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五条はレギュラー番組の収録の合間、スマホひとつをポケットに入れて自販機へ歩いていた。
スタッフや演者が慌ただしく行き来する向こう、自販機の赤い筐体の前にその姿を見付けた途端、五条はするすると人の間を抜けて歩み寄った。
「ミズキちゃん」
「ひっ!」
五条としては最大限に優しい声色だったのに、軽く肩を叩かれたミズキは派手に驚いて、振り向いた顔は目元が潤んでさえいた。
「え、ごめん、そんなビックリさせた?」
「ごめんなさい違うんです、五条さん、うわぁぁもうどうしよう…!」
ミズキは両手で頬を覆って、恥じらいの熱を冷ますような頭を抱えるような、とにかく落ち着かない様子でわたわたと小刻みに動いている。
周囲にマネージャーや棘の姿はない。
「どうしたの?何か困ってるなら話してよ」
五条が小さく首を傾げて見せると、ミズキは佇まいを直すように髪を撫で付けて、鼓動を鎮めるように長く息を吐いた。
「私ずっと…憧れの人がいるんです」
「あぁ歌手のシエナさん?プロフにも書くぐらいだもんね」
「大ファンなんです、神さまみたいなの。それが、それが今日ですね、初めて同じ番組に出させてもらえることになってて…」
五条がミズキに「良かったね」と返したのは、率直な思いだった。自分がミズキのファンでいるように、ミズキはその歌手にずっと憧れてきたというのは、随分前から承知している。
夢にまで見た舞台の直前に立っているというのに、ミズキはまた目に涙を浮かべてそわそわと落ち着かない様子を見せた。
「もうとても冷静じゃいられないんです、変なこと言っちゃいそう…!五条さん、私どこも変じゃないですか?髪がハネてたりしない?」
「大丈夫、ミズキちゃんはいつも通り可愛いよ」
「変な汗が止まらないんです、どうしよう、嬉しいのに逃げたい…!」
最初は微笑ましく思っていたものが、五条は段々と面白くない気分になりつつあった。
これから初めて同席するのがずっと憧れてきた相手だというのだから緊張は理解出来る。しかし、目を潤ませて外見を気にして期待と不安に揺れるその様は、まるで恋ではないか。
『可愛い』と言われたのも耳に入っていないようだし、今目の前にいる五条はプロポーズまでしてその答えを保留されている身だというのに。
五条は軽く周りを見回して、行き交うスタッフ達の注意がこちらを向いていないことを確かめると、ミズキの頬に手を添えて上向かせた。
「ミズキちゃん」
それからその長身を屈めて、彼女の唇のすぐ横へ、ほんの一瞬口付けた。
「………へ、」
「次はおくちにするね」
ニコ、と綺麗に笑い、ミズキの柔らかな頬をふにふにと遊んでから、五条は軽く手を振って彼女に背を向けた。
「あ、憧れの歌手との初対面、楽しんでね」
一度振り返って告げた時、ミズキはそのままの姿勢で立ち竦んでいた。
「あれ、ジュース買いに行ったんじゃなかったの?」
手ぶらで戻ってきた五条を見て夏油が言った。
五条はがしがしと頭を掻いて、夏油の隣のパイプ椅子に乱暴に腰を下ろした。
「…やっちまった」
「何、スマホ落としたとか?」
「ミズキちゃんにキスした」
「ハァッ!?!?」という夏油の叫び声に、スタジオ内の全員が振り向いた。