオバの言葉を聞きながら何と返事を返そうかと銜えていた楊枝を揺らす。確かに今日も暑いし、修行の後に食うかき氷はキンと冷えて格別に美味いだろう。

だがその思いとは裏腹に、頭に浮かぶのは女の子の事ばかりで。

(もしかしたら、またあの公園に居るかもしんねーよな…)

美味かったと、そう伝えてやりてぇという思いが沸々と湧き上がる。…そしたらまた、昨日みたいに笑ってくれるだろうかと。

「…悪ィけど、俺今から――「生意気なんだよ!!」

そんな自分に戸惑いつつもライドウ達の誘いを断ろうとした時、不意に聞こえた声。

――…視線の先には少し離れた場所で虐められる、女の子の姿。

(…っ、アイツら…!)

最近虐められなくなったと、そう言っていたのに。何が気に食わないのかこないだ見た連中が、女の子を突き飛ばして暴言を吐いていた。

「なんだあれ、虐めか?よくやるよなぁ…って、ゲンマ?どうし――」

ライドウの言葉を無視して女の子と連中の間に割って入る。背後から『お兄さ…なんで…』という戸惑う声が聞こえたが、振り向く事なく目の前の連中をじっと見据える。

「…っ!?お前こないだの…!」

「…懲りねーな、お前ら。コイツが一体何したってんだよ」

「う、うるせぇよ!一々関わってくんな!!」

そう言って複数人で襲いかかってくる姿に更に苛立ちを覚え、以前のように足を引っ掛けるだけじゃなく、俺自身も拳を振り上げる。

やはり普段相手にしているライドウ達とは天と地ほどの差があり、1人2人と薙ぎ倒し最後の1人の胸ぐらを掴んだ――その時。


「…っ、知ってんだぞ、お前アカデミー通ってんだろ!?」

その言葉に、殴ろうとしていた拳をピタリと止めた。何も言えず殴ることもできなくなり、握りしめていた拳を下ろして胸ぐらを離した瞬間思い切り突き飛ばされる。

「忍者になろうとしてるヤツが一般人に手出してんじゃねーよ!!」

俺が倒れた隙にソイツらは暴言を吐いて逃げるようにこの場を去って行き、重い空気が漂う中ライドウ達が駆け寄ってくる気配。

「おい、ゲンマ大丈夫か?」
「……ああ」

(…悔しいが、アイツらの言う通り本来俺は手を出しちゃいけねー立場だ)

女の子を助ける為とは言え相手は一般人。前みたいにあしらうか、もっと他にやりようはあったはずなのに…今回は頭に血が上って思いっきりやっちまった。

小さく息を吐いて立ち上がると、少し後ろにいる女の子と視線が交わった。――その瞬間、冷えていた頭が少しずつ熱くなっていく感覚。

『…お兄さ「お前、なんで言い返さねーんだよ」

大丈夫かと、そう声をかけるより先に口をついてでた言葉。何故だか怒りの感情が湧き上がってきて…そしてそれは、返答に困っている女の子の態度を見て更に加速する。


『あ…えっと、その…「そんなだからまた虐められんだろーが」


これ以上言ったらダメだ。傷付けるだけだ。…そう、思うのに。


「…お前みたいなの見てると、イラつくんだよ」


(…折角友達とも仲直りしたんだろ)

俯いてんじゃねーよ。ウジウジしてんじゃねーよ。
昨日みたいに、笑って―――


『……っ』

…ソイツが目を見開いたと思ったら、怯えた表情に変わり。次第にその瞳からポロポロと零れ落ちる大粒の涙。

それを見た途端怒りが急速に沈み、代わりに罪悪感の塊がどっと押し寄せてきて。どうしていいか分からず、泣いている女の子をそのまま残して踵を返す。


「おいゲンマ、いいのかよ?泣いてたぞあの子」
「…知らねーよ」


(何やってんだ、俺…)

…こんなの、完全な八つ当たりだ。
助けられなかった俺自身への不甲斐なさを、自分でこの状況を変えられねぇ女の子が悪いような言い方をして。

そう分かっていても謝るより気まずさの方が勝って、その場から早く離れようと歩く速度を早めた。




***




(…まさかあン時のヤツだったとはな…)


頭の片隅にしまっていた苦い記憶を思い返し、思わず深い溜息を漏らす。

結局俺はあの後も避けるように帰り道を変え、公園には近づかなくなり。それ以降ソイツと会う事も無くなった。

たったそれだけ。それだけの出会い。
…だが暫く心の中にずっといた存在。

傷つけてしまった事への罪悪感と、美味かったと伝えられなかった後悔。…そして自分の中で、なんというか…初めて可愛いと思えた女だったから。

俗に言う初…――


「……は、いや……参った……」

こんなモン、別に思い出さなくてよかったと。変に意識しちまう自分に嫌気がさす中、ふと今日の出来事を再度思い出す。

「…名前…」

呼び止める為に咄嗟に口から出た女の名前。初めて呼んだその名前は、妙に自身の心をくすぐった。

(…って、だから意識すんじゃねーよ俺)

ソファに背をつけ天井を仰ぎ、目元を腕で覆い隠しす。

これからどう接すればいいか考えるも、一夜明けてもその答えは出ることはなかった。


(2021.11.1)
  

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