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初めて会話したあの日から
なんとなく頭の片隅にあった、女の存在。
店へと歩きながら、チラリと横にいる女を盗み見る。この無言の時間をどうしたものかと、早々に頭を悩ませていた。
(…やっぱ考えなしに行動するもんじゃねーな)
そもそもあの店に行くとは決めていなかったのだ。どこでもいいから空いている店で食べるかと外に出ようとしたところで、この女と出会した。
あの日から何故か気になっていた、この女。
初めてしっかりと目を合わせ言葉を交わしてから、なんというか…心の中でひっかかるモンがあって。
それが何なのか自分自身でも分からず、また話せば分かるかもしれないと思い勢いに任せて店に行くと言ったのだ。
(…っつってもなぁ…何を話せばいいんだか…)
本当に考えなしに行動してしまった…と頭を掻きながら深く後悔していた時、不意に横から聞こえた小さな声。
『あ、あの…ゲンマさんは、南瓜の煮物がお好きなんですか?』
視線を向けると、恥ずかしいのか俯いたままの女の姿。いきなり質問を投げかけられ戸惑うも、何を話そうかと悩んでいたのもあり素直にその質問に答えた。
「あ?あー…まぁ、そうだな」
『そうなんですね…今日も日替わりランチについているので、よろしければ』
「へぇ、そりゃ楽しみだ」
自分の好物を、しかも一番美味いと思っているあの店で食べられるのかと、少しだけ心が弾む。その時、ふと気になったことを聞いてみた。
「…それって、前言ってた奴が作ったのか?」
顔を上げきょとん、とする女は暫く沈黙し、やがて言われている事の意味に気付いたのか首を振った。
『いいえ、今日は違います。普段担当している料理長が作りました。…あの日は、たまたま別の者が担当したんです』
それを聞いて、少しだけ気が沈む自分に驚く。別にどこが違うのかも分からなかったし、普段から美味いと思っているのに。ソイツが作った物を食いたいと思うなんて。
「そうか…じゃあソイツにまた食いてぇって伝えといてくれ」
それでもそう思ったことは紛れもない事実だからと、思ったことを伝えた。すると女は一瞬目を見開くと、次第に頬が緩んでいき
『…はい、わかりました。伝えておきます』
そう言って、ふわりと微笑んだ。
視線を合わせてから、初めて見たその笑顔。それを見て何故か一瞬息が詰まって、何かが脳裏をよぎる。
(……なんだ?思い出せねー……)
胸の中に引っかかったモノが何なのかと必死に記憶を手繰り寄せていると、気付いたら店の前に辿り着いていた。
『…では、私は裏口から入りますので。ごゆっくりなさって下さいね』
「あ…っ、ちょっと待て」
そう言って離れていく女の後ろ姿を見て、咄嗟に引き止める。
「……なぁ、アンタ名前は?」
『……え?』
「いや、アンタだけ俺の名前知ってんのもおかしな話だろ」
脳裏によぎった"何か"も気になったが、純粋にこの女に興味が湧いたのもあり名前を知りたくなった。
俺の質問に少しの間を置いた女は、やがて先程と同じように笑みを浮かべ
『和雅名名前です。よろしくお願いします』
そう言って頭を下げると、俺に背を向け裏口の扉を開け中へと入っていった。
残された俺は暫く佇み、頭を掻きながら女が入っていった扉を見つめる。
「………名前………」
やはり聞いた事のない名前。…けれどあの笑みはどこか見覚えがあるような、ないような。
「まぁ…考えてもわかんねーか」
それより今は腹を満たして、午後も執務室に篭って溜まっている書類やら何やらを片付けなければ。
心に引っかかったモノを考えるのは、別にそれからでも遅くはない。
……それに、予感がしたから。
きっとこの女とは店以外で今後も会う事になるだろうと。
そんな、何の根拠もない予感が。