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季節はうつろぎ、過ごしやすかった日々が終わり日に日に暑さが増してくるこの季節。

太陽の日差しで額にじんわりと汗が滲む中、今にも蝉がその声を響かせるのではないかと、お弁当を運びながらそんな事を考える。

お弁当の販売は意外と好評で、お店を抜けて配達に出かける事が多くなった。そして今日はまた忍の方から注文があり、いつものようにその場に足を進めていた。


(でも今日は初めて行く場所だし…少し緊張しちゃう)


父に言われたのは諜報部。そこにいる不知火さんからの注文だと。

やはり忍の方達がいるあの建物に入るのは未だに慣れず、毎回入り口前で深呼吸をしてから入るのが日課になっている。

だから今日もいつものように心を落ち着かせてからあの場に足を踏み入れようと、そう思っていた時。

そういえば…と頭によぎったある人のこと。


(……あれから、ゲンマさんを見かけないな)


このみが言っていたように凄い忍の方だからきっと仕事が忙しいということなのだろう。

けれど彼の事を知りたいと思うのに、こうも関わりが持てないものかと落ち込む自分がいて。

それにいつ彼が来てもいいようにと、南瓜の煮物は最近私が作るようにしていた。そして今日のお弁当にも、それが入っている。

ゲンマさんに食べてもらえる日はいつになるだろう…そんな事を考えながら歩いていたら、目的の場所にたどり着いた。

いつも通り深呼吸をして建物内に入ると、まず受付へと行き雅亭の者でお弁当を届けに来た事と諜報部がある階を尋ねる。

そうして聞いた場所までお弁当を揺らさぬよう向かい辿り着いた部屋の扉をノックすると、暫くして扉がガチャリと音を立てて開いた。


『……あ、雅亭の者です。ご注文頂いたお弁当をお届けに───……』


言いながら顔を上げその人を見た瞬間、言葉が途切れた。

そこにいたのは、先程まで会えないかと思っていた人物……ゲンマさんだったから。


「おー、外暑かっただろ。わざわざありがとな」


そう言ってひょい、と私の手からお弁当を受け取る彼を見てハッと我に返る。


『あ…っ、えっと、あの…不知火さんにご注文頂きまして…!』

「あ?アンタそれボケてんのか?」

『……え?』

「だから、俺が頼んだんだよ。中々店に行けねーから」


その言葉を理解するのに数秒かかり、ポカンと彼を見つめる。


『………不知火……さん?』

「ああ。……なんだ、アンタ俺の名字知らなかったのか」


そう言われて咄嗟に『はい』と答えようとしたが、はた、と気付く。


(そういえば…このみ、ゲンマさんのこと"不知火特別上忍"って言ってた気が…)


……そうだ、思い出した。カカシさんにもゲンマさんの名字を知らないと言っていたけれど、私はあの時このみに聞いていたのだ。

ただあまり聞き慣れない名字だったし、私の頭の中から消えてしまっていたけれど。


『……知って、ました』

「…………は?」

『あ、いえ…忘れていたと言いますか…馴染みのない名字で頭の中に留められなかったと言いますか…』


忘れていた自分が恥ずかしくなり、俯きながらごにょごにょと言い訳をする。

すると頭上からククッと低く笑う声が降ってきた。その声に顔を上げると、肩を揺らして笑う彼の姿。


『………あの、「おもしれーな、アンタ」

「百面相。目見開いて固まったと思ったら顔赤く染めて俯いて……見てて飽きねぇ」


そう言って、尚もクツクツと笑うゲンマさん。
───途端に息が詰まり、鼓動の音が速くなる。


恥ずかしさで熱くなっていた顔が、別の感情によって更に熱さを増していく。
その顔を見られないよう勢いよく俯くと彼の笑い声が途絶えた。


「……?なんだ、どうし『あ、あの…お仕事のお邪魔になるでしょうし、私はこれで……!』


そう伝えると、彼の返事も待たずに来た道を足早に戻っていく。建物の外に出ると強い日差しが肌を刺激し、歩く速度を落としゆっくり深呼吸をした。


初めて見た、彼の笑顔。


それなのに何故だろう、こんなに胸の奥がざわつくのは。


(なんだろう、私知ってる気がする……)


あの人の笑顔を、
どこかで見たことがある気が──────


頭の中で必死に記憶を辿るも、空を撫でるかのようにそれは一向に掴めなくて。

額にうっすらと滲んでいた汗をハンカチで拭いながら、小さく息を吐く。


『………考えてもわからないか………』


それよりも今は、店に戻るまでにこの速まる鼓動と顔に集まった熱を下げないと。

記憶を探るのは、気持ちが落ち着いてからでも遅くはない。


………それに、予感がしたから。


彼と今後も会っていたら、この胸の奥にあるモノがなんなのか…その正体を知れるだろうと。


そんな、何の根拠もない予感が。

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