ゆるしに触れた夜のこと


歓喜する細胞サイレント・セルの続編です。



ミズキとまともに会話が出来るようになって数週間。あれだけ罵詈雑言を飛ばしてた俺の口は部品換装したみたいに素直に喋れるようになって、俺もミズキも、傑と硝子も驚いた。

最初の数日ミズキはまだ俺に対して緊張してて、話し掛けると肩を竦ませて俺の出方を見る…みたいな態度だった。その時の怯えた目には見覚えがあった。硝子の指示で暗記するほど観た、暴力を受けた保護猫のドキュメンタリーに何度も出てきた目だ。罪悪感ゴリゴリのアレだ。

だからそこからはひたすら、俺がミズキに危害を加えることは金輪際無いってのを分かってもらえるまで、ミズキに決して触らず(縛りも結んだ)、落ち着いた声でゆっくり話し掛けることに徹した。
こんな地道な作業は俺の性格に向いてないと自分で思ったけど、実際ミズキのことならまったく苦にならなかった。
ミズキが戻ってきてくれて、また俺にチャンスをくれた。それを投げ出すなんて有り得ない。何年でも待つ、俺が決めた。

しばらくすると、とりあえず怯えた目で見られることはなくなったし、おやつを一緒に食べてくれるようにもなった。傑と硝子も一緒だけど。
聞けば、2人は随分前からミズキとこうしておやつを食べてたらしい。有り得ねぇ、泣くぞ羨ましさの余り。
まぁミズキの心理的安全のためには2人が一緒の方が良いのは確かで、傑や硝子の前だとミズキはよく笑った。俺はその笑顔を眺めながらおやつを食うのが日々の習慣になった。

ある時おやつの場で俺はいつも通り楽しそうなミズキを見てて、ミズキは硝子に向かって笑ったその顔のまま俺の視線に気付いて目が合った。
咄嗟に『ヤベ』と思ったけどミズキは笑ったまま俺に向かって首を傾げて見せた。
したらもう俺は額をテーブルに打ち付けるしか無かったわけだ。

「か゛わ゛い゛い゛…」
「さっ悟さま!?」
「ダメだコイツ、夏油捨ててこい」
「ミズキちゃん、気にせず食べていいよ」

傑と硝子の雑な態度とか心底どうでもいい。ミズキが可愛い。動画撮ってないのに気付いて後からキレた。

少しずつ前進してる感覚があった。今やってることは間違ってなくて、このまま進めばいつかミズキが俺に心を開いてくれる時がくると思えた。

でもそれじゃ不充分だと思い知ることがあった。

その時のことは、正直あんま覚えてない。何せブチギレ寸前で、傑が止めてくれなきゃ自宅を丸ごとクレーターに変えるとこだった。
俺は傑と連れ立って廊下を歩いてて、角の向こうからボソボソと何か声が聞こえてきた。別に素通りでも良かったけど、何となく立ち止まって聞き耳を立てた。

「ーーーるのかしら。今は悟様がご温情を掛けてくださってるけどね、有難い気まぐれだと思っていなくちゃダメよ。貴女だって分かるでしょう、悟様が本気でいらっしゃらないことくらい。いくら婚約者の立場だからって、愛されているだなんて無様な勘違いはしない方が身の為だわ」

俺の婚約者はひとりしかいない。俺が選んだ。どうしても欲しかったから。
廊下の角から一歩踏み出すと、使用人の後ろ姿とその向こうにミズキ。ミズキは俺と目が合うと悪事が露見したみたいに顔を青褪めさせた。

「…随分と、」

ミズキがそんな顔することねぇよ。

「クソつまんねぇ話してんじゃん」

使用人の女が振り向いて俺を発見した途端、今度はそいつが青褪めた。ワルイコトの自覚はあんだな。つまり純然たる悪意をミズキに向けたわけだ。
傑が後ろから俺の肩を掴んだ。

「悟、一旦落ち着け」
「ア゛?離せよ」
「ミズキちゃんが怖がる」

言われてハッとミズキを見ると、自分が叱られてるかのような顔で細い肩を震わせていた。これはダメだ。
溢れかかってた呪力を鎮めて笑顔を作った。

「ミズキ怖かったよな、ごめんな。傑と一緒に部屋戻っててくれるか?俺ちょっと用事あるから」

俺が、上手く笑顔の擬態を出来てたかは分からない。とにかくミズキはこくんと頷いて、肩を縮めて女や俺の横を抜けて、傑と一緒に廊下の角を曲がっていった。俺はミズキと傑の足音が遠去かるまで、口角と目元の形状は一応維持した。
それでその足音も聞こえなくなってから俺がどんな顔をしたのか自分でも分からないが、唯一見た女の怯え様を見るに相当だったんだろう。

とりあえずその時邸にいた使用人を掻き集めて、ミズキに向ける言葉は必ず俺に伝わると思えと言い渡した。既に有罪の女は邸から蹴り出した。
胸糞悪い。
でもそれは俺も同じだ。さっきの女以上の罵詈雑言をずっとミズキに浴びせて、身体に拒否反応が出るまでにさせた。吐き気がする。

とにかく俺のすべきはミズキが大切だとミズキにも周囲にも示すことだ。ミズキへの態度は俺への態度だと思え、と、示すこと。

それから俺は時間さえあればミズキを連れて外に出たし、用事の帰りには土産を買って、人目も憚らず(と言うか、敢えて家の連中の前で)褒めて口説いた。ミズキに最近嫌味を言われることは無いか度々確認したけど、連中は大人しくなってるらしい。
先も終わりも見えない作業だったけど苦痛じゃなかった。
ミズキはどんどんよく笑うようになって、最初の頃は傑や硝子がいなきゃ不安そうだったのが俺とふたりでも出掛けてくれるようになって、俺に笑ってくれるようになった。俺はそれが可愛くて仕方なくて、抱き締めたいとか髪を撫でたいとかキスがしたいとか思うことは勿論あったけど我慢出来た。




「浴衣ですか」
「そ。花火見に行こうぜ」

ミズキを祭りに誘った。
「リンゴ飴あるかな」って可愛いの天才か?店にあるだけ全部買うと申し出たら1本でいいと言われた。

「ちょうど今日呉服屋が来るから、好きな生地選べよ」
「ごふくやがくる…!?」

呉服屋が自宅に来るイベントは、これまでのミズキの人生には起こらなかったらしい。

呉服屋があれこれ反物を並べた広間へ連れて行くと、色の溢れた床を一目見たミズキは「わぁ」と零したきり動かなくなった。回り込んで顔を確かめると目を輝かせてて、多分喜んでくれている、らしい。
呉服屋の女主人が俺への挨拶ついでに今回はミズキの浴衣を仕立てるのが目的だとバラしてくれて、『たまたま今日は呉服屋が来る日だから』みたいな雰囲気で来た俺は、驚いたミズキの視線から目を逸らした。
呉服屋は微笑ましそうにニコニコしていた。

あれこれ織りがどうだの糸がどうだの、呉服屋のウンチクを聞きながらミズキは楽しそうに生地を選んで、俺はそれを側から眺めて楽しんでいた。
反物を肩に掛けて姿見で確認して、また次、迷う困り顔も可愛い。
それで最終的に選んだ生地が白地に水色の花だったってのが、何ともむず痒くて口元を手で覆った。その顔を見た傑が生暖かい目をしてたからとりあえず殴った。

そうやって仕立て上がった浴衣を着たミズキは、本当に綺麗だった。
今までだって時々グラつきながら我慢してきたのが本気で崩れかけて、触りたくて抱き締めたくて手を伸ばしそうにまでなって、それでもどうにか誤魔化して祭りに出掛けた。

人混みの中を、逸れないようにゆっくり歩いた。手でも繋げれば話は早いけど、それは出来ない。

「ミズキ、疲れてねぇか?足痛いとか」
「大丈夫です」

にこ、とミズキが笑う。
ようやくここまで来たんだ。傑や硝子と同じように笑い掛けてもらえるところまで。触りたくても抱き締めたくても、許可する権限はミズキにある。
遠いBGM、生ぬるい風、屋台からソースの焦げる匂い、人混みの喧騒、すれ違いざまに男2人がミズキを盗み見た、「今の子めっちゃ可愛かったよな!」当然だろ見てんじゃねぇ。

その時俺の手に柔らかくてあったかいものが触れた。
見るとミズキが俺の手を握っていて、目が合うと少し恥ずかしそうに目を泳がせた後、また俺を見て柔らかく笑ってくれた。
俺は何も言えなくなった。心臓の辺りで自分の課した縛りが解けるのを感じた。

「…逸れるといけないから、手を繋いでもいいですか?」

喧騒の中でも、ミズキの声は浮かび上がったみたいによく聞こえた。
そして俺の声を、今、ミズキが待ってくれている。

「…大事に、するから。だから、俺からも…手、繋いでいいか」

ミズキが笑って、俺の手をきゅっと握った。
俺はこの時の全部を、生涯忘れない。

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