えふえふ | ナノ



帝国人形劇

※オペオムとNTの設定が混ざってます


 王族とはつくづく我が侭で、訳の分からない生き物だとクジャはため息をついた。
元の世界で牛耳った城の王女も単純であり厄介で、何を考えているのか全く理解が出来なかった。世間を深く知らない事で利用はしやすかったが、同時に権力を有する。力をもった子供と同義である。
こちらの世界で出会った王は、力をも所持しているから違うのかと思いきや、なるほど。常識知らずということなのだろう。
 安息の地を作るという、神々のお遊びに強制参加を命じられてどのくらいになったのだろうか。確かに、元の世界ではもう故人となっているし、ここ以外に居場所はない。念願の永遠の生を与えられる地で反逆をし、世界を壊す理由がない。
もう、すっかりこの世界の摂理と、他の世界からやってきた戦士たちの性格や能力は把握した。男神に呼ばれた者たちは、お世辞には世界のヒーローとは言いがたい難癖のある者ばかり。クジャと同じく元の世界すら破壊した問題児であり、多くは女神の戦士たちに敗れ、魂の行き場のない者が多い。
神に成り代わろうという不届きものも少なくはないが、実際に行動を起こす者はまだいない。
実際に行動を起こせば女神の戦士たちが本気で対抗してくることは予想できるし、同じ陣営であっても世界の崩壊を望まない者がいる。全員を敵に回す可能性があるのに、行動を起こせるのはあまりにも剛胆で自信過剰な者だけだ。
 この、名も聞かされていない世界の大半を牛耳り、世界征服を後一歩というところまで進めたパラメキアの暴君が、大人しく控え室で頬杖を付いているのも、神々の成せる奇跡なのだろうか。運がいいのか悪いのか奇跡に立ち会えた死神は、女すら目を瞬かせる王の美貌を横目に、欠伸をかみ殺して足を宙に躍らせていた。
 ああ、退屈である。
愚弟でもいたら弄ぶ事は出来るが、生憎同室しているのは口うるさい光の戦士である。実力は認めるが、お堅く融通の利かないところがある為にクジャは彼を得意としなかった。
この部屋には何もない。ただの剣闘士たちの待合室に娯楽なんてあるわけがない。黄ばんだ白い石膏の壁に包まれた部屋に、木で出来た質素なベンチがあるだけだ。本すらないとなると、窓からも何も見えないし、欠伸をするくらいしかやることがない。
戦い以外に興味を持たない神々らしく、質素で必要最低限しかない10畳ほどの白い部屋の中、壁へともたれ掛かっていると誰ともつかない呼びかけが耳についたのだ。

「おい」

 始めは無視をしていた。同時に光の戦士も自分のことではないと高をくくって返事をしない。無視をされる事になれていない構ってちゃんは煮えを切らして、何度も何度も同じ呼びかけを続けてくる。涙ぐましいものだ、そこまでして話し相手が欲しいのだろうか。

「あの虫けらを、私にひざまづかせたい」

 誰に話しかけているか、名前を口にしないのは忘れているのであろう。だが無視を決め込んでいたら、このままでは癇癪を起こしかねない。
「虫けら」は言わずもがな、あの義士を指しているのは暗黙の了解である。仲間を罵倒されたと勘づいた戦士が睨みつけてきたので、なんとか仲を取り持つ為にも口を開く事にした。こんな面倒な事は性には合わないのに。

「うるさいねぇ……虫けら、とは誰のことだい。君は全部同じ呼び方をするだろう」
「チッ、その程度もわからないのか。無能が」
「生憎、ボクは我が侭な王様の思考なんてわからないよ」

 本当はわかっているが、からかうくらいの暇つぶしは許されるだろう。こっちは聞きたくもない愚痴を聞いているのだ。大目に見てほしいものである。
それに、感情を露にしやすい相手は、からかいがいもあるのだ。暴君がどれだけの痴態を見せるだろうか、考えただけで愉快でゾクゾクしてきた。
 
「アイツとは、誰にでも甘い奴だ」
「はいはい」
「だが、私にだけは近づいてこない」
「敵だからね」
「関係あるか!」
「大有りだよ」

 敵である彼、宿敵の義士に執着する理由は噂で聞いている。
どうやら暴君は、元の世界で世界を破滅に導きはした。だがあの屈強な青年に2度も打ち倒されて、地獄へと堕ちたらしい。もう元の世界には戻れはしないことを本人も認知しているし、なんと自分を殺した相手と共闘を行っているし、わだかまりもとけたはずなのだ。
 皇帝は、彼に対して全くといっていいほど怒りを覚えてはいない。全ての生き物の価値観は全て同じ。偉人だろうが家畜だろうが魔物であろうが、自ら以外は全て虫けら。道ばたに生える。生命力の高くどこにでも自生する雑草としか、見分けも付かない程度なのだろう。気持ちはわからなくもない。
 第一印象は取るに足らない豆粒の1つに過ぎなかったのに、幾分かの死闘を繰り返すうちに、相手の事を「戦士」として認識したことが発端であろう。力と地位と女以外に興味がなさそうな男であるから、それが意外でならない。

「そのような事を言えば、貴様も手癖の悪い賊と敵対しているだろう!」
「それ以前にボクたちは兄弟だからね」
「そんなことはどうでもいい!」

 顔を露骨に歪めても気づいた様子はあっても、話をそらす予定もないらしい。「いつもの癇癪か」と嫌みの1つでも言ってやりたいが、長話になるのもごめんである。
横を盗み見れば、まだ相手が誰なのかわかっていない顔の戦士が、のんきに首を傾げている。噂に聞く天然なところを見れば、普段の彼の姿とのギャップに笑いそうになってしまった。我慢である。

「とどのつまり、君は義士くんのことが気になって気になって仕方ないってことだ」
「敵情視察だ」
「敵なんじゃないか」
「何だ。フリオニールと仲良くなりたいわけではないのか?」
「そんなわけがなかろう! 馬鹿も休み休み言え!」

 そうだ。これからこの我儘な暴君と、天然なウォーリアオブライトという戦士と、チームを組んで模擬戦をおこなうのだった。この異様で淡いピンク色な雰囲気に流され、すっかり忘れていた。
 無言で佇んでいた光の戦士が口を開いたと思えば、確信を付いてきた。それでも意地はりの王様は認めない。ソウルのように真っ赤に燃えた顔色になったところで「そんなわけがない」「虫けらに興味など持つか!」と小動物のようにキャンキャン吠え回る。
 きっとかの暴虐の王は、代わり映えのない一般兵卒に焦れているのだろう。口には出さないが、態度に顕著に現れているのは皆も存じていること。あまりの執着心に異常さを覚えて観察をしてみると、答えなど単純で人間臭いものだった。
 本人が隠し通せると思っているのなら、道化を演じるもの面白い。口元を覆って笑うと、気づいているのかいないのか、化粧で彩ったつり目で睨まれてしまった。

「わかったよ。そういうことにしておいてあげる」
「その歯に物が挟まった言い方はなんだ」
「なんでもないよ」
「まさか、お前もフリオニールに対して好意を」
「戦士さん、少し黙っててもらっていいかな」

 天然で純真培養な女神の戦士にも困ったものだ。耳に届く前に遮る事には成功したが、怪訝な顔は変わらない。
それに今聞こえてきた「まさか」とはどういうことなのだろうか。まさかこの戦士も同性愛なのだろうか。いや、きっと仲間として好いているということだろう。そしてこの暴君も、同じく「人としての好意」を義士に向けているとでも思っている、そんなところだと憶測する。
本当に、単純で考えが足りない純粋な戦士達だ。暴君の真っ赤な顔と、宿敵を見るような鋭い視線と、剥き出しの犬歯を見ると、この感情の正体が恋慕であることは、誰だってわかるだろうに。

「やれやれ、わかったよ。一途な皇帝陛下の為、協力してあげる」
「貸しを作れるとでも思っているのか? 無駄だ。貴様は私の為に働くだけの兵だ」
「おお、虫けら以外も喋れるじゃないか」
「貴様……!」
「お前達、いい加減にしろ。もう時間だ」

 暴君と死神という、世界を破壊しかねない力をもつ2人を前にしても、いつものリーダーシップを崩さないのはさすがというか。
戦いをサボれば、力が与えられないことからサボるという選択肢は戦士達にはないも同然。舌打ちをしながらも重い腰を上げた暴君を笑いながら、付いていけば、ふと対戦相手の顔ぶれが見えてきた。

(おや、噂の虫けらくんじゃないか。それにジタンと、あの魔導の女の子)

 いいことを思いついた、と舌舐めずりをすると、すぐさま弟へと手を振ると、すぐさま相手も気がついた。ムッツリ顔で目をそらそうとはしているが、ちゃんと手を振り返してくれる可愛い素直で弟。次いでハンドサインを送ると、首を傾げながらも答えてくれた。
きっと、彼ならわかってくれるだろう。すぐさま横にいる義士の腕をつつき、何か囁いている姿を見初めて確信を得た。不思議な顔をしなら、自分を指差してこちらをチラチラと見てくる義士に、アピールをするように満面の笑みで手を振ってみる。
 横で鬼の形相で睨んでくる嫉妬深い王様と、肩をすくめるジタンをよそに、引きつった笑みで警戒してくる義士にターゲットを合わせた。



 試合は順調。勝敗など覚えていない。皇帝にとって模擬戦とは名ばかりの蹂躙に過ぎなかった。圧倒的な魔力で叩き潰し、ひれ伏させるだけの単調な作業に過ぎない。相手がどれだけ手練れの戦士であっても事実は変わらない。
だが、今回の問題は戦っている最中に見た顔が、戦士と盗賊、少女だけだったとう事実。
 何故、義士と死神がいなかったのか。2人でタイマンをするのは勝手ではあるが、愚策であり、それに二人きりという状態が気にくわない。探し回って視線を動かした為に、負わなくていい怪我を負ってしまった。
試合を始める前も怪しい動作があったし、何か良からぬことを考えている笑みを浮かべていた。試合が終了しても姿が見えなかったし、他の者は気にした様子ではなかったことが癪に触る。
 いつの間にかモーグリが終了を告げにきたまでは覚えている。結果を待たずに城へと帰投した為、どうだっていい。
深く、地獄の城の最深部にて腰を据えると、足を組んで頬杖をつく。
面白くない、面白くない。だが、別に奴らが何をしていようが、デキていようが関係はないのだ。

「いや、ないわけあるか!」
「何を一人芝居しているんだい」

 思わず叫んでしまった心の声に、返ってくる筈のない他者の声。杖を振りかざして宙を睨み付けると、思った通りの人物が現れた。
唐突に頭上より現れた気まぐれな悪魔に嫌悪感を露にするが、禍々しいタイルの上に舞い降りて、さして気にした様子もなく満面の笑みを浮かべた。作り物だと見てわかる、嫌みに満ちた綺麗な笑顔である。

「暴君。君に贈り物だ」
「そのまま突っ返してやる」
「ボクの商品は、お客様に悦んでもらえる物ばかりなのに」

 指揮者のように手を降れば、宙に黒く渦巻く次元の入り口が現れた。そこへと手を入れたと思えば、手に何か持っているではないか。革紐で、長く彼の後ろへと伸びては下へと撓る。その先には、なんと義士の姿があるではないか。
首輪をつけるとは、いい趣味だとは思うが悪趣味である。正反対な感想は、その首輪をつけられた相手がお気に入りの存在である為の憤りだ。何故、所有物の証をつけている。あてつけか。口に出すと嫉妬している事を肯定していることになる為に、譲歩して背後で棒立ちになっている彼を睨みつけた。
 しかし、様子がおかしい。真っ直ぐこちらを見つめてくる目はいつも通りなのだが、まるで生気がない。道化のように操っているのだろうか。それなら何故、ここにつれてきたのだろうか、やはり嫌がらせなのだろうか。グルグルと回る思想が怒りに染まってきたところで、彼がフっと笑った。

「彼には催眠術をかけている。ボクのスプリルだ、一日は絶対に目が覚めないと保証するよ」
「催眠術?」
「彼は君の言う通りに動く。だけども明日になって目が覚めたら、何が起きたのかはすっかり忘れているのさ」
「全部、か?」
「そう、綺麗さっぱりね」

 はい、と無造作に投げられた紐を反射的に杖で取ると、三日月のような弧を描く口元が見える。なんとも名状しがたい綺麗な笑みである、表面上は悪巧みをしているようには見えない。彼にも、このような事をしてメリットがあるとも思えないから。

「だから、今のうちにシたいことをスればいいよ」

 彼は笑顔を崩さない。元が美しく、芝居がかった男であるから様になってしまい「余計なお世話だ」と言い返す間がなかった。
振り返る事もなく背を向けると、彼は闇の渦の中へと、音とともに消してしまった。静寂に包まれた中、彼の目を瞬く音すらはっきりと聞こえるようだ。
 このような事をされても迷惑だ。彼を支配したい、手中に収めて操りたいとは思ってはいたが、このような施しの形で成したい目的ではなかった。
一切興味を持たない、冷たい視線を向けると、負けじと宙を見つめる濁った金色がちらついている。傀儡を傍に置く趣味もなければ、このまま帰していいものかと悩む自分もいる。
 決して、従順な義士を見て歓喜しているわけではない。被虐趣味はないが、生に溢れて強く生きる猛獣のような彼の生き様も好む1つの理由なのだ。子犬のように尻尾を振っている彼などギラギラした光がなく、有象無象に埋もれてしまうから、今手を離せば見つけられる気すらしない。人間など野に咲く草木動揺、全て同じ顔に見えるくらいなのだから。
とにかくこのままでは進展も何もない。インテリアになりつつある彼の端正な横顔を睨みつけると、不機嫌に歪めた唇を紡いだ。

「……おい、虫けら」
「はい、皇帝陛下」

 膝をついて、ご機嫌を伺う従順な部下の姿に違和感がある。
皆が一様に膝を付き頭を垂れる、これは当たり前のことだ。なのに、そんな日常茶飯事に優越感を得てしまったのだ。これは皇帝に取っては異常事態である。
人間がいちいち呼吸をすることに満足感を得る訳がない。当たり前で、必然的な行為に意識を向ける訳がないのだから。
 ああそうだ。優越感ではなく、満足感を得たい。跪かせるだけではダメだったのだ。

「その呼び方は止めろ」
「では、なんと呼べば?」

 他の者からの言いなりとなり、従わせるのは力を誇示した証ではない。それは他人の所有物を譲渡されたに過ぎない。
それに簡単に平伏されては面白くない。平伏ない相手には反吐が出るが、意味合いは全然違う。他の者にはわからない、世界の皇帝としてのこだわりと支配への欲求がある。
心酔させる為の過程、そして人間としての尊厳を奪いながらも足掻こうとする強い意志を、力で平伏させたい。

「……パラメキアの皇帝陛下?」
「それも止めろ」
「じゃあ、どのように」
「……」

 望む言葉を発するのに、酷く躊躇われた。望んでいるのは自分だ。だが言葉にしたくないと頑に口を閉ざしているのも皇帝自身である。
陛下、や皇帝、などの身分を表す単語ではなく、名前という固有名詞で呼ばれたい。有象無象の存在ではなく、個人として認識をされたい。自分だけが意識をしているなんて不公平だ。数多に存在している敵、という概念で認識されるなど不愉快極まりない。
暴君が聞いて呆れるようなことを考えながらも、無言で睨みつけていると、眉をハの字に、口をヘの時に結んで困惑の表情。

「……私の名を、聞いた事はないのか」
「あります」
「特別だ。今日だけは名前を呼ぶことも、無礼な言葉遣いをしても許してやる」
「わかった、マティウス」

 だからこそ、相手に対して対等と思わせることも必要である。錯覚させ、力差を思い知らせ、恐れ戦かせる。
素直な子供のような発言はいつもと代わりはしないが、いつもと違う。何が違うのか、なんて言うまでもない。彼の笑顔が、ないのだ。
何がそんなに楽しいのかと、苛立ちすら覚えるほどに彼はいつも笑っていた。口を大きく開き、頬肉を上げて、声を張り上げて仲間とともに笑談している。そんな姿を見ていた為に、違和感を覚えるのか。回答を見つけてああ、と妙にあっさりと納得してしまった。

「おい。笑え」

 何よりもわかりやすく、何よりも単純な行為であるが、願わずにはいられなかった。
それでも彼はキョトンとするばかり。急に意味もなく笑え、と言われてもすぐに笑えないのだろうか。楽しいから笑う、嬉しいから笑う、好きだから笑う。それがこの場にはないから、命令であっても聞く事が出来ないのだろうか。

「少なくとも、私を前にすれば自ずと……」

 相手に好意があれば、気を許して微笑ませる事が出来るのかもしれない。ただ、それだけの理由からの発言であったが、言葉にしてみて違和感を感じた。
言い訳をすると、更に滑稽でそのような意味を含んでいると相手に勘違いをされてしまうだろう。こちらも口にしてから気づくという、とんだ醜態を晒してしまったが、撤回することもできない。
どうしてこのような言葉がでてきたのか。頭に浮かんだ言葉を紡いだだけなのだから、深層心理に沈んでいた欲望なのだろう。

「いや、別に恋や愛など、むず痒い話をしている訳ではないぞ」

 きっと自分は、この男の事を、独占、束縛したいのだと思う。
決して、決して恋慕を抱いているわけではない。強い駒を手元に置いて、飼いならしたいのは支配者としては当然のことなのだ。
決して、決して、この男の言動の一部始終が気になるなど、このような雑談をしている何気ない日が心地よいなど思っていない。
違うのだ。決して、恥じらいより赤くなっているわけではないのだ。決して。
 聞こえるはずのない言い訳を繰り返すのは、愚行とも言えよう。遠くから聞こえてきた魂たちの声に我に返ると、慌てて踵を返して強歩を始める。

「早くついてこい」
「はい」

 照れ隠しから、すぐに背を向けた皇帝は見ることが出来なかった。心の奥底から楽しむような、彼の満面の笑みを。

 さて、城にまで連れてきたはいいのだが、この異端な状態を生かす方法がすぐに思いつくわけもない。本当に唐突なのだ、頭だけは回り欲望が浮かぶのだが、いくら人形相手といえども、気恥ずかしくて口に出すことも憚られる。
食事、風呂、就寝準備。淡々と一日が終わる支度を整えていき、ちらりと彼の横顔を盗み見る。
 文句も言わず、料理も20畳以上もある風呂の掃除をしたことも褒めてはいる。
味も悪くなかったし、手際もいい。雇っていた召使いにもここまで手際のいい者はいなかったし、普段は血なまぐさい武器を振り回す彼だから、新鮮に思えて無意識に観察していた。
 いや、違う。人形に時間を取られるなど無駄の極みである。
とにかく、日課で気を紛らわせよう。いつものように寝間着を纏って書庫に入ると、一緒に彼も続いてくる。ワインを片手に魔術書やネクロノミコンといった禁術の書を片っ端から山にして、ガラスの小さな机に積み上げて行くと、壁を背もたれに床に座り込むのが見えた。視線だけで動きを追う、幼い表情が見えて思わず吹き出しそうになり、口を強く抑える。
 今日は災難だった。読書用のメガネをかけて頬杖をつくと、犬のように正面に座り込んで見つめてくるものだから、どうにも集中ができない。
「何でも言うことを聞く」と言えば聞こえはいいが「言わなければ何もできない人形」と言えば耳触りも使い勝手もよくない。ただ、観賞用には使えるかと思い、しおりを挟んで血のように赤い背表紙の書庫を置くと、彼の整った顔を見下ろして注視した。

(……悪くない)

 こうなれば、もう本の内容は頭に入ってこない。
彼の腕は勿論買っているが、面も整っている為に気に入っている。凛々しい眉に獣のような眼光。健康的な肌も、太く筋肉に覆われた腕も、男らしいところ全て。
筋肉の形を確かめるよう、指でなぞっていけば、二の腕に辿り着いたところで身を震わせ腕を引いた。
こそばゆいのだろうか。意地悪く何度も何度も手首から、肘から、荒れた肌に触れていると段々気がざわついてくるのがわかる。
これはきっと、人肌が久しぶりな為に鳥肌が立っているのだろう。顔が赤いのは、酔っているせいだろう。正常な判断が鈍るほどの体調ならば、眠るに限る。

「寝るぞ」
「わかった」

 高級な、金の装飾をされたソファ椅子を倒しながら立ち上がると、ゆっくりと手を差し伸べてくるものだから、思わず鳥肌が立ってしまった。
エスコートか護衛のつもりらしいが、小僧ごときが100年早い。強く手を叩くが、めげた様子もなく再び手を差し伸べてくる。

「何のつもりだ」

 何も言わない彼にむかっ腹はたつが、答えないのではなく、答えられないのだ。澄まし顔を崩さない人形に何を言っても無駄か、と鼻をぶっきらぼうに鳴らして扉へと向かえば、おとなしく追従してくる。決して追い抜かず、隣にも並ばず、何も言わない。視界にも映らないし無駄口も叩かないのは下僕として正しい行動ではあるが、何か足りない。
ああ、そうだ。いつもの反抗的な言葉と、ギラついた鋭利な視線の痛みがないのだ。
反乱分子は全て叩き潰すに限る。だが、ないとなれば物足りなさを感じてしまう。この無い物ねだりは、暴君の強欲さ所以だ。
 いや、違う。彼には何も望んではいない。彼、だけではなく他の戦士全てに破壊と闘争を望んでいる。人一倍憎悪が深いこの男が利用しやすいにすぎない。
仕掛けてこないのならば、煽ってやればいいだけだ。一体どんな無駄な足掻きを見せるのだろうか。ほくそ笑むと、髪を結いながら顎でしゃくった。

「先に寝床へ行っていろ」
「どこの」
「私の、に決まっているだろう。言わせるな」

 私は準備をしてから向かう。後は、就寝だけである。だが、長い金糸を赤いリボンで束ね、口紅だけは忘れない。
化粧に特に意味はない。素顔を見られたところでどうということはないが、どんな者の前でも威厳を保つのが一般人とは違う、皇帝としての役職だ。
男である皇帝が粧し込むことに、違和感を覚える者もいるではあろうが、美しくなることに性別年齢は関係ない。人を惹き付けるには必要不可欠な条件である。
案の定、彼の横たわるベッドへと近づくと何も言わず、真っ直ぐに顔を見つめられて「眠るだけなのにどうして化粧をしているんだ」と問いかけられている気になった。
答えてはやらない。横柄に恫喝するだけで、慌ててベッドの半分を開けてきた為にゆっくりと身体を滑り込ませて横たわる。
 欲には忠実だ。世界を支配したいのも、人心掌握も無尽蔵にわき上がる欲求の1つ。三大欲求の特に色欲が強く、衰えはすれども同年代の一般市民よりは強く、身体を熱くさせる。
 性欲は衰えてきてはいるが、女は好きだ。男である限り、柔らかい体をかき抱きたい衝動に駆られる。
勿論彼を見て、そのような感情に駆られるわけはない。愛なんてなく、快楽が全て。バイなどではない為に、男を抱きたいとは思った事は今までの一度もない。寧ろ。

「明日になれば帰してやる。明朝には貴様のブタ箱のような部屋へとな」

 強がりの言葉を何度発しても、優越感は得られない。代わりに不完全燃焼で鬱葱とした不安感に支配されてしまう。
今、言えばいい。明日になれば全てを忘れていて、この想いの残骸すらなくなる。伝えたところで、どうなるかなんて知らないが、口にしたことで発散できる気持ちはあるだろう。
 自分だけが知っている伝えた、という事実に満足できるかもしれない。フラれていないことで、優越感も自尊心も保つことが出来る。
ただ、彼との関係が何も変わらないだけだ。

「おい……いや、フリオニール」
「ん」
「しばらく私の話を聞いていろ」

 演説をするときでも、緊張という言葉はなかった。声を聞かせてやっているのは自分だ、感謝しろと我儘を押し付けていたいつもと違い、1対1の洗脳なのだ。

「貴様は、他の人間よりは骨がある」
「うん」
「傍に、置いてやってもいいと思っている」
「うん」
「……貴様は、私の事をまだ恨んでいるか?」

 命令はしていないから、何も言葉は発さない。真っ直ぐ見つめ返してくる瞳には邪気はなく、憤怒の色も見えない。
これも催眠術のせいだとすれば、答えを発したところで信用は出来ない。
それでも関係ない。例え許されなかったとしても無理に押し切るだけだし、相手の意思を無視して都合良く解釈をするという手もある。
出来なかったのは、その程度で終わらせられない相手だったからだ。

「……こっちを見るな。忘れろ」

 まるで詰問されているかのような、無言の視線に逃げ腰になったのは皇帝の方だ。
どのような魔物でも、屈強の戦士相手でも恐怖心というものはわき上がらなかったのに。
人々の怨嗟を買い、恨まれ、義士の真っ直ぐな怒りと剣を向けられた時より、今の優しい視線の方が恐ろしい。「質問の意味はなんだ?」と問いかけてくる、無言の詰問が何よりも恐怖を駆り立てる。

「もし貴様が私の事を、許しているとしたら」

 どれだけ金を積んだところで、力を誇示したところでこの金は手に入らない。
高嶺の花と認めたくない。だが、手を伸ばしてもすぐ届きそうで届かない湖面の月であるのは確かである。触れようとすると心が揺らぎ、風景が霞む。

「私に仕えはしないか? 奴隷でも、兵としてでもない。特別待遇だ」

 これ以上見つけていたら、心が負けてしまいそうだった。見つめていたいという気持ちもあったが、我慢を強いて瞳を閉じ、しっとりと唇を重ねる。
まるで人形のように動かない。それもそうだ、今の彼は言う事を聞くだけの肉人形。自ら動く意志もなければ抵抗もしない。この一方的な行為に、同じベクトルの矢印が返ってくるとも思えない。いや、万が一同じ気持ちでいてくれたとしても、今夜限りと誓ったのだ。もうこの感情を公にするつもりはない。
 キスの経験など満足にある訳ではない。体の関係は多かれど、キスで愛情表現をすることなんて稀である。舌を同じ物でなぞり、どうしていいかわからなくなって先で裏を突く。ピクリと反応を返してきた為に、面白くなって歯を撫でるとクチュクチュと唾液同士が混ざり合い音を立てる。
 男色ではない。断じて男を抱く事に対して興味を持った事はない。
歴代の王という者は、美少年を仕えさせていたと言われている。郷に入らば郷に従え。何事も形から、経験を積む事は大切であるのだ。人の軌跡を踏む事には抵抗はあるが、勉学は何よりも勝る。否定するよりも受け入れて、力にするものだ。
……とまあ、言い訳がましくいくら御託を演じたところで、端から見ると違和感が禁じ得ない。
 必死に唇を合わるという、子供の真似事を終えた頃には我に返る事が出来た。自分がどれほどまで恥ずかしい事を行っていたのか、自覚すると顔から火が出そうな勢いだ。心はざわめき、身体は疼き、どうしようもないくらいに興奮していた。
助けてほしい。認めたくはないが、真実なんて単純なものだった。言い訳をしたところで、事実は変わらない。自分の意志で、男と、下級兵士と、キスをした。
 「今のキスの意味は?」「俺に何かしてほしいことがあるのか」と視線だけで訴えられるような気になり、思わず視線を反らしてしまう。

「こっちを、見るな」
「わかった」

 これ以上は余計な言葉が出てきてしまいそうである。逞しい胸板に顔を埋めてしまえば、覗き込まれることもない。拗ねた子供よろしく、丸くなりすがりつけば、ゆっくりと背中に腕が回った。見ない、が存在がそこにあるのかどうかを確かめるように。
今宵だけは勘違いをしていい、そういう魔法のかかった夜である。彼に大切に想われていると錯覚を幻想を抱き涙を浮かべると、服へ鼻を擦り付けながらくぐもった声を上げる。

「貴様に、女はいるのか」
「……」

 そうだ。命令ではない事に対して自発的に答えるはずがない。たった1つの返答を期待していた自分が恥ずかしくなり、背中を向けようとすると顎へと指がかかった。
優しく添えられた太く無骨な戦士の手が、下唇を押しつぶしながら形を確かめる。金の瞳と薄い唇が弧を描いて弓のよう。反射的に目を閉じると、ゆっくりと唇が合わさった。
 この口づけには許しがあるのだろうか。
特別な行為には、理由がある。命令もしていないのに動くということは、意味がある。何事にも行動には意味がつきものなのだから。
変化のない肌の色も、何の言葉も発さない御姿もそろそろ見飽きてきた。いつものように、頓珍漢ではあるが自らの意思で動く、予測が出来ない偉丈夫に会いたい。

「……気の利いた事は出来るのだな」
「マティウス……」
「早く目を覚ませ」

 王としての威厳、力を持つ者の特権。いくら御託を並べて取ってつけた強がりを並べようとも、産まれた感情はぬぐい去れない。
天敵である彼に恋慕し、抱かれたいとまで思ってしまっている事実は変わらないのだ。認めようとも認めざろうとも、感情が意識にまとわりついては、認めさせようと、タイムリミットを告げる死神が微笑む。

「今日だけは、私の人形として傍に置いてやる。だが兵士には容赦はせん。覚悟しておけ」

 明日からは本気で手に入れてやる。その力も、忠誠心も、お前自身も。
身を堅くして動かない彼の体を全身で締め付けると、カエルが潰れた声がした。本当に潰れられては困る。力を少し緩めてやると、抱き枕がどんどん熱くなってきた。
 人の体温は、心地よいものだ。
今までは事が済めば冷めきってしまい、ベッドから蹴り出していたが、今日は真逆の行動。引き寄せて身を寄せるだけで眠気がよってくるとは便利な道具である。
ああ、恋人という道具はここまで魅惑的なのか。目を閉じると、髪の毛に優しく滑る掌の感覚があった。



『今から君を、皇帝の元へと連れて行くよ』

 戦場で相対した彼からは、攻撃魔法よりも衝撃の強い言葉が投げかけられたのを、今でも覚えている。
 「は?」と嘲るような呟きが出てしまいそうになったが、慌てて飲み込んだ。
「機嫌のいい時のクジャは、こちらに危害を加えてこない。正反対に、機嫌を損ねている時は何をするか予測がつかないから気をつけろ」弟であるジタンが、困り果てた様子で呟いていたのを思い出す。
繊細で自尊心が大きい彼は、些細な事で癇癪を起こす。「まあ、そんなところがほっとけないんだけどな」と笑う彼の真意は、理解しているつもりだった。
同じ感情を抱く存在が、自分にもいるからだ。

『いきなり、どうしたんだ?』
『君、皇帝の事が気になっているんだろう』
『そ、りゃあ……仇だし』
『なんだい。君たちは揃いも揃って鈍感君なのか』

 大げさにため息を吐いて空を仰いで嘆く姿は、さしずめ悲劇を演じるヒロインのようだ。男ではあるが、女性と見まごうほど美しい容姿をしている。自他ともに認めざるを得ない事実である。

『いいかい? ロミオはどんな障害があってもジュリエットを迎えにいかなければならない。そうしないと恋の物語は進まないだろう?』
『今日のお前、なんか変だな』
『変とはなんだい』

 クジャの口八丁な小劇場に目を瞬かせていたのもつかの間。急に人の気配を真下から感じ、首へと冷たいバンドが当てられた。皮の首輪をされたと気がついた時には、勝ち誇った冷笑。まるで猛獣使いのように紐を強く引かれ、首が絞まるのがわかる。怪訝な顔を隠そうともせずに睨みつけると「怖い怖い」と戯けてみせられる。これ以上は何を言っても無駄だ。せせら笑う彼の余裕を崩す方法が思いつかない上、何よりも我儘な彼に振り回されて精神までも辟易してきた。
 大きなため息をついたところで、解放してもらえる訳がない。打って変わって優しく紐を引かれるがままに歩みを進めると、満足そうな美しい笑みが降ってくる。

『さあシンデレラ。魔法使いの力を借りて、王子様に会いにいっておいで』

 先ほどよりも変わってしまった配役に、もう突っ込む気も起きない。
背中を押してくれる事には間違いはないようではあるから、歪んだ道しるべではあるが従おうと思う。迷う事なく金色を探し当てた事には嫉妬してしまうが、きっと、多分、待ち合わせでもしていたのだろう。そう思っておく。
 舞台の進行役は彼に任せているから、台本などなくても問題はない。思わず緩みそうになる顔の筋肉を引き締め、無表情を保つのは難しいが頑張ろう。
そこからは語った通りである。普段から何を考えているかわからない皇帝ではあったが、益々理解が出来ずに混乱してしまった。
妙に身体を寄せてくると思えば、キスをしていた。

 あの日から、皇帝の顔が真っ直ぐ見れない。
一緒に寝台を共にした時に、鼻孔をくすぐった甘い匂い。彼の部屋から、ベッドから、彼自身から漂ってきた上品な香り。まるでケシの花のようで、幻想的で思考を奪う不思議な効力があった。
今いるのはいつもの自分の部屋である。傷の入り古びた匂いがする、木の壁に囲まれた男2人が限界であろう部屋の中である。だが、まるでまだ夢の中にいるようなフワフワとした感覚が頭を支配する。まるで綺麗な毒のある花に犯されて罹患でもしたのだろうか。夢のような1日をビデオテープのように、断片的に雑音を入れながら思い返すことしかできなかった。

「……何だ」

 そんな悶々としているフリオニールとは正反対に、当事者は澄まし顔だ。あの運命の日に、よもや催眠術なんて始めからなかったと知れば、きっと彼は怒り狂う。彼は、プライドを殺してまで人形と遊んだとしか認識していないはずだ。
 無意識に溢れただろう甘えた艶やかな声も、飢えて誘惑する流し目も、しっとりと愛情を流し込んでくる口づけも。
きっと、悪い夢を見たのだ。夢魔に誑かされて、都合のいい夢を見ていた。それだけ。

「暴君様でも義士の彼がきたときだけは、素直だよねぇ」
「黙れ」
「フフ、ボクのこともちゃんと見てほしいよ」
「うるさい。貴様は餌にでもなっていろ」
「まあいいや。この戦いはボクらの勝ちさ。よろしくね」

 不気味なほどに機嫌のいいクジャの笑顔と、いつもよりも余裕綽々な皇帝の横顔をぼんやりと眺めていると、唐突に杖で小突かれた。ぼんやりしていることに癇癪を起こしたのだろうか。視線を向けると、熊鷹眼がさらに細くなる。

「ええっと、俺は何をしたらいいんだ?」
「わからないのかい。敵の動きを見て妨害する。ついでに暴君様を守ってやればいいのさ」
「お前は?」
「ボクは好きにやらせてもらうから、何かあったときだけ梅雨払いをしてくれたらいい」

 逃げ道を求めてクジャへ視線を向けると、再び杖が脇腹を殴打した。自分で考えろということだろうか、呆れたため息が聞こえてきた。

「貴様は気が利かん奴だな」
「しょうがないだろ……お前たちは頭がいいから、何考えてるのかわからないし」
「ほう。褒めているのならいい」

 鼻歌が聞こえてきそうなほどに機嫌が急上昇したのならばいい。だが、本来の疑問が晴らされていない分、立ち往生するしかない。
再び「で、俺はお前を守ればいいんだよな?」と確認を取ると、わざとらしい大きなため息とともに流し目が返ってきた。「当たり前の事を聞くな」と。
バカにされるのは気に食わないが、彼の意にそぐわぬ行動をするよりはいい。素直に大きく頷くと、1本ずつ武器を体に身につけていく。やっとようような全ての武器を装着し終えると、2つの視線が物珍しそうに集まっていた。そうだ。魔法を使う2人にとって、武器は珍しい部類に入るのか。

「まったく……催眠術にでもかかれば、言う事を素直に聞くだろうに」
「何言ってるのさ。本人の能力以上の事は出来ないよ。人形が気の利いた事をするとでも想っているのかい」
「ん? ならば、あのときは……?」

 じっとりと蛇の威嚇のような視線が、肌に突き刺さる。皇帝がフリオニールに対し、怒りを覚えているのはわかるのだが覚えはない。一体何が不満だったのかと問いかけようとしたが、犬歯を見せつけられては発言権さえ得られないだろう。
 バレたのだろうか。催眠術をかけられたフリをしている時に、命令を無視して行ったキスのことが。
気を利かせて行ったわけではない。自分がしたかったから行ったに過ぎないのだ。
あまりに、愛に飢えた表情をしていたから。つい可愛いと思い、若い性の赴くままに唇を奪っていた。その柔らかく魅惑的な感触を今思い出し、思わず赤面すると、いち早く気がついたクジャがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。

「なんだい。何かあったのかい? 例えば、昨夜とか」
「クジャ!」
「貴様!! やはり昨日のことは謀か!!」

 甲高く笑い声を残して扉の光りに吸い込まれるクジャはもう捕まらない。そうなれば真横で立ちすくんで動けないフリオニールにヘイトが行く事は必然である。鷹の目に射抜かれ、ますます体が動かなくなったところで胸ぐらを掴まれる。大変ご立腹なようで、弁論の余地もなければ口を開く余裕すらない。徐々に奪われていく酸素を求めて口を開けば、勢いよく酸素が気管へと注ぎ込まれた。
 自棄をさしたとも言えるだろうが、躊躇いもなく重なっている吐息は彼の物だ。抵抗する理由もないし、後が怖い。
今度は前とは違う。自分の意思で行動ができるのだ。ゆっくりと細い背中に手を回すと、抱き寄せ、かき抱き、深く捉える。
逃げようとしても、渋々命令に従うこともない。腕を掴む力を更に強くすると、くぐもった声が抗議と抵抗を露わにする。さすがに脛を蹴り飛ばされては離さざるを得ない。ゆっくりとした動作でせめてもの抵抗を示すが、唇が離れると同時にを拳が穿った。
 無理矢理行為に至ったのだから当たり前か。普段は感情のこもっていない糸目がつり上がり、フリオニールだけをそのアメジストに写す。
降参だ。それにこれ以上は物理攻撃だけでは済まないのは目に見えている。両手を上げて「ごめん」と言う言葉の白旗を見せると、やっと満足してくれたのか。優越感に浸った様子で口角を上げ、乱暴に鼻を鳴らした。

「次はこんなことでは済まさんぞ」
「い、一体何をされるんだ?」
「嬉しそうに顔を赤くするな変態が」

 どうやらキスの話ではなく、彼の中では今の暴力行為、もといお仕置きの話だったようだ。
確かに暴力を振られて悦んでいるとなると、ただのマゾヒストの変態だ。穢らわしい物を見る目をされてしまっては、予想が確信へと変わる。慌てて弁明をしようとすると、露骨に避ける動作で距離を置かれてしまった。
そんな、誤解だ。

「だって、あんなことされた後だと勘違いして、期待するだろ……」
「勘違い?」
「キスの続きを、その……を、してくれるのかと思うだろ」

 そこまで言えば、彼は意図を理解してくれた。見る見るうちに肌が紅潮していくと思えば、耳まで桃色へと色づいて行く。
言葉の意図を理解して、もしかして彼も期待をしてくれているのだろうか。そうだと嬉しいが、おとなしく答えてくれるタマじゃない。あえて何も言わずに肩を掴むと、可愛らしく体が跳ねた。
顔は引きつり、同じく言葉は発しはしないが、意識をしてくれているだけでも進展だ。ゆっくりと顔を近づけると、耳元で優しく囁く。

「なあ。期待して、いいよな」
「……高くつくぞ」
「いいさ」

 それ以上は言葉は返ってこなかった。聞こえてきたのは小さく深い、呆れた2つのため息と力の抜けた体。
思わず強く抱きしめると「痛い」と容赦のない頭突きが顎をつく。
 と、ここで我に返ることができた。部屋にいたはずのクジャはどこへ行ったのだろうか。慌ててため息の元を探していると、丁度扉を開けて立ち去る後ろ姿と踊る長い銀の髪。

「今回のお芝居は何とも単調で、ベタなハッピーエンドでつまらないね」
「えっと、クジャ」
「先に行っているよ。僕に迷惑がかからないなら、好きにしてたらいいさ」

 物言いは雑ではあるが、気をきかせてくれているのはわかる。早足、いや滑りながら去っていく背を見つめていると、後ろ髪を強く引かれてしまった。
振り返ると、見るからに不機嫌さを露わにした表情。何も言葉を発しないが、殺さんばかりの視線で射抜いてくることにため息をつくしかない。

「無視してるわけじゃないだろ」
「何のことだ」
「嫉妬してくれるのは嬉しいけど」
「蹴るぞ」

 敵は全て排除すると豪語する暴君には珍しく、柔らかい物言いではないか。笑いを浮かべるわけにもいかず、堪えていると容赦ためらいなく脛を蹴り飛ばしてくる。
抑えるように抱き上げてみると、言葉にならない悲鳴をあげながらも落ちるほうが嫌らしい。大人しく首へと抱きついてくる役得を噛み締めながらも、部屋の角に下ろして覆いかぶさるように手をついた。

「この試合、勝ったらご褒美をくれませんか?」
「……何が望みだ」
「それは、勝つまでに考えておくよ」
「さては、何も考えていないな」
「ダメなのか?」
「……いいだろう。もし気に入らなければお前を消すまでだ」

 物騒なことを言う割に、顔は真っ赤。先ほどから昨夜のことを思い出して調子が出ないのは、お互い様だと見える。
皇帝も、意識をしてくれているのが嬉しかった。我慢できずに顔がニヤけてしまったことが、彼のカンに触ったらしい。悪鬼に表情で睨まれたかと思えば、思い切り腹を鋭いヒールで蹴り上げられてしまった。
昨日といい、今の侮辱した笑いといい、彼の堪忍袋の尾は切れてしまっている。

「ならば敗北したら、責任をとって奴隷となれ」
「明日1日か?」
「これからずっとに決まっておろう」
「……そんなこといいのなら、喜んで」
「フン。大口を叩きおって。ボロ雑巾のようにコキ使ってやる」

 嬉々とした音色で言われては、こちらも嬉しくなると同時に恐怖が煽られる。きっと無理難題を言われるのだろうが、悪いようにはしてこないだろう。
なんだかんだで気に入った相手には甘いことを知っている。自分が気に入られているという自負があるわけではないが、どんなわがままを言われるのか楽しみなのだ。きっと、貧乏人の一般市民でも叶えられる範囲の、いやフリオニールにしか叶えられない願いを言われるのだろう。
 だから、ドMというわけではない、決して。彼専用の人形であるからだ。

+END

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素直になれないけど、フリオニールのことが好きなフリ→←マティ

19.10.25

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