ててご | ナノ



恋愛トライアングル

※クロード復活捏造
※女体化クロード
※女装ジョゼフ




 古びた結婚式場を、ひたすら駆ける、駆ける。もうどれだけ疾駆したのかもわからない。同じような風景が続いていることで、弄ばれている気すらしてきた。
残りの解読機は一台、仲間は四人いるが、もう全員辟易しており次見つかったら全員荘園送り。見つかるわけには行かないと意気込んだのはいいが、現在ウィラが追われているところである。彼女の機転にかけるしか、脱出の術はない。
いつもは楽しい機械いじりではあるが、緊張感が合わされば恐怖になる。無心にボタンを叩いて浮かぶ文字を記憶する機械になれば、近くで小さな音がした。
 誰だ。ハンターでもない。隠密をしているようではあるが、応答もない。様子を伺い、わざと大きな音を出せば息を飲むのがわかった。迷子の子供が迷い込むには物騒で相応しくもない場所であるし、子供なんてハンター以外見たことがない。罠かもしれないが、あまりに怯えるものだから研究者の好奇心が刺激されてしまった。エンターキーで確定をさせると、ゆっくり墓の影に隠れる小さい者に近づいた。

「ヒッ!」

 そこにいたのは、白い美しい髪をゆった女性が蹲っていた。蒼く美しいドレスを身に纏っていることから貴族なのだろう。恐怖で彩られた表情と、崩れた化粧を見る限り巻き込まれた被害者であることは間違いない。
なによりも。

「……デソルニエーズ卿?」

 この見慣れた柔らかい髪も、豪奢な服装も彼のものだ。しかし、何故ドレスを身につけているのかわからない。それに、ゲームに紛れ込むなどいう意味不明な行為をするとも思えない。拭えぬ疑問に呆気にとられていると、彼女の白の上を転がる青く丸い目が安堵の色を映して、縋り付いてきた。

「たす、けて」
「どうかしたんですか?」
「ここ、どこ?」 

 写真家は本日のゲームの参加者ではない。正々堂々の騎士道を重んじる彼は、横槍なんて好かないだろう。
見慣れたマップで迷子というのもおかしいが、リッパーの靴音が聞こえてきては問答をしている場合でもない。優しく白く細い指を取って、ゆっくりと引きリードする。

「こちらへ。貴方には似合わない場所ですが、身を隠すには丁度いい」

 暗く、かびの匂いが漂う地下へと足を向けると、表情に嫌悪を浮かべる。だがわがままを言っている場合でもない。見つかれば、気の立っているハンターが何をしでかすかわかったものではない。「嫌がらせではなく、守るためなのだ。わかってほしい」と笑いかけると、小さく微笑みを浮かべて頷いてくれた。コツコツ大きく聞こえると女物のヒールと、止まる男の靴音。探されているのだろうか。心臓がバクバクと音を立てて今にも破裂してしまいそうだ。

「ここならば、見つかるまで時間がかかります」

 拷問部屋である地下へと逃げ込むサバイバーは少ない。怨嗟の声が聞こえてくるような錆びた鎖や檻の宝物庫に、進んで飛び込む物好きだっていない。囚人も、事情がないかぎりこんな薄暗くて血生臭い部屋には一歩すら入りたくないというのに。
だが、緊急事態なのだ。だからこそ、ここで見るかることはまずないだろう。さらに奥まった、袋小路へと不思議の国の姫君を誘導すると、唇の前に指を立てて静寂を守るように伝える。

「時間がかかっても必ず迎えにきます。それまでここでお待ちください」
「……わかりました。貴方を信じます」
「いいですか? 決して、鋭い爪の仮面の男に見つからぬよう」

 疑うことを知らない純潔の姫は、控えめに頷いては壁の奥へと消えていく。
あとは、追われた仲間仲間を助けて、ゲートを開けて姫を救うだけ。聞こえてくる心臓の張り裂けそうな呼吸音に眉を寄せながら、機械の微弱な電波を感知する。目を閉じて集中していると、急に服の裾を掴むものがある。白い枝のような細い指に、不安に揺れるサファイアブルーの目。長いまつ毛は微かに涙に濡れていて、薄く開かれた桃色の花弁が音を発した。

「あの、気をつけてください……」

 あの写真家が、人の心配をするとは!
情緒は不安定で、か弱い女性のよう。ハンターの面影はなく、見慣れない空色のドレスは女王のような雅さ。毒気を抜かれて唖然と見つめていると、恥ずかしいのか視線を逸らしては頬を赤く染めてくる。なんといじらしい。男を見せなければとプライドを刺激され、安心づけるような笑顔を浮かべてはキザに投げキッスを飛ばす。「貴女を迎えにくるまで、死ねませんよ」と。
桃色に染まった頬を合図に、彼女は恋に落ちていた。



 一人、二人、と荘園へと飛ばされる中、囚人は運良く逃走劇を続けることができた。今は近くで傭兵が追われる音が聞こえてくる。伝達機を通して聞こえてくる心音が、共鳴して受け手まで心臓が煩く鳴り響く。なんとかゲートは開けたし、あとは逃げ切ってくれることを祈るだけだ。何度か奇襲にあい、教会まで逃げてきたのはいいが、逃げるタイミングが掴めない。下手に飛び出して音が鳴れば傭兵は助かるだろうが、囚人は足の怪我で逃げられない。苦虫を噛み潰しながら機会を窺っている時だ。足元から、金属が転がる音がしたのは。

「まずい!」

 地下から聞こえた音は、匿っている姫で間違いはない。仲間はすでにゲートの前に退避していると報告は上がっている。
見つかれば、正体を確認するよりも先に切り裂かれて吊るされる。人形の姿を借りていない生身では、死に至る可能性もある。まだリッパーは不審な音源を特定できていないらしい。ゆっくりと、痕跡を残さないように彼の死角を旋回すると、地下に続く階段を駆け下りた。
 荒れた暗室は、先ほど訪れた時と同じ。変わっているのは、金網が一つ突き飛ばされたように倒れているだけ。先程の致命的な騒音はこれであるようだ。己の呼吸を整えながら、他の音に耳をそば立てる。周囲を見回し、口を開こうとしたところで部屋の隅から銀糸が光り輝いた。
顔を覗かせたのは、女性用のドレスを身に纏った写真家である。

「さぁ、こちらへ!」
「あ、貴方は……」
「時間がありません! 早く!」

 聞こえるギリギリの声量を張り上げ、小さな手をとると引き寄せては抱き上げる。力に自信はないが、彼女はまるで人形かと思うほどに軽い。素材や研究道具を抱えて歩く方が肩にくるというものである。
だが、なかなか腰にくる。甘く澄んだ香りに、真っ直ぐ逸らすことなく見つめてくる丸い目。そして、頭上で聞こえるハンターの死の足音。見つかれば終わりだ。いっそのこと、自分が身代わりになってでも震える彼女を守らなければならない。
 駆けた。
まるで逃避行のように、脇目も振らずに黒く煤汚れたヴァージンロードの縦断を蹴り上げる。
敵の殺意は背中からひしひしと感じる。飛んでくる霧の刃を背中に甘んじて受けたところで、悲鳴が小さく聞こえてきた。

「大丈夫ですか!?」
「つっ! ナワーブ君、私は出るぞ!」

 なけなしの体力も尽き、足も縺れてきた。いつもと比べて背負う命が一つ多い。疾駆したところで、普段から遅い足が速くなるわけもない。
コツコツコツコツコツ。ところどころ剥き出しになっている、コンクリートが音を出す。両手を広げて待つ出口はもうすぐであるが、ハンターの攻撃範囲内に入るのも時間の問題ある。

「……仕方ない」

 今回は逃げるより逃がす方が先決だ。もう、鋭利な爪が背中を引っ掻くまであと少し。抱える荷物を離せば軽くなる体と、背に走る痛覚。悲鳴を上げるより先に彼女の背中を押して空気を裂く勢いの声量で叫んだ。「早く逃げろ」と。
一瞬見慣れない女性にキョトンとしたリッパーだったが、狩人として高揚している殺人鬼は動く者全て切り裂こうと爪を構える。させない。足を掴むと、焼ける喉に鞭打っては声を上げる。「降参だ」と。
 降参をする条件は「サバイバー全員の戦闘不能の確認」。この魔法の言葉を唱えると、ハンターはいかなる理由があってもサバイバーに危害を加えることはご法度とされている。仮面に隠れた無邪気な目がつまらなそうに怯える女性から離れてしまう。最後に横たわる囚人を一瞥すると、全てに興味を無くしたようにゲートへと歩みを向けた。こちらへと向かってくる傷害罪の男に身を竦めるが、視線すら向けずにすれ違ったことで緊張の糸が解けたのだろう。美しいドレスが痩せた土の上に流れたと思えば、すぐに駆け寄ってきて嗚咽を漏らすのだ。

「よかった……、よかった!」
「はは、怪我はないですかお嬢さん」
「貴方の方こそ、体はなんともないのですか?」
「今は仮初の体なので、例え五体不満足になったとしても問題ないですよ……」

 安心させるための例え話だったのだが、今の彼女には刺激的だったらしい。泣き顔が怒りの形相に変わり、綿の詰まった頬を引っ張られた。痛い。痛覚は通っているから当たり前なのだが、あまりに強い力でひねられたものだから驚いだ。

「そんなこと、言わないでください!」
「すまない、不安にさせたね」
「本当ですよ……」

 どうやってこの麗人を慰めようか。文野外の精神学に頭を捻っていると、急に魂が引っ張られるような感覚に陥る。ゲームが終わり、元の体に戻れるのだ。このままでは彼女が一人になってしまうが、道はわかるだろうか。不安がどんどん湧き上がる。
せめてもの誘いだ。サバイバーの屋敷の方向を指差すと、最後の力を振り絞って笑う。「また、必ず迎えに行くから」と。

「……ええ。待っています」
「この道をまっすぐ進めば、私たちが宿泊している屋敷がある。先に戻ってるよ」
「道に迷ったら、見つけてくださいね」

 もう彼女を襲う者はいない。だが寂しそうな彼女を一人にしておけない。急いで目を閉じると、魂が引っ張られる感覚に襲われる。早く、早く。今はただ無心になるしかない。不思議な世界に迷い込んでしまった女の子には、案内人になる道化が必要なのだから。



 ガサガサ。草の根をかき分けて彼女を探すのだが、一向に姿が見えない。草を踏み越えたヒールの跡が見えるから、ここを通ったのはわかるのだが、歩幅も小さく蛇行していて迷いが見える。間違いなく、彼女は一人見知らぬ地で途方に暮れているのだろう。早急に発見しなければと駆け出すが、どこへ向かうのかもわからない人物を探し出すのは至難の技だ。
どこだ。どこだ。いつもハンターたちもこんな気分だったのだろう。周囲を見回しては小さな少女だけを目ざとく探す。と、背後から聞こえてきた大胆な茂みの音に慌てて振り返ると、鼻に突きつけられた銀色の研ぎ澄まされた刃が黒い空を写す。

「誰だ」

 鬱蒼とした茂みの中から飛び出してきたのは、この場所には似つかわしくない貴族の男だ。探している彼女と瓜二つではあるが、彼はれっきとした男である。
先ほど迷い込んでいた女性は、勿論写真家ではない。その妹であるクロードである。会うのは初めてではあるが、風の噂では聞いたことがあった。写真家が、ハンターとして選ばれる原因を作った人物であると。
 双子の神秘というか虫の知らせで、彼女の危険を察知して探しにきたのだろう。眉間のシワを一層深くして、落ち着かない様子を見せるのは稀有。ゲーム内でも焦燥の念など見たことがなかったために、新鮮で且心中が伺える。まだ姫は見つかっていないのだろうか。不安がよぎった瞬間に、安心させるように背中から不安な表情を浮かべたお姫様が現れた。囚人を見染めた瞬間に満面の微笑みを浮かべる。そんな彼女に眉を寄せながらも、困ったように優しい音色で尋ねるのだ。

「知り合いか」
「私が、迷い込んでしまった場所で、彼が守ってくれたのです」

 しっかりと繋がれた手を見ているだけで、まるで絵画を見ているような錯覚に陥る。目の前に広がる幻想的ですらある光景に目を奪われている場合ではない。安堵により、ゲームでの痛みと道中での披露が一気に囚人を襲い、応えるだけの体力を失いへたり込んでしまった。殺人ゲームに痛覚を入れるなど、本当に荘園の主人は人が悪いと思う。
 蹲る囚人にいち早く気がついたのは、妹である。急いで脇に走り寄ると、声にならない悲鳴を上げながら背中を摩ってくれる。口からでるのは謝礼の言葉ではなく、激しい咳と血痰。止まらない上に呼吸すら阻害する生理現象に怯える妹を通り過ぎ、歩み寄ってきたのは敵である彼だった。

「大人しくしていたまえ」

 真剣な表情で歩み寄ってきたと思えば、急に彼の端正な顔が近づいた。浮遊感を覚える前に、気がついたらもう屋敷に向けて歩を進めていた。止められるわけがない。抱き上げられていると自覚するのにも時間を要してしまった。
 ゲームではよく見る光景なのだが、写真家の動作は絵になる。顔がいいからもあるが、何よりも生まれついての気品がそうさせるのだろう。紳士的で、違和感がなく優雅にことを運ぶ動作には感心すら覚える。見惚れていると、熱視線に気がついてにっこりと微笑んでくれた。女性ならば恋心が芽生えるであろうが、残念ながら腕に抱いているのは男。キザな動作ですら様になるのはズルいと同性でも思う。

「私の部屋に運ぶ。いいな」
「私は抵抗が出来ない身でね。任せるよ」
「別にとって食おうというわけではない」
「ならば、尚更貴方に従おう」

 コツコツ、と真っ直ぐに歩を進める体は真っ直ぐ前を見つめている。時折腕の中の囚われ人を見ると、視線があうのだ。「あまりジロジロ見ないでくれ」と言う彼の顔は赤い。注目されることに慣れている伯爵が、何故こんなにも汐らしいのだろうか。興味深い観察対象に目を輝かせていると、細い囚人の体に抱き潰さんばかりの力が加わる。「照れている」とからかう余裕もなく、逞しい胸に命と同等の頭脳を委ねる。あまりに優しく抱きしめてくれるものだから、まるで特別視をされているかのような錯覚に陥ってしまう。
きっと彼女がいるから、優しいのだろう。いつものハンターとしての狡猾な殺人者ではなく、美しく聡明な兄を見せたい、それが兄弟心というものなのかもしれない。なら、その恩恵をいただこう。勘違いをした囚人は、微笑み一定感覚でやってくる眠気に身を委ねることにした。ずっと送られてくる二つの熱視線に気づかぬまま。




 なんの因果か、写真家の妹がこの荘園で再び生を幾日が過ぎた頃だった。急に兄が躊躇いがちな小さな声量で訴えてきたのは。

「クロード。その、ドレスを貸して欲しい」
「ドレス? ジョゼフは男でしょ?」
「その、あれだ。事情があるんだ」

 誉れ高い双子の兄が、女装趣味だとも思えない。あまりに必死に頭を下げてくるから、何か事情があるのは明白だ。
天性の見目麗しい小柄で線の細い容姿より、女と間違われてもいた。その度に怒り狂い、鳥肌を立てながらも愚痴を吐き出す姿を隣で見ていたものだ。
それなのに、女の姿を自ら好んでするというのか。考えられる理由は1つだ。

「ジョゼフは、好きな男の人がいる?」
「え」
「その人に見て欲しくて、ドレスを着るんじゃないの?」

 想いを寄せる、男がいるのだろう。同性愛者ではない彼が惹かれるとなると、これは事件に近い。

「もしかして、あの囚人の彼?」
「なっ! そんな、わけ!」
「図星」

 確信を持って詰め寄ってくる妹が、妖しく笑って赤い舌を出す。自慢の妹は、やはり面妖で美しい。兄弟でなければ口説き落としていたと自負すらできる。
なんて、妹自慢に逃避している場合ではなかった。

「私も彼のことは好き」
「そう、か」
「盗らないよ」
「だ、誰もそんな心配はしていない!」

 意固地で気難しい兄を素直にするにはどうすればいいだろうか。意地悪をしたいわけでも、喧嘩をしたいわけでもない。ただ、彼の本当の気持ちを村長してあげたい。素直になれなくて後悔するくらいなら、死んだ後ではあるが、幸せになってほしい。妹を想い続け、生涯独身で終えた彼への、せめてもの償いになるのだから。

「じゃあ、貰っちゃおうかな」

 とりあえず、煽ってみれば誉れ高い兄は怒るだろう。そのままムキになって「お前に盗られるくらいならば!」と躍起になってくれるかもしれない。そう期待を込めて流し目を向けるとどうだろうか。静かに目を潤ませる、情けない兄の姿がある。これは予想外だ、そうすればいいのかもわからなくなってしまった。

「嘘だって」
「好きならば、どうぞご自由に。お前は、誰もが見惚れる美人なのだから」
「無理しないで。彼のこと好きだけど、それ以上にジョゼフが好きだから協力する。私はいつ消えてもおかしくない身だから」
「そんなこと言うな!」

 怒り心頭な青い目が、剣呑な赤い光を帯びる。怒ってくれるのは嬉しいのだが、彼はきっと最愛の妹に遠慮をする。それは双子の兄弟が一番よくわかっているのだ。
急に不思議な力で得た生だ、ゲームにも参加できない無力な魂は、いつ消えるのかすらわからない。それならば、愛した兄のために喜んで使おう。

「ねぇ。ジョゼフは彼のこと、好き?」

 詰問ではないのだが、写真家にとっては尋問としか思えなかった。天使の笑顔で詰め寄っては、小悪魔の笑みで返答を促す。彼も双子、性格は似て頑固で意固地なところがある。逃してはくれないだろう。
観念して大袈裟なため息を1つ。できる限り表情を見られないようにと首をそらすと、か細い声で呟いた。

「……好きだ」
「うん」
「私は、あの、機械にしか目がないような男が、好きだ」

 本人のいない告白は、想いを伝えるより恥辱的ではないだろうか。一方的な暴露大会を終わらせるべく、早口で述べると意固地になって唇を閉じる。
これ以上口を割ると何を言うかわかったものじゃない。「もういいだろう!」と照れ隠しをして怒鳴ると、満足した満面の笑みが広がっていた。

「ふふ。双子は好きになる人も同じなんだね」

 双子の神秘とは、よく言ったものだ。全くの別人の魂ではあるが、やはり根元は同じなのだろう。お互いを求めあい、同じ人に惹かれてしまう。例え性別が違っても適応されるのかはわからないが、好きになってしまったのなら、しょうがない。言い返すことも出来ずに押し黙っていると、よしよしと子供のように頭を撫でて慰められる。

「可愛い」
「私は男だ」
「知ってる。可愛い」

 「可愛い、可愛い」と耳にタコができるほどに囁かれるが、赤面してしまうのは大切な肉親だからだ。これがもし、見知らぬ男女に言われたら怒り狂うところだ。だが、囚人だったら? 顰めっ面が緩んでいくのがわかる。
死して荘園にきてからは、様々な者を無心で切り伏せる冷酷なハンターになったとは聞いていたが、兄の穏やかな表情は生前と変わらない。むしろ邪気が抜けて子供に戻ったようですらある。

「抱き上げてる時、様になっていたよ。お似合い」
「そう、か?」
「私が抱っこされている時、どんな風に見えてたのかな」

 自慢をするつもりはなかったのだ。ただ思い出に浸っていただけなのに、写真家は目を剥いて妹の綻ぶ顔を無表情で凝視する。まずい。仮にも兄妹でありライバルでもある相手を刺激してしまった。女性に、ましてや目に入れても痛くない双子に手を上げることはないが、ショックと、怒りが入り混じった複雑な表情を浮かべている。
混乱させても謝るつもりもない。いつもすましていた兄に対する対抗心と優越感。表情豊かなところが見れて嬉しくもあるし、もっと困らせてやりたいという困悪戯心が膨れ上がってきた。
 唇に指を当て、下から覗き込むように兄を刺激すれば、胸の谷間が襟首から顔を出す。女慣れはしているはずなのに、いつまで経っても妹に対しては初心な態度を崩さない。長く生きた老紳士は女には慣れているが、恋愛には慣れていないのだ。 

「ずるい?」
「いや、その、そんなわけない!」
「本当?」
「……男として、女扱いされても嬉しいと言えないだろう……」
「なら、女性としてだったらいいの?」

 年頃の女性は恋話が好きだとよく言ったものだ。随分と積極的に推してくるな、しかめっ面を浮かべるのだが、言い返す言葉はない。無言は肯定。上機嫌に笑われては何も反応を返すことが出来ない。

「私のドレスを貸してあげる。兄さん好みの青色で、派手な刺繍のあるものを」

 女に間違われるような華奢で小さな体も、今日だけは神に感謝しようと思う。




「バルサー様。きてくださりありがとうございます」
「私こそ、お招きいただき光栄ですよ」

 ハンターの屋敷から離れた、緑の庭。ここは写真家と血の女王が荘園の主人より買い取った土地の一つである。
花を植え、植物のアーチを作り、ハーブを栽培した。気がついたら血の女王を中心に女性たちが気に入ってはお茶会を開く用の机や椅子といた家具が増えていた。別に気にすることはない。ハンターの皆が各々好きに使うようになったことも。
 招いた茶会は、妹であるクロードを助けてもらった例が名目。誘った主人も妹だ。今、囚人の目の前にいる人物は「クロード=デソルニエーズ」ということになっている。
男と女ならば、不用意なボディータッチをしても不自然ではない。スカートの端を持ち上げ恭しく礼をすると、近づいて自然に手を取った。これならば、違和感もないだろう。相対して荒れた手の甲をゆっくりと撫でると、紅を引いた唇を綻ばせた。

「さぁ、お茶にしましょう。この前助けていただいたお礼です」
「ありがとう。ところで、貴方のお兄さんは?」
「兄は、用事があるからと席を外しています」
「そうか」

 ヘラリと邪気のない気の抜けた笑みを浮かべて、彼は正面の椅子へと腰を下ろした。見慣れない貴族の正装に、思わず頬を染めるとまっすぐマジマジと観察する。
スカーフも、片眼鏡も、綺麗に整えられて天頂で結われた髪の毛も初めて見た。腫れた目は眼帯で隠しては恭しく一礼をしてみせる。普段の着崩したボロボロの安っぽい服とのギャップが激しすぎやしないか。つい口元を押さえてニヤける顔を隠すしかできない。
 女性の仕草は幼い頃から身近で見てきた。大丈夫だ、ボロをだすようなことはない。品を作り、優しい微笑みを浮かべては髪を踊らせては、紅を引いた唇を開く。いつもとは違う、編み込まれた髪は自慢の妹作だ。黄色く大きなリボンが花にとまる蝶のようで、美しく彼女を映させる。
大丈夫。今日も「彼女」は美しい。
 お茶もお茶請けも妹が鼻唄混じりに作っていたのを覚えている。我ながら器用な妹を持ったと自負している。甘すぎず、仄かな香辛料の香りが食欲をそそる。一口、口に含んで綻べば、続くように彼も焼き菓子に手を伸ばした。

「お口に合いますか?」

 自然に身を乗り出してみるが、残念ながら彼の興味は広がる白い海と、甘い生き物たちのほうだ。唇を尖らせたところで見るものもいない。ふてくされていると、急に視線が上がって慌てて顔を引き締める。視線には入ってはいなかったが、彼は満面の笑みである。

「美味しいよ。貴女の手作り?」
「いえ、兄が用意してくれました」
「ならば、伯爵の手作り?」
「兄は、料理をしたことはありませんから」

 下手に質問をされてもたまらない。ぼやかしては再び淑やかに皿へと手を伸ばす。「残念」と聞こえた言葉は、菓子くずと共に喉の奥。つい夢中で好物を味わっていたのだが、ふと彼の視線に気がついた。行儀悪く頬杖をつきながら、こちらを真っ直ぐ見つめてくるのだ。見透かしたような笑みを浮かべながら。

「何か?」
「いや、可愛いなって」
「……お行儀が悪いですよ」

 そんなにも、妹のことが気になるのだろうか。詰め物で誤魔化したふくよかな胸を隠すようにタイを弄ると「愛しい半身を穢させるものか」と睨み付ける。
 写真家は思案する。妹は、この男をよく思っているらしい。兄ならば応援するべきだ。だが、しかし、それでも。素直に背中を押せない自分に腹が立つ。手を強く握りしめては眉間に皺を寄せる姫君を前に、あくまでも博士は平常心である。

「貴女が荘園に来たのは?」
「つい最近です」
「ハンター、なのかな?」
「いえ、まだ役割は決まっていません」

 二度と手が届くはずもない白い花が、目の前に現れたときはこれが現実か疑ったものだ。微笑みかけてくれる白磁の肌も、すらりと伸びた鼻も、赤い唇も。静かに涙を流しながら、形を、存在を確かめて、抱きしめる。感じる熱も偽物じゃない。安堵に嗚咽を上げ始めた時だった。冷たい空気に身を震わせたのは。
 救いと同時に、彼女は足枷だ。余計なことをすれば、いつでも奪われる。相変わらずの無表情の伝書雀の背後で顔を知らない人が笑う声が聞こえる。「現をぬかさず、一層真面目にゲームに励みたまえよ」と。
目を覚ましたいのはこっちも同じだ。見知らぬ男に惹かれるなど情けないにも程がある。だが、目の前で邪気もなく笑う彼を見ていると鼓動が大きく跳ねるのだ。

「そうか。よかったね」

 何事もなかったかのようにお茶へと口をつけると、流し目で正面の彼女を射抜く。きりりとした顔立ちにはないにしろ、知的な魅力に引き込まれてしまうのは確か。普段の無邪気な姿とのギャップだ。飲まれないように咳払いをすると、ゆっくりと彼とまっすぐ向き合う努力をする。

「どんな形でも、再び大切なお兄さんに会えて、嬉しいだろう」
「ええ、本当に」
「それとも、私との出会いも喜んでくれていたり?」
「え」
「可愛い」

 気付かれたのだろうか。ひっそりと向ける恋慕に。取り落とした菓子を拾う余裕もなく惚けていると、目を逸らさずゆっくりと彼が立ち上がった。
頬を荒れた手の甲がなぞり、見つめ合う。時が止まった絵のように動けなかった。彼が再び笑うまでは。

「失礼」
「はい」
「口に触れても、いいかな?」

 唐突に何を言い出すのかと思えば、影を作った男の顔でゆっくりと横へと回り込んでくる迫ってくる。
これは、もしや。心臓を高ならせて目を閉じ唇を薄く開くと、熱い吐息が鼻へとかかる。これから降りてくるであろう優しい口づけに胸を高ならせていたのだが、笑う気配がして。熱は、下唇を掠めた。
急に恥ずかしさを覚えて、目線を机に落とすと、転がるような笑い声が耳元で響く。小馬鹿にされているわけではないが、いっそ笑者にしてくれたほうがマシだ。睨みつける元気もなく唇をかみしめると、拭ったお茶菓子を不躾に口へと入れる彼の姿があった。

「期待、してくれていたのかな」
「そ、んな、こと」

 見下されて影ができ、彼の深い藍色の瞳に飲み込まれる感覚さえした。いつも、こうやって彼のペースに飲まれてしまう。女の姿をしているが、女扱いされ続けるのも男としての沽券に関わる。矛盾した高いプライドが悲鳴を上げ始めたところで、ゆっくりと口づけが落ちてきた。

「ん……」

 ちゅう、と優しく吸い上げられては腰を抱かれて引き寄せられる。舌を絡め取られては、唾液が混ざり合い卑猥な水音が響く。腰を抱き上げられて、目線を合わせさせられたと思えば、一層深く食らいついては角度を変えて味わう。
怒る気力も、クロードの姿を借りていることすら念頭から消えていた。ただ、ジョゼフとして囚人から与えられる熱を感受していた。相手が拒絶しないことをいいことに、遠慮のなくなる接触は、無情にも呼吸の手段を奪っていく。色気もなくお互いの鼻息が荒くなったところで、やっと自由になることができた。

「やっぱり、期待してくれていた」
「貴方が、勝手に、」
「嬉しい。可愛いよ」

 スマートで優雅な老紳士に「可愛い」なんて投げかけるのはクロードくらいだ。慣れない、最も望んでいた彼からの賛美の言葉なのにこんなにも寂しい。彼は、ドレス姿のジョゼフを通してクロードを見ているのだ。まるでカメラのレンズを通すかのように、分身を見つめている。
わかっている。勘違いはしない。今日だけの、シンデレラのダンスパーティだ。魔法が解けても、痕跡は残さない為に王子様は探しにも来れない。姫は、再び敵対する狩人へと戻るのだ。

「デソルニエーズ嬢。今夜、空いていませんか?」
「……生憎、そこまで許した覚えはありません」

 冷たい声でお誘いを振り払えば、落ち込んだ様子もなく「そうか」とケロリと言い放つ。元より期待はしていなかったし、彼女の珍しい表情を見れたから満足である。

「では、もう一度目を閉じていただきたい」

 これならは断ることはないだろう。そんな確信を持ったお願いは簡単に承諾された。躊躇うことなく閉じられた目を縁取る、赤いアイシャドウ。泣き腫らしたかのような顔に、罪悪感すら覚える。まずは目尻に謝罪を一つ、うっすらと目が開かれたところで唇にも謝罪の雨を降らせる。
「もっと深く食いついてこい」そう目が訴えているのはわかるのだが、生憎もう手を出す気はない。これ以上、一方的な想いを押し付けるのも辛いだけだ。答えて欲しいと期待を胸にしまいつつ愛撫を続けては見たが、積極的な応えは帰ってこない。
ここまでにしようとリップ音をさせて離れると、寂しそうな表情でこちらを見上げてくるのだ。卑怯ではないか、自分だけ受け身になり愛情を享受しようとするのは。

「では、またお誘いしてください。昼でも、夜でも」
「〜〜〜〜〜〜〜〜! 失礼します!」

 ついには恋愛感情より恥辱心が上回り、一礼と同時に顔をあげた時には彼女の姿は遠くへと離れてしまっていた。スカートの裾を持ち上げ、覗く足は白く細い。傷一つない太ももを見つめているだけで気分が高まるのがわかる。銀のスプーンを無造作にかき混ぜては、頬杖をついて転がるように逃げていく後ろ姿を見つめていた。

「気付いてないとでも思っているのかな」

 招待状をくれたのは、妹ではなく兄であること。ドレスを着てまで出迎えてくれたのは、男である兄だったとすぐ気付いたこと。彼の熱視線のこと。囚人もまた、強かな彼に想いを寄せていること。全てわかっていた。
それでも、妹にも心惹かれてしまう二心は彼と同じ魂を持つ者への思慕の念か。それとも「女性の姿をした写真家」に対する男の性か。彼の好む青く塗られたマニキュアが新鮮で、つい思い出して口元が綻んでしまう。

「可愛い人だ……」

 夜のお誘いに、少し迷いが見えたのは脈があるからと期待していいだろうか。微笑みを浮かべて赤い果実を口へと運んだところで、コツコツと規則正しいヒールの音が聞こえてきた。
視線を向けずともわかる。歩いてきたのはタキシードを来た小柄な貴公子。中性的で、美麗で。優雅な物腰に女は皆見惚れてしまうだろう。一礼をし、目の前で微笑んだ。

「お茶会は終わりかな?」
「彼女は逃げてしまいましたよ」
「そうか。恥ずかしがり屋だからね」

 赤いリボンを揺らしながら主を逃がした椅子へと腰を掛けると、飲みさしの紅茶へと口付ける。優雅で気品があり、絵になる兄弟は何をしていても美しい。

「しかし、デソルニーズ卿……いや、クロードお嬢様」
「なにかな?」
「彼が、私に好意を抱いているのは本当ですか?」
「そうだとも」

 サクサクと、もう冷めてしまった手作りの菓子を、両手で支えて口へと含む。まるで小動物のようだと眺めてしまう。何を勘違いしたのか「食べたいのかな?」と歯形のついたものを差し出そうとするものだから、丁寧に断っておいた。仲のよい兄弟ではよくあることなのだろう。

「逃げてしまったけども」
「ジョゼフはプライドが高いから、認めたくないんだ」
「じゃあ告白しても逃げるかもしれないじゃないか」
「かもしれない、じゃなくて逃げるよ」

 大の男が膨れっ面をしたところで可愛げはないのだが、兄と同じ顔で裏もなく笑うのだ。
一見無害な伯爵をあそこまで非道に変えてしまった天使は、予想以上に清く美しい。もし運命に見放されなければ、彼も純粋で優しいままだったのだろうか。
否。それでは出会うことは叶わなかった。ならば残酷ではあるが、この凄惨な運命と出会いを祝おうではないか。心の中で響く拍手に、

「自覚させないと、彼はダメなんだ」
「キスをしても逃げたけども」
「たとえ体の関係になっても、彼は感情なんてものは認めないね」

 そこまで意固地になると、かえってやる気も出るというもの。だが、どうすればいいのかがわからない以上、簡単に口説き落とすことは出来ない。
今までのように、金をちらつかせようが肩書きを利用しようが、彼には効かない。あくまでも実力で、彼に認めさせなければ。恋心というものを。

「しかし、慣れているものだ」
「何が、かな?」
「お互いのフリを」
「フフ、よく入れ替わって使用人を困らせていたから」

 悪戯好きな天使も可愛らしい。クスクスと笑う幼い表情を見つめながら、についた欠片を指で拭っては口へと運ぶ。行儀が悪いなんて知ったことはない。元に彼女も許してくれては目の前でを赤らめているではないか。

「バルサー博士」
「はい」
「私も、貴方のことは好いているのですが」
「私もですよ」
「双子を両方ともだなんて、高慢な人」
「双子だからこそ、運命は共同体ではないかな?」

 二兎を追う者は一兎をも得ずとは、誰が決めたのだろうか。手に入るならば越したことはない。手を伸ばして捕まえようとしたのだが、すました表情で叩き落とされてしまった。なるほど、金で買える女とは違って、高貴な彼女たちは簡単には落ちないらしい。だが、そのほうが燃えるというもの。2人が口をつけた赤い口紅のついたティーカップに触れると、困ったように彼女は微笑んだ。

+END



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20.11.10

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