よんアザ | ナノ



2


頼まれたように、佐隈はベルゼブブのグリモアを持ち出して帰宅した。芥辺は帰ってこなかったし、メモを置いているから大丈夫だろう。約束の時間まであと僅か。急いで掃除を済ませると、魔法陣を丁寧に書き…準備は完了だ。

「これで…よし。きてくださいベルゼブブさん!」

光る魔法陣からいつもとは違う、長身の人型シルエット。いつまで経っても光りが途切れない、いや違う。光っているのは彼女の身に着けているものであった。

「ベルゼブブ…さん?」

いつもの燕尾服だと思っていた。だが今は違う、薄い青のドレスを身に纏った美しい女性が前に佇んでいるではないか。

「…おや、片づいているではないですか。」

キョロキョロと初めて見る部屋に興味津々で、真っ赤になり湯気を出す佐隈など気にすらしていない。座れるところを探して腰を下ろし、上品にスカートへの気遣いをも忘れない。

「なんですか…そんなにジロジロ見るなんて……」

「え、い、いや…何でもないです!」

結界という名の封印が解かれ、絶世の美女となったベルゼブブは、女慣れしていない佐隈にとって目に毒以外の何物でもない。ムッとした表情も、真っ直ぐ見つめてくる瞳も、すべてが心かき乱し冷静さを奪うには充分すぎる、正に悪魔の誘惑である。

(反則ですよ……ベルゼブブさん…)

何もしないと言ったのに。これでは精神が磨耗される、我慢大会だ。
女性を部屋に入れたことはない。だからこそ、初めて、しかも夜に二人きりというこの状況に意識せざるをえない。趣向と口調以外は美しい彼女を初めて見た時から、目が離せなかった。金髪で癖毛で線も細く、体型もスレンダーではあるが細い。小ぶりな胸がまた欲情をそそる。

「フフ、まさか私に欲情しました?」

「そっそんなこと!!」

「そうですか。」

悪戯に笑ったと思えば、少し、ほんの少し下がる眉に拍子抜けしてしまった。まくし立てるように挑発してくる姿を想像していたのに、予想外である。

「ベルゼブブさん。」

「なんですか?」

「…どうしたんですか?」

押し黙ったベルゼブブに、佐隈の眉が寄る。いつもはっきり文句も意見も暴言も言う彼女が押し黙るなんて。てっきり素直に話してくれるものだと思っていたものだから、予想外だったこともある。

「さくまさん。」

「あ、言いたいときでいいですよ。」

「お風呂に入りました?」

いきなりこうも話題が飛ばされては反応がしにくい。何を考えているのかはわからない。が、素直に答えてしまうのが佐隈である。

「いえ、まだですが…」

「なら…お背中流させてください。」

何故そんなに悲しげな顔をしているのだろう。手を伸ばして撫でてやりたかったが振り払われてしまうのは目に見えている。だからただ見守るだけにしておいたのだ。

「わかりました…お願い出来ますか?」

「あ、ありがとうございます!」

お礼を述べるわ顔を赤らめるわ佐隈にはわけのわからないことだらけ。だが彼女に笑顔が戻るなら、それでいい。やはり可愛い人には笑顔が似合う、そう佐隈も自然と笑顔が浮かぶのを隠せなかった。

(悪魔だなんて信じられないなぁ……)

脱衣場へと向かい服を脱ぎ捨て、グリモアは…迷った挙げ句置いておくことに決めた。もし湿気て破れてしまえばグリモアの罰を受けることになるし、ベルゼブブを信じたかった。悪魔を信用はしてはいけないのだが、あんな無邪気に笑うのだ、なにも企んではいないだろう、と。

「お待たせしました。」

白いタオルを体に巻き体を隠してはいるが、全部が隠れるわけではない。白い肩に白い足、鎖骨や腕といった普段はガードされてみることの出来ない場所までもが惜しみなく晒されている。

(裸!?いやいやさすがにそれはないない!)

「大丈夫、水着つけてますから。」

「それならよかった…」

心を読まれたのは今更驚かない。作業のように泡を作る彼女を背中に感じ、ゆっくり体を這う手に身震いした。他人の体温が肌を這う感覚に肌が泡立つ。

「あの、タオルでいいんじゃ…」

「タオルがいいですか?」

「う…いいです。」

「素直でよろしい。」

背中にぴったりと張り付かれ、耳に吐息がかかる。背中に当たる柔らかいものは、まさか。

「着てないじゃないですか!」

「悪魔を信用するほうが悪いのです。」

「だっダメです私は、そんな…っ!」

「人の姿でも、ダメですか?」

熱い吐息がかかる、首筋や耳。滑る指も白く細く。段々か細くなる息遣いに不安を煽られた。

「ベルゼブブ、さん?」

「お約束通り何もしません……私を抱きたい、と仰るなら抵抗もしません…」

「ベルゼブブさん!」

何か決意したような、悲しげな誘いに嫌な予感がする。意を決して振り返ればやはり裸の美女が座り込んでいた。中途半端に体を覆う泡がより一層色欲を醸し出し…ではなく。肩を震わせいつもの強気な態度はどこへやら、光る涙が湯気の中見えたのは気のせいだろうか。

「何があったんです?」

「…それは……っ」

「私に話してくれてもいいんじゃないですか。頼りない私でもお力になれるかもしれません。」

ね?と安心を促す笑みに心ほだされそうになる。こうやって彼は人の心に入ってくる、だが同時にそれは残酷なる仕打ちともなる。

(言えばなんと思われるだろう?)

芥辺に満足できなくなり、童貞であり女慣れしていない佐隈を食おうとしている淫魔ではないか。それだけは嫌だ。
今は、彼を近くに感じたい、ただそれだけなのだから。

「……すみません、今はまだ…」

「…はい。」

触れているだけで満足出来るわけではないが、今はこれで幸せである。彼の側にいることが幸せなのである。

「いつまでも、待ちますよ。私はベルゼブブさんの味方ですから。」

彼の言葉が、妙に心を揺さぶり思わず涙が流れてしまったのを佐隈は知らない。
風呂から上がり、ベルゼブブから丁寧に髪を乾かして貰うことになるとは思わなかった。白い指が髪をすき、誰も言葉を発しない空間ではドライヤーの音のみが沈黙を辛いものとしない救いとなっている。

「ベルゼブブさんの指ってすごく綺麗ですね。」

「化けてますから。」

「いえいえ、そんなことありませんよー。魔界の姿?の指も綺麗ですから。」

「そんな…褒めても何も出ませんからね!」

「物が欲しくて褒めてるわけじゃないですよ。そうだ!」

ドライヤーの音が止まる。佐隈が振り返る。楽しそうな彼に一瞬怯んでしまったが、自然と絡む手にドキリと心臓が高鳴った。

「羽も見せてくださいよ。あの透き通って綺麗な羽が私、大好きなんです。」

そこまで誉められては悪い気はしないし、隠す必要もない。タオルを前に回して変身をとけば、現れたのは薄く透明な虫の羽。

「あの、あまり触らないでくださいね……」

「綺麗ですね……ベルゼブブさんにぴったり…」

複眼も髪留めみたいで可愛いです、と笑う佐隈には呆気にとられるばかり。
今までは蝿だとスカトロだと罵られ、芥辺には悪魔の姿を晒すな、羽をむしられかけ蔑まれた。誇り高いベルゼブブ家を恨む理由はない、だがこの性を持って産まれたことは憎むべきことだった。なのに、彼だけはこの"蝿"の姿を褒めてくれた。

(貴方は本当にお人好しだ……)

「あーあ、ベルゼブブさんが人間ならなぁ…」

ポツリと聞こえた失礼な言葉は流すとしよう。今は髪を揺らす風と滑る手が心地よいのだ。心の"あく"を吹き飛ばして癒やしてくれるほど。

(彼氏になる人はルシファーさんみたいな人なのかな?羨ましいなぁ…)

相手の心知らずで一方通行。天然とツンデレ女王様の片想いはまだまだ続きそうである。
魔界でも有名な蝿の女王が、人間に恋をして間もないころの話である。

+END

++++
危ない…長編になるところだった…

11.9.12
修正:11.10.14

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