お人好しで結構



そういえば、同棲をしはじめた頃の休日はたまに彼が早起きをしてご飯を作ってくれたことがあった。同棲をはじめたのは三年くらい前なのに、もう遠い昔のように感じる。そうそう。こんな風に、朝ごはんのいい匂いが部屋の中いっぱいに漂って、幸せな気分で目が覚めるんだっけ。料理があまり得意じゃないと言って包丁で指を怪我したりキッチンを荒らしたりしていたけど、自分のために準備してくれるのがとても嬉しかったんだ。布団からなかなか抜け出せないわたしの肩を優しく揺すって、頭を撫でて、「おはよ。飯できてるよ」って柔らかく微笑んでくれて、

「オイ、起きろや」

…あれ、違うな。彼氏はそんなに口が悪くなかった。もっと優しくて、尖ってない穏やかな声で「こら、二度寝すんなよ」って

「〜〜、起きろアル中女!!!」

がつんっ。頭にきた突然の衝撃で寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。え、なに、敵襲!?なんて思いながら見上げた先には彼なんて居なくて、敵襲なんてくるわけなくて、薄い金髪で赤い目を釣り上げた少年がわたしを見下ろしている。

「ん゛………?」
「ッくっっっつくなクソ!」

ああ、そうだった。彼氏と別れた日に漫画のキャラクターを家に泊めたんだった。文だけ見ると意味が分からないな。誰に言ったとしても「頭大丈夫か?」と思われるだろう。わたしも未だに、これが長い夢なんだと思ってしまう。
どうやらわたしは勝己くんを彼と間違えてしまっていたらしい。ソファで横になっていたわたしは、起こしに来てくれたであろう勝己くんの腰に腕を巻き付けていた。引き締まった身体に思わずときめいている間、腕を引き離そうとしながら「くそ、地味に強ェ…!」と手こずっていてちよっと面白かった。

「おはよ、かつきくん」
「……」
「なにその目?」
「昨日とは大違いだな」
「え?」

"昨日"。昨日の夜はどうしたんだっけ。思い返そうとしてみるも、勝己くんがお風呂に入っている間にお酒が進んで、それから記憶が曖昧だ。少し頭が痛い。学生の頃はオールだって出来たしどこでも寝れたのに、悲しいことに今はもう無理そうだ。身体がバキバキで悲鳴をあげている。大違いってなんのことだろう?と思ったけど、さっきアル中女と言われてしまったあたり、彼の中のわたしの印象はあまり良くなさそうだ。わたしの体にはタオルケットがかかっていて、ご丁寧に頭の位置にクッションが置かれていた。

「もしかしてソファに運んでくれたの?」
「途中で起きると思って放置したけどまさか朝まで机でガチ寝してるとは思わんかったわ」

朝ごはんの匂いがしたのは現実だった。焼魚、卵焼き、味噌汁と軽めの和食が並んでいた。美味しそうな和食の匂いにお腹がぎゅるっと鳴って笑われてしまった。そういえば昨日ろくにご飯を食べていなかったんだ。二人で向かい合って箸を進める。卵焼きの甘さはちょうどいいし、お味噌汁は二日酔いに効く。料理も出来るって本当だったんだと感心した。自分が高校生の頃は料理なんてまるで出来なかったから。

「よし!じゃあ今日はショッピングモールに行こう」
「仕切んな」
「ほらほら、急いで」
「ウッゼェ」

食器を洗うくらいはしようと思ったのに「女は準備に時間がかかんだろうが。はよしろ」とキッチンを追い出されてしまったので、大人しく支度に取り掛かることにした。
顔はまるで似てないけれど、隣を歩いていたら姉弟に見られるんだろうか。それともカップルに見えるだろうか。服装に悩み、結局シンプルなコーディネートにした。メイクは仕事の日よりは少し濃いめ、だけどいつもの休日よりは薄め。いつもかきあげてる前髪を下ろしたら、少しだけ年齢が近く見えるような気がする。リップも淡い色。ピアスも控えめ。今日はヒールじゃなくてスニーカーにしよう。



「わー!久しぶりにきた!」

ガキみたいにテンションがあがっている女をぼうっと眺めながらとりあえず後ろをついていくことにした。スキップでもするんじゃないかってくらい軽やかな足取りだった。とても7歳上には見えないはしゃぎっぷりに思わず口角が上がる。

「ね、勝己くん、どこから行く?」
「荷物が軽いとこ」
「じゃあ服から見ようか」

適当に服屋に入って、着せ替え人形のように服を合わせられ、結局俺の意見よりも女の好みで服を選んだ。何着か買ったあとは生活用品が売ってる店で必要なものを揃えていく。どんどん荷物が増えていく。休憩と言ってフードコートに行ったり雑貨屋や本屋に寄り道をしたら、ショッピングモールを出る頃にはもう暗くなり始めていた。

「楽しかったね」
「にしても長居しすぎだろ」
「ついつい色々買っちゃうよね」
「買いすぎだわ」
「重くない?大丈夫?」
「ヨユー」

さすがヒーロー!かっこいい!と煽てられてまんまと気を良くした俺は、女が持っていた荷物もふんだくるようにして持った。流石に全部重かった。後部座席いっぱいに荷物を積んで帰路につく。支払いも運転も女にさせて男としてどうなんだろうと思うけど、財布も運転免許も持ってない俺には頼るしかなかった。返せるかも分からないのに借りなんて作りたくなかったけど、そうでもしなきゃ俺はこっちの世界で生きていくことが出来ないことを思い知る。

「ただいまぁ〜」

誰もいない部屋に向かって声を出した女は、靴を脱いでくるりと後ろを振り返った。NIKEのスニーカーが玄関で転がった。靴は揃えて脱いで欲しい。視線で訴えると「あっごめん」とすぐに綺麗に並べ直した女は、にこにことしながら俺の言葉を待っている。
出会って二日目の子供に、なんでここまでしてくれるのかはやっぱり俺には分からない。見返りも求めていなそうな女に、どう感謝を伝えるべきなのか。ありがとうなんて言えやしないから、せめて。

「……………たでーまァ、」

普通に言ったつもりだったのに、思ったより声が小さくなってしまった。なんでか知らないけど恥ずかしすぎて顔が火が出そうだ。ババァだったら「聞こえないっての!」なんてゲンコツが飛んできただろうか。この女はそんな素振りなんてなくて、むしろぱあっと花が咲くような笑顔で「おかえり、勝己くん!」と俺を見る。…いや、待て、花が咲くような笑顔ってなんだ。
調子が狂う。そこに知らない感情がある。知りたいような、知りたくないような、知ってしまったらいけないような、そんな感情。むず痒くて、心臓がきゅっと掴まれるような感覚がして、俺は思わず服の胸元を握りしめた。

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