いぬやしゃ | ナノ



古今若衆

※殺生丸ショタ化
※妄想の塊です
※父←殺風味です


 奈落を倒すという使命を帯びた旅の途中のある昼下がり。空は美しくも青白い光で地上を照らし、まるで太陽も応援してくれているようではあるが、まだ蔓延る闇の居場所はいぶり出せない。
急ぎの旅ではあるのだが、足取りがつかめない疲れとあまりに心地のよい陽気に、久しぶりに羽を伸ばすことになった。人間たちと人懐っこい小妖怪たちを人里に置いて、山の幸をあさりにきたというわけだ。
 暖かい春先は、目覚めた動物たちが多い。兎や狐、猪や山犬などの家族を横目に、山を歩いている時だった。山の中腹で、ふと道端に立ち竦む1匹の仔犬を見つけたのは。
隠れるわけでもなく、堂々と座り込んでいる白い犬は、仕える神でも待っているのだろうか。いや、近くを見回しても群れもなければ、人間の姿1つもない。美しく整えられた毛皮に包まれた幼犬は、ショボショボした目で顔を見あげてくるのだ。

「オイ」

 丸く綺麗な金の瞳は赤い光を称え、好奇心の光で輝いてる。今は妖怪と関わり合いたいとは思わないが、つい振り返って呼び掛けてしまった。しかし、返事もなければ、キョトンと首を傾げて尾を揺らすだけ。
思わず「可愛い」と思ってしまい、振り切るように首を振って煩悩に抵抗した。

「何の用だよ。連れはどうしたコラ」
『……』
「だんまりかよ……」

 仔犬には知り合いはいないが、これは化け犬である。昼間であるが額に浮かぶ月といい、この美しい毛並みは見間違えない。異母兄の殺生丸の化生の姿である。
小さくなっているのは、術か何かは知らないが、漂う品のある香りも異母兄で間違いはない。だから、放っておけなかった。 
 先程から、呼びかけては黙認を貫き通されている。返答はないくせに、何故か後ろから着いて、いや憑いてくる。元々気が長くない犬夜叉であるし、そもそも仲が大変よろしくない。遂には堪忍袋の尾が切れて、犬歯をむき出しにしてがなった。

「オラ殺生丸! テメェ何のつもりだ!?」
『父上』
「だ・か・ら、俺は親父じゃねぇよ!」

 この頓珍漢なやり取りは、出会ってから本日5回目である。
疑問は3つ。彼が1人で行動していることは常日頃のことであるが、明らかに面倒事に巻き込まれたと自覚した時にはもう遅い。
散歩に出たのが間違いだったかと悔いたところで、心中を知らぬ仔犬は足元で尾を振り続けるのだ。

「お前、どこぞの雑魚妖怪にでも遅れをとったのかぁ? へっ、だからヤバくて本性晒してフラフラしてんだろ」

 普段は口でも腕でもやられっぱなしだからこそ、ここぞとばかりに挑発してせせら笑う。
嬉しそうに尾を振る姿に気を惹かれてしまう自分自身を叱咤し、鼻を鳴らして声高々に見下ろしてやる。そんな安っぽい挑発に返ってきたのは舌戦ではなく、化け狐が変化をといた時と同じ空気が抜けた軽い音。煙が晴れた頃に、寝惚けた顔をした異母兄の姿が現れた。

「なっ!?」

 変化を解けば人の姿を現す程度ならば、驚くに値しない。小さく悲鳴をあげてしまったのは、彼が衣服を身につけていないのだ。
もしや、と彼が鎮座していた場所より後方を確認すれば、案の定上質な着物が無造作に落ちているではないか。
乱暴にひっつかむと、始終を視線だけで追っていた彼の胸元へと押し付けた。

「バ、バカ野郎! 服くらい着ろってんだ!」

 真っ赤な顔の必死の剣幕で顔を反らす犬夜叉を見つめ、少年は微動だにしない。観察をされている気になり、無垢な視線は落ち着かないし、相手はあの殺生丸なのだ。
いい加減我慢と羞恥心が限界を迎え、着物を奪い取ると頭から被せてやるが、すぐにずり落ちて腰巻きとなっているし、かろうじてひっかかっている毛皮だけを素肌にまとわれては、なんだか犯罪を犯している気分で居心地が悪い。
 衣服を身につけられないから、毛皮の化け犬の姿だったのか。それならばと火鼠の衣で包んでは抱き上げた。こうすれば姿を覆い隠すことができる。

「ったく。このまま行くが、文句言うなよ」

 素直に頷いてくれれば助かるのだが、彼は終始無言を貫き通す。
引っ掻かない、噛みつかない、もはや剣が持てない。挙げ句の果てには、瞼がどんどん落ちてきては、丸くなって胸へともたれかかって来るではないか。
寝る子は育つとは言うけれども、これは春の陽気にあてられて寝惚けているだけではないだろうか。寝起きは最悪らしい異母兄の弱点を掴んだ気になり、犬夜叉はほくそ笑んだ。ではなく。
 駆け出しながらも腕の中を見ると、風に揺れる衣と毛皮の間から白い肌が目に入る。彼の髪同様、新雪のような白。この純粋無垢を絵にした両腕に収まる子が、血なまぐさい大妖怪とは誰も思うまい。「父上、」と譫言を呟きながらも擦り寄られて、言い知れない感覚に襲われたが、とにかく今は皆の元にでも帰ろう。1人でいると、どうにかなってしまいそうだ。
 だが人里が近づくと、露骨に耳を跳ねさせて目を見開く。先ほどまでは安らかに眠っていたのに、一体何事なのだろうか。
元々人間が嫌いな殺生丸だ。みるみる機嫌は急転直下。露骨に顔を歪めると端正な顔から迫力がにじみ出る。ポソリと漏れた「人間の匂い……」という言葉に、犬夜叉は嫌な予感を感じた。

「貴様、何処へ向かっている」
「俺の連れんとこだよ。悪ぃか」
「悪い。人など好かぬ」

 怒り心頭で暴れ出さなかったことに安心したが、腕の中でもがくのはいただけない。ふわふわの毛が首や顔に当たるのが気持ちがいいのだが、当たるのだ、毒の爪が。
まるで散歩を嫌がる家犬のようではあるが、そんな可愛いものでもない。これ以上は辛抱できないと手を離せば、猫のように優雅な身のこなしで変化をしながら地面へと降り立った。

「これ以上の不埒な真似は許さぬぞ、誘拐犯」

 今、彼はなんと言っただろうか。思いもよらぬ言葉に、思考が停止してしまう。

「お前、今なんて」
「貴様は何者だ」

 言い聞かせるように再び聞こえたのは、何よりも残酷で不可思議な言葉だった。
覚えていないとは、どういうことなのだろう。もしかして、かごめのように時代を超えて過去からやってきた? それとも、記憶喪失? 可能性と不安がいくつか浮かんでは消えるが、答えはでてこない。ただ、焦燥と衝撃が胸の奥から膨れ上がってきて、真っ直ぐ彼の美しい姿を見つめることができなかった。
 対して殺生丸は、犬族の縄張りへと向かっていると思っていたのに、人里へと向かうものだから不信感に苛まれていた。毛を逆立てで犬歯を剥くが、それでも敵だとは思えずに致命傷を与えることはできない。匂いも人間が混ざっているからか、とても素直で弱々しい。嘘を言っているようには見えなかった。
だが、気を許そうとしても「父上ではない」という言葉が邪魔をする。頭を振ると、目の前で戦慄する半妖の気が変わった。怒っている。

「テメェ、ふざけてんのか?」
「何のことだ。半妖など知らぬ」
「痛ェ!」

 売られた喧嘩は買うのが主義だ。顔面に爪を立てると、微量の毒が赤い線を作り出す。
毒と痛みに呻いて、すぐに手を離して顔を押さえる姿を横目に、鼻を鳴らしてはそっぽを向く。謝る気は無さそうである。

「私に指図をするなよ、半妖」

 死闘と共闘を繰り返し、埋まったと思っていた溝が再び空いた音を立てた。何気なく放った辛辣な言葉が、犬夜叉の心に棘となって突き刺さる。やっと異母兄と並んで認められたと自負していたのに、突き放される感覚。感情のまま強く握った拳に力が入り、噛み締めた唇からは赤い血潮がゆっくりと流れだす。
 何故、そこまで傷ついた表情をするのか、記憶を失った童子にはわからなかった。見知らぬ、しかも半妖などどうでもいいはずなのに、無性に気にしてしまう。ゆっくりとそばに寄れば、怒りのまま蹴飛ばされるかと危惧もしていたのに、棒立ちをしたままだ。
スンスン。
裾を嗅いでみれば、やはり心休まる懐かしい香り。記憶を遡って見ても、思い出せないのがもどかしく、それでいて安堵できた。思い出さないほうがいい記憶だろうか。それでも好奇心旺盛の子供心は止まることを知らなかった。

「しかし、何故半妖から父上の匂いがする」
「……知らねぇよ」

 暗く低い音色で言い、背を向ける犬夜叉の背に、金色の視線が突き刺さる。
何も言わないし、これ以上一緒にいたいとも思わない。冷めきった心が、「もうどうにでもなれ」と置き去りにして、村へと走り出したのに、背後から気配がついてくる。全力で走っているために追いつけはしないのに、ゆっくりと嗅覚を頼りに痕跡を追ってくるのだ。
 無性に腹が立った。自ら突き放しておいて、それでも父の面影を追いかけて執着するのか。勢い良く元来た道を駆け戻り、四足で歩く諸悪の根源を睨み下ろすと、負けじと睨み返された。小さいから、ただ微笑ましいだけだと言うのに。

「何の用だよ、半妖によ」

 ドスの聞いた声音で脅したところで何も言わず、ずれおちた振袖のような高価な衣服を背負い直すだけ。仕方がないので、落ちないようにと帯を結んでやると「よきにはからえ」と若様からのありがたいお言葉が聞けた。

「まさか、一人じゃ怖いのか?」

 挑発をされても返す言葉もない。鼻で笑ったところで、何も返事はなく視線で抵抗を示すだけだ。
俯いた幼子の姿に、犬夜叉の尖った三角の耳まで項垂れてしまった。
偉そうではあるが、今は犬夜叉と離れてしまうと、他の妖怪に遅れをとってしまう。ここ一帯には強い妖気はないが、武器を持たぬ状態では複数体の相手はできないだろう。

「図星かよ……」

 記憶も体も幼少の頃に退行している所に、父親の匂いを纏った犬族の男が現れたのだ。自然と足はそちらへと向いてしまう。
苦虫を噛み潰したように、頭をかいては再び素足で土を固め、障害物を蹴飛ばして進む。その跡を、付かず離れず隻腕の子供がゆっくりとついていく。まるで、仲の良い犬の兄弟の行進。時折振り返って殺生丸の姿を確認しては、木々をかき分け、記憶の中を進んで行く。
 しかし、片腕では徐々に距離が空くのが必然。遅れを取り戻すために人の姿を型どったところで、厚手の着物が垂れ下がり進行を妨害する。それでもなお、歩みを止めようとしないのは、最早意地だ。遅れてなるものか、離れてなるものかという、迷子の子供の不安な心象故だ。
 犬夜叉は徐々にイラついていた。弱々しい兄の姿にも、気に留めてしまう自分にも。

「ああもう! 焦れったい!」

 踵を返すと小さな手を掴み、乱暴に引いては早足を強要する。握る手から焦燥と温もりを感じて、子供は毒爪を立てることもできなかった。
いつも喧嘩にはなってしまうが、異母兄に無意識に優しくなってしまう弟である。記憶を失っていると分かれば、尚一層心配してしまうのは、唯一の血縁だからだろうか。
 そういえばこの近くに確か廃墟となったお堂がある。人工物ではあるが、もう古いために人嫌いの犬の妖怪も納得してくれるだろう。人間の匂いが染み付いた古木を嗅ぎ別け、ペタペタと大人しくついてくる兄を見下ろす。

「別に、お前のためじゃねえぞ」

 照れ隠しの赤い顔で言われても、誰が信じるだろうか。空気の読める子は沈黙を貫き、落ち着きなく動き回る耳を興味津々で見つめていた。



 お堂に先客はおらず、一刻もしないうちにたどり着けた。その間ににわか雨が降って来たために、小さな兄上は弟君の腕の中だ。
抱かれるや否や、うたた寝を始めたのはいいご身分。安心しきった笑顔を見ると怒る気にもならない。が、火鼠の衣で全身を覆われた彼とは違って、運び手は足先までずぶ濡れなのは納得いかない。不平不満を顔面に出そうとも、夢の中をたゆたう彼には寸とも伝わらない。
傍らの床へと優しく下ろすと、ギイと腐りかけた床板が茶化すように鳴いた。ゆっくりと双眸が開くと、首だけをあげては目の前の雨水の匂いに気がついた。

「落ち着くまでここにいろ。俺は雨が上がったら発つからな」

 ドカッと鉄砕牙を抱えて壁にもたれると、あいも変わらず少年の姿で毛皮を引きずりながら、対角線上に移動してしまった。雨漏りもしていない、安全な場所を見つけると、柔らかな地毛と赤い衣をまとって丸くなる。
わざわざ避ける態度が気にくわない。目くじらを立てて距離を詰めようとすれば、意思の強い声が静止をかけた。

「くるな。濡れる」
「てっめ、戻ったら一発ぶん殴る」
「ぬかせ」

 相変わらずの生意気な言動は全くもって面白くない。懐から、ペットボトルを取り出すと、キャップに八つ当たりをして温くなった水を口の中へと流し込む。
そんな様、を興味津々で丸い毛皮が見つめていた。ふわふわの山からひょっこりと顔を出しては、目を丸くして見つめてくるのだ。初めて見る現世の道具に、すっかりと目が奪われている。

「その怪しげな物は何だ」

 ペットボトルを指差し、鼻が微かにピクピク動く。初めて嗅ぐ異臭がかすかにするが、害はないことに安堵して、ゆっくりと距離を詰めてくる。

「水の入れ物だ。害はねぇよ」

 ポンと投げると、小柄な体躯には不釣り合いな毛皮が守るように受け止めて、彼の元へと器を差し出す。
初めて見る現代のオーパーツである。水がすぐそばに見えるのだが、目に見えない無害な結界に邪魔をされていて触れることもできないし、溢れることもない。上下左右にひっくり返せば、水が音を立てて形を変える。次に、先端についている実体を持つ不思議な塊、キャップを力任せにひっぱり、本体からベコンと不審な音が響く。
 器が壊されるかもしれないと察知した犬夜叉が、慌てて仲介に入ったが体を捻り遠ざける。意地悪をしているわけではない、彼が濡れることを危惧しているのだが。

「待てコラ。それ、回すモンだよ。開けてやるから貸せ」

 手招きしても綺麗に無視。どうやら自分でやりたい盛りのようで、右手で器を支えると牙を軽く突き立て、器用に回して開けてしまった。
見よう見まねで即座に仕組みを理解できたのは流石というか。麒麟児だったと邪見が胸を張るところを見たことがあるが、本当だったようだ。歯形がくっきりついたキャップを2、3度咀嚼し、食物ではないと理解をして。ゆっくりと置き、星座をして飲み始めた姿を、犬夜叉はさも面白くなさそうに眺めていた。「俺は始め苦労したのに」と。
 胡座を嗅いて行儀悪く立膝を立てる弟に、「行儀が悪い」と注意する代わりに、再びキャップを器用に歯で閉めて投げ返して来た。随分と変形してしまった被害者にため息をつきながら、「かごめにどやされねぇかな」と1人ごちる。
犯人は、再び迫力のない化け犬の姿へと変貌し、毛皮に顔を埋めていた。火鼠の衣に寝転がったところを見ると、昼寝だろう。

「風邪引くぞ。オイ。殺生丸」

 返事はない。煩わしそうに目を細めると、頑なに目を瞑るだけ。どれだけ話しかけるなというオーラを出したところで、弟犬はキャンキャンと癇癪を起こした。

「あー! 何で俺がこんなことしなきゃなんねーんだよ!」
『煩い』
「俺も寝るぞ!」

 ムキになって目を閉じたのはいいが、すぐに寝付けるわけもない。すっかり大量の衣服と一体化してしまった彼を見つめながら、昔、親父の話を聞いていた時に、冥加が何気なく発した言葉を思い出す。

『殺生丸様は、親方様や奥方様には大層懐いて付いて回っていらした。そんな淋しがり屋な一面は、ご立派になられた今では想像もつきませんな』

 何故、今このようなことを思い出したのか。
そんな可愛げがこの仔犬のどこにあるのかはわからない。遠のいていく雨脚の音と穏やかな吐息がが耳に心地よく、だんだんと微睡みの中に飲まれていった。



 殺生丸が目を覚ました時には、もう雨が上がっており白い月が窓から控えめに降り注いでいた。
視界はまだあてにならず、まずは情報として入ってきたのは匂い。人間と妖怪の混ざった、異様だが懐かしいと思ってしまう不思議な犬の半妖だ。
 徐々に慣れて来た目を擦れば、雨宿のために古いお堂へとやって来たことを思い出す。
火鼠の衣を羽織ってゆっくり立ち上がり、毛皮で体を支えながらも夜風を迎え入れれば、そこには月光に照らされ揺れる銀髪が見えた。
ああ、父に面影に似ている。別人であることはわかっているからこそ、惹かれてしまう。お前は何者だ? 何故、そんなにも尽くしてくれる?
名を呼ぼうにも、記憶にない。声にならない音は喉から出ることなく消えていく。なんだか、置いていかれる気がして、遠い存在な気がして手を伸ばせば、想いが通じたのか凛々しい表情がこちらを振り返った。

「起きたのか」
「雨が上がれば発つのではなかったのか」
「ケッ。こんな遅いのに出れるかよ。こちとら人間と女連れてんだ」

 木の上から真っ直ぐに月を見つめる逞しい雄犬の姿に、つい目を奪われてしまった。
武勇を兼ね備えていることがわかる傷だらけの腕に、先ほどまで抱かれていた記憶が蘇る。若い男ではあるが、随分と大きく感じた。居心地が良くて、安心できて。家族以外に気を許した相手は初めてだったと驚愕が隠せず、誤魔化すように空の月へと目を写した。
 犬夜叉も月見という柄でもない。ただ、今宵の下弦の月は、彼の額にあるものと同じで、悔しくなったのだ。天にあり、手が届かない存在というところが、どうしようもなく焦燥に駆られる。

「雨は上がった。何故仲間の元に帰らぬ」
「そりゃあ、」

 すぐに、答えることはできなかった。だが、心の中では答えなんてとうの昔に出ている。チラリ、と絡み合う視線は違う熱が込められていて、なんだか気恥ずかしくなりすぐに反らす。赤い顔を隠すには、逃げるしかないのだ。

「何だ」
「そんなことより! 火鼠の衣返せよ」
「何故だ」

 大切そうに抱きしめて体を捩る姿が、子供が拗ねている体を表して可愛らしい。だが、それは親の形見である衣、その事実が面白くないのだ。
異母弟には興味を示さないくせに、父親にはいつまでもご執着な様が、悔しくて切なくて。つい、渦巻いていた感情を塞きとめる余裕がなくなり、口を開いてしまった。

「だーっ! お前が心配だから帰れなかったんだろ! ホラ、親父も御袋もいないから」

 紅潮した頬は、怒りではなく照れからだ。一世一代の素直な告白も、殺生丸からしては気にとめる必要もないこと。きょとんと目を丸くして首を傾げると、いつもと変わらぬ涼しい顔と心中で淡々と告げるのだ。

「余計なお世話だ。私はそこまで子供ではない」

 意を決した言葉を軽く流されて、我慢できるほど気は長くない。枝を踏みつけて地に降り立つと、ズカズカと目と鼻の先にまで近づき、顔を近づけてガンを飛ばす。
端正な顔は、怯まずに真っ直ぐ相手を睨み返してきた。何を傷ついているのかはわからないが、逃げるのは癪だった。それに、黄色く力強い眼光を見ていると、なんだか心が休まり懐かしさに駆られるから。

「せっかく心配してやったのによ!」
「頼んではいない」
「あーそうかよ! 悪かったな兄上様!」

 あまりのつっけんどんな言い草にとうとう臍を曲げ、踵を返してしまった。
嫌味ったらしく吐き捨て、子供のように拗ねてしまう大きな異母弟に、小さな兄も呆れ顔。「兄弟なのか」と、天然な思想はあえて口にはしなかった。

「じゃあな!」

 もうどっちが子供なのか、わかったものじゃない。そのまま大股で走りだした大きな背を、ただただ見上げては消えるまで眺めていた。

「何なのだ。あの男は……」

 初対面で、関係ないはずなのに、どうにも喉につっかえるものがある。
父の面影が見えたから? いや、走馬灯のように、何か脳裏に浮かぶ記憶が、黒い靄に包まれながらも浮かんでは消える。
「殺生丸」
耳障りのよい無邪気な声が、名前を呼ぶ。白い犬の耳を嬉しそうに動かしながらも体をすり寄せて、嬉しそうに微笑むのだ。「兄」と呼び慕う少年の姿は、先ほどの半妖へと変わっていく。
一体彼は誰なのか、正体はわからないまま。呟いた子供の無表情な顔に、変化が見えた。
 ここにいても仕方ない。ゆっくりと帯を締めて、火鼠の衣をかぶると、近くの草むらが不自然に揺れた。

 一方、犬夜叉はまだ煮え切らない腹をたてて、木々の間をゆっくりと歩いていた。

「何だよ! 心配してやってんのに、可愛くても殺生丸は殺生丸かよ!」

 自然と口を出た「可愛い」は無視しよう。石に八つ当たりをしながらも、犬夜叉は村へ駆け降りていた。
だがすぐに立ち止まり考える。
 出会った当初もヒョコヒョコとおぼつかない足取りで必死について来た上、淋しがり屋な童児。それに、それに、美しく高い妖力を持つなど、狙ってくれと言っているのと同義である。
慌てて駆け出そうとした同時に、不穏を嗅ぎとり耳がピクッと立った。

「別の妖怪の匂い!?」

 こんなに近くなるまで気がつかなかったとは、不覚の極みである。匂いの元は、歩いて来た道からだ。兄と知らぬ妖怪の匂いが複数混ざっているのだ。交戦をしているとみて間違いない。
 やはり、1人にするものではなかった。考える前に体が動き、自然と足が速くなる。土を跳ね飛ばしながら駆け、邪魔をする草木は全て裂き、切りとばす。目と鼻の先となったどす黒い妖気と、視界に入って来たのは数匹の雄の妖怪に囲まれ、押さえつけられている銀色の子供だった。

「コイツここいらでは珍しいな」
「子供ながらに、強大な妖力。この月の紋、犬の一族か?」
「ならば、喰らえば妖力も得られよう」
「美しいと、愉しみがいもある」

 下卑た笑いを浮かべ、捕らえた獲物に舌なめずりする妖怪たちの声に、憤慨と殺意が膨れ上がる。乱れた衣服を見て、頭に血が昇り足と腕に力が自然に入った。

「テメェら、汚い手で俺の殺生丸に触んじゃねぇ!」

 逆上しての一瞬の出来事で、詳しく覚えていない。我に返った時には、抉られた地面と、災害にでもあったかのように、なぎ倒された木々があった。どうやら、鉄砕牙と風の傷で全てをなぎ払ったらしい。妖怪たちの姿も、仔犬の姿もない。周囲へとせわしなく首を動かし、血の気が引くのがわかる。
もしや、万が一。最悪の事態が脳をよぎり、鼻を動かす余裕もなく声を荒らげた。

「オイ、殺生丸! 大丈夫か!?」
「、さい」

 聞こえて来たのは、背後にある木の影だった。乱戦になった時、咄嗟に隠れたのだ。乱れた衣を引きずりながらも近づいてくる影に、憤りを覚えながらも抱きついた。
捕まった際に軽い叩きつけられたのか、頭を押さえては唸っているし、足もおぼつかない。

「オイしっかりしやがれ!」
「うる……さい……」
「なんでお堂から出た! せめて刀持って」
「転んだ、だけだ」
「転っ!? じゃあなんで抵抗しなかった!」
「服がひっかからなければ、あのような俗物は問題ではない」

 なんとも可愛らしい理由で襲われていたようではあるが、危なかったことには代わりはない。無事に喜び、息をつくと不思議そうな表情が詰問してくる。

「して、何故、戻ってきた」
「あいつら、人の者に手を……じゃなくて! ほら、怪我見せろ」

 勢いに任せて、厚手の衣を左右に開こうとすれば思い切り手の甲を叩かれた。

「外ではやめろ。先のお堂へ戻れ」
「さっきまで半裸でふらついてたろ」
「不埒な真似をされるのとは違う」
「身分の高いい奴は発想が違うねぇ……へいへい」

 子供に素直に従うのは癪だが、確かにまた襲われてもかなわない。視界がいいところより、悪いところに隠れるに限る。こちらは犬の妖怪が2匹、匂いがわかる分襲撃者よりも有利となる。
 珍しく、腕を広げて抱き上げることを強要するものだから、何の疑問の覚えずに抱き上げる。怪我をしていたら、服すらも擦れて痛みを伴うかもしれない。片腕と胸で幼子の尻と体を固定し、片腕で高価な衣服を小脇に抱える。身につけているのは赤い父親の形見のみ。首に巻きついてきた手も、安堵して肩を枕とする姿も今は気にならない。他の妖怪の血の匂いと土の匂いに邪魔されて、怪我の様子がわからないのだ。一刻も早く治療しなくては。引き止めるかのように足を引っ張ってくる泥に苦戦を強いられながらも、何も変わらないお堂へと滑り込んだ。
 まずは、入り口の扉を閉めて、月光すら届かない場所へと稚児をおろして、服を近くに丸めて下ろす。「皺になる」と悪態をつきながらも、襲ってくることはなかった。

「全部脱げ」

 疚しい下心はない。純粋な善意である。それがわかっているからこそ、文句一つ言わずに、化犬の姿となり背を向けた。火鼠の衣だけは、咥えて離さぬまま。
白い毛皮は汚れているが、こびりついた血は先ほどの無礼な妖怪たちの返り血である。怪我も目につかないし、どうやら間に合ったようである。深く息をついては、改めて手足を触る。
抱き上げた時に痛みを訴えなったから、多分内臓も問題ないだろうが、改めて触診をすれば体が地面へと伏せられていく。頭を、腕を、何度も撫でて揉んでいると、だんだん腹を向けて仰向けになり始める。
 そして、唐突に術を解いた思えば、肌けた白い肢体が眼前に晒される。
目を細め、うっとりと蕩ける蜂蜜色の目に、赤い舌が覗く。広がる銀の髪が美しく月光に照らされて、まるで天の川のようにくすんだ床を彩る。
乱れた衣服が、まるで不埒なことをしている気になってしまう。だが、2人とも男で異母兄弟なのだ。普通ならば、何も起きるわけはないのだ。

「な、にしてんだ!」
「問題があるのか」
「犬の姿になれ馬鹿野郎!」
「特別に愛撫を許すと言っているのだ」
「肩でも揉んでるわけじゃねえよ! 骨とか折れてないか見てんだ!」
「ならばこちらの姿でも問題ない。続けろ」

 従順な家犬のように腹を見せるくせに、どうしても言うことを聞かない。それに、これ以上ムキになったとこらで疲れるだけだ。
小さな体を押し倒して覆いかぶさっているこの体制。腕を掴み、今は脂肪となった上腕二頭筋を撫でるだけで、短く甘い声をあげては身じろぎをする。
 先で見せつけられた光景を、今度は自らが行なっているというのは変な感覚だ。決定的に違うのは、容認されているということ。手は頭の方に向いて固定されているし、上に覆いかぶさろうとも逃げる気配も抵抗もしない。少しでも動きを止めると、うっすらと金色の瞳が開いてはこちらの様子を伺ってくる。まるで急かすように、催促するような流し目に抗えるわけがなかった。
ゆっくりと肋の形を確かめるように指を這わせて、少し力を咥えて様子を観察する。

「痛い。撫でろ」
「折れてはねぇよな」
「当たり前だ。撫でろ」

 珍しいおねだりのまま腹へと手を伸ばすと、鼻につく甘い声にサラサラと揺れる銀の川。気持ちがいいらしく、喉が鳴っているのが聞こえてきた。
 構ってくれるのならば誰でもいいのだろうか、命を狙われるとは思いもしていないのだろうか。ゆっくりと急所となる胸へ、股間へと手を伸ばせば流石に上体を起こして無言の威圧。しかし、正当防衛を仕掛けてくるわけでもなく、頬を桜色に染めるだけ。すぐさま床板の上へと身を委ねながら、そっぽを向いてしまった。
彼が執着する「父親の形見」。もう亡き人でありながらも、兄を独占し続ける背中は、いつまでも大きく広く、遠い。「尊敬できる存在だ」と主張する理性と、「唯一の家族を盗られた」と喚く煩悩とがせめぎ合い、手に力がこもる。
 これではまるで、兄に執着しているようではないか。嫌いでたまらない血縁のことを、一方的に意識しているのだと思うだけで腹がたつ。彼が掴んで離さないお気に入りの衣を乱暴に手繰り寄せようとすれば、不機嫌に寄せられた眉がムキになり同等の力で阻止をしようとする。破れそうになっても構いはしない。
 正反対に戸惑ったのは殺生丸の方である。力を緩めたいが、奪われるのは癪に触る。その迷いが力の緩みを生み出し、徐々に掴んでいる面積が狭くなっていく。

「何故、そこまでして衣を返せとせがむ」

 無意識ではあったが、悲しみを帯びた音色になっていた。子供としての武器を最大限に利用したが、むしろ逆効果だったようだ。目くじらを立てられて一層強い力で手繰り寄せられてしまった。
手から離れてしまった肌触りのいい感触に、虚しさが湧き上がる。何か、この男の勘に触ることをしてしまったのだろうか。いや、もしそうだとしても謝る義理もなければ、反省もしないのではあるが、その衣だけは返してほしい。手を伸ばせば、眉間のシワが一層深くなり背中へと放り投げられる。未練たらしく視線で追ってしまうと、煮えたぎる感情の抑えきれない声が響いた。

「お前が親父のこと、まだ想ってやがるから」
「嫉妬、というやつか」

 悔しいが図星。
だが、口で肯定することは羞恥心に憚られ、せめてもの抵抗で目を反らすが、小さな子供にもお見通しである。
いちいち気にした様子もなく、引き寄せた火鼠の衣に顔を擦り付けるとうっとりとした声と吐息。蕩けた表情が、子供に似合わず色気を醸し出しており、思わず視界の端で追ってしまう。

「この衣からは父上の匂いがする。だが、今はお前の匂いが強い」

 心地良さそうに目を細め、衣を抱きしめると犬夜叉へともたれ掛かる。
半妖は嫌いだと言っていたくせに。甘えた仔犬が必死に鼻を擦り付けて来るのだ。

「お前の匂いは、安心できて心地良い」

 深く息を吸い込み目尻を桃色に染める姿に、犬夜叉の視線が釘付けになってしまった。初めて見た、邪気のない無邪気な微笑みに、ドクンと心の臓が高鳴るのがわかる。早まる鼓動を沈めることもできず、自覚してしまった。
 出会う度に、異母兄に対して抱いていた感情。怒りでも、嫉妬でもない。必死に否定をしようとしていたこの感情の正体、見破ったり。

「俺、お前のこと好きかもしんねぇ」
「私は名すら知らぬというのに」
「早く、思い出してくれよ……なぁ」

 我に帰れば目の前は一面の白。先に去った雪景色のように儚く美しい。
耳につくのはくぐもった声。自分より小さく柔らかい物と、硬い牙と牙がぶつかり合う。男であり、異母である兄と接吻を交わしているのだ。もしかしたら、このまま毒を流し込まれるかもしれない。我に返った瞬間に、刀の錆にされるかもしれない。様々な最悪の運命がよぎるが、でも離れたくなくて。
頬を撫で、耳の形を確かめながらも甘美な時に身を委ねた。さすがに簡単に受け入れてくれるとは思わない。いつ暴れ出してもおかしくはないが、勢いづいた駄犬の暴走は止まらない。小さな体を潰さないように抱きしめながら、深く、深くと求める。
 このままではいけない。本当に食われてしまう。危機感を覚えて、薄くなった呼吸も相まり息苦しくなってしまう。最後の抵抗として頬に弱々しい平手を入れると、おとなしく離れてくれたことに安堵する。
 だが、まだ情欲が収まったわけではない。次は、むき出しの額の月に軽く舌を這わしては吸い付いてくるのだ。ピクンと肩が跳ね、硬く目を閉じ、ただ体を小さく震わせるしかなかった。
敵意も感じないし、むしろ甘受して更なる刺激を求めているようだ。素直に小さな鳴き声を上げて、甘えてくる子犬をまっすぐに見つめ、居ても立っても居られなくなった。

「好きだ。殺生丸」

 まっすぐ伝えた言葉は、彼の言葉に紆余曲折の介入する余地もなく響く。

「俺には男だ、異母兄だ、身分だなんて関係ねえ」
「なんの妄言だ」
「覚悟しろよ。お前のこと、絶対オとしてやるからな」

 この無礼な半妖は、性別も種族も関係も関係ないと言わんばかりにわがままで、純粋で。
唖然としてしまったこともあるが、ただ抵抗ができずただこの不埒な行為を傍観者のように眺めていた。

「私は、」

 自分はどうなのだろう。このまっすぐで意思の強い金の瞳も、人となっても損なわれない矜持をもつ精神も、1人の男として嫌いではない。だが相手は年が離れており、ましてや男。小児趣味かと罵りはすれども、嬉々として受け入れる道理はない。

「同性愛の趣向はない」
「まぁ、そうだろうな」
「しかし、このような世の中だ、理解がないわけではない」
「俺も女の方がいいに決まってら。それでも、お前ならいけるなって」

 戦が多く、女と接する機会が少ない戦国の世では、男同士で情欲を鎮めるなどよくある話。その類と一緒にされるのは遺憾ではあるが、ネコとして扱われる側とすれば男から純粋に恋愛対象として見られている、という事実の方が衝撃的で納得のいかないものだろう。

「私を女扱いする気か」
「見た目も好きだけど、お前の気難しい性格も好きだぞ」

 取り繕ったところで、端正な眉は寄せられ、眉間に深い溝ができるのみ。到底納得してもらえるものではなく、気難しいと称された少年は非常に怒り心頭である。

「子供には何もしねぇよ」
「子供扱いするな」
「そこまでいうなら、早く戻ってみろってんだ」

 挑発的な言い方ではあるが、憂いを隠せない声音が全てを物語っている。優しく頭髪を撫でると、踵を返して外に輝く月へと歩き去っていく。

「どこへゆく」
「水浴び」

 頭を冷やさなければならない。
必要ないとはわかっていれども、かごめに渡された携帯食料や飲料水を全てを目の前にドンと置く。物珍しそうに見つめる丸い目に絆されたが、慌てて頭を振って再び背を向けて歩き出した。

「私も連れて行け」
「それじゃ、意味ねーだろ!」

 後ろ髪を引かれる思いではあるが、この寂しがりやを振り切らねばならない。よたよたと立ち上がろうとする姿を尻目に、必死に振り切ろうとするが無駄である。

「貴様は父上のように気が利かぬ」
「悪かったな、親父じゃなくてよ」
「期待なんていていない」

 そう、2人は別人なのだ。同等に見るのはお互いに失礼極まるものである。どうあっても、彼と父を重ねていたのは、いつからか失われた愛情に対する飢えだ、甘えだ。
記憶が、交錯する。
大人になれば、甘えてなんていられない。ましてや亡き人に愛を求めることなんてできないし、母にも苦労をかけずに強く生きねばならない。そんな時に、甘やかしてくれる存在が現れて、絆されていた。

「迷っているのは、貴様だけではない」
「え」
「こっちを見るなよ」

 答えを聞く間はなかった。ゆっくりと近づいてきては腰に抱きつかれた。逃さないようにというよりは「行かないでくれ」という願いに似ている。
 自覚してしまうと、言葉にするのは憚られる。近くに感じることのできる温もりに、目を閉じては擦り寄る。

「ああ、私はお前に愛情を求めていたのか」

 霞みがかっていた記憶が晴れると同時に、大きく感じていた腕が小さくなっていく。時が立つ、というのはあまりにも残酷で、時に嬉しくもある。この手を同等の目線で握ることができるのだ。もう、後ろを付いて回り執着するだけの存在ではない。父の背は抜くことはできなかったが、弟ならばいつまでも並んで歩くことができるだろう。暖かく、輪郭をなぞるように包み込んでくる小さな手に答えるよう、すり寄ればゆっくりと目を開いた。
驚いた、彼の顔が同じ高さに見える。

「も、戻った……」
「いぬ、やしゃ?」

 記憶が状況を理解するまで時間を要するのか、虚ろな目がまっすぐ相手を認識するためにしばしばと瞬いている。目をこすり、細め、混乱する記憶を整理し、顔を近づけては匂いを必死に嗅ぐ姿も何だか面妖である。

「ええっと、さっきの話、覚えてるか?」

 何のことか具体的には言わない。言ってしまえば、否定された時に衝撃を隠せない自信がある。だが、返事はなく惚けた表情で首を傾げるだけ。まるで自分がどこにいるかもわからない、迷子の子供である。
ここにいると示すように肌を撫で、焦点の合わない目を撫でてやれば、形を確かめるように擦り寄っては小さな声で鳴いた。
まだ幼い頃の記憶が混合しているのだろう。いつもならばありえない、喉を鳴らして甘えてくる様に不安が湧き上がる。

「大丈夫か? 体、どこかおかしくねぇか?」

 火鼠の衣を肩へとかけてやり、彼の上質な着物も手繰り寄せては着替えることを強要する。反応は返ってこない上に、ぼんやりと布地を見つめるだけ。自分がどのような姿で放心しているか、理解していないのかもしれない。しばらく声をかけながらも、不用意に刺激を与えぬよう心臓を高鳴らせならが様子を伺っていれば、金色の瞳に力が宿るのが見て取れた。

「犬夜叉」

 はっきりとした、いつも通りの意思の強い声に安堵した。安堵した穏やかな笑みを浮かべてやれば、ゆっくりと細く白い指が傷だらけの胸筋へと添えられる。一体何事だろうか声を発する間も無く、間髪を入れずに唇が重ねられた。
何も言わずに響く水音だけが、敏感な聴覚をも犯すようだ。幼子にする優しいものとは違う、舌を絡めあい心すら求め合う。まさか自ら身を寄せてくるとは思いもしなかった、これは先ほどは得られなかった返事ということでいいのだろうか。愉悦を感じて仕方ない。
鼻息荒く、喜びを露わにしていたら上目遣いで睨らまれた。口を拭いながらも「顔が赤いぜ?」とからかいだけで強かに俯いてしまう。つられて視線を追えば、白磁の肌が惜しみなく月光の元に晒されるという美景が広がっている。さすがに好いた相手の肌を直視できるほど、色恋沙汰に慣れてはいない。慌てて捨て置かれた彼の煌びやかな着物を掴むと、無理やり胸へと押し付けた。

「好きに弄んでくれたわりには初なことだ」
「し、仕方ねーだろ! お前、本当に、綺麗なんだから……」
「ふん」

 子供の時は「綺麗で可愛い」だったが、青年の姿に戻った今や「幻想的な色気」が溢れでている。容姿端麗で文武両道な自慢の兄様。冷酷な妖怪の顔も、昔のような優しい一面も、武人であり人間の優しさに触れた彼の魅力となっている。

「私は男だ。喜ぶはずあるまい」
「たまに間違えられたりしねぇのか?」
「やめろ。気色が悪い」

 もちろんある。顔つきが母親に似てしまったせいか、美しくも女顔だとも自覚している。何度か雄の妖怪に下卑た誘いを受けたこともあるが、力で捩じ伏せてきたのは記憶に新しい。
その口を遮るよう、火鼠の衣を力任せに押し付け、鼻を擦り付けてくる邪魔な犬も払い退ける。しかし、一度退いたところでまた顔を近づけるまでだ。

「好きだから」

 頭に直接語りかけるような、男の色気が含まれた低音。敏感な耳に息がかかり、身体が硬直して動くことができなくなった。
抵抗しないことをいいことに、遠慮を知らない弟は容赦なく唇を奪う。何度も、何度も、角度を変えては深く、全てを奪うかのように必死に吸い付いてくる。
 何をされたのか理解するまで時間を要してしまった。霞みがかった頭に力の入らない体。先ほどまでの体の変化のせいか、筋肉がろくに動けもしない。更には、酸素まで奪われては思考までも奪われてしまう。
このまま甘受してしまおうと目を閉じ、慌てて気を引き締める。了承もせぬままに受け入れるのは癪だ。女のように扱われるなど、今までの容姿にしか重点を置かない妖怪どもと同じではないか。思い出すだけで腹ただしい、と爪を振るが、弱々しく殺意のこもっていない攻撃など、頭を下げることで難なく避けられてしまった。
決して、甘く糸を引く接吻を名残惜しいなど思ってはいない。

「3度目は許した覚えはないぞ」
「謝らねぇからな。お前も抵抗しなかっただろ」

 目尻を撫で、髪をかきあげ、鎖骨に指を這わされ、好き勝手に弄んでくれるものだ。だが、動けなかった、振り払えなかった。嫌悪感が湧き上がらないことに、冷静さがかき乱される。

「怪我はねえなら、抵抗しろってんだ」

 そんなことは言われなくてもわかっているのだ。だが過敏な鼻を擽る匂いが、動きを麻痺させる。幼い頃から馴染んでいた父親の匂いに混ざる、稚拙ではあるが強い同族の雄の匂い。
雌ではあるまいし、惹かれてしまう自身が恨めしい。ゆっくりと伸ばした腕からは爪が出ず、代わりに大きくなった広く傷だらけの背中に細い腕を回していた。

「好きに、しろ」

 どうしても、抵抗をする気にはなれなかった。それどころか、頭に甘く響き渡る声と性の香りに、理性が霞んでしまう。ああ、触れている部位が火のように熱い。


**

 何故抵抗しなかったのだろう。甘い痛みと痺れが走る腰に鞭を打ちながら、ふらつきながらも野原へと出ることには成功した。心地よい春の日差しすら、今はまるで猛暑日のような感覚に陥る。額にかかる髪をかきあげ、背を隠す長髪をも縛ろうかと思い、動きを止めた。
首筋に突き立てられた牙の感覚を思い出し、身震いをする。鮮明に思い出す痛みと愛撫に体が震えたところで、洞窟の入り口に立つ2つの影を捉えた。

「あ、殺生丸さま!」
「殺生丸様! 何処に行かれていたのです、探しましたぞ!?」

 何も考えずに「ここで待て」と言い捨てた洞窟の中で、2人と1匹は律儀に主人の帰りを、今か今かと首を長くして待ち望んでいたらしい。少女のりんは、満面の笑みで駆け寄っては袴へと抱きついた。老妖怪の邪見は汗を吹き出しながらも顔面蒼白で小走りに駆け寄ってきた。
 無事ならばそれでいい。いつも通りに静観していると、りんがこちらを見上げてきてはきょとんと首を傾げた。

「殺生丸さま、泣いてたの?」
「何故だ」
「目、赤いよ?」

 先ほど、躾のなっていない凛々しい野犬の下で、散々鳴きもしたし、泣きもした。その名残が目の下に涙の跡となって残ってしまっていたようだ。感情のままに付けられた爪痕は全て癒したのだが、赤い皮膚までは盲点だった。

「な、何でもない」
『その目元の紅、スゲー色っぽいよな……』

 脳を直接揺さぶるような声で囁かれ、目元に舌を這わされる。愛情のこもった情事に鮮明に思い出してしまい、つい顔までも赤くなってしまった。
毒なり流し込んでやればよかったものを、何も出来なかった。
 好き、なのだろうか。あの半妖で、出来損ないの愚弟のことを。昔ならば考えもしなかった思考に思わず眉をひそめる。抵抗しなかったのは、ただ動くのが億劫だった? それでも全身を好き勝手に弄られる不快感は、過去に何度も合い、考える間も無く引き裂いてきた。

『痛かったら、すぐやめる』

 労われるなど、久しくなかった。成長して力をつけてからは、遅れをとるなどということはほとんどなかったのだから。人間らしい感情に触れたことでりんを思い出し、調子が出なかったのだ、そうに違いない。
もう決して、あのような間違いは犯さない。あるわけはない。

「ただの、気まぐれの児戯だ」

 自分に言い聞かせたところで、全てが言い訳じみているのだ。いくら否定しようとも事実は揺るがないし、心変わりもするわけはない。誤魔化すことにも疲れてしまった。
照れ隠しに、覗き込んでくる邪見に鉄拳を食らわしてやった。

+END

++++
ショタに手を出すの早すぎ問題

09年
修正20.5.20

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