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白い獣と赤い絆5

※5


 目が覚めたら、まずは彼の名前を呼ぶ。昨夜、ついに繋がることができた。あれが愛情を確かめ合うということなのだろう、優しく大きな男の腕に抱かれて、幸せな痛みに貫かれた。
男に、人間に押し倒されるなど屈辱的な格好なのに、不快感はなかった。むしろ、他人の温もりが愛しいと感じるのは、亡くなった弟以外にいなかった。つい積極的に腕を伸ばしては、甘えてしまたのを覚えている。
 さて、まずは布団の上から照らしてくる夕焼けが消えるのを待って、外に出るとしよう。夜目はきくとしても真っ暗な布団の中では呼吸もし辛いし、何故自分が隠れなければいけないのかという不快感もわく。なにより、愛しい姿が見えないのだ。早く、いつものように撫でて欲しい。

「ん……ルカ、きす……」

 彼はまだ眠っているだろうと思っていた。だが、いくら手を伸ばせども人の気配はない。いや、温もりの残滓すら感じない。夕日も気にせずに布団を跳ね飛ばせば、ベッドの中はもぬけの殻だった。
怒声を上げることも忘れて跳ね起きれば、昨夜は何もなかったかのように、衣服も整えられていた。ただ、体の痛みだけが蜜月の時は嘘ではなかったと訴える。

「まさか……っ!」

 「貴方はこの地を離れる気はあるかな?」あの言葉の裏には、もうすぐこの地を離れるという意味が込められていたというのか。
必要最低限に整えられた身なりで小屋の中を駆け回ったが、彼の痕跡がどこにもない。家電も全てコンセントが抜かれて、ブレーカーの音もない。もう立ち退いてしまった後らしい。約束を無碍にして勝手に姿を消したことに激しい怒りを覚えるのだが、感情に任せて破壊をしたところで何も解決にはならないのはわかっている。ただ、血眼になって行き先を知る術を探すしかない。
 ふと、机の上に残されているカメラと、ふと見つけた青い宝石のペンダントに眉を寄せる。これは、もしかして彼の置き土産ではないだろうか。怒りを押さえつけて手に取ると、ゆっくりと首へと通す。サイズはぴったりだ。そして、近くに彼の直筆の書き置きも見つけた。どうやら、役目を終えて国へと帰ったということらしいが、納得いくわけがない。グシャリと感情に任せて手紙を握りつぶすと、窓の外の夕陽を忌々しいと睨みつけた。

「何が隠れていろ、だ。私を誰だと思っている……」

 向こうから彼の知人がやってくるなら好都合である。捕らえて、居場所を吐かせればいい。知らないならば、住処と思われる場所へと運ばせればいい。後は、意地でも探し当てて見せる。老若男女を惑わすことのできる、力を持っているのだから。

「私から逃げられると思うなよ」

 どうして黙って離れたかなんて、聞きたくもない。彼が目の前からいなくなったという事実だけが、今は重要なのだ。
ロケットのついたペンダントをしっかりと身につけ、カメラは部屋へと置き、まずは彼の居場所を探るために居城へと戻る。いつもは軽快に飛び回ることのできる、雲一つない快晴の空ではあるが、体が随分と重く感じる。早く見つけなければ、ストレスで胃が焼けそうだ。深く咳き込み、城の前に屯している人間たちを睨みつけた。
 どうやら、眠っているであろう昼間奇襲をかける算段であった、城がも抜けの殻で戸惑っているらしい。ちょうどいい。腹いせにあたるにはちょうどいい獲物たちである。普通の一般人よりは多少の死線をくぐっている故、簡単に死ぬこともないだろう。空を覆うような白い羽を広げては、眉間に寄せた皺を隠すこともせずに黒い空へと溶け込んだ。
ふわり、と夜空を舞う巨大な蝙蝠に誰しもが言葉を詰まらせた。慌てふためくもの、咄嗟に敵だと認識をする者と様々な反応であるが、誰しも突然現れた異形に見惚れていた。

「こんばんは、人間諸君」

 甘く冷ややかな声音に場の空気が凍りついた。笑みを浮かべてはいるが、決して目は笑いはしない。仰々しく丁寧な礼をして、地面に降り立つと同時に時が動き出した。誰が叫んだかもわからないまま「吸血鬼だ!」という声に、各が一斉に武器を抜いてはトリガーを引く。
工事現場のような激しく不快な轟音と、無差別な発砲音。砂煙と岩が穿たれる音が湧き上がっても止まりはしない。一点を目掛けて放たれた弾丸は、対象に届くことなく近くの岩にめり込んでいた。

「どこへいった!」

 金切り声が上がった刹那、目の前に黒いスカーフがひらりと優雅にたなびく。息を飲んだが力が入らない。反射的に銃を構えたのはいいが、瞬時に銃頭が真っ二つになり吹き飛び、鈍い音を立てて草の上を転がり落ちていった。

「動くな」

 仲間にも構わず発砲をしようとした者へと、冷酷な命令が下される。王のような威圧感と、絶対的な言霊。その妖しい、深く青い瞳に睨まれては、蛇を前にした蛙。黒い翼が夜空を多い、月すら飲み込む姿に思わず銃をやナイフという武器を取り落としてしまい、御姿に見惚れてしまった。

「さて、そこの君だ」
「ひっ!」

 やっと興味を持ったかのように、目の前の男へと視線を向けては、ゆっくりと近づいていく。乱れたコートを細い指が正し、息が触れるほどに顔を寄せる。端正な美貌が間近にあり、目を離すことができない。漂う甘い薔薇の香りに、徐々に細くなるアクアマリンの瞳が、突然赤い光を帯びる。魔力を放出した際に現れる残光だ、逃れることができない。
 間近で見てしまったハンターたちが、ゆっくりと地面へと膝をつき、言葉にならない鳴咽に似た声が上がる。戦力をそがれ、混乱に陥った面々を見回しては満足気に微笑み、視線をそらさずに呆けている男の前にしゃがみ込んだ。

「貴方なら、バルサー博士の住処をご存知かな?」
「はい、伯爵……」

 魅了の力を人探しに使うのなんて初めての試みだ。穏やかな笑みを浮かべるだけで、男女関係なく骨抜きになって言いなりになる。顎を持ち上げ、精一杯柔らかな笑みを浮かべているが、内心は気が狂いそうなほどに焦っていた。
早く追わなければ、彼を見失ってしまう。それだけは嫌だ。早く、早く。

「フランスの田舎に、家を構えています」
「ほう。そこの名前は」

 聞き出した地名を脳の奥にまで深く刻み込む間、ずっと腰の羽を震わせていた。早く飛び出したい。彼に、会いたい。早く。
必死に崇拝する伯爵のために貢献しようと尽くすの男の声音が、どのようなものなのか覚えてもいない。彼の声は今でも思い出せるというのに。
興味を失った単語の羅列がやっと止まった。これ以上の情報が得られないとなれば、この場所には用はない。こちらを見つめる男には一瞥もくれずに、横を素通りして歩き去ろうとすた。だが、横を通ったところで静止の声が足元から這い上がってくる。

「伯爵。褒美のキスを……」
「触れるな」

 冷酷な一言が闇世に響き渡る。堕落した男に冷酷な瞳を向けて、頬杖をついて吐き捨てるのだ。

「人間が軽々しく私に触れられるなど、痴がましい」

 伸ばす手を一蹴し、邪険にする言葉すらもご褒美だと言わんばかりに彼らは平伏す。だらしなくにやけた表情を浮かべる傀儡たちに一瞥をくれると、大きな羽音が聞こえてくる。一体どこに隠れていたというのだろうか、招かれざる客が見計らったようなタイミングで降りてくるではないか。
怒りに任せて、着地をする足へと剣を振りかざすが、難なく避けられては刀身を踏みつけて地面へと降り立つ。舌打ちをしても怯むことすらせずに、タイを正してクスクスと笑うだけである。食えない男である

「貴方も人が悪い。一度くらい、ご褒美を上げてもいいのでは?」
「貴様に言われる筋合いはない。元凶のくせに」

 律儀にも許しがくるまで頭を下げる玩具を見下ろしながら、吐き捨てる。

「誘惑しておいて、何もしないとは人が悪い」
「誘惑? していない」
「そんな色気を出しておいて、誘っていないは冗談でしょう?」

 顎を引き上げられ、ニヤニヤと下卑た笑いを向けられる。それがたまらなく不愉快だ。
伯爵は理解をしていないが、憂いを帯びた目がまるで未亡人のようで、男を惹きつける熟年の色気がある。夫に変わる人を探しているかのような、その白いが桃色に染まっていく様に同性であっても欲情を覚えてしまう。
ゆっくりと距離を詰めては、顎を掴んで上をむかせる。端正で顔色の悪い美顔は、ほんのりと赤い。以前の彼は、些細な行動で心を動かすことなどなかったというのに、随分と表情豊かになった。

「そろそろ、私と契りを交わしませんか」
「ありえない!」
「セックスに興味を持ったのならちょうどいい。いつか貴方と、と思い練習していたのですよ」

 この得体の知れない殺人鬼から、やたらと視線を向けられていたのは知っている。だが、それが情欲だとは気づけなかった。咄嗟に身の危険を感じて距離を置こうとするのだが、ゆっくりと長い足が迫ってくる。
周囲からは、情欲も入り混じる視線が複数突き刺さる。助けは期待できないし、下手をすれば複数人向かってくる可能性はある。人間くらいならどうにでもできるが、相対している吸血鬼がいるのだ。それに、武器があるとなれば下手な行動はできない。動きが止まるだけでも致命的になるのだから。

「私は暇ではない。早々に消えろ」

 羽を広げて早急に飛び立たち、傍にあった木の上へと退避して距離を置く。逃げたと思われるのは不愉快ではあるが、背に腹は変えられない。誰にも触れさせるつもりはないし、許すつもりもない。
逃がしたと舌打ちが聞こえてきたが、気丈にもすぐさま呆れた表情を作る。どうすればこの孤高を貫く伯爵の気を引くことができるだろうか。思案したリッパーの、薄君笑いと共に、背中から嘲笑う投げられた。

「まだ、その人間に執着しているのですか。弟君のことを忘れたわけではないでしょう?」
「貴様がクロードのことを語るな!」

 牙を剥き、喰い殺さんばかりの勢いで怒鳴りつけるとは彼にしては珍しい。牙を剥き、筋を浮かべながら剣を握りしめる始末である。
彼の亡き弟のことに触れるのは最大の禁忌である。普段はどんなことでも感情の乱れを見せない彼が、唯一怒り狂い加減も忘れる。
同族であれども惨殺しようと地面を蹴り飛ばすが、ひらりと舞うように飛び退っては一撃を躱す。慌てふためく人間たちのざわめきは消え去り、急に静寂が訪れる。優雅に佇むリッパーと、興奮した様子で肩を上下に揺らすジョゼフという対照的な2人に、ハラハラと心臓を鳴らしながらも見守るしかない。
 このまま一発即発になるのだろうかと、誰もが息を飲む中、意外にも剣を収めたのは怒り心頭であったジョゼフの方であった。

「勝手にやっていろ。もう会うこともないだろう」

 怒りも抑え、踵を返してはいかなる挑発にも振り返ることはなかった。急がなければいけないのだ、見失う前に。
どれだけ心を乱そうとも、先ほど聞き出した地名だけを胸に刻んで彼の隠れ家だった、古びた小屋へと視線を向ける。
射影機だけは持ち帰りたい。だが、森の中から複数の人間の気配も感じる。このまま人の姿をしていては、見つかる可能性だってある。すっと目を閉じると、体を小さくするように念じてやれば、あっという間に小さく可愛らしい白い蝙蝠に早変わりである。多少目立つ容姿ではあるが、誰もあの討伐対象である夜の王だとは思うまい。
 これならば、と再び周囲へ安全確認を行なった時だった。見覚えのある、見窄らしいつなぎを着た女性を見つけたのは。
移動しやすいようにと姿をコウモリへと変えていてよかったかもしれない。同じ方向へと向かって進む姿から、彼女も別れの挨拶をするところだろう。見つからないようにと念のために方向転換をしたのだが、遅かった。特徴的な羽音で気がついたようで、振り返っては目敏くも太い幹の側にいた可愛い愛玩動物に気がついた。
「怖くないよ」と笑顔で宥めながら側に寄ってくるのだ。敵意はないし、正体も知られていないと考えるべきである。今は足が必要である。ゆっくりと足元へとやってきてはしゃがみこみ、首を傾げて様子を伺ってくるのだ。

「あれ、君は、ルカのところのコウモリ?」

 害はない人間だとわかってはいるが、彼女に対してはどうしても警戒心が拭えない。彼の好みが幼い女性だと思ったのも彼女が童顔なせいだ、勝手に恋敵だと目の敵にしている。

「どうしたの? はぐれた?」

 優しい声である。相手はあくまでも善意で行動しているのもわかっている。だが、まだ赦すには材料が足りないのだ。丸い体を更に丸くして、鼻息荒く威嚇をしてみるのだがお構いなしに手を触れてくる。
誰も抱き上げてもいいとは言っていないのだが、攻撃するのは憚られた。どうにも、敵意の薄いものを攻撃することができなくなってしまった。彼の甘さが映ったのだろう。
 前では一切触らせてくれなかった子が、大人しく撫でさせてくれるのだ。それはもう嬉しそうに彼女は顔を綻ばせる。潰さぬように抱きしめると、柔らかい毛皮に顔をすり寄せてくるのだ。数十回ほど愛でられて、ついに堪忍袋の尾が切れた。「ピィ!」と強く鳴いては腕の中から飛び出す。名残惜しい表情を浮かべる彼女を見下ろしながら、頭上を飛び回ると彼の小屋へと旋回する。

「そういや、先に別荘へ帰るって言ってたな……」

 やっと感づいてくれたらしい。我に帰ったように早歩きでついてきてくれ、安堵のため息を吐き出した。
家まで誘導すると、疑いもなくカメラを手に取る。「これ、ルカが作った物だ」とすぐさま言い当てるところには嫉妬もしてしまうが、今は一刻を争う。上に停まっては持って行きたいという意思表示。ポシェットに入れたところを見計らって、一緒に忍び込む。目を丸くはするのだが、意図を察してくれた。「一緒に行きたいんだね」と無邪気に笑うと、荷物をまとめては中に菓子を入れてくれた。殊勝な気遣いではあるが、生憎人間の食べ物には興味がないのだ。
 顔だけ覗かせて準備は完了。彼女は家に帰るべく、お供の毛玉は恋人を探すべく出発することになったのだ。
標高の高い辺境の地から、目的の都会までは時間がかかる。何よりも海を挟んでいるのだ、自ずと航路も決まってくる。昼間は隠れて眠っていればいいが、夜は暇である。活動時間ではあるが、外に出て好き勝手にすごそうにも、彼の顔が浮かんでは読書にも集中もできない。
何よりもパーソナルスペースに知らない女がいるとなれば、落ち着くこともできない。しかも彼の人に似て、夜は研究に勤しんで眠ろうともしないのだ。昼間は移動時間に眠れるとしても、不規則すぎやしないだろうか。人間には興味はないが、彼と重なってしまい心配してしまう。
 夜の船旅は静かで穏やかなものである。狭い個室の中には窓が一つ。1人分のスペースしかない狭い場所ではあるが、小柄な彼女だけでは特に問題はない。自作のリモコンを取り出しては、日課のロボの改良に勤しむ。後数日もすれば故郷に帰れる。途中博士の元へと寄ってこの蝙蝠を届ければ今回の仕事は終わりである。依頼料が安ければ、金輪際関わり合いたくもないものである。研究や機械いじりは好きであるが、人を傷つける兵器を作りたいわけではないのだから。

 突然、電気が消えた。もう消灯の時間なのだろうか。周囲を見回し、唯一の光源である半月を見やると、急に目の前に影が過ぎったのだ。
鳥ではない。今は真夜中である。それに、部屋の中にソレはいるのだ、この部屋にはトレイシーしかいないはずなのに。ならば、誰が?
恐る恐る電気スタンドを探していると、急にパチンと音がしてカンテラが光を携えた。驚きそちらを見やると、光源の近くに人の輪郭が浮かぶ。細い、男のものだ。
 不審者だろうか。慌てて近くのスタンガンへと手を伸ばしたが、彼は優雅にベッドの上に座り込んだのだ。

「貴様の名前は、トレイシーで合っているのか」
「まずは自分から名乗るものじゃないの」
「ジョゼフ。貴様らが探していた吸血鬼というやつだ」

 この世の者とは思えない造形美。美しい化け物を前にして、声を絞り出すのでやっとである。
狭い部屋に、2人きり。気を抜けば魂ごと持って行かれそうな感覚に陥るが、容姿で騙されるほど幼くはない。気丈にも睨みつけると、強気な笑みと共に鼻で笑われてしまった。見た目通りの気位の高さのようだ。

「ルカのところに行きたいでいいんだよね」
「知っているのだな」
「勿論」

 彼との付き合いは短くはない。お互い異性として意識をしているわけではないから、恋人同士とまではいかないが、気の置ける掛け替えのない存在である。側にいて落ち着くし、話をしていても楽しい。何よりも、お互いが刺激になってインスピレーションも働くし、知見が広がる。
 人として好きではある。だが、告白するというにはむず痒い。今の関係のままで、友達としてで十分だ。そこにもう1人、やってきた人物。仲はよさそうではあるが、どうにも引っかかるものがある。
別れた友人に会いに行くというには、必死すぎる。ずっと落ち着かない様子で周囲を見回し、まだかまだかと姿を探し続ける。獲物として追いかけている? いや、容姿は成人男性ではあるが、その表情は迷子になった子供にも似ている。

「ルカのこと、騙して傍にいたの?」
「違う。奴も私のことは知っていながら一緒に住んでいた」
「なら同棲してたのか」

 彼の正体を知っていて尚、側に置いては一緒に暮らしていた。ならば、彼が逃げるように去った理由もわかる。前から吸血鬼退治に関しては、あまり乗り気ではなかったのだ。家族となった者が被害者となるなんて、我慢ができないだろう。だが、それ以上の感情があるようにも思う。
親愛や家族愛などでは収まらない、もっと深く、種族を超えた想い。引き剥がしなんてしたら、一生恨まれるだろう。

「大丈夫。連れていってあげる」
「殊勝な態度だ。さて、何がほしい?」
「なんで」
「褒美だ。金でも、男でも、地位でもなんでも聞いてやる」

 人間は欲深い。どんな無理難題を宣うのだろうと楽しみになるくらいだ。聞く、とはいったが叶えるかは別である。
物によってはここで食い殺してやろうかとも考えたが、彼女はしばし頭を捻った後に、あっけらかんと告げるのだ。

「いらない」

 まさか、ものの数秒で断られるとは思ってもいなかった。何かしらの報酬を求めての偽善だと思っていたのに、彼女は強い意思をもって首を横に振り続けるのだ。

「強いていうなら、研究資金がほしいけども、一回もらっただけでは足りないよ」

 研究者というものは全員このような頑固で変わり者ばかりなのだろうか。深くため息をつき、真剣な面持ちを変えない彼女の隣へと座り込む。

「じゃあ、ルカがほしい」
「それはダメだ!」
「なんでもって言ったのに」
「奴だけは、ダメだ!」

 あまりの剣幕で訴えるものだから、何も言えなくなった。少しからかおう、友人への想いを測ってやろうと思ったのだが、焦燥感と罪悪感に襲われる。ここまで真剣に否定しているのならば、弄んでいるわけでもない。何よりも、もう5日ほどかかる長旅であるのに文句も言わずに同伴するのだ。遊びではできないことである。
「ごめん」と素直に謝ると、まだ警戒心を露わにしながらも牙を収める。鼻息荒くしながらも殺意は消えていく。釣り上がった目尻が伏せられたところで、腕を組んでは偉そうに鼻を鳴らすのだ。

「撫でさせてやる。それで我慢しろ」

 何も頼んでいないというのに、白い毛玉の姿になるのだ。何か言い返してやろうと思ったのだが、チョコチョコと手の上まで這ってくる姿に、嬉々としてしまう。目を輝かせて包み込んでやれば、大人しく「キィ」と鳴き声をあげてはすりよってくるのだ。

「可愛い……」

 怒り心頭だった吸血蝙蝠が、大人しく窄めた手に収まっているというのも変な感覚である。優しく、機嫌を損ねないようにと愛でれば、大人しく愛玩動物のように丸まってはスンスンと鼻を鳴らす。

「ルカのこと、好き?」
「ピピピピ!」

 だが、彼の名前を出した途端にサイレンのように騒ぎ立てるのだ。随分と仲がいいように見受けられたので、きっとペットなどという俗な関係でもない。もっと大切で、特別で、邪魔をするのが野暮になるくらいの。

「さっきの、冗談だから」
「キイ!!」
「絶対、ルカに会わせてあげる。だから泣かないで」

 抱き込んで、慰めるように背中を撫でれば、ゆっくりと音が小さくなっていき徐々に寝息に変わる。
最近、昼間もずっと動いていたから、眠ってはいないのだ。いや、彼に会いたい一心で、目が冴えていた。ずっと姿も見えない遠くを見つめ、ピィ、ピィと小声で泣き続ける。
 片割れを奪われたかのような渇望を、甘い音色に込めている。「会いたい、会いたい」言葉は通じない状態だが、そんな心の声が聞こえてくるようだ。思わず抱き寄せてはベッドへと誘う。

「寝よう。眠れば、寂しさも忘れるから」

 決して大人しくはせず、もがき暴れては腕の中から逃げ出そうとする。心を許した相手にしかなつかないのだろう。「毎晩一緒に眠っているよ」と笑う友人が嘘をつくとは思えない。
顔を引っ掻かれて、ついに観念して手を離してしまった。バサバサと部屋の中を慌ただしく飛び回っていたと思えば、ポシェットの中で光るレンズへと目を向けて、ゆっくりと滑空して身を寄せるのだ。

「早く会えたらいいね」

 彼の置き土産である射影機へと寄り添い、ゆっくりと目を閉じる。冷たいはずの機械ではあるが、彼にとっては暖かいものなのだろう。大人しくなってくれたのならよかった、とカバンのチャックを閉じれば、身動ぎする音を最後に寝息が聞こえてきた。
夢の中では大切な人には会えたのだろうか。父の残した形見のロケットを握りしめ、小さな天才も目を閉じた。



 どれだけ2人旅をしただろうか。もはや作業のように数えていたのだが、実は数日しか経っていない。ずっと船の中にいたから時間感覚も歪んでしまった。すっかりなれてしまったポシェットの中に充満するオイルの匂いと、わたもなく薄い生地を尻にしき、欠伸を漏らしながらも宝物である射影機を抱きしめる。
眠れはしないが、擦り寄っているだけで冷たい機体が心を和ませてくれる。あとどれくらい悲観的になれば目的地へと辿り着くのだろうか。夕日の暑さがわずかな隙間を見つけては入り込み、身を焦がす。だが、射影機の影に隠れると幾分か守ってくれる。安心して目を閉じた時だった。鞄の側面をノックされたのは。

「ついたよ」

言葉の意味を理解した瞬間に、カバンの天井を叩いては外へ出たいと命令を下す。
 ピィ、ピィ、ピィ!!
怒り狂ったサイレンが可愛らしく鳴り響く。ギョッとチャックを開くトレイシーと、して反射的に扉を閉めるルカであったが、それより先にバサバサと顔面目掛けて薄い幕が張り付いた。
慌てて引き剥がそうと力を込めたのだが、人知を声た力が髪に食い込む。それに、なんだか泣いているようで力が入らなくなるのだ。手を窄めて包み込むように添えると、やっと舞い降りては体を委ねて座り込んだ。しばらく深く息をついて羽休めをしていたのだが、また起き上がっては泣き喚くのだ。

「どうしたんだい!? ここまで、トレイシーと一緒に?」
「ピィ!!」
「ずっと探してたって言ってたよ」
「夜の間しか動けないのに」

 外は木枯らしが吹いていて寒い。抱き込んで上着の中へと入れてやれば、のそのそと顔を出しては手に寄り添ってきた。ペロペロと掌を撫でる舌が、暖かく気持ちがいい。しばらく甘える舌の感覚を享受していたが、急に思い出したかのように牙を突き立て低い声で唸るのだ。癇癪を起こすなんて一体何をしただろうか。思い当たる節がなくて、慌てて手を離すしかない。だが、「逃さない」と飛びかかってきては、美青年の姿をとって押し倒された。そして、青く美しい目をギラつかせては不機嫌丸出しの牙を覗かせる。
 ずいと近づいてきて怒られる覚悟はできている。何のことについて怒っているのかはわからないが、触らぬ神に祟りなしである。

「私に黙って消えるなんて許さないぞ!」

 枯れた喉が絞り出した怒声は、どんな言葉よりも心臓に突き刺さった。動けなくなるほどに締め付けられては、少し背中も痛んできた。それでも、力は緩まない。側にいてくれ、永遠にという願いが伝わってくる。
 細くなる瞳には莫大の魔力と、怒りが込められている。まるで猫のようだと言おうものなら噛み付かれるだろう。
もう噛み付かれたところで痛いと感じることすら億劫なのではあるが、無為に怒らせることは避けたいのである。刺激をしないように頭を撫で、腰の羽へ指を這わせると、やはり敏感でくぐもった甘い吐息へと変わる。

「お腹は、空いている?」
「最近、食事をしていない」
「ここにくるまで、いろんな人がいただろうに」
「もう、貴方の血しか吸いたくない」

 指先を舐めては上目遣い。「吸ってもいいか」とおねだりをする姿も可愛らしい。「いいよ」と微笑み頭を撫でると、ゆっくり牙を突き立てる。まるで口付けるように優しく吸い上げると、見上げて様子を伺ってくる。
傍若無人だったコウモリが、ここまで気にしてくれるようになる日が来ようとは。予測もできなかった。乱れた髪を整えながら梳いてやれば、安心したようにチュウチュウと指をしゃぶってくる。
 無我夢中に、久しぶりのご馳走にありつくようにがっつく姿を見ていると、豪奢な服装とのギャップに笑いがこみ上げてきた。つい小さく吹き出せば睨み上げられ、そして目が合えば逸らされる。彼にも恥ずかしいという感情があるのだろうか、失礼だが予想外な光景に赤面してしまう。

「悪かったよ。1人にして」
「本当にそう思っているのか……」
「追いかけてきてくれるなんて、思いもしなかったから」

 ここまでも身を粉にして動いてくれているのに、暇つぶしというのは失礼にあたるだろう。ゆっくりと抱きしめては腕の中で温める。まだ月が空の天頂へと昇ったところではあるが、目を瞑っては船を漕ぐ。もしかして、初めての旅だ、ずっと起きていたのだろうか。強く抱きしめてはねぎらうように羽を撫でれば、赤面しては咎めるように首筋へと牙を掠めてくる。
性感帯へと触れられて昂ってしまうのもあるが、数週間ぶりの人の体温に興奮している。まるで注射をするように、首筋を舐めては甘く唇で噛みつく。
何度か意図のわからない首へのキスを受けて、戸惑うしかない。吸血鬼の意図がわからずに困惑していたのだが、囁くような声に全身が粟立つのがわかる。こそばさなど気にならないほど、腰にくる甘美な声音だ。

「もう逃げられないように、私専属の伴侶になれ」
「伴、侶」
「永遠に一緒にいたい。キスもしたい。セックスもしたい、愛し合いたい。これなら、ムードもあるか?」
「あの夜のこと、許してくれるのか?」
「置いていったことは許しはしない。だが、気持ち、よかったぞ」

 随分と人間らしくなったものだ。を赤らめては擦り寄り、恥じらいをもっては寄り添ってくる。
痛みが緩和されていたのならよかった。あの時はしてあげられなかった、愛おしげに腰を撫でては抱き寄せる。返事代わりに深く唇を啄めば、鼻を擦り付けては応えてくれた。機嫌はいいらしい。
 しばらく2人の世界を甘受していたのだが、ゴホンと躊躇いのない咳払い。音源を見やると、バツの悪そうな表情で恩人の彼女が立っていた。

「ええっと、ボクがいること忘れてない?」
「トレイシー、ごめんごめん」
「彼を送り届けたから、ボクはもう帰るね」
「家まで遠いじゃないか。泊まっていけばいい」
「新婚の家に上がり込めるわけないじゃないか!」

 真っ赤になっているのは照れではなく、怒りである。どうして被害者が気を遣わなれけばいけないのかはわからないが、2人があまりに幸せそうな表情をしているから、これ以上は何も言えなくなった。
人の姿をしているのに、喉を鳴らして擦り寄る姿はあの可愛らしく白い蝙蝠そのものだ。誇り高いヴァンパイアの貴族など、どこにもいなかった。
この傍若無人な若君は、やっとトレイシーの存在を思い出したようである。パチクリと目を瞬かせながら「まだいたのか」と言わんばかりに首を傾げて不思議そうな表情をするのが憎たらしい。
 前言撤回。やはりこの冷血漢には可愛げがない。

「ごめんよ。またお礼をするから」
「珍しいパーツ……と、新しいコネ」
「なんだ。私が問いた時には言わなかったくせに」
「得体の知れない人に頼めるわけないだろ!」

 バタン! と感情に任せて閉じらた扉をしばらく見つめていたが、我に帰って再び鼻を擦り寄せる。クゥ、クゥと可愛らしい鳴き声を上げてはキスをねだる。短く触れるだけのキスを交わせば、物足りない表情を浮かべながらも、素直に喉を鳴らすのだ。

「ルカ……」
「ん?」
「貴方なら、特別に好きなところに、触れていい」
「撫でてほしい?」
「違う。……好きにしていい」

 今はまだ夕方である。どこでそんな言葉を覚えてきたのかはしらないが、どうやら欲求不満のようではある。慰めるように、額や、瞼にキスを落としては髪を撫でる。縮こまっては羽を震わせる姿に気を良くして、細く引き締まった腰を撫でたあたりでやっと我に変えることができた。いけない、彼の魅力は魔性だ。

「もう、ご飯だからね。先にそっちだ」
「ならば、何か作ろう」
「本当に? 疲れているんじゃないのか?」
「目にくまができている奴に心配される謂れはない」

 無理矢理座らせると、調理器具を持つ。また拝めることを夢に見ていた、可愛らしい容姿に思わず笑みが漏れる。休んでいることも勿体なくて、机へと頬杖をついては後ろ姿を眺めていた。すると、急に彼がこちらへ振り向いては歩み寄ってくるではないか。
まだ見ることは許されないのだろうか。首を傾げていると、側に近づいてきてはかがみ、そして牙を剥いた、
 殺意はない。むしろ何か急いた様子で首筋に牙を立てるのだ。味わうように啄ばみ、少しずつ血の玉を吸い出す。今までは手から吸っていたというのに、なんの心境の変化なのだろうか。宥めるように背中をさするのだが、そうではないらしい。一向に止まない不思議な求愛を甘んじて受けていると、何かが動脈を通じて全身へと流れていく感覚がする。
一体なんなのだろうか。そういえば蚊は吸血を行ったのちに、代わりになる体液を注ぎ込んでくるらしい。一方的に搾取していることを申し訳ないと思っているのだろうか。奪われた血液以上の物をもらっているのだが、そう伝えたところで意固地な彼ならば聞かないのだろう。満足するまで好きにさせていたが、ついにリップ音をさせて彼が離れていくのだ。

「契りだ」
「契り?」
「これで、貴様は私の眷属だ。吸血鬼ではないが、人でもない、永遠を生きられるようになった」
「え」

 そういえば古い宗教の書物で読んだことがある。「吸血鬼は、吸血によって眷属を増やすことができる」と。
もしかして首筋に噛みつくことが条件なのだろうか。今までは異変を感じなかったというのに、今は謎の倦怠感に襲われているのが何よりの証拠だろう。

「私も、君の血しか受け付けなくなる。嫌、か?」
「貴方が、ずっとそばにいてくれる?」
「ああ」
「なら、問題ないさ」

 命すら縛る誓いとなれば、重いとも感じるかもしれない。だが、それでもいいと思う。研究にはいくら時間があっても足りないし、独りで生涯を終えるよりも、よっぽど有意義である。彼が一緒にいてくれる。ならば、人を辞めたとしても後悔はない。
素直になってくれて、喉を鳴らして甘えてくれる美しい恋人が、愛おしい。

「大好きだ」
「うん。私も」

 忘れてはいない、小さな家族の姿も。恥ずかしくなったのか、蝙蝠の姿になると、チィチィと天井を飛び回る。だが「ピィ」と呼べば、すぐさま掌の上に座り込むのだ。一緒にいたい欲には逆らえない。
大きな耳を撫でて、喉を指でかいてやる。蕩けていく声音に微笑みを浮かべて、小さな鼻へと口付けると小さな舌が下唇をなぞって応えてくれた。
 白い毛皮の中に浮かぶ、青い目。まっすぐ伸びてきた犬歯を見つめながら鳴き続けるのだ。ピィ、ピィ。ピィ、ピィ。「ルカ、ルカ」と。

++++
無知シチュ大好き

21.3.8

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