―――2018年6月


いつものように仕事を終え家路についていた時、激しい爆音が響いた。痛いくらいに鼓膜を震わせたそれは二度、三度と続き、やはり・・・起こってしまったかと小さく舌打ちをして音が聞こえた場所へと向かう。

杉沢第三高等学校―――そう彫り込まれた銘板を視界の端に捉え門をくぐり抜けると、屋上で巨大な呪霊と誰かが対峙していた。よく見ると制服を着ている男の子が二人…呪術師かどうか定かではないが、状況は良いように見えない。

助けなければ。そう思い彼らの元へ向かう―――と、先程まで劣勢だった男の子が突然呪霊を殴り飛ばし、あっという間に祓ってしまった。そして次に身を襲った禍々しい呪力の圧。
それだけで視ていない出来事・・・・・・・・が起こったのだと理解し、止めていた足を再度動かして階段を駆け上り、屋上の扉を勢いよく開いた。


目に映ったのは頭から血を流し座り込んでいる男の子。もう一人の男の子は意識がないのか別の男性に抱えられていた。
190以上あるだろう身長に黒い服を身に纏い、目を布で覆い隠しているせいで逆立っている白銀の髪。

呪術師を辞めて7年…最後に会った時と随分格好が変わっていたけれど、それでも見間違えることなんてない。


―――なんで、ここに。


「恵ストップ」

彼が発した言葉で我に返ると、座り込んでいた男の子が両手を合わせこちらに向けていた。

「……なんで止めるんですか。その人呪われてますよ」

確かに男の子が言うことはもっともだ。
術師だったら私に憑いている呪いを感知し、危険だと判断するだろう。
けれどそんなピリつく空気の中、彼だけは何も問題はない、とでも言うかのように男の子を宥めた。

「いきなり敵意向けたらビックリしちゃうでしょ。それに恵怪我してるんだから無理しないの」

男の子は暫く沈黙し、やがて深い溜息を吐くと警戒を解いた。それを確認した彼は腕に抱えていた男の子をその場に降ろしてこちらに近づいて来ると、顎に指を添えながら私の顔を覗き込んできて。

至近距離に近づいてきた彼に、鼓動の音が加速する。思わず息を止めてしまう。

少しの間を置いて「ん〜、なるほど」と言葉をこぼした彼の口が小さく弧を描いた。

「君こっち側の人間でしょ。で、紫苑家の子」

『……何故そう思うんですか』

「僕の目は特殊でね、君の術式がわかるんだ。…それ紫苑家相伝のものでしょ?それに腹ん中になぁんか飼ってるし……でもそれより気になるのは……」


「―――君、僕と何処かで会ったことある?」


どきりと、心臓が跳ね上がった。

この人には重ねがけを施してない…それは私と接触すれば記憶が戻ってしまう可能性もあるということなのに。

それでもバレるわけにはいかないと、極力平静を装って彼の目を見つめた。…黒い布に覆われているその瞳がどこを向いているのかは分からないけれど。

『……さぁ、どうでしょうね。過去に何度か一般人に術式を施す為に現場に呼ばれる事はあったので。その時にでもすれ違っているかもしれません』

私の父の家系―――紫苑家は術師の家系だ。

けれど相伝の術式は人の記憶を隠蔽するというもので戦闘には不向き。したがって前線に出ることは少なく、非術師が争いに巻き込まれた時に記憶を消す為だけに存在してきた。
………なんて、会ったこともない父の家系がどんなものだったかを高専時代に調べた、ただの情報に過ぎないけれど。

「…ま、いいや。丁度ここの学校の子2名襲われたみたいだからさ、隠蔽しといてよ」

私の言葉に納得したのかどうかは分からないが、それ以上彼が詮索してくることはなく。
内心ホッと息を吐き彼に案内され気を失っている学生がいる場所に辿り着くと、その二人の頭に手を翳した。

『……たまたま目撃しただけなので今回は仕方なくやります……が、私はもう貴方達側の人間ではありません。終わり次第帰らせていただきます』

「それはいいけどさ、自分が呪われてるって自覚ある?」

『あります。けど自分でどうにかできます』

これ以上関わりを持つのは避けたい。
一刻も早くこの場から立ち去りたい。
でないと、私は。

数時間分の記憶を隠蔽したついでに、怪我を反転術式である程度治してやる。と、突然彼に手を掴まれた。

「驚いた、君反転術式まで使えるの?」


………、………しまった。


反転術式を他人に施せる事は誰も知らない。私が呪術師を辞めてから唯一会っている夜蛾先生にさえ秘密にしているのに。

「反転術式を他人に使えるヤツなんてそういない。貴重な存在だ。それなのに術師を辞められたってことは……それができる事実を隠してた?」

『…………』

図星だ。図星すぎて何も反論できない。
背筋に冷たいものが走りこの場の空気が少しだけ重くなったのを肌で感じた時、沈黙を破ったのは彼の方だった。

「ちょーっと気になるから君、一緒に来て貰おうか」

"来てくれる?"ではなく"来てもらおうか"と彼は言った。それは私に拒否権はないということ。

夜蛾先生に怒られる事を想像し彼に気づかれぬよう小さく溜息を吐くと、治療を終えてその場から立ち上がり彼を見上げる。

「僕の名前は五条悟。で、君は?」

『………苗字名前』

もう一度この世界と、そして彼と関わりを持つことを覚悟した。……けれど知られてはいけない、思い出させてはいけない。


彼の中から消しさった……
"恋人だった苗字名前"の記憶だけは。


(2021.1.30)

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