あの後まだ私を信用していない男の子―――伏黒恵くんと彼と共に学生二人を病院へと運んだ。ただ、もう一人の男の子―――虎杖悠仁くんだけは別の場所に匿うと。

『なぜです?その子も気を失ってるじゃないですか』

「これは僕がやったの。彼は少し事情があってね」

『事情とは?』

「君が来る前に食べちゃったんだよ、宿儺の指」

『…………は?』

"両面宿儺"…いくら呪術師の世界から離れていたとはいえその知識くらいは残っている。あの呪いの王とされている宿儺の指を…この少年が食べた?

『………大丈夫なんですか』

「どうかな。まぁでも次目覚めた時宿儺に体を奪われてなかったら、彼には器の可能性がある」

…ということは、私が感じたあの呪力の圧は宿儺のものだったと。そして虎杖くんが目覚めた時に宿儺に体を奪われていたら危険だから別の場所に匿うということなのだろう。

そう理解していると、彼が虎杖くんを抱えて伏黒くんへと視線を移した。

「それじゃあ僕今から彼を運ぶから。恵、ホテル取ってあるから彼女と先行っててよ」

「は?なんで俺がこの人と一緒に……!」

「だって逃げられても困るからさ〜、見張りも兼ねて。大丈夫!僕が帰ってくるまでだから」

正直逃げられるのならば逃げようかと思っていたので、その僅かな希望も打ち砕かれて心の中で溜息をついた。
伏黒くんも彼の言葉には逆らえないのか、盛大な溜息を吐くだけでそれ以上文句を言うことはなかった。……代わりに不機嫌オーラをこれでもかと出してはいるが。

「あ、名前」

そうして伏黒くんとホテルへ向け歩き出した時、不意に彼に呼び止められ一瞬息が詰まってしまった。

『……なんですか』

「悪いけどホテル着いたら恵の怪我も治してあげてよ」

『………わかりました』

目を合わせず返事を返して、再度目的地へと歩き出す。「じゃ、ヨロシクね〜」と間延びした声を背に受け、痛いくらいに鳴る鼓動を必死に押さえつけながら。






『……はい、これでもう大丈夫』

ホテルの一室、そこで彼に言われた通り伏黒くんの手当てをする。先程病院である程度の治療は受けていたものの、反転術式で傷自体を塞いでしまえば通院せずに済むし、すぐ任務にも復帰できるだろう。

彼は塞がった傷を手で押さえながら礼を口にするも、眉間に皺を寄せ未だ私を警戒しているようだった。

「…アンタ呪われてるって自覚あります?」

『あるに決まってるじゃない』

「じゃあなんで祓わないんですか」

『私の身体に深く根付いてるから。コイツを祓えば私も死ぬ』

「……深くって一体いつから『生まれる前』

「………は?」

『正確にはお腹の中にいる時、かな』

「…………」

訳がわからない…そう表情に出ている彼から視線を逸らしホテルに備え付けてある時計に目をやると、既に時刻は日を跨ごうとしていた。
そこから視線を彼へ戻すと、先程と同じ表情のままこちらを見つめていて。

……仕方ないか、と一つ息を吐いた。

『…"今は昔、■■の国●●の郡に住む男子二人ありけり。その父失せにければ、その二人の子供恋ひ悲しぶこと、年をふれども忘るる事無かりけり"』

「……いきなりなんの話ですか」

『今昔物語集の中にある説話よ。平安時代末期に書かれたもの。……伏黒くんは、未来が視えたらどうする?』

「一体何が言い「お疲れサマンサー!」

突如扉を開ける音と聞こえた声にドキリと心臓が跳ね上がる。
振り向くと目隠しをしたその人が右手をヒラヒラさせて笑みを浮かべていた。

「五条先生!!」

「お、恵怪我治してもらえたんだね。いや〜硝子呼ぶ手間が省けたよ」

この場に漂っていた重い空気を一新させるような口調でこちらに近付いてくる彼。
7年前とまるで雰囲気が違うなと戸惑っていると、近くにきた彼の手が自身の肩に置かれた。

「じゃあ恵、取り敢えず名前を家まで送ってくるから先休んでて」

『……え?帰してくれるんですか?』

「そりゃ勿論。明日には東京行く事になるんだから準備しなきゃでしょ」

ほら、早く行くよ〜と言いながら腕を引っ張られ、何か言いたげな伏黒君を残して部屋を後にした。








「それにしても反転術式を他人に使える奴が硝子以外に居たなんてね。僕っていい人材見つけちゃったかな〜」

『…………』

タクシーで自宅へと辿り着き、マンションのエントランスを潜り抜け自室へ向かう。彼の言葉に返事を返さず無言を貫いていたが、私の後ろをついて来るその人はまるで気にも留めずに楽しげな口調で1人話を続けた。

「明日仙台駅で待ち合わせよう。時間は追って連絡するよ。あ、念の為言っておくけど逃げようなんて『その心配は不要です。今更逃げられるなんて思っていませんから』

先程タクシー内で連絡先の交換をし、更に住んでいる場所も把握されてしまったのだからもう逃げる術もない。

ただ不要な会話を避け、極力関わりを持たないようにすること。
そうすれば消し去った記憶も戻る事はないだろうから。


『……じゃあ、送って下さって有り難うございました。私はこれで―――』


部屋の前で足を止め彼の方へ振り向いた―――瞬間、息を呑んだ。


数歩後ろにいた彼がいつの間にか距離を縮め、身を屈めてこちらを覗き込んでいたのだ。しかも目隠しに指をかけ、その隙間から覗く碧眼で私の姿を捉えながら。

『………な、んですか』

「ん〜やっぱ僕、名前と会ってる気がする…ってか、知り合い?」

鼻先が触れそうな距離で見つめられ身動きが取れない。しかも先程私が言ったような"何処かですれ違った"という程度ではなく、もっと近しい関係だったのではというような、含みを持たせたその言葉。

『…私は、呪術師最強と言われる五条さんと言葉を交わすのは今日が初めてです。では…失礼します』

声が震えないよう、そう伝えると彼から視線を外し鍵を開けて部屋の中へと身体を滑り込ませた。
扉に背をつけ早まる鼓動を必死に落ち着かせようとするも、中々それは治ってはくれない。


……7年、その年月はあまりにも長い。


けれどあの声で自身の名が紡がれた。
あの瞳と、視線が交わった。

たったそれだけの事でこんなにも胸が苦しくなるのは、未練があるからなのか。もしそうなら…こんな自分勝手な感情はないだろう。


『…っくそ、中途半端に視せやがって…!』


自身の胸を強く握り、中にいる呪いに向けて悪態を吐く。私が今日視たのは呪霊が学校で暴れて、生徒が危険に晒されているところだけだった。

コイツは分かっていたはずだ…でも私が苦しむ姿を見たいから、だから彼が来ると分かっていてもその先を視せなかったのだ。

昔交わした"縛り"があっても、やはり呪霊は呪霊。この先も今回のような事は必ず起こるだろう。それでも絶対お前の思う通りには動いてやらないと心に誓い、部屋の中へと足を進めた。


……止まっていた時間が動き出す。
それは変えられぬ運命か、それとも。



(2021.1.30)


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