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「よぅ、名前」

とある昼下がり。
お昼の忙しさも落ち着いた頃、フラリと現れたのはアスマさんだった。そして隣には綺麗な女性を連れている。


『アスマさん、来てくださったんですね』

「ああ、行くって約束してたからな」

『ありがとうございます。…えっと、こちらの方は…?』


視線をその女性に移すと、その人は華のように艶やかな笑みを浮かべ自身の名前を教えてくれた。


「初めまして。私は夕日紅。アスマとカカシとは同期なの、よろしくね」

『そうだったんですね。和雅名名前と申します。宜しくお願いします』


互いに自己紹介を済ますと、そのまま2人を席へ案内する。


「……へぇ、確かにカカシの言う通り静かで落ち着きのある店だな。アイツが気にいるわけだ」

『はたけさん、そんな風に思って下さってたんですね。嬉しいです』

「……まぁ、それだけじゃあねぇけどな」

『……え?』


アスマさんの言葉に疑問を抱いていると、紅さんが「余計な事言わないの!」と彼に叱責する。そのやりとりを見つつ注文をとっていた時、ふと気になっていて事を2人に聞いてみた。


『……そういえば、ここ最近はたけさんを見かけないのですが、お元気ですか?』


一緒に食事をしたあの日から、彼の姿を見ていない。里の誉れと言われる人だから忙しくしているのだろうと推測できるが、忍という職業は命の危険を伴う内容のものもあるはず。

だから元気にしているかと気になっていたのだ。

私のその気持ちが顔に出ていたのだろう。アスマさんは優しい笑みを浮かべる。


「ああ、心配すんな。ちゃんと生きてるからよ」


生きていると言われホッとしたのも束の間、彼の次の言葉でそんな気持ちも飛んでしまった。


「ま、家でぶっ倒れてるだろうけどな」

『…え?倒れ…!?だ、大丈夫なんですか!?』

「大丈夫っちゃあ大丈夫なんだが…もう1週間寝たきりになってんのは確かだ」

『1週間……!?』


そんなに長い間寝たきりなんて、相当な怪我を負ったに違いない。その言葉に私が心配していると、紅さんがため息を吐いてアスマさんを睨んだ。


「アスマ、貴方大袈裟に言い過ぎよ。名前…カカシなら大丈夫。怪我を負ったわけじゃないの。少し任務で無茶して、バテちゃっただけだから」

『そうなんですか…ですが、寝たきりなんですよね?』

「寝たきりなのは最初の3日間くらいだけよ。もうだいぶ動けるようになってると思うわ」


紅さんの言葉に、漸く安心することができた。しかし1週間も安静にしなければいけないのは余程のことだ。


(はたけさん、ちゃんとご飯食べてるのかな…)


色々と大変な思いをしているかもしれない…でも、くノ一の憧れの存在だと言われるような彼だ。きっと恋人か誰かが看病をしているだろう。

そう思いながら注文を受けたものを厨房に知らせに行こうとした時、再度アスマさんに声をかけられた。


「名前、お前アイツの見舞いに行ってやってくれねぇか?」

『……え?私がですか?』

驚く私をよそに、彼はそのまま話を続ける。

「ああ、色々と不自由してるだろうし。ちょっと様子見るくらいでいいからよ」

『いえ…でも私が行っても大丈夫なんでしょうか?』

「むしろ名前に行って欲しいんだよ」

「アスマ、あまり無理強いはしちゃ駄目よ。名前には名前の都合があるんだから」


紅さんがアスマさんを窘めるが、私自身はお見舞いに行きたいと考えていた。
以前食事をご馳走してもらったし、何か少しでも役に立てればと思っていたから。


『あの……私、お見舞い行きたいです』


そう言うとアスマさんは笑みをこぼし、彼の家までの地図を書いて渡してくれた。

それを受け取りお礼を述べ、早速休憩の時間を使って行こうと父に経緯を説明する。
すると、店も落ち着いているから時間は気にせず向こうで何か作ってやりなさい。と、半ば強引に食材を手渡された。


(お父さんったら、こんなに持っていけなんて…)


はたけさんのお宅へ向かいながら、父が持たせてくれた食材に目をやる。
そもそも家に上がるのすら憚られるのに、その上台所を借りて作るなんて迷惑になってしまうかもしれない。

どうしようかと頭の中でぐるぐると考えている内に、気付けばはたけさんの住むアパートにたどり着いてしまった。

途端に心臓の音が早まり、緊張が身を襲う。

しかしここまで来て引き返すこともできない為、意を決して教えられた部屋の呼び鈴を鳴らした。

暫く物音もせず静寂が続き、やはりまだ起き上がることもできないのでは…と不安に思っていた時、ガチャリと鍵が開錠した音が響き、ゆっくり扉が開く。


そして彼は私の姿を捉えた瞬間、大きく目を見開き固まってしまった。


そんな彼を見て私も目を見開き固まる。
なぜなら、いつもは額当てに隠れている左目が晒されていたから。

その左目には一本線が縦にくっきり刻まれていて、そして瞳の色は私の知る漆黒ではなく、真紅の瞳だった。

2人して呆然とすること数秒。先に我に返ったはたけさんが戸惑いながら言葉を発する。


「えっと……なんで名前ちゃんがここに?」

『あっ…と、突然申し訳ありません…っ!アスマさんから、事情を伺いまして…お見舞いにきました…』


彼の問いかけに漸く自身も我に返り、事の経緯を伝える。すると彼は頭を掻きながらバツが悪そうに呟いた。


「……あ〜、そういうことか。君が俺の家を知ってる時点でおかしいとは思ったけど…ったく、アスマの奴余計なことを…」

『あの…すみません、やはり迷惑でしたよね…』

「へ?あ、いや、そういう訳じゃないんだ。名前ちゃんは何も悪くないよ。むしろごめんね、気を遣わせちゃって」


とりあえず、どうぞ上がって。

そう言って入るよう促されたので、おずおずと中へ足を進めた。突然お邪魔したにも関わらず部屋の中は綺麗に整頓されていて、彼は几帳面な性格なのだと新たな一面を知る。


『……お元気そうでよかったです。1週間も安静になさっていると聞いていたので』

「ああ、確かに1週間前はろくに身体も動かせなかったんだけどね。もうだいぶ回復したから、明後日には復帰する予定なんだ」

『そうですか、それなら安心しました』

「心配かけちゃったみたいでごめんね。
…ところで、さっきから気になってたんだけど…それなぁに?」


彼が言いながら指差したもの。それは私が父に持たされた食材達だった。やはり突っ込まれてしまったかと内心焦るが、問われてしまった以上話すしかない。


『あの…実は、生活するのに不自由されてるかと思いまして…差し支えなければ何か作ろうと食材を持ってきたんです』


言いながら持ってきたものを見せると、はたけさんは目をパチパチさせ首を傾げる。


「え……作ってくれるの?」

『えっと、はい…あ、でもご迷惑でしたら全然「いや、むしろ嬉しい」

「…名前ちゃんの作ったものが食べれるなんて
思ってなかった。お言葉に甘えてもいい?」


そう言って、本当に嬉しそうに笑うはたけさん。その表情を見て何故かこちらも嬉しくなり、思わず笑みがこぼれた。


『はい、ではお台所をお借りしますね。…あ、今更ですが食欲はありますか?消化に良いものの方がよかったり…』

「いや、大丈夫。何でも食べれる。むしろお腹空いちゃって早く食べたいくらい」

『……っふふ、では少しだけお待ち下さい。すぐに用意しますので』


その言葉にクスクスと笑いながら、早く食べさせてあげようと手早く準備を始めた。








『……どうぞ、お口に合うかわかりませんが』

コトン…とお皿をテーブルに並べながら、彼に言葉をかける。


「いやいや、何言ってんの。雅亭の娘さんが作ったものが美味しくないわけないじゃない」

『…なんだかハードルが上がった気がします』


そんな会話をしつつ2人で手を合わせ食べ始めるが、彼が次に発する言葉が怖くて箸を進めず俯く。すると少しの間を置いて正面にいる彼の声が耳に届いた。


「……うん、やっぱり美味しい。あのお店の味がする」


その声色は優しさを含んでいて、私の心をホッと落ち着かせてくれた。


『それは良かったです。お店の味と言って頂けて、私も嬉し───……』


言いながら彼の方を見た瞬間、言葉が途切れてしまった。なぜならそこには、いつもの口布を顎まで下げ素顔を晒した彼がいたから。

目を見開き固まる私を不思議に思ったのか、はたけさんがきょとんとする。


「……?どうかした?」

『…いえ、あの…今日はマスクを外して食事をするんだなと思いまして…』

「え?ああ、家だしいいかなぁと思って。…それにやっぱり外した方が気兼ねなく、美味しく楽しく食べられるからね」


ニコリと微笑んで食事を続ける彼を見て、心臓の音が早まる。

(……っ、まさかこんなに整った顔立ちだとは思わなかった…)

マスクをしていても憧れの的になってしまうはたけさん。素顔を晒して里を歩いたらどうなってしまうのだろう。

……それとも、それを自分でも分かっているから隠してるのだろうか?

そんな事を悶々と考えていた時、彼が小さく呟いた。


「………ナスが入ってる」

『………え?ナス?』

「ああ、いや…お味噌汁にナスが入ってると思って」

『……あの、もしかしてナスお嫌いでした?』

「ううん、むしろその逆。俺ナスの味噌汁好きなんだ」

『そうでしたか…よかった。私もナスのお味噌汁は昔から好きなんです』

「……名前ちゃんも?」


彼が驚きの表情をこちらに向けた。そんな彼から視線を外し、お味噌汁の入ったお椀を見つめる。


『……生前、母がよく作ってくれて。初めて私が作った料理もこのお味噌汁なんです』


私の母が他界していることは、はたけさんも既に知っていることだ。

父がお店を構えて暫く経った頃、体調を崩しそのまま帰らぬ人となってしまった母。

そんな母から幼い頃、唯一教わった料理がこのナスの味噌汁だった。



──"お父さんにね、このお味噌汁が好きだって言われたの。名前にも教えてあげるから、だからお父さんに作ってあげてね"──



そう言って笑顔で教えてくれた母を、今でも鮮明に憶えている。


『他の料理は父から教わったので、父の…雅亭の味です。でもこのお味噌汁だけは、母の味なんです』


これだけは母の味として守っていきたいと。
ずっと作り続けたいと、そう思う。


「…そっか。だからかな、すごく優しい味がする」


お椀から視線を外し顔を上げると、額当ても口布もしていないはたけさんが目を弓形にし微笑んでいた。

それはとても穏やかで、優しくて。
私の心をほっと温めてくれるような、そんな表情だった。









「今日は本当にありがとね。こんなピンピンしてるのにご飯まで作ってもらっちゃって。」

あの後食事と後片付けを終え、お店へ帰る為玄関で靴を履いているところ彼が声をかけてきた。


『いいえ、以前食事をご馳走して頂きましたし、何よりいつもお世話になっているので。…それに、はたけさんの素顔も見れましたからなんだか得した気分です』

「ふ、何よそれ」

『あまり人に見せないんですよね?左目も…初めて見ました。』

「…あー、普段は額当てしてなくても閉じてるんだけどね。名前ちゃんが来た時ビックリしすぎて閉じるの忘れてたんだ」

『右目と違い真紅の瞳で驚きましたが、とても綺麗でした』


見つめながら思った事をそのまま伝えると、彼の表情が一瞬曇り、忽ち視線を逸らされてしまった。


『……?はたけさん、どうし───「名前」


不思議に思い彼に問いかけようとした時、その声を遮られ額をコツン、と小突かれる。


「……さっきから気になってたけど、はたけさん呼びに戻ってる」


以前のように少しふて腐れながら呟く彼を見て、自身もそこでハッと気付いた。


『あ…っ、えっと、すみません…どうしても慣れなくて、つい…』

「……なるほど、じゃあ慣れるまで呼べばいいんじゃない?」

『………え?』

「ほら、言ってみて?」


その言葉に困惑して彼を見ると、ニコリと微笑み少しだけ顔をこちらに近づける。断りづらい雰囲気を醸し出す彼に観念し、以前一度だけ呼んだその名を口から紡いだ。


『……カカシ、さん』

「うん、じゃあもう一回」

『………カカシさん』

「はい、もう一回」

『カカシさん』

「もう一回」

『カカシさん…も、もう許してください…』


先程よりも彼と私の距離が何故か近付いていて、顔に熱が集まるのを感じつつ視線を逸らしながらそう伝える。

すると彼は喉の奥を鳴らすように笑いながら、近づけていた顔を離し私の頭の上にぽん、と手を置いた。


「……ックク、いや、ごめんね?顔真っ赤にしながら俺の名前呼ぶ名前ちゃんが可愛くて…つい意地悪したくなってね」

『……っ!そ、そんな風にからかうならもう呼びません』

「ごめんごめん、でも…からかってるんじゃなくて、本心だから」


言いながら、尚も私の頭を撫で笑みを浮かべるカカシさん。

この状況が耐えられなくなり『…では、またお店にもいらしてくださいね』と一言伝えると、彼の返事も待たず玄関を開け足早にその場を後にした。


お店へと向かう道すがら、早まる鼓動を必死に抑えようとする。…しかし、それは中々治らなくて。

(……っ、本当、心臓に悪い………っ)

前回会った時もそうだったが、はたけさ…カカシさんは言葉がストレートだ。

それに額当ても口布もしてないカカシさんの素顔が、あまりにも──────


『…………っ……、』


ドクドクと忙しなく動く胸に手を当て、深く深呼吸をする。

先程の事は頭からかき消し、お店の準備の為早く帰ろうと駆け足で先を急いだ。

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