封神 | ナノ



運命×運命=? 3

※オメガバ
※楊ふたなり表現あり


 あれから、楊に距離を置かれている気がする。役職柄、共に行動はしているが常に一定の距離が空いていて手も伸ばせない。
就寝時も、いつも理由をつけて部屋を抜け出して仲間の元を点々としている。
今日も今日と、他の者の部屋を間借りさせてもらっている。特に太公望の存在を気にせず詮索もしてこない、黄一家の部屋へと入り込んでいた。天化は「親父のいびきがうるさくて、寝られないさ!」と愚痴を漏らすが、家族水入らずでいれることに対しての照れ隠しらしい。文句をいいながらも弟の天祥と一緒に寝ているし、野宿をする素振りもない。実はもう仮の部屋は準備できているが内緒にしていると言えば、噛み付かれるかれるだろう。
 今日もじゃれ合い枕が飛び交う部屋を孫でも見るように眺めていると、隣に酌を持った黄飛虎がどかりと座り込んだ。彼は何も言わない。視線だけで「まだ喧嘩してんのか」と訴えてくるのだ。これほどにまでわかりやすく突き刺さしてくるくらいなら、いっそ口に出して咎めてほしい。別にマゾヒストではないが、傍観を決め込まれるのもなかなか苦痛なのは、わかるだろう。
 一杯、また一杯とお酌をしてくれるわけでもなく自分一人で飲み続ける。視線は以前太公望に向けられたまま、だ。
これは折れなければ皆が寝静まっても釈放されないかもしれない。無言の尋問に深くため息をついて、観念して視線を合わせることにした。

「のう、武成王。天化に準備してもらった部屋だが、……楊に譲ってもよいか?」
「ああ?」

 そんなことを聞きたかったんじゃない、と言わんばかりの嫌そうな声だが無視だ。確かに逃げれば今は解決するだろうが、根本的には何も解決していない。そんなことはわかっているが、彼の涙の訳が定かでない以上、下手に動けないという言い分がこちらにもある。一歩も引かずに睨み返すと、深呼吸のようなため息を吐き出された。

「あやつは自尊心が高いからの。見られたくないものが多いであろう」
「今更何言い出すかと思えば」

 「最近、お前らの空気がギスギスしてて、こっちまで気にすらぁ」と豪快に笑われては本当に困っているのかも定かではない。
いい大人であるし、すぐに仲直りすると信じてくれてのことだろう。すぐにでも仲直りをしたいのはやまやまではあるが、果たして彼が許してくれるだろうか。
 酷い事を言ったのはこちらだ。間違いはない。ならばもう一度面と向かって話し合い、謝辞を述べるのが模範解答であり、逃避が正解ではない。
自問自答の自己解決ではあるが、すべき事はわかった。「明日は部屋に戻る」と神妙な面持ちで答えると、「今から戻れよ」と淡白な返答。今すぐに行動が出来るくらい決意が固まっていたら始めから苦労するわけがない。唇を引き結ぶとやれやれと武成王が酒を一気に煽った。

「仙人用に部屋を準備してもらってからよ、真っ先に楊に声をかけたんだ」
「あやつに? して、なんと?」
「『ボクはあの部屋がいいです。だから、他の皆に当ててください』とさ」
「あの部屋、が?」
「お前も随分と部下に懐かれてるな」

 部下に懐かれている。果たしてそうなのだろうか。だがそんな彼にデリカシーのない言葉を吐いたのも確かである。今も同じ問いをしたら、彼は同じ答えを返してくれるだろうか?
視線をそらして子供のような態度を取れば、「素直になればいいじゃねえか」と。

「お前も、アイツのこと気に入ってるんだろ」
「嫌みで口うるさい奴ではあるが、頼りになるからの」
「なら、これ以上は何も言わねえ」

 並々に注いだ酒を、また一気に流し込む。酌を向けられたが、今度はおとなしく受け取って負けじと呷り口を拭う。満足に笑う武成王を尻目に、目を擦り欠伸を殺す天祥が見えて、彼もやっと杯を置いた。
眠るのは床でもいいと言ったのだが、天祥が「一緒に寝よう」と言うがためにセミダブルのベッドに3人が川の字で眠る毎日が続いていた。人の温もりは安心感をうむが、いつもと違い違和感を感じる。一体何が足りないのか、ああ、そうだ。匂いがしないのだ。甘く鼻孔をくすぐり脳へと直接訴えかけるような香りがない。
 浮かんでくるのは、揺れる青い長髪に、弧を描く緑の目。彼に想いを寄せる女たちもこのような気持ちなのだろう。離れていても拘束してくるとは、なんとまあ愛おしいことか。すり寄ってくる子供に抱きついて、ゆっくりと意識を甘い夢へと溶かしていった。

 寝不足でも軍師としての業務は朝早い。無駄に広く長い廊下を恨みながら、城の廊下を駆けていると、朝焼けの太陽が一層輝き側面から照らしてくる。誰もいない城もまた一興。小鳥の声と木々の囁きを堪能して欠伸を漏らすと、花の匂いが漂ってきた。
そろそろ豊作の時期である。桃も実ったことであるし、収穫も数日以内に行う予定だ。甘い果汁と、果肉を妄想するだけで溢れる涎を拭ったところで違和感を感じた。
 これは、自然の花の匂いではない。彼だ。案の定後ろから香りが強くなり、目の前を蒼色が過った。その一瞬で、上品でフェロモンのような香りが充満する。思わず立ちすくむと、驚く翠の目。急に体に腕を巻き付け、ゆっくりと、だが早足で引き返してきて身構えてしまった。

「……昨夜は、どちらに」
「だから、武成王と飲み明かしてくると……」
「お酒も大概にしてください。どこにいるかわからないと、介抱もできないのですよ」
「なんじゃ。介抱をしてくれるのか?」
「では、これで」
「おい!」

 呼び止める声すら耳に届かず、体を隠すようにして走り去ってしまった。
 酷い事を言って彼を傷つけた。書き置きのみを残し、心配もさせたのは自分だ。謝ろうにもどう声をかけたらいいのかもわからないし、果たして元の関係に戻れるかもわからない。
 冴えない上司の心配をするのが、仕事の大半だという男のことである。いくら言伝を残したところで安否を気にし続けるし、隈を作るほど寝付けないで夜を悶々と過ごしているのだ。欠伸をかみ殺しながらも業務に勤しむ姿を見せられては、子供のような行動をとる自分が恥ずかしく思えてきた。
 それでも、傷つけてしまってから時間を開けてしまったことが膿のように化膿し、どう仲を取りなしていいかがわからなくなってしまっている。
せめて心配をかけまいと部屋に戻るようにしたが、彼は何も言わなかった。隣に眠るが、一言も交えずに一夜を明かすだけの毎日。それでも、ほんの少しだけ、眉間に寄っていた皺が薄くなり、隈も消えていくのを見て胸をなで下ろす。
 逃げる事を止めてから数日後。自然と仲直りが出来たのかは定かではない。それでも前よりは共にいる空気が和らぎ、元のように戯けた口を聞いても睨まれなくなった頃が、一緒に寝る事に気恥ずかしさを覚えていた。我慢が出来なくなった日は「おやすみ」と椅子につっぷしたりもする。
己と楊の恋心を自覚してからは、まともに彼を見る事ができない。もう、同じ布団で寝る事はないだろう。
 就寝の挨拶を交わして先に寝台に入る彼の表情からは、どこにも行かない事へと安堵と寂寥感が読み取れる。机で眠る時は、いつも慌ててやってきてはベッドへと運ぼうとするのだ。一緒に床を共にすることなど出来る訳があるわけがないというのに。机にしがみつくような寝たふりはなんとも情けなく、戦士の力に勝てる訳もない。ベッドへと引きずり込まれ、逃げられないように腕の中に抱き込まれては眠ろうにも眠れない。
伏せられた眉毛の長さも、漂う清潔な香りも、全てが神経を刺激する。抵抗するように丸くなると、触れるのは羽毛よりも暖かく柔らかい人の身体の感触。「もう、どこにも行かないでくださいね」狸寝入りがバレているのか、言い聞かせるような優しい声から耳を塞ぐように、強く目をつむった。
 人の感情の機微には聡い。彼は、まだ隠していることがある。それはわかるのだが、詮索してまた傷つけることが、何よりも怖い。
 一歩踏み出す事も出来ない、素直になることもできない。進展なんて何一つないまま、数日が過ぎてしまった。

 最近はめっきり自室での業務が続いている。寝坊をしても文句は言われないし、周囲が静かで集中できる。口うるさい2人に急かされることもない。何よりも、国に一時の平穏が訪れており、緊急用に書き記されている策の消費がないのだ。例えつかの間であっても、理想的な日和である。
 日もかげり、遠くに聞こえていた兵士たちの鴇の声も聞こえなくなってきた。数時間前に武吉の帰宅の挨拶を聞いた記憶もあるし、四不象から「今日も何もなかったッス!」と見回りの結果報告も受けた。本日のノルマもとっくの昔に終わっており、仙人が攻め込んできた際の緊急時の国民の避難誘導法を考えていたところだ。文字が青白い光りで鮮明になったことであるし、背骨と腕を伸ばして首を回す。
 いい時間にもなったし、暖かいお湯に入りたくなった。さぼっていることがバレないように窓から外へ抜け出すと、ふよふよと降りてくる姿が見えた。さっそく面倒な奴に見つかった。露骨にイヤそうな顔をするが、気にした様子がないのは、図太い四不象だ。

「ご主人、どこに行くんスか?」
「スープー。起きておったか」
「スパイさんとお話してたッス!」

 早寝早起きの四不象が、日を跨ぐまで起きているなんて珍しい。眠そうな素振りもせずに、爛々と輝く目を見ていると明日は大丈夫であろうか。やれやれ、とため息を漏らして楽しそうな彼を微笑ましく見つめていた。
そこで改めて問いかけられる。「どこへ行くのか」と。

「ちょっと湯浴みをな。いいか、さぼりではない、気分転換だぞ」
「ふーん……本当っスか?」

 訝しげに見られても、いつものことである。気にする事もなく歩き去ろうとすると、足下にすり寄ってきて無邪気に笑った。

「ならボクも行きたいッス!」
「見張りか」
「そうっス」

 そこまではっきりと言われてしまっては言い返す言葉もない。嫌だと言ったところで付いてくるのも目に見えている。見張りと言われても告げ口をされて困る人はいないと言っていい。ノルマはこなしているから、シュウコウタンや楊からも言い逃れは出来る。
そこで、また頭の中が冷えきるような感覚に陥った。彼の事を考えるだけで心が冷えて動機が激しくなるのがわかる。
心が整理できない。自分の気持ちがわからない。モヤモヤと先の見えない黒い霧のかかる心眼を擦ることもできず、勢いよく頭を振って適当な一歩を踏み出す。

「……まあいいだろう。ついてこい」

 歩き出すと、追従をする白いカバ。慣れない道だから、ついて来れるか不安で何度も振り返ってしまう。木々をよけながら、下を左右を気にする姿は微笑ましい。横に並んで歩くと身を寄せてきた。
そういえば、四不象と2人きりなのは久しぶりかもしれない。聞仲に敗れてからは療養していたし、ずっと武吉と四不象は一緒に走り回ってくれた。
だから、定期的に面倒を見にきてくれていた楊や雲中子の方が、2人きりになった回数が多いかもしれない。働き者の相棒には感謝もしきれない。

「のう」
「?」
「いつも感謝しておるぞ」
「なんの話っスか?」

 素直になったことで何かを企んでいるとでも思ったのか、可愛らしい顔に皺を寄せて、精一杯のしかめっ面のしている。そこまで警戒しなくてもいいのに、と笑いながら額へと指をぶつけると、擦りながらもはにかんでくれた。やはり、彼は笑っているのが似合うというものだ。再び「これからも、期待しておるぞ」と素直になってみると、口を引き結ぶ。褒めているのだから、素直に受け取ってほしいのだが許してくれないらしい。日頃の行いが物を言うとは、このことだろう。

「お主はいつもわしの為に働いてくれておる。これからもずっと、わしの傍にいてくれるか?」

 四不象になら言える。感情のまま言葉を紡げば、そのまま、腹へと頭突きが1撃。思わずうめくと、そのままグリグリと頭の毛を捩じ込んでくる。そんなに怒る事はないと思うが、彼は何も言わない。身を寄せたまま、動きを止めてしまった。

「わしはそんなに信用がないのかのう!」
「……そうじゃ、ないッスよ」

 もしかして照れ隠しなのだろうか。ニヤニヤと顔を覗き込もうとしたが独特な匂いが風に乗ってきて、後ろを振り返った。
ふざけている間に目的地についたようだ。湯気が見えてきたことで駆け出し、近くに木の枝で作っておいた、竿にタオルをかけると湯加減の確認。素手をつけても問題ない、いいお湯である。

「スープー。入れるぞ」
「本当っスか!?」
「ただし、わしから入るぞ」
「えー! 狡いッス! 一緒に入ったらいいじゃないッスか!」
「狭くなるからいーやーじゃー」

 ごねる彼に舌を出し、有無を言わせぬ間に服を脱ぎ捨てると素早く一番乗りを果たす。うるさいお付きに小言を言われ続けては、休まるものも休まらない。肩まで湯をかけて、自然の空気を吸う。あとは酒と美女でもあれば完璧なのだが、文句は言えない。

「ふいー、極楽、極楽!」
「ズルいッス、ズルいッス!」
「そうだのー、お主が人間の姿をしていたらのー」
「僕はそんなに太ってないッス!」
「横に長いのだ、横に」

 いくらキーキーと喚かれたところで、大切な相棒だったところで譲れないものはある。
リラックスモードになり、岩を玉座に見立ててもたれ掛かると、天頂には満点の星空。青く白く光る粒たちに、いつしか見た楊の涙を思いださせられる。ハっと我に返り、逃げるように目を伏せると、頭上から控えめで意志の強い声がした。

「ならば、この姿なら、一緒に入ってもいいのですね」

 振り返り後悔した。四不象を探しても、どこにも相棒の姿はない。
代わりに、月も恥じらう美しい天女が湯を覗き込んでいるではないか。
 月が浮かぶ水面で光るのは、白く玉のような肌。緑の目を宝石のように輝かせながら、うっとりと頬を染めては唇を引き結ぶ。
いつもよりふっくらとして赤い唇に、長くなった睫毛が、音がするかと思うくらいに瞬いた。衣服は身につけずに、一枚の布で体を覆っているだけ。肩は丸く、筋肉もついてない、滑らかな柔肌は生娘のものだ。唇が弧を描き絵画のような微笑に、目を白黒させるしかない。
もうすでに風呂へと入れる準備は万端で、立ちすくんでいた。

「ヨウ、ゼン?」

 待ってくれ。本当に女だったなんて聞いていない。
身体のラインは湯気のせいだと言い訳が聞かない。確かめるように腕を掴んでみると、折れてしまいそうな柔らかさと感じた。これは男の物のはずがない。
慌てて背を向けて、口まで沈んだのはいいが、鼻に湯気が入って少々辛い。どうにか頭はいつものように冷静さを保とうとするが、身体は熱くなるばかりである。
 そうだ。何か言って誤摩化すしかない。話題を探せども探せども、頭に血が上って朦朧としてきた。ああ、意中の相手を目の前にした人は、皆このような思想になるのか。いや、感心している場合ではない。言葉を交わしておかないと、邪な思想に捕われてしまう。

「やはりスープーに化けておったな」
「気づいていましたか。いつから?」
「スープーは移動の時、まず背中を差し出すのでな」
「ボクもまだまだですね」
「それに、甘い匂いがした」

 また俯く彼から涙に潤んだ表情を思い出し、心が締め付けられるように痛む。気位の高い彼が涙を流すところは、もう見たくなかった。つい逃げ出してしまったが、恐る恐る視線を戻すと、決意に固まった表情。
唇を引きすむび、弱々しさは微塵も感じられない。一体この短期間で彼の中にどのような変化があったのかは計り知れないが、ほっと胸を撫で下ろす。もう、謝って傷つけることはしたくないから。
 気を取り直して堂々と「何故こんなまどろっこしい事を」と訪ねると、真剣な顔で言われた。「貴方がボクを避けているから」と。
言い訳をせずに口を閉ざしていると、ゆっくりと腰を据えて湯へと指先を沈めていく音だけが聞こえてくる。

「貴方とゆっくり話す機会が欲しくて」
「……やはり女体に化けるのは好きか。悪い事を言ったの」
「ち、違います」

 何が違うものか。いつもの変化の女装とは違う、己の姿のままで女体になるなど、物好きか余程のナルシストでしかあり得ないだろう。
だが、自信家ではあるが自己愛が強いとは思っていない。何よりも自信があるならば体を隠す必要がないのだが、背を向けて長く青い髪で桃色に染まった背中を隠そうとする姿勢より、恥辱が読み取れる。
 とにかく、どうすれば逃げられない状態で女性に相対している局面から抜け出せる? ぐるぐると回る頭を邪魔するように「クシュン」という控えめなくしゃみ。口に握りこぶしを当てて、鼻を鳴らす姿はか弱い女性そのもので、異性と過ごす事に慣れていない太公望は居心地の悪さを覚えた。
これを合図に、慌てて立ち上がると白い手を掴んだ。緑の目が下から上へと、手を滑って上がってくる。

「とにかく入れ。寒いであろう。見張っておるぞ」
「イヤです。お先にどうぞ」
「風邪を引くぞ」
「貴方と話をするのが先です」

 仙道にだって病はある。寒い中、上着もなく話こんでいては体調を崩してしまうだろう。改めて彼の格好を上から下まで確認をして、顔を赤らめてしまった。熱により表面が湿った服が、なだらかな胸の下り坂に影を作る。湿って肌に張り付いていることもあるが、何よりも濡れて張り付く髪がどうしようもなく扇情的なのだ。
 急いで湯から上がろうとした。しかし出来なかった。弱い力で腕を掴まれたと思ったら、グンと下への重力が強まり、湯へと沈められてしまったのだ。
抵抗なんて出来る訳ない。力で負けているからというのもあるが、胸にはくっきりと山の陰を描き、襟首から覗く深い谷間が見えてしまったのだ。
女体なんて、見た事も触れた事もない。どうしていいかわからずに赤くなっていると、彼も迷った目をしていた。

「……女になりたくて、なったのではありません」
「趣味ではなかったのか?」
「違います! ボクは、オメガという特異体質なんです!」

 胸を隠されては、逆に気になってしまう。下着をつけずに揺れ動く様を見つめていると、鼻まで真っ赤にして怒られてしまった。「変態」と。

「男でも子を成す事が出来る体質であったか」
「そうです。しかもボクは変化の術の影響か、女性のような胸部が、備わってしまうので……」

 確か特異体質、特にオメガは自分に相応しい相手を本能で感知できる種族。種を残す事に対して、一途な想いを有する。そして、性に対しても強い執着があり、番が見つからない場合は「誰でもいい」という困った衝動がある。
なによりも特徴的なのは、そのパートナーへの執着。オメガは誰とでも繁殖をすることができるが、相性のいい、俗にアルファを選ぶ。例え見つけた伴侶が同性であっても、アルファは相手の子孫を残す為に身体を作り替える事が出来る。夫婦になる相手に尽くす態度は、ロマンチックに言えば愛の成せる技だろう。
 番は誰かはわからないが、甘えた女の表情をされては、男なら誰もが好意を向けられていると勘違いをしてしまい、突っぱねる事も出来ない。

「でも元は男です。プライドだってあります。それでも……」

 妲己にも劣らぬ、絶世の美女。作り物と勘違いするような小さな体に、青い髪が纏わり付く。
彼が匂いをしきりに気にしていたのは、男でありながら女の性を保つ、ちぐはぐな体を隠す為であったのか。きっと真面目な彼は軽蔑されるとでも思い、人知れず傷ついていたのだと予測できる。そんなこと、ありはしないのに。
見慣れない女体に、己が興奮しているのは嫌でもわかる。虫を誘う花のように、無意識な色香。つっぱねようとしても、本能が花を摘み取ろうと手を伸ばして髪に触れる。
 他の者に楊を、女の姿を見られてはまずいと思った。どうすれば彼女を守れるだろうか。特に好色な武王に見つかると、娶りたいと猛アタックをされてしまう。その前に、いっそ自分が。

(何を考えている)

 赤らんだ頬に、熱っぽい目。生唾を飲み込むと赤い紅が引かれた小さな口が開かれた。「師叔?」と。
甘えた子供に名前を呼ばれて、身を寄せられては悪い気はしない。布が落ち葉のように地面へと舞いおりてゆく。まるで雪のようで、美しくもあり儚い。寒くて白い息が、銀色の月光の基に光り輝いている星のよう。
しかし、星に触れたら火傷をするだけだ。手に届かないからこそ価値が上がるというもの。触れられる距離にある宝から目を反らせば、傷ついた表情が、目の端に映った。
そんな彼を1人にしておけるわけはない。

「のう。一緒に入るか」
「はい……!」

 諦念というよりも、覚悟を決めた。温度を確かめる手を取り、ゆっくりと中へと誘導してやる。タオルを巻いたまま、というのはルール違反と聞くが、緊急事態だ。まだ恋人でもない男女が、裸の付き合いなど許される訳がない。だが、神が微笑み悪戯をする。岩肌に足を滑らせた彼が「うわっ」と悲鳴を上げながら飛び込んできたのだ。
 当然、助ける為にも受け止める形になり、体をすり寄られて距離が0になる。驚いて身体が強ばっているのだろう、しばらく離れる気配のない彼の身体を抱き留めながら、切に思った。細くて、滑らかで、小さな身体は、本当に戦士楊のものなのだろうか、と。
 もしや狐に化かされているのではないだろうか。クスクスとあざ笑う妲己の顔を想像してしまい、首を大きく振る。

「絶世の美女でしょう?」
「美人、だの」
「ボクが迫っているのにはねのけるとは、貴方やはり枯れているのですか?」
「言ってくれるのう」
「……もしや不能ですか?」
「んな訳あるかい!!」

 見透かされた発言に咄嗟に股間を抑えてしまったことで、勃起してしまっていることがバレてしまった。
からかわれていることはわかるが、悪い気はしない。いつもじゃれ合いと何ら変わりのない空気に、安堵すら覚えたから。
笑われる自体はいい気はしないのだが、容姿が変わろうともいつもの彼だと安心できることは大きい。つられて小さく笑うと、数化しそうな彼の顔が目の前にあった。

「ボクが、愛撫してあげましょうか?」

 さすがにこれはからかいでも許されない。触れようと迫ってくる小さな手から逃げて湯から飛び出そうとすると、強く呼び止める声が背中をつく。振り返ると、悲しげな彼の瞳が下から機嫌を伺うように見上げてきていた。「行かないで」と。
常に男を誘う仕草に、彼はれっきとしたオメガなのだと思い知らされる。だからこそ、不安も募る。ただ、欲求不満だから好いてくれていたのではないか、と。

「何故お主はワシに執着し、尽くしてくれようとする」
「え……」

 言うつもりはなかった。それでも気がついたら口から絞り出したような声が漏れ出ていた。
相手の好意を否定するその言葉に、傷ついた表情は仕方がない。それだけの事を言ってしまったのだから、悪いのは太公望の方である。それでも、答えによっては傷つくのはこちらになるだろう。言葉を失って視線を泳がせる彼女に、不安を煽られてつい詰問口調になってしまう。

「お主はもう仙人を名乗れる一人前だ。実力もある。お主ほどの優良物件であるなら、引く手数多であろう?」

 「やめてくれ」と無言で首が横に振られるが、望む返答はない。
いつも毎晩身体を清めてからやってきた理由を知りたいが、聞きたくない。それでも、聞かなければならない。肩を掴んで逃げ場を封じると、うっすら涙に濡れた目が恐る恐る覗いてくる。

「番が、好きな相手がいるならば」
「太公望師叔!」

 強く叱咤する声は、親が子供を叱る時に似ていた。感情のままに叫ぶと手を掴まれた。粗雑ではあるが、食い逃げをした犯人を捕まえるような、乱暴な掴み方ではない。落ちる宝物を慌てて掴むように、守るように両手で包み込んで摩ってくる。
諭されているような、感情をすりつけてくるような不思議な感覚だ。それでもまるでカイロでも当てられているように、掌の熱が伝わってくる。
教え聞かせるような想いが、流れ込んでくる。

「ボクは、以前より、貴方をお慕いしてました」

 本当は、わかっていた。いつか、こんな日が来るとは思っていた。ただ、気づかないフリをしてただけ。
絞り出された言葉は偽りでも、媚び諂うものでもない。ゆっくりと、自分にも言い聞かせる、残酷な言霊に心臓が絡め取られて行く。
彼の言動が恋慕からくるものだとわからないほど無知ではないし、人の感情には聡い方だ。
こちらを見ているというのは知っていたし、すれ違う度に流し目が向けられていたのも自覚済み。他の男には、彼はそんな熱い視線を送ってはいなかったことも、知っている。彼の紅潮する顔や、やたらと身を寄せてくる仕草は、太公望にだけ向けられた甘えだ。
 だが、いざ告白をされると頭が動かなくなり、体すら固まってしまった。だって、釣り合わない。だって、だって。

「前、から?」

 自覚していなかったのは、自分の感情。
告白されるまで、認めたくなかった。天才道士から、恋慕を向けられているとは。「きっと自分ではない」いつもの卑下の気持ちだけが壁となっていた。

「貴方を見て、すぐ番だとわかりました。始めは胡散臭い人だと心まで許せなかった」
「はっきり言うのう」
「でも優しくて強い貴方の意思を知って、運命は本当にあるのだと嬉しかった。漏れ出てしまう女性フェロモンを隠すため、女性に変化していたのです」
「では、妲己に好んで化けていたのは」
「貴方に、欲情していると知られたくなかったから……。趣味じゃないんです」

 「甘い匂いで、周りを狂わせてしまうから」なんて、長い髪を耳にかけながら言う小悪魔に、耐えられる訳がない。
その甘い香りに惑わされたのは、意識をしていなかった時から。
通り過ぎる度に、鼻につく甘い匂いが果実のようで花のようで、桃を思い出しつい振り返ってしまった。
そこにいつも居たのは、肩越しに見つめてくる翠色の目。視線が交差すると、穏やかに目尻を降ろして微笑んでいた。
 上に立つ者の作られたキリリとした晴れやかな表情ではない。仲間や女官たちの黄色い声に向ける、営業スマイルでもない。照れたような、好物を見つけた子供のような、パッと顔を綻ばせて、それでも露骨に顔に出さないように、と感情を抑えている微笑み。真っ赤な顔が可愛いとまで思い、つい満面な笑顔を返してしまっていた。なんて可愛らしいおなごの笑顔だ、と。
 そのときから、心のどこかでは気づいてたのだろう。彼が、女の心をも持ちあわせている事を。自分の前でだけ、その無防備な素顔を晒していた事を。

「ボクでは、ダメですか」
「ワシは恋愛に興味はない。他の男でもよいのだろう」
「他の男に選ばれるのは当たり前です。けど」
「自信家め」
「貴方じゃないと、嫌なんです……」

 もう、彼の気持ちから逃げる事はできないのかもしれない。
何を求めているのかなんて、言うのも野暮というもの。しきりに股間の気にしながらも頬を染める姿にこちらまで赤くなる。
物欲しそうに口が、それでも恥じらいを持って堅く結ぼうと葛藤する姿に、熱い唾を嚥下する。おずおずを手を伸ばしては引っ込め、期待の眼差し。
乱雑に髪をかくと、ゆっくりと腰を下ろして彼女を真っ直ぐ見つめる。
「どうしたのですか?」と純粋に心配されて、誤摩化す為にも湯船に浮かぶ青い髪を手にとった。

「髪をくくるぞ」
「はいっ」

 可愛らしい笑顔に絆されながらも、青く長い髪に手を伸ばす。1本1本がエナメル線のように光り輝いては見えるが、シルクのように艶やかで肌触りのよい柔らかさ。ずっと触っていても飽きないだろう。
1つに束ねて馬のしっぽのように垂れ下がらせると、白いうなじと生え際が見える。汗が滴り湿って色気までも流れ出て、注視することなんて出来なかった。「できましたか?」と後ろ手でポニーテールを掴もうとする白い手首を掴むと、振り返ってきた驚いた顔につい口づけてしまった。
 自分の物にしたいと思うのは、エゴだろうか。何も言わずに目を瞬かせる。
穴があったら入りたい。口を抑えて唖然としている彼に、居たたまれない気持ちになり立ち上がろうとすると、腕を掴まれてしまった。

「えっと、あの」
「……何も言うな」
「今の、キスは」
「言うな」
「貴方からの、お返事でいいのでしょうか?」

 驚き、そして期待した表情に、更に尻込みしてしまう。本当に、無意識だった。こうしたい、そう思った欲をそのまま体現したと言っても過言ではない。それでも素直に言うには憚られた。
改めて彼に告白するには、覚悟がたりない。彼は真っ直ぐ気持ちを伝えてくれたのに、どうしても勇気がでない。言葉が選べずに口ごもっていたことで不安にさせてしまっているのはわかっている。噛み締められた唇が歪んでいく。

「違う、のですか」
「それは、その」
「やはり、気持ち悪いですか」
「嫌いなら口づけなどせぬ!」
「ボクがオメガだから、衝動的にしてしまっただけではないですか?」

 パタパタと落ちる涙は白銀に輝き、土へと飲み込まれていく。透明で美しい宝石のようだった雫は、土の黒に混ざり濁り、汚い茶色と境界線が失われていく。逸らされた目は怯えて、視線を合わせる事を拒絶していた。
 楊のことが嫌いな訳がない。オメガであるという事実を知らずとも、知ってからでも好きだと言えるのは確かである。それでも性別に関して戸惑ってしまったのは確かである。だが、悪い意味ではないのだ。寧ろ逆だ。
「男だから」と理由で制していた理性が、「女でもある」という事実に戸惑い、揺らいでしまっているのだ。「この想いは、正常ではないのか」と悪魔が囁きほくそ笑む。
 彼に何も罪がない。生まれながらの性が自分で選べるのならば苦労はしない。だけど、それでも理不尽に恨んでしまうのだ。何故、普通の性として生まれてくれなかったのだろうか。と

「そんなにオメガの性は強いのか」
「ボクから、甘い匂いがするとおっしゃっていましたよね。あれが、老若男女を惑わすフェロモンです」
「……辛い、思いもしただろう」

 抱きしめて頭をポンポンと撫でてやると、涙で潤んだ目ですがってくる。怯える姿から、今まで起きた事案も感じ取れる。好いてもない相手に、無理矢理迫られたりと貞操の危険を感じた事は多々あるだろう。同情を隠せない。
努力家で、負けず嫌いな彼だから。自分の容姿も、その性によって得られたものだとしたら、彼のプライドも黙ってはいない。

「薄っぺらい愛情は、もういらないんです」
「よしよし、色男も辛いのう」
「ボクのこと……本当に好きだというなら、もう一度ゆっくりと優しい口づけを」

 そんなこと、言われるまでもない。言葉を紡ぎ終える前に指を当て、許しを請うように表面を撫でる。
くすぐるように、性的な意図を込めて撫でているにもかかわらず、彼は抵抗を示さない。それどころか、ゆっくりと唇を開いて舌を差し出し、指へと絡めてくるではないか。
 珍しいおねだりを断る理由なんてない。逃さない、とを両手で包み込み、顔を近づけると目を閉じて答えてくれた。
美しい顔立ちが誇張され、上を指す鼻筋に少し嫉妬もする。だが、そんな彼を手に入れることができるという優越感に浸り、考えている場合でもなくなった。
まずは軽く唇を擦り付けるだけのフレンチキス。それからだんだんバードキスへと変わっていく。断続的な接触は興奮を煽り、どんどん深いものへと変化して行く。
だが、唾液までも吸い上げようとしたところで、風呂場という息苦しくなる場所ということを忘れていた。酸素を大きく吸い込むだけで、肺へと入り込んでくる硫黄混じりの熱い空気に肺が驚き咳き込んでしまう。
 本能のままに吸い付いていたが、まだキスは巧くない為に気恥ずかしい。それに、一番の理由は、ここで盛っては風邪を引いてしまう。軽く触れ合うだけで惑わされたように頭がくらくらするのだ。
納得がいかない表情が、嬉しそうな笑い声に変わる。抱きつてきたことで、タオルが離れた為に乱暴に押し当てて咳払いを1つ。

「上がればすぐに部屋へと戻るぞ」
「フフ。貴方もやはり男なのですね」
「そうではない! 見られるのはイヤであろう?」
「貴方とだけの秘密というのは捨てがたい」

 身体の中心が熱い。猛ってしまって、感情が高ぶって仕方がない。傍に居るだけでこんなにも意識してしまう人間が居るとは思わなかった。控えめに響く水音と、それ以上に鳴り響く心臓の音。相手には聞こえない騒音に悩まされて顔を赤くしていると、都合良くのぼせたと勘違いしたらしい。「先に、身体を清めてください」と、汚れ1つないタオルを手渡された。
 もう少し、ゆっくりとたわいない時間を過ごしたかったとも思うが一刻も早く熱を抑えなければいけない。
一緒にいる為には煩悩を殺さなければならず、欲望を吐き出す為には目の前に広がる極楽もしばし見納めだ。究極の選択とはこのことか、と大げさにため息をつけば、肩へと幸せな重みと香しい上品な香りが鼻をくすぐる。

「ボクが、お背中を流して差し上げますよ」

 背中に擦られるように動く、丸く柔らかい桃は、まごう事なく女の果実であろう。背筋を背骨を伝うようにしてなぞり、ムニムニと存在を主張しては形を変えながら跳ね回る。時折掠める2つの蕾。その度に「あっ……」と甘い声と香りが充満して、頭の血液が沸騰する。のぼせるどころか死んでしまうだろう。

「あまり誘惑するのならば、この場でお主の痴態を暴いてくれるぞ」
「やっ……そんなことされたら、ボクも我慢できなくなります……」

 振り返って赤く卑猥に実る果実を弾くと、嬉しそうに巨大な山を揺らしながらも腕ではさみ、形を誇張する。焦らすように肌へと手を這わせると、それだけで恍惚とした表情を浮かべて視線を逸らした。
 今更生娘のように恥ずかしがり、胸を隠したところで誘惑にしかならない。形のいい耳へ、骨が丸くなりなだらかな曲線を描く頬へ、細くて頻繁に脈打つ首筋へ、首飾りのように存在を主張する鎖骨へ。手を下へと滑らせていくと、そこで静止の声がかかった。

「あの、師叔」
「なんじゃ」
「本当に、のぼせてしまいます」

 くらりと歪んだ視線に、立ちくらみに襲われたのだと悟った。まるで言霊にさえも愛されているかのような、これ以上にないタイミングの助け舟だ。
見えない言葉の要請を恨みながら、なんとか岩場に肘をつくと心配そうな桜色に染まった顔が腕を支えてくる。重力に従いずれ落ちていく体を、絶対に離すものかと引っ張って支えてくれるのは。ご褒美が時折二の腕をかすり、柔らかい感触に包まれる。
 早く、湯浴みを済ますに超したことはない。鼻の下を伸ばしながら、酔っぱらいのような足取りで歩き出すと、鼻歌を歌いながら体を清めることにした。
持ってきていた手ぬぐいを濡らして、背中を擦って垢を落とす。日に焼け慣れていない肌は、すぐ赤くなりヒリヒリと痛みを発するが、頭を冷やすにはちょうど良い痛み。ごりごりと乱暴にタオルを動かしていると、何かに抑えられて動きを止められてしまった。
どうやら有無を言わせず奉仕をしてくれるらしい。自動的に布が背中をなぞる感覚に、心地よくなり目を閉じるとより鮮明に感触を拾う事が出来る。

「どこか、かゆいところはありますか?」

 思った以上に上機嫌で、鼻歌すら聞こえてきそうな様子である。長い髪が左右にゆらゆら揺れて、まるで犬の尻尾のよう。
これはリボンが似合うだろう。空色の髪に、薔薇のように赤いリボン。対ではあるが、ゆらりゆらりと漂いながら、柔らかい布が滑らかな髪と共に風を漂う。見た事はないが、容易に想像できるのだから似合うに決まっている。
 今度髪留めでも貢ごうかと考えていると、心配そうな上目遣いに見つめられていた。

「やはり、のぼせてしまいましたか?」
「だ、大丈夫だ」

 薄い布1枚に隔てられ、感じるのは胸の鼓動と柔らかい弾力。誘惑をされているわけではない、これは不可抗力である。いくらそう言い聞かせたところで欲望が先行して都合のいいように解釈をしようとする。
咳払いを1つ、腹を無意識にかけば、素直に正面に回って強く擦ってくれる。召使いのように扱いたい訳じゃない。彼とはあくまでも同等の関係でありたいのだ。髪に手を絡ませて、惚けた瞬間に布を奪い取るとしてやったりと悪戯な笑みを向ける。

「ああ、次はボクですか」

 あくまでもマイペースに冷静な態度は崩さない。体に巻き付く羽衣のような薄い布を取り払いだしたから、慌てて背中を向けて風呂へと頭から飛び込んだ。
あまりに迅速で躊躇いのない暴走だった故、驚いた丸い目がビー玉のように困惑の色を写す。そこまで避けられるとは思っていなかったのだろうか。それならば全身鏡でも見てほしいものである。男なら、その艶姿に尻込みをしてしまうのだから。

「体は洗ってやれぬぞ!?」

 やっと叫び返せたのはいいが、声が裏返っていては格好もつかない。毛ほども気にしていない態度で目を丸くすると、悠々と笑う。

「冗談ですよ。フフ、女性に慣れていないのですね」

 からかわれた、とわかっても侮辱よりも図星をつかれた悔しさがわき上がる。
 そこからはただの生殺しだった。先ほどの恥じらいはどこへやら、堂々と沐浴をする楊を見せつけられ、白い泡を少しずつ脱いでいくストリップショーも見せつけられた。背中だけではあるが、傷1つない肌色に、魅せられ引かれて目が離せない。腕に、背中に、腰に巻き付いてく白い泡が羨ましいとすら思ってしまった。
触れてもいい、と言われた為に白い双肩へと手を乗せたところで文句は言われない。それでも、白を穢してしまうことが居たたまれなくて、出来なかった。

「あまりジロジロ見るのはマナー違反ですよ……」

 裸の付き合いをしているのに、今更だという野暮な台詞は置いておこう。
彼は、もう女性との経験があるのだろうか。なんというか、女性の仕草をここまで網羅しているとなると、一人や二人ではないのだろう。いや、そもそも女だけなのだろうか。既に男の相手もした事があるのかもしれない。
 わかっている。仙道でも欲はある。欲求を発散しなければ生活に支障が出る訳でもないが、性欲がなければ純潔な仙人など産まれない。
処女童貞ではないだろうが、様々な人を手玉に取る悪女だったらどうしよう。勝手な幻想を抱いて、頭を抱えていると、水が滝のように流れる音がした。

「師叔。どうなされました、師叔?」
「あ、ああ。もう上がるかの」
「はい……大丈夫ですか?」
「ん。何でもないよ」

 一体何が不安を煽ったのかはわからないが、額に手を当ててまで心配をされてしまうとは不甲斐ない。精一杯の笑顔を向けてやると、納得がいかない表情ではあるが、服を持って近くの木の陰に消えていった。
 そうだった、太公望も替えの服など持ち合わせていない。仕方なく同じ服を身につけたが臭わないだろうか。鼻を動かしていると、クスクスと笑う彼が視界に入った。見られているならば、みっともなくて続けていられない。
 恥ずかしさを誤摩化すように、目を反らして腰を抱き寄せると、拒絶もなく細い肢体を寄せてきた。だが、彼の香りを間近で嗅ぐ事になってしまい、煩悩での軽率な行動を後悔した。気のせいかもしれないが、オメガのフェロモンが強くなっているような気がする。番が近くにいるだけで、ここまで強いフェロモンがでるのだろうか。思わずまた本能のままに、守るように彼の身体を抱き上げていた。

「え、あの」
「おなごが夜道ではぐれたら笑えぬであろう」

 随分と胡散臭い言い訳をしてしまった自覚はある。口笛を吹いて誤摩化せば、怒る訳でもなくあきれる訳でもなく「仕方のない人だ」と溶けた笑顔で天女ははにかんだ。

「丁度のぼせてしまっていたので、お言葉に甘えます」

 どうにも可愛いところもあるものだと、抱え直すと、坂道を下へと見据える。荷物など持ってきてはいないが、手にはしっかりと重みがある。1人で山道を降りる分には問題はないが、今は大事な恋人を抱えているのだ。ここで転んでしまっては人として、いや男として悔やんでも悔やみきれない。
汗の匂いすらしない、石けんに身を包まれた楊を見つめていると、ああ、恋人になれたのかと自覚する。
 はやく、早く、触れ合いたい。気がせいて早歩きになると、木の枝を踏み折る音も感覚が短くなる。
パキリ、カサリ、パキリ。秋の小さな演奏会に聞き惚れている時間などない。目の前で紅葉した白い肌の方が、秋の山よりも美しいのだ。急いで枝たちを踏み越えて何丈進んだのだろうか。ふと、上着の裾を引く小さな手に気がついた。上目遣いが見えて、視線を合わせれば赤い顔。でもきっと、太公望の方が顔は赤いだろう。

「あの、もう少しゆっくり歩いてください」
「何故だ」
「胸が揺れて、痛いです……」

 声に釣られて下を向くと、左右に引っ張られるように垂れ下がる大きな双つの山が、重力に引っ張られながらも揺れているのが視界に入ってしまった。一歩踏み出す事にゆさゆさと動く様に、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。
そうだ、肌着をつけていないのだ。支えるものがなく、動くのは必然的。手で支えようかと思案したが、それではただの平助ではないか。だが視線で意図がバレてしまい、朱に染まる女の表情が目に毒。
 言われるがままに歩みを遅くすると、目を閉じて不定期なリズムに身を任せている。上半身が引っ張られるのは理由の1つではあるが、本命は眠る為に丁度いい速度にしてほしかったのだろう。満足そうな微笑みに、文句が言えない。

「今のは丁度いいです……」
「眠っていてもいいぞ」
「そういうわけには、いきません」

 いくら口では強がっても、目は伏せて船を漕いでいるために時間の問題だ。寝かしつけてやろう、とわざと一定のリズムで揺すってやると、案の定動きが止まり、胸に寄りかかりながら寝息が聞こえ始めた。
ずっと、特殊な体質がバレないようにと気を張るのは疲れただろう。人知れずに努力してきた彼を、今までのぶんまで褒めてやろう。すっかりと力の抜けた眠り姫を抱えて、一人夜空を仰ぐ。
 恋人にはなれた、と思う。だが恋人の距離はわからないし、第一今まで一緒にいたというのにどのような態度をとればいいのだろうか。意識をするだけで気恥ずかしい。今まで共に褥へと入っていた時も、言い知れぬ背徳感を覚えていたのだ。お互い好き合っているとわかってしまうと、さらに期待をしてしまうではないか。
 ダメなのだ。そう、がっついてしまえば他の男と同じである。
起こしてしまわぬよう、甘える子供を連れ帰るが如くゆっくりと歩を進める。冷たい風に負けぬよう、悪い狼に食べられぬよう、小さい体で外の世界から見えないようにと庇い隠す。
大切な箱入り息子は、部屋の中へ。月光すらも敵だと言わんばかりに白く羽のつまった掛け布団へと滑り込ませる。
 今日はどこで一夜を過ごそうか、と悶々と考えるが強い力が離してくれそうになかった。



 朝、目がさめるといつもと変わらない部屋に、気持ちの良い陽気。ああ、朝がやってきたのかとあくびをかみ殺して横を見ると、動くことに対する抗議の唸り声が聞こえてきた。
最近はずっと一人で枕を濡らしていたはずだ。太公望には露骨に避けられていたし、何よりも勇気がなかった。
彼に対しての好きという感情が、本当に自分の深層心理にある感情なのかどうか自信が持てなかったのだ。オメガとしての性で、優れた種を求めていたのだとしたら、と考えると胃から込み上げるものがある。
 「この感情はちゃんと楊という個人の感情である」そう、いくら言い聞かせたところで離れて行く彼の後ろ姿を見ていたら不安は募るばかりだった。だが、追いかけるばかりだった背中がすぐそばにある。ゆっくりと前髪に指を通すと、すっかり乾いた髪の感触がある。

(ああ、そうだ。昨日思い切って告白をしたんだった)

 しかもまさかの肯定に、柄になく有頂天になってしまった記憶がある。
つい調子にのって誘惑をしてしまったが、はしたない奴だと嫌われていないだろうか。不安が渦巻く中、まだ深い眠りにつく彼の寝顔を眺めて見た。
いつも見慣れた顔ではあるが、両想いになっては見る目も変わるというもの。思ったよりも童顔だとか、クセの強い髪であるとか、まつ毛は思ったよりも長いだとか、仕事をしているだけでは気づかない特徴である。
桃のように、綺麗な色をしていて柔らかそうで、実際にしっとりと柔らかくて。
 昨夜の優しい接吻を思い出すだけで、体が震えるのがわかる。無意識に下唇に指を這わせると、暖かい感触が蘇るようだ。また、生理現象で体が女へと作り変わってしまう。
浅ましい体質だとは思うが、これで朴念仁な彼が興味を示してくれるのならば、初めて嬉しいと思える。性は嫌いではあるが、体型には自信があるのだ。
眠っているのなら彼に逃げられることもない。いつもなら寝坊する前に覚醒を促すが、今はまだ陽も昇っていない時刻である。気持ちが良さそうに眠っているとなれば無理に起こすこともないし、彼とゆっくりとした時間をすごすことに憧れてもいた。日課の修行もサボってしまおう。

「すーす……」

 いつしか、彼を逃がさないようにと抱きついていた行為が、今や彼の温もりを味わう為にと変わっている。
首筋に鼻をこすりつけて、肺いっぱいになるようにと息を吸い込む。ゆっくりと舌を這わせながらも、昔師匠に言い聞かせられたことを思い出す。
「オメガは、首筋を噛まれることで相手を番だと認識する」
動物は、本能で獲物を仕留める時は頸動脈に噛み付く。そんな無防備なところを噛まれると言うのは、相手を強者と認めて負けを認めたと同義。例え相手に好意がなくとも、相手にしか欲情しない専用の雌となってしまう。
「だから、無防備な姿を見せてはいけないよ」無限の時を生きる仙人だからこそ、文字通りの一生に関わることである。だからこそ、言える。

「貴方になら、いつでもこの身を差し出す心算でいます」

 まだ、本当の姿のことは話せないが、無防備な姿は十分に晒してしまった。それでも、彼は紳士的なのか興味がないのか手を出してこなかった。少し凹みはしたが、それが彼らしいと惚れ直してもしまった。
桃の果実の匂いに、力の弱まる腕。抱きつき目を閉じるだけで、夢の世界が一気に近づいてくる。
すっかり浮かれていたために気がつかなかった。太公望は既に目を覚ましており、熱いほどにが赤くなっていることに。
 夜が明けたら「おはよう」と言い、同じ職場へと向かい、共に眠る。いつもと同じ1日が繰り返されるのだろう。どうやってその日常を崩し、恋人という非日常へとすり替えればいいのかはわからないが、時間はたっぷりある。いつも同じ空がないように、少しずつでもいいから月は太陽に近づきたいと追いかけよう。


20.03.21

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