▼ ▼ ▼


「もーボロ雑巾みたいに疲れてシャワー浴びるのもダルいって日だったの、そういう日あんじゃん。気まぐれに動画眺めててさ、それで偶然見付けたわけ」

都内某所、居酒屋の個室。

「ミズキちゃんの歌ってみた動画、その日アップされたばっかだったやつ。4分ちょっとの動画で人生変わっちゃったよマジで。こんな美しいものこの世にある?って感じ分かる?」

平日、午後8時50分。

「そこから朝までミズキちゃんの動画全部観たの。その内ミズキちゃん、棘Pと組んでジュゴンってユニット名で活動し始めたんだよね。インディーズなのにファンクラブまであって、でもジュゴン保護区って名前が海洋生物の保護関連で実在しちゃっててクレームきてさ」

夏油と、事務所の後輩で俳優の灰原雄、および七海建人。

「それでイヌマキに名前変わってメジャーデビューしたんだけど2人がその保護団体に謝りに行って掃除とか手伝って仲良くなって事務所にイヌマキのステッカー貼ってあんのとか良い話すぎない?ミズキちゃん本人役で映画化してくれ」

ここまで、灰原の「五条さんっていつからイヌマキ好きなんですか?」に対する回答である。
七海が『灰原その質問は』と制止する暇も無かった。夏油は慣れたもので、五条の話の途中で店員を呼んで麦のロックとたこわさと天ぷらを注文した。

その後も今度は最近リリースされたアルバムについての感想が止まらない様子なので五条のことは灰原に投げて、七海は不快感をハイボールで流した。

「…五条さんは相変わらずというか、拍車が掛かってますね」
「そうだね、憧れの本人と対面してからタガが外れた感じかな」
「引き合わせたのは貴方でしょう、リードはちゃんと握っててください」
「ハハハッ」

綺麗サッパリ笑った夏油を前に、ダメだこりゃ、と溜息をひとつ。七海はせめて食事を存分に味わうことにした。幸い五条が贔屓にするだけあって料理は美味しいし個室もしっかりプライバシーが守られている。
そうでなければ、このやたらと顔面偏差値と知名度の高い個室は落ち着いて会話や食事など出来るはずがない。

「タガが外れた割には進展が無いように見えますが」
「さてねぇ、何度か食事には行ったみたいだけど。『価格帯が違うって怒られちゃった』って嬉しそうにしてたし、楽しく恋してるんじゃないかな」
「巨大な猫とハムスターの組み合わせで遊んでるつもりなのは猫だけだと思いますが」
「ハハハ」

七海は目の前の出汁巻きを口に入れた。チェーン店の安いそれとは最早違う料理だった。品書きを見ればちょっと驚くような価格が並んでいるし、たまに現れる時価というのも恐ろしい。後輩を連れて「ちょっと飲み行こうぜ」でこの有様なのだから、五条が恋をした相手をどんな店に連れて行ったのかは想像に難くない。

「七海ぃ食ってるぅー?」
「ゲッ はいお陰様で」
「ゲッてなにウケんだけど」
「そうですかそれは良かった」
「七海も観る?このMVのねぇ3分26秒のとこの笑顔マジかわいーの」
「結構です思う存分独り占めなさってください」
「そぉするぅ」

五条はヘラッと笑っていそいそとイヤホンを装着した。鼻歌でもやりそうな彼の顔は、酒も飲んでいないのにほんのり赤い。極度の下戸である五条は個室にいると他人の呼気で酔うのだ。
とにかくこれでやっと静かになると七海が安堵した矢先、五条が濁った声を上げてテーブルに額を打ち付け始めた。

「あ゛ー…ミズキちゃん会いたい貢ぎたい…。何で高い店はダメなの?美味しい方がいいじゃん…プロポーズの返事だってしてくんない、つらーい」
「あんないかにもその場のノリみたいなプロポーズを真に受けるわけがないでしょう」
「だから本気だよって念押ししたもん…」

冷房に冷えたテーブルに頬を乗せた五条は、ぐずぐずとイジケた顔で視線の先のグラスを睨んだ。

「ミズキちゃんだって考えるって言ってくれたんだよ。でもそれ以来会うと困った照れ顔ばっかりするようになっちゃったからさ…まぁそれも超絶可愛いんだけど、話し易くしようと思って結婚の話しないようにしてたらますます返事が遠のいた…」
「『やっぱり冗談だったんだ』と思われてるのが関の山でしょうね」
「じゃあどーしたらいいわけ!?いくら積んだら『私を五条さんのものにして』って言ってもらえんの!?」
「金にモノ言わせようとしてる時点でクソです」

容赦無く七海が切り捨てると五条はいかにもわざとらしくワッと泣き出した。夏油はその様子を動画撮影し、灰原は本気で心配しているけれどテーブルに伏せた五条の目元に涙は無い。
七海とて勿論嘘泣きは承知していたけれど、ここまでひとりの女性のために悩んで攻めあぐねている五条を見るのは初めてのことで、ほんの少し同情しないでも無かった。

「鬱陶しい嘘泣きなんてしてないでストレートに気持ちを伝えたらどうですか。こうして男相手に愚痴を吐くより余程生産的だ」
「じゃあフラれたら慰めてくれる?ナナミン」
「知るか」

麦のロックとたこわさと天ぷらが来た。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -