ててご | ナノ



月下の恋人

※月下総受け
※月下女体化
※パロディ
※エンディング分岐(囚写、探写)
※モブ×写あり




 依頼を受けた怪物を見つけたのは、廃墟となった教会の中だった。
街を襲う怪物の討伐を依頼され、近隣を調べていたのだが、足取りが全く掴めない。どうしようかと途方に暮れていたところで、休憩がてら足を運んだだけである。壊れた屋根の向こう、美しい月を眺めていた紳士を見つけたのは。
何も言わずに空を見上げ、無心に目を閉じる。服装からして雄だろうか。その耳と尻尾の生えた異形の姿は、何よりも美しく、白い光を帯びて見えた。

「そこにいるのはわかっているよ」

 目を向けてくるわけでもなく、淡々と言い当てられては息を呑むしかない。自慢の嗅覚でバレたのだろう。中性的な声音も耳障りがよくて、悪寒すら感じた。


「こんばんは、ハンターさん?」

 神の像の下で優雅に一礼する姿は、銀色の絹を纏った美しい花嫁にも見えた。不気味なまでに弧を描いた黒く塗られた目に、歪んだ口角。きっと、これが獲物となる怪物なのだ。

「今日は随分と少数だな。私も舐められたものだ」

 「貴方が、巷で噂の怪物?」そう聞き返せば、不満げに青い目が細まるのだ。

「ふん。怪物とは心外だ」

 杖を軽々と振り回し、カツンと大理石を打つ。美しい見た目と、禍々しい殺気はアンバランスであり、風を切る音と地を打つ鉄が不思議なハーモニーを奏でていた。

「今まで、何十人と返り討ちにあったというのに、人間とは懲りないものだ」

 鼻高々に語るところを見ると、銀色の人狼は相当の自信家なのだ。深く被ったシルクハットを手に、優雅に一礼をすると夜空のような黒い目で三日月を描く。手品のように帽子から現れたのは、数多の写真である。
写真家とも呼ばれるこの美しい化物は、旋風のように現れては若い女性や道ゆく人に声をかけ、「写真を撮らせてくれ」とせがむ。そして、カメラを向けられて無事に戻れたものはいない、噂では写真の中に閉じ込められて彼のコレクションにされてしまったとも聞く。
 危険対象として討伐を命じられたのもそのせいである。貴方が大人しくしていてくれたら、退治の依頼などこなかったと言うのに。

「生きる為には食事をする。自然なことだろう?」

 鼻を鳴らしてせせら笑う姿すら絵になる。実力は未知数ではあるが、どちかが獲物になるかはわからない。腕には自信があるが気を抜くことは許されない。
ゆっくりと近づいてきたと思えば、杖を振り回して地面をつく。カツン、と甲高い音が岩を穿ち、闇夜に響くのだ。
長い爪も驚異ではあるが、その見透かすような眼光が恐ろしい。何を考えているのかもわからない、無機質な目が嗤い夜風すら震えさせる。
 杖を振るった瞬間に、擬態を破って顕現したのは針のような刃だった。仕込み杖をは恐ろしい。青い目が弧を描き、赤い舌が桜色の唇を撫でる。

「さぁ、今宵の作品はどんな出来栄えかな?」

 愉しそうに声を振わせると、一気に飛びあがり月に影を作る。気を強く持たなければやられる。
慌てて銀の銃弾を込めると、眩しすぎる月を見上げた。

 捕まえた!
数時間に及ぶ死闘の末にやっとのことで取り押さえたのはいいが、怪我をしているだけで怪力は健在。唸り声をあげながら身を捩るだけで、全体重をかけているにも関わらず振り落とされそうになってしまう。
 怪物に聞くのは、銀の道具である。手足を引っ掻かれながら、唸り声をあげる喉を押さえつけるように銀の首輪を、力を抑えるようにと願い手枷をつけるとやっと彼の四肢が地面へと倒れ込んだ。牙を剥いて唸るが、銀の道具は化物立ちには有力な兵器。触れるところから力が抜け落ちてしまうのだ。彼も例外ではなく、忌々しいと嫌悪の表情を浮かべながらも抵抗は見られない。だが、まだ諦めてはいないのはわかる。
覗く犬歯には強い殺意が浮かんでおり、力も緩まない。少しでも押し負けると腕ごと持っていかれてしまうだろう。
しばらく攻防を続けていたが、先に白旗を振ったのは狼であった。大きなため息をついたと思えば、急に力を抜くのだ。疲労を浮かべた表情で。

「……誰に依頼をされた」
「依頼人の名前は言えない」
「フン。どうせ、どこぞの変態だろう」

 確かに異形たちは見目麗しいものが多い。従順なものならば、愛玩具として側に置く道楽者も少なくない。貴族は妙な趣味の者が多いし、いくらでも金は出す。
そんな人間のために、比較的美しい姿をした人狼、吸血鬼、人魚といった美しい生命は刈り取られていったのだ。

「私は、雌の人狼だ。さぞかし人間には珍しいだろう」
「女性だったのか?」
「なっ!」
「すまない、身体的特徴が目立たなかったから、気づかなかった」

 性別など囚われないくらいに、美しい。短く野生的に跳ねた毛は男だと言われても違和感はない。男性もののタキシードを着ていたのもあるし、中性的だから気がつかなかった。元が美しいために化粧などしていないし、何より相手は人狼だ。性別の見分け方が他の種族と違うかもしれないではないか。安直に判断できなかったのもある。
だが、その言葉が酷く彼女の自尊心を傷つけたらしい。わなわなと震え始めると、犬歯を剥いては歯茎を剥き出しにする。

「失礼なやつだ! 食い殺してやろうか!」

 拘束具があってよかったと心から思った。ガチャガチャと鳴り響く鉄の鎖の音を聞き、冷や汗を拭き取る。
しばらく興奮が冷めない様子で手錠と歯を鳴らしていたのだが、徐々に落ち着きを取り戻して理知的な目に戻る。クールに鼻を鳴らしたところで純粋に訪ねてしまったのだ。「男装しているのは?」と。
もしかしたら怒りの琴線に触れるかと思ったが、視線を合わせないままに吐き捨てるのだ。

「お前たちのような害虫が寄ってこないようにするためだ」

 「その見た目だと、関係なく襲われると思うけれど」
男の姿をしていたところで、美しさが損なわれることはない。ただの心配から飛び出た言葉であったが、彼女は不適に笑っては赤い舌を覗かせる。

「なんだ。私に欲情したのかな?」

 からかわれているのはわかっているが、言い返す気にもなれない。
誘うように覗く舌も、うっすらと染まるも蠱惑的で体が熱くなる。だが商品に手を出したとなればどう言われるかわかった者ではない。ここはなけなしの理性に任せて耐えるしかない。
 言葉と視線を交わさないようにと彼女を立ち上がらせると、面白がって覗き込んでくる。これは罠だ、恥ずかしがる相手を弄ぼうとする悪女の行動だ。「行くよ」と短い言葉を一方的に投げかけると、周囲を見回してはしきりに鼻を動かす。どうやら誰かを探しているようではあるが、目的の人物がいないとわかった瞬間に耳と尾を垂れ下がらせては力が抜けていく。
諦めたのだろうか。項垂れてキューンと悲しい音色を上げられると、罪悪感も臨界点へとくるのだが、これも仕事である。情を覚えていては何もできない。ましては、被害者が出ている害獣なのである。間違った行動をすれば、誰が不幸になるかわかったものではない。
急いで引き上げようとすれば、キッと睨みあげては最後の抵抗と言わんばかりに爪を振るう。頬へと掠めた鋭利な凶器に血の気がひいたが、痛みはを掠めただけで終わった。運がいい、少しでも逸れていたら目を取られていたかもしれないのだ。
 やはり、危険な存在である。慌てて銀の数を増やして拘束すれば、今度こそ動けなくなる。だが、視線は周囲を彷徨い鳴き続けるのだ。聞いたことのない名を呼び続けながら。



 依頼人は富豪の男である。大口の依頼だから受けはしたが、普段の私生活では関わり合いたくもない。高慢で、欲に忠実で金にうるさい。指にギラギラと輝く宝石と、それよりも太い指。動くたびに軽い音をたて、その振動での肉が動く。よほどいいものを食べているのだろう、平民が羨む贅肉のついた体型を隠すことなく晒していた。
2度と会いたくもない人種なのだが、仕事だから仕方がない。報酬を貰わずにただ働きなど馬鹿げているのだから。
人々の往来で賑わう大都会の奥にある、金色の装飾がされた豪邸がオークション会場である。表立ってはパーティーで使われているが、裏では曰く付きの道具から、珍しい生物や人間の売買までしている、闇の賭博場である。
貴族がお忍びで利用するこの場所は、知る者しか知らない。以外にも警備は手薄ではあるが、一度中へと囚われては出ることは難しい。まるで牢獄のような地であった。
 質素な扉を開き、隠れて扉を探して壁と叩く。コンコンカツン。音が違う場所を再度確かめると、壁の一部が左右に開いては秘密のスイッチが顔をだす。躊躇いなくそこを押せば、今度こそ壁が左右に別れて道を作る。重々しい機械の音とが大きくなってきたと思えば、エレベーターが現れたのだ。
表で取引をするわけにはいかない。後ろ手に引きずっているカートと、その先の檻を見やるとため息を吐いた。随分と大人しくはなったが、ここにくるまでは随分と暴れた。だが、ひとたび街へと入ると、周囲の人間の匂いに萎縮し、唐突に静まりかえったのだ。逃げたところで、珍しい動物を助けてくれる者はいない。それは獣人である彼女が一番わかっているのだろう。布をかけているからわからないが、きっと縮こまり丸くなっているのだろう。銀狼の姫を気の毒には思うが、もう後には引けない。無駄に豪奢な内装のエレベーターの扉が開くと、そこには小太りの背の低い男が立っていた。

「おお、おお! よくやってくれた! これで今回の目玉はきまったようなものだ!」

 目を輝かせて、舌舐めずりをしながら手を揉む太ったオーナーに、ひっそりと眉を潜める。
欲に塗れた人間は匂いが違う。まとわりつくような、得体の知れない匂いが鼻につく。薬と、酒と、混ざった女の匂い。気分が悪くなるような蒸せ返る匂いに鼻を抑えるが、近寄ってこられては嫌でも匂いを嗅がざるを得ない。
「依頼の銀狼を捕まえてきた」それだけを伝え、手に持っていたカートの手を離す。手をわきわきと動かしながら待ちきれないと一気に取り去ると、中には反抗的な眼光を光らせる銀狼が丸くなっていた。

「この姫で間違いはない!」

 下卑た笑みを浮かべながらも、躊躇なく側に立っている黒服の男へと目配せする。渡されたのは、銀のキャッシュバック。カナを確認すれば、これでもかというほどに札束が敷き詰められていた。
これだけの金を喜んでだすほどに、この狼は、いや女性は美しい。これ以上長くいれば、罪悪感で潰れてしまう。エレベーターが去る前に体を滑り込ませると、目を閉じては地上へと向かう。目を合わせてはダメだ、絶対に躊躇って後悔してしまうから。
 邪魔者がいなくなった廊下で、我慢のできなくなった男は笑う。すぐさまポケットから赤い薬の入った注射器を取り出すと、抵抗のできない狼の細い腕を掴んで構わず突き刺す。動脈へと流し込まれる得体の知れない冷たさに、振り払おうとするが、ハンターに打たれた薬のせいでまだ満足には動けない。頭へと響く倦怠感と、満足に動けない体。更に強い麻酔薬を打ち込まれたことで、吐き気を催して胃液を逆流させると、慰めるように背中をさすられる。下品な情欲を笑みに浮かべながら。

「よしよし。では、わしの部屋へ行こう」

 声音は柔らかいが性急に、下心を匂わせて腕を強く引かれる。逆らおうにも今は薬を打たれて頭が朦朧としているのだ。
人とは違って耐性はあるのだが、如何せん量が多い。廃人になることはまだないが、歩くのも補助がないと真っ直ぐ進めないほどなのだ。今も引く腕の力がなくなった瞬間に、床へと倒れ込んでしまうだろう。
金色に輝くシャンデリアの下を、2人で歩く。ここには金属の臭いと、女と、薬の臭いしかしない。混ざり合う異臭に再び嘔吐思想になった時だ。強く腕を引かれたのは。
 たどり着いたのは彼の自室。ベッドへと投げ出されたと思えば、這うように乗り上げてくる。迫ってくる露骨な雄の匂いに眉を寄せるが、四肢が麻痺して思うように動かせないのだ。

「オークションは明日だ。味見をしたいが、番いになってしまえば商品価値が下がる」

 「狼は、番いを生涯1人しか作らない」その話は有名なものだ。一途というか、真面目というか、独占欲が強いというか、狼という生き物はどこまでも誇り高い。だから遊びでも手を出してしまえば、まるで誓いのように付き従うのだ。それでは商品にはならない。
整えられたタキシードを破り捨てるように取り払うと、白く美しい裸体へと荒れた舌を這わせる。

「くそっ、私に触るな!」
「このくらいはいいだろう? 最後まではシない」
「や、やめろ!」

 赤く熟れた果実をしゃぶり、臭い息を荒くしてはベルトを引き下ろす。飛び出した欲望の象徴はすでに天井を指し、目をそらそうともへと涎を垂らす亀頭を押しつけられるのだ。
ああ、臭い。発情した雄の、強烈な匂いに今度こそ嘔吐してしまった。くらくらする。発情を促されていないのに、一方的に情愛を向けられるのは気持ちが悪い。せめてもの抵抗と、顔を逸らすのだが、を乱暴に掴まれては首を回されるのだ。

「口で奉仕する分には問題ないだろう。聞きわけがいい子は、可愛がってもらえるぞ」

 言いなりになるのは釈だ。だが、動けない今は、言うことを聞くのが正解だとはわかる。
何がなんでも生き残らなければならない。生き残れば、いつか抜け出す隙も見つけられる。人間は誘惑するか、食い殺してでも逃げ出せばいい。見えないところで唇の裏を噛み締めると、ゆっくりと赤い舌を差し出しては、いろんな女の臭いが混ざったそれへと這わせてやる。

「おほっ……、いいぞ、ザラザラとしていて気持ちがいい……」

 鼻息荒く豚のように鳴く男を鼻でせせら笑いながらも、ベッドのシーツだけを見つめて奉仕する。
すぐ終わらせてやればいい。そうすれば、脱出の算段を練る時間がとれる。おほ、おほと鳴き続ける醜い獣を尻目に、ゆっくりと亀頭の先に反逆の牙を突き立てた。





※探写


 あれからどれだけの時間が経っただろうか。始めの数日は真面目に数えてはいたが、次から次へと興味本位でやってくる男たちの顔を見ていては、精神が辟易して考えることも億劫になってきた。
どうやら日付の決められたオークションのメインディッシュらしく、普段は台上に上がることはない。その代わりに、客とは違う使用人や雇われゴロつきといった面々が、興味本位でやってくるのだ。
商品に触れることは許されていない。だが、目の前で興奮しては自慰行為に励むものが後を絶たない。何かの薬品のような不愉快な匂いが部屋にこびりつき、すっかり鼻で息をすることもできなくなってしまった。
 もう、うんざりである。食事は必要最低限しか与えられないから力が出ず、逃げ出すこともできない。だが奴隷で一生を終えるようなことは認めない。こっそりと尿をかけては腐らせている鉄格子を眺めていると、ガランと物陰で商品が落ちる音が聞こえてきた。
今日も物好きな変態がきたのだろうか。口を聞くとすら奴らのご褒美になってしまうために、引き結んでは地面を睨みつけていると、ガチャンと錠前が外れた音が響いたのだ。これは予想外である。

「早く逃げて」
「お前はっ」
「逃げて」

 商品を詰め込んだ地下牢に現れたのは、顔面を火傷した炭鉱の男だった。きっと、鍵はくすねてきたのだろう。少しについている拳の後に眉を寄せて体を震わせると、乱暴に腕を掴まれて金色の檻の中から引きずり出された。
 彼はオークションの支配人に雇われたハンターの1人のはずだ。最近妙にこの地に入り浸り、話し相手にはなってくれていたが、まさかこんな大胆な行動に出るとは思っていなかった。脱獄幇助など、闇社会でなくても御法度である。
服とは言えない、悪趣味なほどに露出の激しい布に赤面すると、彼は近くにあった小汚い布を差し出してくる。埃と血の匂いに嫌悪を覚えるが、文句は言えない。肩から羽織ればゆっくりと彼に手を掴まれて、足を進めるしかなかった。


「好きなところへ行けばいいよ」
「捕まえておいて勝手なやつだ!」
「金が必要だったんだ。だが、もらってしまえば後はどうしようが僕の勝手だ」

 ぶっきらぼうで自分勝手だが、今は頼もしく思える。思わず自ら手を伸ばせば、ゆっくりと掴んでは手繰り寄せられた。無骨で男らしい、大きな手。握り潰さないようにと気遣うように緩まる力だが、決して離さない。思わず握り返すと「さぁ、早く」と震える足を支えながらも駆け出した。
 落ち着いた声は、聞いていて心地が良いものだ。感情のない瞳をしているが、わずかに憤りが見える。狩人たちに対する怒りなのだろうか。出会ってからそれほど時間は経っていないのだが、何故だか多くを語らない彼の側は居心地がよかった。
 振り返ることすらせずにまっすぐ電気の消えた廊下を走る。いつもは見張りがいるし、カンテラも下がっている。もしかして彼の差し金だろうか。まるで用意周到な怪盗のようだと感心してしまう。
足を止めないが、決して急かしはしない。時折振り返っては、何も言わずにすぐ前へと向き直る。少しでもバランスを崩そうものなら、腰を抱いては支えてくれる。なんとも不思議な人間である。下心があるのかとも勘ぐってしまうが、それならば無理矢理手篭めにするだろう。ここまで、優しく女のように扱われることには疑問が生まれる。

「まだ、走れる?」
「私を誰だと思っているっ」
「裸足、痛くない?」
「……平気だ」

 本当は痛い。整備がされていると言っても、倉庫へと続く石の廊下である。夜の冷え込みによって足の裏を通して体を冷やし、動きを鈍くさせる。弱みを見せないようにと、必死に意識を向けて体のバランスを保っているのだが、いつ崩れてもおかしくはない。焦りから無理矢理膝に力を入れたのが不味かった。ガクンと前へと倒れる視界に、慌てて手を出して受け身を取ろうとすると、丸太のような太いものが腹の下に差し込まれたのだ。
傷だらけの腕に支えられている、と気がついた時にはまた視界が振れた。次は、上に大きく揺れては腕に抱かれる。目の前にはケロイドで焼けた顔が見え、息を飲んでしまった。
 何もわずに、彼は駆ける。明かりが消えたことで騒ぐ者もいない。重いとも、疲れたとも弱音も聞こえてこない。だが腕と息を通して伝わる熱から、彼の存在を感じることができる。
まるで世界に2人きりになったようだ。彼の横顔だけを眺めていて、どれだけの距離をどこへ向かって走ったかもわからなかった。急に肌寒くなり、丸くなったところで、やっと彼が視線を下ろしたのだ。

「もう大丈夫」

 囚われていた、趣味の悪い金と檻で飾られたオークション会場は、遥か後方である。安堵と優しい声音に力が抜けて、じゃりがあるにかかわらず地面へとへたり込む。慰めるようにとポン、ポンと頭を叩く手は暖かい。


「ボク、群れもないし、帰るところだってないから……」
「うん」
「貴方のところに、置いてくれない?」

 相手が雄であるのもわかっている。自分たちの一族にひどい仕打ちをしたのも、こんな目に合わされたのも人間のせいだとはわかっている。だが、前言を撤回するつもりはない。冷たいようでお人好しの彼は、利用しがいもありそうであるし、嘘をつけないこともわかる。しばらく身を隠すためだと自分に言い聞かせては、体をすり寄せて誘惑する。
 たどたどしく、怯えた表情をしているものだから、何か事情があるのかと思った。例えば、一方的な恩に対する罪悪感とか、女としての尊厳と焦燥感とか。

「貴方は、人狼は嫌い?」
「そんなことはないけど」
「好き?」
「嫌いじゃない」
「ボクのこと見て、その、欲情はする?」

 モジモジと、短いシャツを引っ張って立ちすくむ姿に、思わず振り返ってしまう。

「どうしたの? 発情期?」
「そう、じゃなくて」
「うん」
「貴方のこと、いい雄だなって」
「僕を?」

 コクリと素直に首肯されて、潤んだ瞳が油で汚れた姿を移す。本当に月光が似合う、美しい姿だとおもう。銀色の髪は天の川、青い目は星、夜空に映えるその姿が手の届く場所にあるなんて思いもしない。

「ボク、人間は嫌いだけど……」
「うん」
「貴方のことは、好き」

 何を考えているかわからない鉄面皮ではあるが、悪い人間ではないことはわかった。口と心は別物。野生の勘もなりを潜めてはおとなしい。


「貴方は、お金が欲しいのは知ってる。だから、最後の思い出に、今夜だけでも」
「無理、しなくていいから」
「無理なんて!」

 シャツを緩めて、タイを外そうとするとゆっくりと静止がかかる。ただ無言で動く銀の毛に覆われた手を抑え、首を振るのだ。「無理はしなくていい」と何度も繰り返しながら。
機械のように同じ言葉を反諾されたら従うしかない。耳と尻尾を下に垂らして、クゥンと喉を鳴らしたら、今度は銀の毛を堪能するように撫で回すのだ。目元が緩むだけという、優しい笑顔と共に。


「ご飯にしよう」
「……うん」
「何を食べたい?」
「……ステーキ」
「明日は?」
「え?」
「一ヶ月後、一年後は、何食べたい?」

 「これからも、ずっと一緒にいるから」言葉にされずとも、何よりも嬉しい想いが伝わってくる。じわじわと湧き上がる涙と愛しい思いに振り回されて、心が激しくかき乱される。ぶっきらぼうな彼から垣間見える優しさに、とうとう目尻から滴がこぼれ落ちてしまった。

「それって、」
「君が言ったんだろう。一緒にいたいって」
「うん、」
「だから帰ろう」

 1人でも切羽詰まった生活をしているだろうに。それでも、得体のしれない獣人を養ってくれるというのか。ペロペロとを舐めては親愛の証を示す。尻尾を振っては毛の生えていない体をすり寄せるだけで、一瞬であるが微笑む彼が見えた。
もう一度見たい。ぽーっと彼を見つめるが、恥ずかしがっているのか無表情に戻ってしまう。「早くいくよ」と急かすわりに、叩くなどの行動には移らない。それが何よりも嬉しかった。
 どこへ向かっているかわからない不安定な道ではあるが、暗い道ばかりではないだろう。無言で取られた小さな肉球で握り返せば、強く握りしめられる。離さない。どこへも行かせない。無言の言葉は何よりも雄弁であり、何よりも心を揺さぶった。

+END

20.12.3



※囚写


 暗い見世物小屋の裏舞台に月光が降り注ぐ。今宵は満月か。座り込むしかできない狭い檻の中、1人唯一の小さな窓を見上げては遠吠えを上げる。
先ほど無理やり壇上に上げられたオークションでは、人間たちが欲に目を光らせていた。汚らわしいまでの下世話な視線に吐き気を催したほどだ。薄布を着せられては見せ物され、様々なブ男の情欲の視線を向けられた。
目を合わせることすら不快である。そうそうに隅の檻へと向かっては縮こまっていた。そして、興奮気味で値段を叫ぶ面々と、嬉々として値段を読み上げる司会者の声音より、どうやら高値で買い取る相手も見つかったようだ。億劫である。
 コツコツと、新しい主人になる者の足音が聞こえてくる。今日からこんな埃と汗と血の匂いが混ざる監獄から出られるなら喜ばしいことである。だが、一体どんな変態に買われたのかは想像もつかない。覚悟は決めるが、諦念はしていない。隙を見て首筋の頸動脈を食いちぎってやろう。檻の前にしゃがみ込んだ気配を察して、睨み返してやれば、見知った顔がそこにあった。
よく、住処の近くへとやってきていた学者ではないだろうか。驚きで耳がピンと立ってしまった。

「今日から、君は私の物だ」

 見せられたのは、落札の札と檻と首輪の鍵。早々に開かれた鉄の扉だが、ここだけ世界が隔離されたかのようにゆっくりに感じる。
開いた銀の扉は、自由への入り口ではなく出口。ここを出てしまっては、彼の物になる。所有物であり、奴隷であり、逆らうことは許されない。それが商品としての境遇である。しかも目の前に現れたのは、よくフィールドワークのためにやってきていた博士ではないだろうか。いつもは乱雑で貴族とは思えないボーダーシャツを着ているのに、今日はどこぞの御子息のような豪奢なスーツ姿である。
 本調子ならば抵抗をすれば逃げられる。だが今は満足に食事すらしておらず、力がでない。一般の成人女性程度の力しか出ない故に、男には簡単にねじ伏せられてしまう。決意をして黒い手袋に導かれるままに門を潜ると、おずおずと彼の整った顔を見上げて震える声を絞り出した。

「……はい、ご主人様」
「かしこまったものはいいって」
「だって、買われてしまったら、私は貴方のもの……」

 売春婦のように扱われるのか、それとも奴隷のようにコキ使われるのだろうか。屈辱的で理不尽なのだが、文句は言えない。薬が効いていてまともな抵抗ができないのだ、今の力は人間の女と変わらないだろう。
逃げ出すには、従順になったふりをして逃げ出すまで体力を温存するしかない。丸くなった自分をせせら嗤うように、垂れ下がる尻尾とは口よりも素直。影が差す麗人の表情を見ながら、彼は顎に手を当てて何か思案していた。

「私を、どうしたいの……?」

 答えは聞きたくない。だが、覚悟をするためには聞かなければならない。おずおずと口を開いて涙目を向けると、困ったように頭を掻き毟ると、目の前で膝をつくと優しく手を包み込んできた。

「住処はどこなんだい?」
「え?」
「君はもう自由だよ。送っていこう」

 優しく見上げてくる目に、悪意はない。破かれた服を隠すように、お気に入りのタキシードを肩にかけられた。キャスケット帽を胸に抱き、手を差し伸べられて、まるでダンスにでも誘われているよう。初めての経験に胸が高鳴り、警戒もなくかさぶただらけの手をとってしまった。

「私を、逃すというのか?」
「元よりそのつもりだったさ」
「なんで……」
「人狼はもう多くはない。人間のエゴで絶滅させるわけにはいかない」

 どこまでも論理的。私情の類は一切介入せずに、ただ広い世界のことを考えている。
何故だろう。裏を感じない明るい笑みを見ていると、願ってもない話が少し、トゲのある言葉に聞こえてきた。小さく走る胸の痛みは、何かの病か。人間に触れすぎて、おかしくなってしまったのだろうか。伏せたまつ毛が音を立てて瞬く。

「銀狼は珍しい種類で、貴族が愛玩具として欲しがるって……」
「辛かったね。道楽でこんな仕打ちを受けて」
「……人なんてそんなものさ。自分と違う力を持つだけで「怪物」と罵り、排他的になるか支配したがる」
「私もね。冤罪でひどい目にあったことがあるから」

 しっかり着こなされた紳士服の下から覗くのは、白い包帯だった。腕にも、首にも、腹にも。片目の眼帯もきっと、傷を隠すためのもの。すり寄って長い爪を這わせると、痛みは消えているようで力なく笑うだけだ。

「……辛かった?」
「はは、酒の肴になる話さ」
「私も、大丈夫。貴方がきてくれた」

 高い鼻を擦り付け、甘えるように喉を鳴らす。暴かれそうになる恐怖は今でも鮮明に思い出せるが、もう大丈夫だと確信できる。何度か住処でも見かけたこの研究者は、こちらを見上げてくるだけで何もしなかった。危害を加えるつもりは元からなかったらしい、たまに話しかけてはきたが、不快な時間ではなかった。むしろだんだんと心地よくなり、いつしか彼がフィールドワークに現れる日を待ち望んでいたくらいだ。
 勢いよく尻尾を振りながら首にぶら下がれば、腰を抱き寄せられて抱き上げられる。いつもなら無礼者は写真の餌食にしてやるのだが、体を委ねてすり寄れば、満面の笑みで耳元へ囁くのだ。

「さぁ、家に帰ろう」
「家、はないよ。近くの教会に隠れてただけ」
「そうなのか」
「帰る場所なんて、ないよ」

 もとより一匹狼。番いもいなければ、家族もいない。ただ1人だけで、孤高に生きていたと言えば耳障りはいい。
本当は信じられる人がいなかったから、必然的に孤独になっていただけだ。人にもなれず、獣にもなれない。ただの世間からも、自然界からも孤立しただけの異質な存在。淘汰されたところで、誰も困らないしむしろ喜ばれるのかもしれない。生きていてはいけない、美しい化物、それが人狼だ。

「ボク、弟がいなくなって、一人で生きていくつもりだったけど、やっぱり、寂しい」

 弱音を吐く気なんてなかったのに。口からは勝手に泣き声が溢れてくる。
弟以外に寄り添いたいと思った人ができた。身を捧げようと決意した。物珍しくて美しく、商品価値のある銀の人狼としてではなく、ジョゼフとして見てくれた。出会って数日ではあるが、初めて心が射止められたのだ。元々人付き合いは広く、様々な人間や妖怪を見てきたが、初めてなのだ。離したくない、離れるのが惜しいという悔恨を込めてタキシードを握りしめたのは。

「だから、しばらく傍に置いて欲しい」

 精一杯の告白に答えるように、ゆっくりと目の前に影が落ちては優しく慰めるように口付けられる。ピンと立ち上がる耳に、勢いよく伸びる尻尾。反射的に抵抗の意思を見せてはしまったが、心地がいい。瞼が自然と落ち、感覚をより享受したくなるほどに。
舌を差し出し、深くついばみ、身も心も捧げる。長い爪で傷つけないようにと細心の注意を払いながらも、へと手を回してそのまま首へ。
見ているのは月明かりだけ。いつもは冷たく無機質に照らしてくるだけだった月光も、今日ばかりは光で姿を隠してくれているよう。誰にも見つからないように、相方の影に隠れられるように。しばらく1つになっていた影が2つに分かれた時には、紅潮したと熱い吐息が冷たい夜風に晒された。

「貴女さえよければ、私の家に来てくれないかな?」
「うん、うん……っ!」
「嬉しいよ。ありがとう」

 手の甲に口付けられ、人間の女性と同じ扱いを受けるのは初めてだ。いつも、見世物か物珍しく美しい装飾品のようなもの。所有していると箔のでて、慰み者にもできる珍しい生き物。人間と恋に落ちるなんて思っても見なかったし、過去の自分に言っても信じてもらえないだろう。
尻尾をはちきれんばかりに振り乱して、垂れる耳を思わず隠す。人間には狼の愛情表現がどのようなものかわかっていないようではあるが、赤くにやける顔は隠せない。

「ボク、人間のこといろいろ覚えるから」
「私も、人狼のことをもっと知りたい」
「ボクのこと、じゃなくて?」

 もしかして、人狼を研究対象としか見ていないのだろうか。ふてくされて頬を膨らませれば、よしよしと跳ねっ返りの癖毛を宥められる。
大丈夫だ、彼はそういうつもりではないとわかっている。構って欲しくてキュウンと喉を鳴らせば、まるで愛する子供を見るような目で笑うのだ。

「拗ねないでほしい。一番知りたいのは君のことさ」

 そのまま勢いよく抱きついた。後ろに倒れ込む体に必死にしがみつき、犬のように頬へざらついた舌を這わせる。間近で聞こえる鼻息は、興奮していることを示している。生暖かい感覚が触れる度に、ゆっくりゆっくりと情欲が膨れ上がってきた。
 例え異形の子であっても関係ない。この機を逃せば、番いを作るという気さえ起きないだろう。あの日、弟を失った日に死んだ感情を蘇らせてくれたのは、他ならぬ目の前の紳士だ。
狗になるならば好いた男の狗になりたい。純白の狼は、月下で求愛の鳴き声をあげる。

+END

21.3.28

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