封神 | ナノ



運命×運命=? 2


※2
※オメガバ


 空が白みがかり、薄い雲が天頂を覆っている毎日。遥か上空にある仙人界を見上げても、姿形は見る事が出来ない。時々厚い雲が流れてくるので、そろそろ冬将軍の足音も聞こえてくるのだろう。いや、そんな存在が本当にいるのなら、倒してでも寒い季節を飛ばしてやりたいと。寒い日々を忌々しく思いながら、掌に白い息を吹きかけて暖まるが、我慢の限界である。両二の腕を擦りながら近くの山を、鬱憤をぶつけるように睨みつけた。
 思えば、随分と長いあいだ人間界にいるものだ。もうそろそろ、仙人界へと戻った者たちが返ってくる頃だろうか。
窓から朝焼けと白い空を見上げていると、扉を元気よく叩く音がする。音からも溢れ出る活気は、武吉だろう。なついてくる弟子にため息をつきながらも、扉に近づくと勢いよく鼻にぶつかるものがある。言わずもがな、扉である。

「お師匠様! ってあれ? どうしたんです?」
「ちょっと鼻を打ってのう……」

 赤くなった鼻をさすながら嫌みったらしく言えども、弟子は笑いながら「大変ですね!」と快活に答えるだけ。自分の事を言われているなど、夢にも思わないだろうし、悪意のない攻撃を怒るのも気が引ける。
案の定、すぐに自分が何をしにきたのかを思い出し、怪我のことなど忘れてしまったようだ。手を勢いよく叩くと、嬉しそうに両手を広げて感情表現をする。

「そうだ! 今日は美味しい桃が採れたと、周公旦様が言ってました!」
「おお、それは誠か」
「はい!」

 自分の好物かのように喜ぶ彼を見ていると、なんだかこちらまで楽しくなってくる。返事を聞かずに話を進めるのは相も変わらずではあるが、「先に行ってますね!」と廊下を駆けていく元気な姿は微笑ましい。彼の音を聞き届けると、かすかな音が聞こえてきた。コンコンと。
誰かが歩いてきているのだろうか、それとも動物たちの音かはわからないが、どうやら窓の外から聞こえてくるらしい。ゆっくりと振り返った先には、白い犬にまたがり、はにかみながらも会釈する仙道の姿があった。

「師叔」

 コンコンコン。
急かされて窓を開けると、いつものよう行儀悪く中へと入ってきた。しかし日の出ているうちから何の用だろうか。城の者に見つかると、何かと言われるのは目に見えているし、何よりも人間界にとどまる事を要求されるだろう。
だが、嬉しい。目の前で微笑む姿は、いつもの社交辞令ではない見た事のない物。いけない。見惚れていては真意を見抜かれて、からかわれてしまう。
 何と言っていいかわからず、唖然としていると彼が先に口を開いた。

「お久しぶりです。数年ぶりですね」

 相変わらず掴みにくいことを言うものだ。形式的な挨拶に「最近は毎晩きていただろう」と茶々を入れると、眉をハの字にしながら口角をあげて頬をかく。
いつもの減らず口がないと落ち着かない。微妙な空気を払うかのように咳払いをすると、彼も我に返ってくれた。

「僕の独断だったので、正式に降りてきた為に気を引き締めようかと思いました」
「なんじゃ。元始天尊さまに、命令されていたわけではないのか」
「ええ、まあ」

 指同士を擦り合わせ、目線を反らしながらの歯切れの悪い返事はなんだろうか。まるでもじもじと、女性が可愛さを誇示している時と酷似しているではないか。何か、言いにくい事でもあるのだろうか。別に個人的に心配をして、会いにきてくれる事は素直に嬉しい為に怒りも軽蔑もないというのに。むしろ、顔を見れるだけで喜びがわき上がるのに。
 このまま見つめているわけにもいかない。どこからか流れてくる甘い芳香を振り払うと、そのまま近くの椅子に座る彼を見た。新しく書き上げた策が書かれた書簡を手に取ると、目を通し始めたあたりでハッとなった。逃げる理由はこれしかない。

「お主、わしより先に武王に挨拶せぬか」
「直属の司令塔は貴方なので」
「関係あるか! 城に置いてもらうならば、許可がいるであろう」
「それはそうですね」

 快諾をしてくれたのはありがたい。一息をつくが、いつもと違う目が太公望を射抜いた。怒っているわけでも監視しているわけでもない、何か期待を込めた無言の圧力。
やな予感がする。一体何を言われるのかはわからないが、彼の珍しいお願いに好奇心を刺激された。

「なんじゃ?」
「案内、していただいても?」
「は」
「武王がどこにいるのかわからないので」

 身を寄せられると、また鼻をくすぐる甘美な香り。桃の香りとはまた違う、欲をそそられる匂いについ立ちくらみを覚えるとすぐに体を支えられる。誰のおかげで倒れそうだと思っている、と理不尽な怒りをぶつけると、困ったように笑う。これはわかっていない笑みだ、好物を見つけて喜ぶ子供のような純粋な笑みだ。一人怒っている自分が馬鹿らしく思え、再びため息をつくが赤みがかった顔はまだヘラリと笑いを浮かべている。

「もう1つ。しばらくは、師叔の部屋に泊めていただけますか?」
「わしの?」
「ボクの部屋は準備されていないでしょう」
「まあ、そうだの」
「野宿はごめん被りますので、お世話になります」
「それもまずは聞いてからだ! 行った行った!」

 無理矢理背中を押すが、筋肉質の体はびくともしない。細身ではあるが、戦士だ。こういう時に力の差を痛感してしまう。
不思議そうな表情が、勝ち誇った微笑に見えて仕方ない。どうしても動かない硬い図体に、顔を赤くしながらも抵抗を続けていると、唐突に体が動いてバランスが崩れてしまった。体が地面へとぶつかる前に取られた手と、目の前に広がる美男子の拗ねた表情。

「一緒に行きましょうって、言いましたよね」

 言葉からは怒りは伝わってこない、寧ろ子供の我儘だ。逃がさないと両手を包み込まれて、ため息1つ。
一蹴できるだろうか、この優しく伸びてくる手と、強い想いを。
とにかく、約束は約束である。無言は肯定、一度許してしまった以上は責任をとらなければならない。引き延ばしてしまった言葉の代わりに手を取り直すと、満面の笑みと嬉しそうに弧を描く目。縁取る睫毛と言う名の長く美しい花が、風がなくともパサパサと動く。

「……ああ、すまぬ」
「心がこもっていません」
「込めておらぬからな」

 頬を膨らまして子供を演じるのは、わざとだろうか。これが演技ではないのならば、魔性としか思えない。行き場のないため息と吐き出し、ゆっくりと頭をかいて気を紛らわせるしかない。
拗ねてしまったのならば、もう離れてもいいのだろうか。少し残念に思っていると、顔を反らしたまま力の抜けた手が、勢いよくさしだされた。
何も言わずともわかる。機嫌の悪い姫様は、仲直り代わりに手を繋ぐ事をご所望らしい。召使いの爺が不承不承ながら手を繋ぐと、それはもう嬉しそうに微笑んで周囲に華をもたらす。
男を美しいと思うことはおかしなことでもないのに、なんだか気恥ずかしくなり眉を寄せて視線を床へとそらした。

 周囲に目を配りながら、早朝の廊下を共に歩く。早朝、とは言ってももう太陽は山から顔を出して、燦々と畑を照らして豊かな恵みの成長を促進させてくれる。
今日は、やたら身を寄せてくるように思う。寒いのだろうか、それとも甘えているのだろうか。いや、後者はありえないだろう。なぜこのような候補が浮かんだかもわからないが、彼の行動が一番わからないのである。
何か、何か気を紛らわせるものはないだろうか。腰へと巻き付けようと蠢く甲の皮を抓り上げると、丁度救世主である武王が正面から歩いてくるのが見えた。

「おう、太公望じゃねえか!」

 明るく手を振り上げる武王と、並んで歩く無表情で真剣な周公旦。目ざとく鋭い目が光っているが、太公望は人形かと見まごうほどの、その変わらない表情も苦手である。
対して並んで歩いていた武王は気さくに名を呼び、声と手を挙げて挨拶をかわす。さすがは人望のある遊び人、絡みやすい性格だ。
何をしていたのかはわからないが、周公旦の持っているものが誠に魅力的だから気になってしまった。そう、籠に山のように積まれた新鮮な桃である。
 本当は武王に挨拶をすることが目的であったが、つい鼻の下を伸ばしてしまうと、後ろから靴のかかとを強く踏まれてしまった。どうやら欲が楊にばれてしまったらしい。険しい顔をして咳払いが聞こえてきた。
気を取り直して。

「ちょうどいいところにきたのう」
「おう。なんか用か? ん、横に居るそいつは確か……」
「楊だ。わしの部下として、また働いてもらうことになる」
「修行を終えて人間界へ降りてきました。しばらくこちらに滞在させてもらいます」

 いつものように、にこやかで仰々しく頭を下げる楊であるが、武王は何も言わずに見つめているだけだった。相変わらず男には興味を示さない奴だ、と飽きれてため息をつくと、横に居た周公旦がずい、といつもの無表情で手荷物を突き出してきた。桃が山のように積まれた宝の籠である。

「差し入れです」
「おお、武吉が言っておったのはこれか。かたじけない」

 気が変わると大変だ。急いで手を出して、奪い取るように手繰り寄せようとしたが、腕を掴む男の強い力。まるで痴漢と間違われたかのような扱いに、思わず身を固くすると財宝が宙へと浮かんで行く。まさか没収するつもりなのだろうか。必死に体をねじって、桃を落とさないように抵抗を開始すると、悩殺スマイルが降ってきた。

「お持ちしますよ」
「それならば、任せるかの」

 取り上げられるわけではないのなら、任せてもいいだろう。預けると、まるで宝物かのように抱えては誇らしげに微笑むのだ。一体何を考えているのかは全く読めない。

「では、こやつはしばらくわしの部屋におるからの」
「お、おう。それは構わねえぞ」
「ではの」

 もらうものをもらったならば、逃げるに限る。周公旦からのお小言が来る前にと早歩きで来た道を戻る。
振り返り、桃の安否を確認すると、果実よりも赤いと笑顔が目についた。
初めは一定の距離が開いていたのだが、歩きながらも少しずつ身を寄せてくるのがわかる。だが肩が当たるような不自然な寄せ方ではない。妙に距離は近いが、周りから見ても仲がいい程度だろう。
いつ転けても引き寄せる為の考慮だろうか。心配性過ぎるとも思うが、口出しをすれば倍以上の小言が返ってくると思えば下手に反論できない。大人しく彼の隣を歩いていると、満足そうに堂々とした歩を進めている。
 歩きにくいのは困るが、荷物を持ってくれることは助かる。果実の甘酸っぱい 匂いに包まれながら部屋へと向かう間、ずっと姫発の真剣な視線が突き刺さっていたのを、彼らは気づく余地がなかった。

 楊が人間界へと戻ってきてから、太公望から片時も離れる事はなかった。有能な彼だから困る事はなかったが、視線から逃げる事には苦労をさせられている。女官からの嫉妬の目からも、彼からの熱い視線も。
それに、最近は男に言い寄られている姿を見るようにもなったのだ。湖で沐浴をしている時に噂されていた、「仙女」の正体がバレたのだろうか。女性と一部の男に好かれ、男に妬まれるという変な構図。それでも、高嶺の花はいかなる相手にも首を縦に振らなかった。

「僕には、想い人がいますので」

 と。
 決して、面と向かって誰もその想い人については詮索できなかった。だが、スパイのような行動をする者まで現れて、蝉玉が半端な真似事に腹をたて、当たられたのは迷惑千万である。
 彼は、一切女に興味を示さないので恋愛とは無縁と鷹をくくっていたが、愚の骨頂であった。城の女たちが必ず噂にする存在なのだ。嫉妬する男は1、2人では済まない。そうなれば自然と男からも注目を浴びてしまい、魅せられる者も現れる。同性でも見惚れる魅力があるのだ。引かれる者は少なからず存在するのは予測できる。
 今日は隣に楊がいない。ついさっき蝉玉に呼ばれて、報告書の書き方についての教授に行ったのだから当たり前なのだが、なんだか落ち着かない。いつも隣にいるはずの人が急にいなくなると、ここまで気になってしまうものだったろうか。当たり前がいつまでも続くという思い込みは、まだ人の貪欲さが抜けきっていない証拠か。いつもいる四不象で想像してみたが、彼は呼べばすぐにやってくるから不安はなかったし、そういう感情ではないのだと察する。
もしかしたら、また女から声をかけられているのかもしれない。はたまた男に誘われているのかもしれない。現実になってほしくない妄想が消えては浮かんで心をかき乱す。
 ああ、寂しいのか。
結論をつけてしまえば妙に納得してしまった。誰もいないのについ見上げてしまうし、周囲を見回してまで探してしまう。なんだか一人芝居のようで恥ずかしくなり、懐に抱える書物の山を崩さぬように駆け出すと、小さな音が聞こえてきた。
小動物がいたところで気にしない。小鳥の囀りを気に留めずに歩みを早めると、徐々に声が大きくなっていく。どうやら人間、しかも青年のようである。もしやと足を止めると、背中にぶつかるものあり。慌ててバランスを取り直して雪崩を鎮めると、改めて後ろを振り返る。
そこには思っていた姿ではなく、赤い鼻を抑えてしゃがみ込む武王の姿があった。

「呼んでるだろうが! 無視すんな!!」
「なんじゃ姫発か! 脅かすでない!!」

 思案している時に背中から唐突に呼び止められて、心底驚いてしまった。さぼっているのがばれたのだろうか。いや、姫発も相当な遊び人だ。チクられることはないだろう。
それよりもいつもにはない真剣な表情に驚いてしまった。

「相談があるんだけどよ」
「周公旦に共に怒られに行くのはごめんだ」
「なんで俺が怒られる前提なんだよ!! あの、その、アイツのことだ!」

 アイツと言われても困る。そんな抽象的な人物をさされてわかるのはエスパーか心の読める者だけだ、仙道でも無理なものは無理だ。目を細めて胡散臭いものを見る目をすると、これでも彼は真剣らしい。必死の形相で「アイツ」と繰り返しては頭を抱えている。

「アイツじゃわからぬ」
「あーっと、いつも一緒にいる、あの青くて長い髪の」
「楊か?」
「それだ!」
「相変わらず男の名前は覚えん奴だ」
「その事なんだけどよ!」
「どのことだ」

 こそあど言葉はやめろ、と前に口うるさい弟に言われていなかっただろうか、と記憶を探っても仕方がない。余程混乱しているようなので、ここは知恵を貸して早く解放されるに限る。
その、という指示語の前にあったのは、名前を覚えないということ。もしや人の名前を、特に男に対して興味が向かない事にやっと反省の色を示したのだろうか。それなら嬉しいのだが、それだけはないだろう。さすがの軍師太公望でも、こればかりは読めない。
 首を傾げながらも「もう行ってよいか」と許可を得ようとしたが、怒濤のまくしたてについ足が動かせなかった。

「アイツってよ!」
「うむ」
「男だよな!?」
「うむ??」

 何を言い出すかと思えば、性別についての問いだったとは。馬鹿げた話ではあるが、真剣に悩む姿が珍しくて、ついつい眺めてしまった。
「あー、わかんねえ!」と頭を乱雑にかくと、真剣な面持ちでこちらを見やるものだから、わけがわからない。
対女用のプリンちゃんセンサーが壊れているらしい。故障していても、特に支障がないからそのままにしておいてほしいくらいではあるが。

「……で、何をイライラしているのだ」
「アイツを見てると、ムラムラする」

 単刀直入に言われても困るだけだ。きょとんとしてると、本人も困惑して乱れた頭髪を更に爆発させていく。
ムラムラ、ということは性的欲求を覚えるということだ。だが彼は男、同性で結ばれる事は仙人界でも聞いた事はない。それに、慌てている自分がいる事に気がついたのだ。急いでからかう方向へと話を転ばせるが、視線を合わせてこないほどにも思い悩んでいる様子であった。

「髪が長いから、勘違いしているのではないか?」
「野郎だもんなあ、そうなのかもしれねえ」

 自分に言い聞かせるようにしているのは、男に興味を持ってしまった事に対する戒めのように聞こえる。しかし、そんな抵抗は無駄に終わるだろう。
いくら意識で抵抗しようとしても、心が惹かれてしまっているのだ、あの美しい青年に。徐々に首を傾げ、頬が桃色に染まっているのが証拠である。

「あやつは男だ」
「そんなこと、言われなくてもわかって……るんだけど……」
「男に興味を持つ事に文句を言うつもりはないが、相手の意志を無視するならば許さぬぞ」
「そんなことしねーよ!」

 喧嘩腰に言い返されたのはいい。こちらも意地の悪い言い方をしてしまった自覚はある。
王という職権を利用して、部下に手を出されるのではないかという懸念ではない。彼に、楊に気があるという事実に対する嫉妬である。
女たちにちやほやされているのは今更。だが、男からも色目を使われているとなると、胸に黒い感情がせりあがる。無理矢理に押し倒されるタマではないが、万が一という事があれば黙ってはいられない。彼が負ける相手に力で勝てるとは思えないが、目的を捨ててでも一発殴らなければ気が済まないだろう。
 何故、こんな感情がわき上がるのか。我に返った時には執務室で頬杖を付いていた。確か、あのまま首を傾げる姫発と別れ、まっすぐここへと戻ってきてから、それで。思い出そうとしても曖昧な記憶すらなく、いくら聡明な頭で考えてもわからない。
キショウに冷たく当たる気はなかったのに、次はどんな顔をして会えばいいのかわからなくなり、頭を抱える。サボるつもりは毛頭もないが、思考がうまく働かずに手が動かない。このまますっきりしない状態であると、仕事も手に付かない。頭を棒でかき回されたかのように、混ざり、困惑し、痛みすら感じる。
 知らないがこれほどにまで辛いこととは。散歩をして気を紛らわせようと思えば、目の前を偉丈夫が通った。
丁度いい。誰かに話すと落ち着くかもしれない。どうしたい、という欲求が先行して男の背中を目指して部屋を飛び出していた。
真っ直ぐに歩いていく、大股の大男の背中を叩くまでは骨が折れたが、何故か声をかける相手が捕まった事に安堵感を覚えてしまった。別段孤独老人というわけではないのだが、今は誰かにこの疑問の答えを聞きたかった。肩で息をしていると、人懐っこい笑顔が降ってきて、更に安堵感で脱力してしまう。

「武成王よ」
「なんだ、軍師殿か」
「少しよいか?」
「おう」

 忙しい身であるのに、嫌な顔をせずに時間を作ってくれるのはありがたい。「とにかく、休みながらにするか」と労いの言葉がかかる。お言葉に甘えて頷くと、横に並んで歩き出した。
 夕刻が近づくと、普段は騒がしい城の中もたちまち静まり返る。1日のエネルギーを使い果たしたかのように欠伸を漏らす兵たちに、武成王とて文句は言わない。通りすがりに「今日もご苦労さん」と声を掛けると、気の抜けた笑みを浮かべて挨拶を交わす。太公望も軽く会釈を返すと、姿勢を正してはくれるが、別に作戦会議をするところだと勘違いをされたのだろう。騙したわけではないのだが、少なからず罪悪感を感じてしまう。
 夜が近づくにつれて涼しくなる風は、汗ばんだ肌には心地よい。宝具が起こす風ではない、自然の恵みに目を閉じて感慨に耽っていると座るように促された。どうやら目的の場所についたのだろう。
どこかと思えば、遠目で兵の訓練場が見える石段の傍だった。きっと、彼が兵たちの鍛錬を眺める時に利用する特等席なのだろう。一カ所だけ土もつもっておらず、綺麗な岩肌が見えていた。
土を落として座る彼の横に、ストンと座り込む。並んでいてもわかりやすかった身長差が更に座高からもわかり、悔しくもなるがそうではない。
一体どうした物かと視線を向けてくることに答え、口を開く。

「相談があるのだ」
「悩み事か? 能天気な軍師が珍しい」
「一言余計なのだ」

 ガハハと豪快に笑う彼に唇を尖らせるが、大きく豆だらけの手で髪の毛を乱すように撫でられる。雑ではあるが、彼の豪快さと父性は嫌いではない。見えないように笑い「やめよ!」と言えば、やっと手が止まった。

「で、相談ってのはなんだ?」
「楊の事なのだが」
「あの、青い髪の色男か?」
「そうだ」

 非常に言いにくいし、恥ずかしい話ではあるが、はっきりしておかねばならないと思う。真面目な顔をして聞いてくれる武成王は茶化してくる性格ではないと知っているから安心である。
そんな口を開きあぐねている雰囲気を察して、彼は何も言わずにただ静かに佇んでいた。そんな大らかな彼の気遣いに応えるよう、意を決して口を開いた。

「あやつは……男、であるよな?」

 わかっている。自分でもどれだけおかしな事を聞いているのだろうと、自覚はしている。案の定、厳格だった彼からも素っ頓狂な声が上がり、目を丸くされた。
「どうして気にするのか」と聞かれたら言葉が詰まる内容ではあるが、自分の中では悩みの種としてすくすく育ってしまっているのである。
最近、彼のことがわからない。会ったときから何を考えているのかわからない天才様ではあったが、彼と時間を共にして更にわからなくなってしまったのだ。
 始めは渋々であったのに、何故よく尽くしてくれるのか。何故常に傍にいてくれるのか、正体不明の色気はどこからきているのか。

「なんでえ。部下が男か女かくらいわかって……いやでもな」

 彼も思い当たる節がある、と顎に手を当てて首を捻る。あまりに真剣に考えているものだから、間違っているのが自分だけではないと安心してしまった。あの色香は男の出せるものではない。いくら美形だからといって、天は全てを与えるものでもないし、限度はある。男なのに、女のような物腰をするなど性別の根幹を揺るがす問題なのであるから。

「うーん……男にしては、なんか変だな」
「なにか、とか」
「色っぽいっつーか……なんつーか……」

 やはり、妙は色気は他の男すら感知できるものらしい。妻のいる武成王ですらこうなのだから、自分が男色であるわけではなさそうだ。心なしか安心してしまった。深くため息をついても、場の空気は和らぐどころか不穏な風が吹いてくる。真剣に悩んでくれるのは嬉しい事ではあるが、あまりに真面目に悩まれるとどうしていいかわからなくなる。首を傾げ、思い出しては思案して、どんどん眉間の皺が深くなっていく彼を眺めていると、唐突に声が上がった。

「そうだ。その美人さんがよ、お前を捜してたぜ」
「楊が? お小言かのう」
「怒っている様子じゃなかったけどな」

 彼の言う事には、ただ「太公望を見なかったか」とだけ聞かれたらしい。急ぎの用事かと聞けば、会釈をして無言で立ち去ったという。
特に約束をした覚えもなければ、探されるようなことをした覚えもない。「なんだよ、桃でも食べ過ぎたか?」空気を和ませてくれる彼の気遣いがありがたい。そんな難しい顔をしていた覚えはないが、心配をかけたようだ。

「この問題は本人に聞く方がいいんじゃねえか?」
「唐突に性別など聞けるか。失礼であろう」
「だよな」

 まったく、本気なのか冗談なのかもわからない。いつもの調子を取り戻して豪快に笑う彼に釣られて小さく噴き出すと、背中を勢いよく叩かれた。前のめりになって息が詰まるがおかまいなしだ。抗議をしようと振り返ると、悪戯な笑みを浮かべて「じゃあ後でな」と手を振る姿が見える。逃げられた、とため息をつくと、遠くから木が倒れる轟音が聞こえた。
 もしかして、彼が修行をしているのかもしれない。目を見張っていると、順々に倒れている木から、どうやら木こりの仕業だとわかった。確か木材が足りないのと、木の間引きの為に働いているのだった。鮮やかなお手並みに、徐々に体を乗り出していると遠くから砂煙が近づいてくる。どうやら、視力10に見つかってしまったようだ。まるで土砂の道のように真っ直ぐ下、正確にはここにやってくる姿が見え、ブレーキをうまくかけて目の前に止まる。局地的な強風が髪を逆立て、慌てて頭巾を抑えることに成功した。
 大災害のように山を開拓しておいて、この満面の笑みである。人懐っこい好青年に揺れる尻尾が見えるようだ。苦笑しながら労うと、一段と嬉しそうに頬を染めた。

「お師匠様! もう終わりましたよ!」
「うむ。ご苦労だったな」
「どこへ運びましょうか?」
「城の裏の倉庫近くに……そうじゃ」

 無邪気に首を傾げながら、師匠が何を言うかを待つ秘密の相談でもするように耳打ちをする。わくわくと目を輝かせる彼はまるで子供のようで愛おしいとは思うが、弟子も子供も当分作らないと考えているのだ。
とりあえず彼の師匠からのありがたいお言葉という期待を裏切るようで悪いが、自分の疑問に付いて問いてみようと思う。

「武吉よ。楊を見てどう思う?」
「楊さんですか? すごいですよね! 強くて、頭もよくて、仙人様で」
「そうではなく、見た目のことだ」
「見た目? すっごくかっこいいです! ……でも、たまに甘い匂いがします」
「甘い匂い?」
「はい! 女の人からよくする匂いです! 身体から、こう、わき上がるような……」

 思い出してはヘラリと笑う武吉に、何故か憤りを覚えてしまった。何故だろう。人をどう思おうと勝手なのだから、聞き流せばいいものを。
……ああ、そうか。そういう目で、彼を見てほしくないのだ、と。
しかし彼にあたるのはお門違い。邪気のない彼の笑顔に己の狭量を恥じながらも目線を反らすと、思い出したと声を上げた。

「枯れ木を見つめて笑っているのを見ました」
「木を?」
「綺麗だったなぁ……鳥もいない木でしたけども、確か桃……だったかな?」

 何が彼を喜ばせたのだろうか。何故彼が笑ったのだろうか。普段は言い寄る女官たちにすら、得意の作り笑いしかしないのに。
何故、自分がいないところで笑ったのか。
気がつかずにへらりと笑う彼が、急に憎らしく思えた。この醜く黒い感情は嫉妬か。彼に嫉妬できる関係でもないし、そんな資格なんてない。ただの部下と上司、それだけなのに。
 気づかれないように無理矢理笑顔を作ると、適当な用事を言いつけたのは覚えている。悲しいかな、内容までは覚えていられないほどに冷静さを欠いていたようだ。前向きな彼でも、何かを感づいたようで心配そうな視線が背中に刺さったが、それすらも言い繕えないほど精神が辟易していた。
 大丈夫だ。武吉のことは大切だ。楊も、大切な部下、である。はずである。
熱く、痛む胸を抑えてあてもなくさまよい始めると、背中から小さく息をのむ声が聞こえた。みっともない姿を見せる訳にはいかない。背筋を伸ばして振り返り、後悔した。柱の影から様子を伺う青い髪が揺れたから。

「あ、師叔……」

 今頭を占める彼が、急に現れて息が詰まった。大げさに肩が跳ねてしまったので不審には思われたが、こちらからすれば彼の様子こそ不審な点が多いのだ。
探していたという割には見つけた際の反応が薄く、覇気がない。顔も赤いし、何よりも視線を合わせようとしないのだ。

「探しておったと聞いたのだが」
「え、あ、もう大丈夫です」
「そうなのか?」
「はい、なんでもないので」

 どうも様子はおかしいが詮索ができなかった。先ほどまで聞いて回っていた、彼のこと。それが足枷のようにまとわりつき、一歩を踏み出す妨げになったのだ。
知りたいけど、知るのも怖い。先ほどまではこんなにも知りたかったのに、本人を前にするだけで臆してしまうというのか。立ちすくんでいる姿に不信感を抱きながらも、彼は心配そうに眉を下げている。
 悲しい顔をさせたいわけではないのだ。意を決して足を踏み出したが、その数メートルが遠い。。やっとたどり着いて頬に触れると、熱が出ているかと疑うほどに熱い。何か異常があった事はわかるが、完全には治っていないのだろう。それよりも、きめ細やかで滑らかな肌に驚き声が出なかった。戦闘だけではなく美容にまで気を向けているとは、完璧主義者は侮れない。
 驚いてはいるが触れる事に対する嫌悪感はないようであるので、しばらく堪能させてもらうことにする。頬を、耳を、下唇を。手を這わせていくと緑色に澄んだ瞳と視線がかち合った。

「やはり、綺麗だ」
「えっ!?」
「お主は、綺麗だの」
「そんなっ! 急に、困りますっ!」

 いつもなら「ありがとうございます」と余裕の笑みを浮かべるはずであるのに、慣れない相手からの賛美に戸惑っている様だ。熱い頬ではあるが、地が沸騰したかのように熱が上がり、可愛い顔を見せてくれる。確かめるように、認めるように、「綺麗だ」「美しい」と賛美を浴びせ続けると、徐々に体が崩れていき腰をついてしまった。腰から力が抜けたのか、足をぺたりと地面につけたまま立ち上がろうとしない。
 なんだ、女に言い寄られ慣れている色男が情けない。誤摩化す為に軽く笑い飛ばしてやろうと口を開けたが、声がでなかった。見れば、鼻をすすりながら赤い目を潤ませているではないか。
蠱惑的な香りが、一段と強くなった。

「すまぬ。崩れ落ちるほど嫌であったか」
「いえ、違います……」
「立てるか?」
「……こ、哮天犬」

 主人が名を呼ぶ声に応じ、白い愛犬がポンと煙のように現れた。感情豊かに、心配そうに主人の青い髪に鼻を擦り付けると「何でもないよ」と力ない笑みを浮かべる。整えられた白い毛皮に手を這わせ、必死にすがりつき、崖を這い上がる姿は得意の演技ではない。
 これはただ事ではないだろう。太公望も、居ても立ってもいられなくなってしまった。つぶらな眼で主人の身を案じる哮天犬を安心させるべく頭を撫でると、ゆっくりと彼の腰に手を回す。驚き顔を上げた瞬間に、一瞬力が緩んだ事を見逃さない。手触りのよい白い綿と、細い男の身体間に腕を滑り込ませて、ゆっくり力を込めると抵抗せずに身体が宙に浮かんだ。
驚いた顔をする1人と1匹を尻目に、普段は使わない力を目一杯込めると、歩けるくらいには安定した。鼻孔を撫でる甘い花の香りが、こんな間近で感じられる事なんてない。じっくりと堪能したくて鼻の穴を膨らませていると、どんどん匂いが近づいて。気がつくと、下を見れば青い髪が眼前に広がっていた。細い腕がゆっくりと首へと巻き付き、体を寄せてきたのだ。

「あ、ありがとうございます……」

 ぽそり、ぽそりと力なく呟かれた言葉は、何に向けた謝辞なのかわからない。追随する哮天犬は、主人を落とさないかとハラハラしているのか、足下から離れる気配はない。その主人はというと、身動き1つとれずに腕の中で丸くなっていた。
もしかしたら、体調が悪いのかもしれない。その為に部屋に戻るという旨を伝えたくて、それでも目の前にしてやせ我慢をした為に、言葉を紡がなくなってしまったのではないか。
男らしい筋肉質な体をしているために重いが、耐えられないわけではない。明日は筋肉痛を覚悟しながら歩き出すと、腹に何か柔らかい感触が触れた気がした。

「もう日も暮れる。部屋に行くか」
「へ、部屋……貴方の?」
「まだお主専用の部屋がないのだ。それとも、今日は野宿か?」
「いえ、そういう意味では……」

 続く言葉はよく聞こえなかった為に詮索するつもりはない。空気を和ませる為にも哮天犬に話しかけると、ワンワンと急かすかのように膝の裏へ体を擦り付けてくる。
らしくもなく、何も考えなく行動をしてしまったが、この姿を楊のファンに見られてはまずいだろう。変な噂が立たないようにと、横道にそれて獣道へと近づく。堂々と城の中を歩くのではなく、部屋の窓から入り込めば、一目には付く確率は下がるはずだ。歩きにくい砂利道を、従順な忠犬が先行して地を固めてくれる。追従していけば、何も考えずとも宛てがわれた部屋へとたどり着いた。本当に賢い犬である。
 今日も忘れずに掃除がされた裏庭が、淡い赤色で照らされている。日当りがいい場所を選んでくれただけある。太陽の動きが常に一目瞭然で時間もわかりやすい。しかし、今はこちらが陽光に監視をされている気さえする。軌道が決まっておらず、何処へ行くかもわからない関係性の行方を。
 ゆっくりと彼を降ろして窓へと手をかけると、ゆっくりと立ち上がる姿が視界へと入った。もう力が戻ったようで、壁伝いではあるが自分の足で体を支えている。近づいてきて頬を撫でる哮天犬の、手入れされた毛に指を通すと「よくやってくれたね」と褒めてじゃれ合う姿を眺めていると、やっと気づいてくれたのか流し目が向けられた。

「あの、ありがとうございました」
「うむ。気にするな」
「貴方にこんな力があるとは知らなくて……」
「これは馬鹿にされておるのかの」

 わざとらしく拗ねてみせると、クスクスと安堵して笑みを浮かべてくれる。「もう知らぬ!」と仰々しく窓の桟へと足をかけると両手を広げて存在を誇張してくる。「まだ、腰に力が入らないです」と甘えた目で言われたら言い返す事もできない。嘘だという事はわかっているが、こんな役得はことはないのだ。
 ゆっくりと背中と膝裏へと腕を回すと、残る力を振り絞って足を真っ直ぐに保とうとする。顔を赤くしながらも少ししか持ち上がらない自分の体力に辟易するが、かっこ悪いところは見せられない。顔を真っ赤にしながらも何とか抱き上げると、嬉しそうに花が咲いた。

「かっこよかったですよ」
「褒めても何も出ぬ、ぞっ! ふう、それよりも、早く入らぬか!」
「もう少し、このままで……」

 それほどにまで動けないのかと心配になったが、そうでもないらしい。足はパタパタと動いているから痺れている様子もないし、何よりも嬉しそうである。蕩けた笑顔を眺めるのも一興ではあるが、何せ腕が限界なのだ。落としそうになるのを男の尊厳でなんとか踏みとどまり、声を荒らげる。「また、ベッドで触れ合えばよかろう」と。沈み行く太陽の最後の抵抗よりも真っ赤になった彼から、誤解を招いてしまったことだけは伝わってきた。
 同性では部屋を共にしても間違いは起きないのだが、もしや仙界屈指の色男に女の噂がたたなかったのは、その気があるせいだったのか。力が抜けた事をいい事に窓から部屋へと入れ、手を離すと同時に地面へと優雅に立ち頬を染める。やはり、もう立って歩けるではないかという皮肉をいう気力もない。差し出された手を握ると、まるで逢引にきた間男にでもなった気分だ。無事に自分の部屋に入ると、長いもみ上げを弄りながら、視線をそらすいじらしい姿が見えたが、見えないフリをして小さい傷のついた新しい机へ向かう。

「休んでおれ。わしも、この施策をまとめたら床に付こう」
「なら、お話だけでもいいですか?」
「なんじゃ」

 椅子を引いて腰掛けたところで、寝台が軋むスプリングの音がした。おとなしく落ち着いてくれたから油断をしていたのだが、ポンポンと羽毛を叩く音が聞こえてゆっくりと寝転びシーツが擦れる音もする。
いつもは、こんなに音を気にすることもない。だが、今日は彼の行動の1つ1つが気になってしまい、つい聞き耳をたててしまう。
昼に、変な事を考えたからだ。そうに違いない、と誤摩化し筆を握るが彼の会話に全力を注いでしまうのだ。手に力が入らず、まともな文章が書けなければ、怪しまれてしまうだろう。唯一の救いは、相手も余裕のない表情で、足を強ばらせてベッドに座り込んでいることだけだ。
 一体何を言われるのか。罵詈雑言を言われるとは思っていないが、冷や汗が流れてしまう。心が読まれるわけはないとわかっているのだが、欲を含んだ視線がバレているのでは、と。

「あの、師叔……貴方に、想い人はいますか?」

 彼から発せられた言葉は視姦行為に対する苦情ではなく、彼には似合わない浮き名に対することであった。何の意図があるのかはわからないが、彼が真剣な声音で離すものだから、からかう間すら与えてもらえない。
居心地の悪い空気に息を飲み、誤摩化す為に筆を動かそうにも頭が動かないのだ。動けるはずもなかった。

「急にどうしたのだ」
「僕には、いる、ので」
「知っておるよ。人気者にはもう相手がおると、噂であるからな」

 そうだ。彼にはもう意中の相手がいる。今、自分は平常を装えているだろうか。それとも、愛しく可愛い相棒に好かれている、顔も知らない相手に嫉妬してみっともない顔をしているだろうか。
衣擦れの音に熱くなる顔を、夜の風が撫でて頭ごと冷やしてくれる。
恋人同士のような甘い空気は流れない、それでも十分欲を満たしてくれる。猫のように簡単になついてくれない彼が心を許してくれるというだけで、他の者よりも特別な存在であるという証拠となる。
 この、人1人分空いた距離は理性の防波堤。これ以上を超えてしまうと全てが歪んでしまう。手を伸ばそうとしても見えない壁を無意識に作り出し、それ以上は憚られる。届くのは、甘い視線と言葉だけ。
 もう一度、彼が同じ言葉を紡ぐ。「想い人はいますか?」と。
どう答えるのが最善の策となるだろうか。計略を練るよりも、ただ純粋に、彼の反応が見たいと思ってしまった。

「おるぞ」

 嘘をつく必要もなければ、隠すこともない。そう判断して正直に答えれば、ゆっくりとエメラルドグリーンの瞳が見開かれていく。
動揺することは予想外ではあったが。震える表情の意味まではわからないが、嫉妬、だろうか。珍しく慌てる姿を見つめていると、前のめりになりながら涙するら見えた気がした。

「だ、誰ですか!? 仙人界の者です、か?」
「秘密だ」
「狡いですっ!」
「何のことじゃー?」

 上半身だけ前に傾け、今にも飛びかかってきそうな雰囲気ではあるが、感情を押し殺しているのが見える。真っ直ぐに張っていたシーツが強く握りしめられたせいで皺を作り、今もなお形が歪められて山のように尖っていく。
彼が嫉妬してくれているというだけで、歪んだ優越感がわき上がる。そして、思い上がった期待が沸々とわき上がってしまう。
 これはもしかして、期待してもいいのだろうか。
彼の焦燥のする様子を探ることに必死で、筆は全く動かない。それでも忙しいフリをして手首だけを動かしていると、小さく済んだ音色が紡がれているのが聞こえる。一体どのような音色で、どのような意味の言葉を奏でているのかはわからない。いくら耳をそばだてても聞こえない為に、ついに諦めてゆっくりと筆を置いて意味のない言葉を記してゆく。

「お主の相手は、どのような者なのだ?」

 随分と意地の悪い質問をしたと、我ながら思う。返答次第では、胸につっかえる疑問を晴らす事も出来る。期待を込めて運命の返答を待っていると、答えあぐねて、躊躇いながら厚い唇が開かれた。

「……仙人界の、有名人です」
「ほう。お主以上にか」
「ボクなんて、まだまだです」
「変なところで謙虚な奴だ」

 彼が謙虚になる時は、本当に相手の事を認めている時だけ。どんな相手にも自尊心は崩さずに不遜な態度を取る彼ではあるが、例えば師であり父親代わりである玉鼎には頭が全く上がらない。
尊敬する相手に対しては柔らかい姿勢を魅せる彼だからこそ、相手のことを相当想っているのだとわかる。有名と言えば、十二仙のうちの誰かだろうか。もしや金鰲島の者? 元始天尊ではないだろうが、もしかして?

「唯一、師匠以外に認めた人です」
「そこまでベタ褒めとは珍しい。もう、恋人同士であるのか?」
「それならばどれだけよかったでしょうか」
「む? お主ならば、誰であっても了承するであろう」
「誰でもいいわけでは、ないので」

 地雷を踏み抜いてしまったのは検討がつく。暗く辛い顔を見るのは忍びない。いつものように、嫌みでも自信満々でもいいから笑っていてほしい。
身勝手な黒い嫉妬心だけ隠せばいいだけの話。それだけで例えいつか奪われるであろう彼の、乙女のような仕草も、表情も、今だけは自分の物とできる。

「……すまぬな。よければ、もっと聞かせてはくれぬか?」
「はい」

 恥じらい反らされる薄紅のチークに、ゆっくりと控えめに上がる口角。小さく上品に笑うと、左右の手の指を絡ませながらも言葉を紡いでいく。
1つ1つの言葉に言霊を込めるように、噛み締め力を入れて語り始めた。

「あの人は、ボクに居場所をくれました。一緒にいて、いいんだと」
「ほう」
「それに、運命の人なんです。初めは冴えない人だと思いました」
「ん? 容姿や頭がいいわけではないのか」
「見てくれは普通ですが、頭はいいです」
「ほほう?」

 どうやら容姿よりも性格を取ったようだ。美しいものが好きそうな性格ではあるが、それは自分のみに当てはまるナルシスト精神なのだろうか。
乱れ始めた心を写す黒い隅が、ミミズのように適当な図形を描き始めた。雑念のせいで、もう仕事にはならないかもしれない。
それでも真剣に聞いているとなると、話を止めてしまうかもしれない。幼稚なカモフラージュはまだまだ続く。

「容姿と実力ではボクが絶対負けないです。それでも、あの人には勝てなくて」
「ふむ」
「カッコいいし可愛いし……ボクの憧れの人です」
「嬉しそうに話すのだな」

 顔を見なくてもわかる。きっと、子供のように顔を綻ばせながら、乙女のように恥じらいながら語っているのだろう。彼は、他人の事で表情は滅多に変えない。余程大切な相手でないと、心を開く事も難しいというのに。

「すごく、すごく、大好きな人……恋人になれたら嬉しいのですが」
「全く。いつもの自信満々なお主はどこにいったのだ」
「鈍い人にはわかりませんよ」
「言いおったな?」

 黒いシミが白に染み込んで行く。後で処分しておこうと、黒くなったメモを他所に新しい用紙を手繰り寄せて、振り返らないように聞き耳を立てる。
これは片想いというやつだ。いつもは受け身なモテる側だから、届かない想いがどれだけ苦しいかなんて知らなかったのだろう。絞り出すように言葉は、何か試しているような音色すら含まれていた。

「もし、貴方なら隠し事をされたらどう思いますか?」
「誰しも1つや2つ、言えぬことはある」

 彼が胸の内に何を隠しているのかはわからない。深入りすることでもないこともわかっている。だが、聞いてほしい、楽になりたいという気持ちも痛いほど伝わってくるのだ。当たり障りのない返答をすると、想像通りに弱々しく笑う。「そういってもらえると」社交辞令にどう返すのが正しいであろうか。書類の内容なんてどこかへ飛んで行ってしまったことであるし、こっそりと頭を捻ってもみたが、良案は浮かばない。
こうなれば話題をそらしてしまうのが一番であろうか。筆を指の上で踊らせながらニッと歯を見せ笑い、再び紙へと意味を持たない文字を書き綴る。

「そこまでお主をベタ惚れにさせるとは、わしの知っているおなごなのか?」
「……男性、です」

 力を込めて書いた文字は、黒い点となり白を汚して広がってゆく。
初めて、彼の想い人についての情報が得られたとなれば、城内は騒然とするだろう。しかも相手は男ときた。もしかしてもなにも、この答えが導きだす真実は、なんとも不可思議で嬉しいものであった。
 まだ、諦めるには早いと。

「お主もしや、実は女―――」
「ち、違います! ボクは女性ではないです!」
「男、であるのか?」
「全く、僕のどこを見て女性と間違うのですか!」
「男すら惑わす、甘い匂いがするのでな」

 ただ、思った事を言っただけではあるが、怯えた空気が伝わって来たのは予想外であった。
まるで暴漢に襲われた少女のように、暗く悲壮感に溢れた表情なんて、見た事がない、いや見たくはなかった。何が触れてはいけないパンドラの箱だったのかもわからないのだ。再び墓穴を掘ってしまうことだけは避けたい。
様子を伺い言葉を探して、試行錯誤を繰り返していると、ゆっくりと白いシーツから細く長い足が飛び出した。

「少し、風に当たってきます」
「待て。わしが出るからお主はこの寝台を使え」
「……貴方は、優しすぎるのですよ」

 ゆっくりと、男の姿を象る彼の姿が歪む。目の前に現れたのは天才道士の姿ではなく、美しい黒髪をなびかせる女の姿だった。確か城にいた女官だったか。よく楊に言い寄っている姿を見かける上、城一番の美人と噂されているのも覚えている。
だが、比較対象が悪かった。

「一緒に寝るなら、女性の方が好みですか?」
「やめよ」
「どうしてです?」
「お主が無理をすることはない」

 目を合わせると、酷い事を言ってしまう気がした。
「いつものお主の方が、どのおなごよりも美しく見える」そんな歯の浮いた台詞を面と向かって言えるような性格でもない。こういう時は姫発の行動力に舌をまく。もし言えたとしても似合わない台詞に軽蔑されてしまうかもしれない。鳥肌なんて立てられたら、もう外を歩けないほどにショックを受ける自信がある。

「男ならば、もう女の姿を象るな」

 酷く傷ついた表情は、一体何を表すのか。やはり女装が趣味で、遠回りに罵倒をしてしまったのだろうか。弱々しく握りしめられた拳に、胸の奥がチクリと痛む。
 趣味を否定するつもりもないし、実際に彼の変化は完璧だ。自画自賛をするだけはあるほどに。
女性の仕草や男心を刺激する言動、女好きとはいえども、巧く土行孫を手込めにする技術は天晴と言うべきだ。謝ろうと思い目を見つめようとして、ぎょっとした。青白く光る、雫が見えた。彼が、涙を流して泣いているのだ。

「ご命令だと、おっしゃるなら」
「いや、今のは言い過ぎた。すまぬ」
「いえ……大丈夫です、ので」

 謝ったところで取り返しのつかない事をしてしまった。溢れ続ける涙を拭いながら、無理をして声を漏らす姿に心がキリキリと痛みだす。
手を伸ばして目元を拭ってやると、不安と恐怖が塗りたくられた青い顔。髪の色が反射しているのではない。彼の心の色が反映されているのだ。

「……すまぬ」

 覆水盆に返らず、一度聞かれてしまった言葉は取り消す事もできない。感情のない微笑みは社交辞令そのもので、何も言わずに寝転がってしまった。顔を見られたくないようで、頭から布団を被って。



20.2.25



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