歓喜する細胞


サイレント・セル の五条視点です。




毎年の総会が俺は嫌いで億劫で仕方なかった。腐ったミカンどもが酒を飲んでおべっか使うだけの無駄な集まりなら俺抜きでやってくれりゃいいものを、方々の分家から着飾った娘が連れて来られて俺の前に列を成すのだ。アイドルの握手会かよそんなら『はいお時間でーす』って仕切るスタッフがいてもいいだろうに。
娘たちの親の、いかに自分の娘が俺に相応しいかプレゼンをひたすら何時間も聞かされる苦行、地獄。最近は隠しもせずスマホゲームに興じるからまだマシだ。

ただある年その総会で、俺は一目惚れをした。末席もいいとこな端っこに座ってて、歳は多分10代前半、華奢な身体に無理矢理振袖を着せられて、つまらなさそうに窓の外を眺めていた。一目惚れが度々『雷に打たれたような』と表現されることに完全に同意したのはその時だった。俺は感電した。
声を掛けたくて、でも俺の両隣にはお目付役が控えて便所にさえついてくるし即座に娘プレゼンに連れ戻されるからどうしようもない。いや、振袖で来てるならあの子も俺に挨拶に来るのか?とも思ったが、行列の長さは今日に収まるはずもないから時間切れで締め切りになるのがオチだろう(それも例年通り)。少しでもマトモな親なら挨拶は諦める。
仕方なく硝子にラインを打って、その子に話しかけてもらった。見返りに獺祭を後で厨房からくすねて来る約束も一緒に送ったのが奏功して硝子は動いてくれた。
その子はソウマミズキという。分家の分家の出で、俺の3つ下だと分かったのだった。

そこからゴネにゴネて、時間は掛かったが上層部に要求を通してミズキの親にも婚約を飲ませた。正直有頂天だった。生まれて初めて恋をして、その子が婚約者になった。婚約の儀に連れて来られて初めて間近に見たミズキは、初めて見た時より成長して目眩がするほど綺麗だった。
ただ14歳のミズキにとっては婚約なんて未知の領域で、ましてや本家の嫡男となんて意味が分からんってとこだろう。緊張で表情の硬いミズキに優しい言葉のひとつでも掛けてやればいいものを、お目付役が捌けて初めてふたりきりになった瞬間、俺はミズキを口汚く罵っていた。我ながら精神が分裂していた。

「傑頼む俺を殺せ…」
「そうしたいのは山々なんだけどね、ほら立場があるから」

翌日になって傑に事を説明すると、見事に呆れられた。

「ただでさえ未成年での婚約で親元から引き離されて不安なのに、相手は御三家の嫡男で図体のでかい威圧感のある男でしかも罵ってくるオプション付きなんて、私なら運命を呪うね」
「俺に対して容赦なさすぎじゃね」
「このままだとミズキちゃんに嫌われるどころか死ねばいいと思われるよって言ってるんだ」

そんなのはテメェで百も承知だ。
ただ俺の口はミズキを前にすると全自動で罵詈雑言を吐き出す仕様に設定されてしまい、ミズキの心を閉ざした顔を見るたび自己嫌悪で死にたくなる閉鎖回路に嵌ってしまった。

婚約から半年もするとミズキは傑と硝子によく懐いて、俺には見せない笑顔を見せるようになった。自業自得極まりないが、遠目にその笑顔を眺めて嫉妬に狂うというのが閉鎖回路に追加で組み込まれた。
傑の方が態度も口調も柔らかくてそもそも理不尽に罵ったりしないのだから、俺よりミズキに好かれるのは当然だった。というか多分俺は邸の中で好感度のヒエラルキー最下層を突き破っている。
そんな焦りの中、ある日傑とミズキが縁側に並んで座って楽しげに笑いあうのを見た時、プッツリ何かが切れる感覚がした。
背後に詰めてミズキの手にあったものを取り上げると、食べかけのあんみつだった。俺はこんなの一緒に食ったことはない。傑の咎める声と、ミズキが傑を背中に庇って立ったのがまた腹立たしかった。

「悟さま、夏油さんと硝子さんをお誘いしたのは私です。ブスもブタもご尤もですから、おやめになってください」
「傑に色目使ってんのかよガキが」
「悟いい加減にしろ」
「ア?やんのか傑」

傑の咎めるような声に本気の怒りが混じったのを感じて、それがまた俺を苛つかせた。
適当な靴を引っ掛けて庭に出て殴り合いの喧嘩を始めた時には、縁側にミズキの姿はもう無かった。

「どうして君は思ってるのと真逆のことばかり言っちゃうのかな」
「…自分でも分かんねーよ」
「ミズキちゃんのことをブスでブタなんて他人が言ったら殺すだろうに」
「当然だろ世界一可愛いわ」
「だからそれを本人に言えって言ってるんだよずっとさ」

ひとしきりの喧嘩で頭に上ってた血が落ち着いたところで、元いた縁側に戻って傑が溜息混じりに言った。
だから、そんなのはテメェで百も承知だ。

「いつか修復不可能なところまで心が壊れるよ。今まで持ち堪えてくれたからって明日どうかは分からないんだから」

それも、分かってるつもりだ。
謝って、せめてフラットな感情で接してもらえるように俺が言動を改めなきゃならないことも。
その日ミズキは夕飯の席に出て来なかった。

翌朝、さすがに昨日のことを謝ろうと朝イチでミズキの部屋まで行くと、丁度廊下を歩く後ろ姿を見た。
無意識にしてると自動で『おいノロマ』とか言い出しかねない自覚があるので、慎重に一呼吸置いて「ミズキ」と背中に呼び掛けた。が、ミズキは立ち止まらない。もう一度呼んでも止まらない。距離と声量からして聞こえてない条件ではない。
無視に少々苛つきつつ追い付いて腕を掴めば、やっと振り返って俺を見た。

「あのなぁ無視はねぇだろ…せっかく俺が昨日のことはさすがに謝ってもいいかと思って来てやってんのに、」

そこまで言ってふと違和感に気付く。ミズキは俺の口元を不思議そうに眺めている。
丁度その時近くの襖が開いて硝子が出てきたが、俺はミズキから目が離せなかった。
何度か瞬きをした後ミズキは突然、自分の耳をパシンと手のひらで打った。何度か打つ内に硝子がその手を掴んで辞めさせた。ミズキは今度は硝子の口元を見ている。硝子がスマホに文字入力してミズキに見せた。見えた文面は『鼓膜が傷むから叩いちゃダメ』、ミズキが何度か頷いた。
続いて『全く何も聞こえない?』、また頷き。俺は血の気が引いた。

「五条、詳しく検査するから医務室使うよ」
「俺も行く」
「邪魔しないなら勝手にすれば」

『詳しく検査したいからついてきて』を硝子がミズキに示して、連れ立って医務室へ向かった。

硝子が紙に書いた検査結果は『心理的難聴』の5文字から始まっていた。
俺は情けなく取り乱して硝子の腕を掴んで詰め寄った。

「やっぱ何も聞こえてねぇのかよ、反転して治せ、すぐ!」
「身体的には問題ないって書いたでしょ、私じゃ無理。つーか再三言ったじゃん、聞きたくないことばっか浴びせ掛けるからミズキが防衛本能で耳を捨てたの、分かる?」
「ンなこた分かってんだよ!いつ治る、どうすれば治る!」
「知るか。数日か1ヶ月か1年か一生か誰も分からない」

硝子が俺の手を叩き退けた。
『一生』の響きに俺は足元が崩れるような気分がした。何も聞きたくないと思わせたのは確実に完全に俺だ。
その時ミズキが「さとるさま」と口に出した声が、ぽっかり空いた空間に落ちた。慣れた部屋を真っ暗にして手探りするような発音だった。
俺が冷たい汗の浮いた顔でミズキを見ると、ミズキは俺が最初に彼女を罵って以来初めて、安心したように笑った。
皮肉なぐらい、綺麗な笑顔だった。

ひとまずミズキを部屋に送り届けると、硝子は俺を睨み上げた。

「とりあえず五条、あんたミズキに接触禁止」
「…おー」
「飼い主に暴力振るわれてた保護猫のドキュメンタリー録画してあるから等速で50回視聴しろ」
「…ッス」

このドキュメンタリーというのが、俺の罪悪感をゴリゴリ刺激する良い出来だった。硝子から渡されたBlu-rayを部屋で正座でひたすら観る日々が始まったのだった。

自分の声も何の音も聞こえない生活ってのがどんなものか、俺は想像するしかないが、とにかく寂しくて辛いだろうとは思う。
以前ならミズキは部屋で音楽を聴くらしく、時折控えめに歌うことがあった。人の迷惑に配慮した囁くような声は俺じゃなきゃ聞き逃したろう。優しいその声を(こっそり勝手に)聴くのが好きだったけど、聴覚を失くして以来ミズキは歌うのを辞めてしまった。

さて罰のドキュメンタリー50回目を終えた時には、ミズキが聴覚を失くしてから1週間が経っていた。ミズキの部屋の前まで来て呼び鈴代わりの電灯のボタンを押して反応を待つも、手を叩く合図は無い。恐る恐る襖を開けると、ミズキは顔を出したのが俺だというのに驚いたようだった。

「ミズキ…耳、変わりねぇの」

自分の耳をとんとんと指で叩きながら尋ねるとミズキが首を振った。「そっか」とミズキの前に胡座をかいて座った。
それから、聞こえないのは承知でミズキに洗いざらい懺悔して、総会で一目惚れして無理に婚約に持ち込んだことも白状した。

「…呪術師の縛りを結んでもいい、お前が許可してくれるまで指一本触らねぇ、だから、ミズキ」

今に至るまで口を裂いても言える気がしなかったことが、聞いてもらえなくなった今スルスルと口から流れ出た。皮肉なもんだ。
が、ふとミズキを見るとかぁっと顔を赤らめている。俺の言った内容を把握しなきゃこの反応は無い、つまり、

「…まさか、聞こえてんのか、ミズキ」
「…い、いまっ、イヤホンが急に…えっと、」

ミズキはしどろもどろになりながらイヤホンを指さしたり耳に触ったり忙しくなった。
その様を見てると、俺は腰が抜けるほどの安堵が湧き上がるのを感じた。
よかった。
戻ってきてくれた、よかった。
ほとんど無意識にミズキに手を伸ばしてしまうと細い肩が跳ねて、あ、ヤベ、と思ったところでいつの間にか入ってきた硝子に頭を叩かれた。「縛りを即行で破る奴があるか」コイツそこそこ手前から聞いてたな。
ミズキは硝子に抱き締められてボロボロ泣いて、泣き止んだところで初めて俺も加わってあんみつを食べた。

それからようやく俺は、ミズキに素直に優しく接することが出来るようになった。遅過ぎたのは間違いないが、ミズキは少しずつ受け入れて俺にも笑顔を見せてくれるようになった。
甘いものを買ってきたり食べに出たり、映画館にも行った。深夜に傑と3人で桃鉄をした時にはキングボンビーを引き取ってやったけど、システムをよく理解してなかったようで親切にカウントされたかは不明だ。そのまま寝入ったミズキを部屋に運ぼうにも俺は自分から触れないので傑に頼んだ時には、悔しさで奥歯を噛み砕くところだった。
「まぁ寝顔を見せてくれるだけ進歩だよ」ってお前顔笑ってんな殴るぞ傑。
ミズキの難聴のことがあってから1年経った頃、ミズキを誘って祭に出掛けた。浴衣が良く似合ってて永遠に見てられると言ったら照れ笑いがまた可愛かった。
人混みの中で右手にふと温かく柔らかいものが触れて、驚いて見るとミズキが俺の手を握ってくれていた。

その時のミズキの笑顔を、俺は生涯忘れることはない。

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