▼ ▼ ▼


ミズキは自宅玄関に入ってあわや靴のままフローリングに上がるところだったのを慌てて脱いだ。続いて数歩進んでから玄関の鍵をかけ忘れているのに気付いて戻って鍵とチェーンを掛けた。
落ち着かないそわそわとした仕草でいつも通りの場所に鞄を置き、落ち着かなげに上着を脱ぐとポーチからハンカチに包んだものを取り出して中身を改めた。
ハンカチの中から現れた腕時計は音もなく滑らかに時間を刻んでいる。

「五条さん」と声に出してみてから、ミズキは傍に人もいないのに緊張してしまった。

『今日このまま帰ったら実感持てなくなりそう』だからと五条はこの腕時計を渡してくれて、間違いなく実感には一役買っているのだけれど、それでもまだ頭がふわふわとしてミズキはしばらくの間時計の針をじぃっと目で追っていた。
抱かれたい芸人やら男前芸人やら、その辺のランキング1位を総ナメして殿堂入りした祓ったれ本舗の五条悟と、今日、恋人になった。
今日この家を出る時にはこんなことになるなんてまるで想像していなかったし、正直今でも、この時計を置いて手を洗って帰ってきたら忽然と消えているような気がして中々手を離すことが出来ない。

秒針が3周する頃になるとそろそろ時計を見る以外の何かをしようという思いに駆られて、とりあえずテレビをつけた。番組表からバラエティ番組を選んで表示すると雛壇に祓本の姿があって、今度はそちらを凝視することになった。
観ている内に気付く、五条の手首には、今まさに目の前にある腕時計がある。うわぁぁ…!と彼女は1人で顔を覆った。

その時鞄の中からメッセージ受信の音がして、スマホを取り出してみると画面の表示は『五条さん』。

(無事に帰れた?)

途端にどぎまぎしながら何とか返事をすると、すぐにまた受信。

(ちょっとだけ電話してもいい?)

了承する旨を返そうとして思い直し、ミズキは五条に電話をかけた。コール音が流れて通話が始まるとすぐにガタゴトと大きな物音がして、次いで「ごっごめん!」と五条の焦った声。

「何かありました…?電話大丈夫ですか?」
「大丈夫、うん、ヘーキ。や、動揺してスマホ落としただけ」

どうやら五条の方でも、ミズキと似たような状態であるらしかった。ふたり揃ってフッと笑い出してしばらく一緒に笑うと、それでレストランから続いていた緊張しているのかふわふわと緩んでいるのかよく分からない状態が少し和らいだ。

「ミズキちゃん何してた?」
「帰って、預かった時計を見てました。あと、テレビをつけたら祓本さんが出てたんです。五条さんの手首にこの時計があって、ひとりで恥ずかしくなっちゃって…」

しばし沈黙、それから五条が「あ゛ーーー…」と濁った呻き声を上げた。

「何かヤバイ、ミズキちゃんが自宅で僕のこと考えてくれてんの?どこにお金払ったらいい?」
「料金は発生しないですね」
「ダメだよお金取りな?それだけの価値はあるよ」
「だって、彼女…です、よ ね…?」

言いながら語尾はどんどん弱くなって、窺うような声色になった。五条の返事がまた途切れて、ミズキが恐る恐る「五条さん?」と呼ぶとようやく、ひどく弱々しい声で応答があった。

「…幸せに殺される……」
「そ、そんなに?」
「そんなに。マジでそんなに。自分の一言の威力把握してて?僕結構瀕死よ?」

テレビ画面では大映しの五条がキメ顔を作ると観覧席から黄色い声が上がり、MCの「腹立つわぁ」という声がテロップと一緒に流れてきた。

「…何だかテレビと電話の五条さん、別の人みたい」
「待ってテレビつける……あーこれ『ムカつくイケメンで』って指定あったの。え、そんな違う?幻滅する?」
「そうじゃなくって、いつも余裕そうだったから…私ばっかりあたふたしてると思ってました」
「その印象キープしたかったなー無理だったけど」

五条の声と一緒にボスンとクッションに沈む音がした。同じテレビ番組の音も少し遅れて小さく聞こえている。自宅、テレビ、おそらくソファ、相手の状況が分かる気がした。
しばらくお互いに無言のまま、同じ番組を眺めていた。

「ミズキちゃん」
「はい」
「僕らこういう仕事だから週刊誌とか警戒するように言われてるでしょ?あんま堂々と一緒に歩いたり出来ないけど」
「はい」
「…デート、したい。指輪とか、僕があげるもの着けてほしい」

ミズキは両脚をソファに引き上げて、電話を持っていない方の腕で膝を抱いた。

「嬉しい、です…」
「っ本当に?………うわやば何か鼻血出そう」

五条の声に上半身を勢いよく起こしたような呼吸の音が混じって、ミズキは堪えきれずにくすくすと笑った。レストランで手のひらを合わせた時のとくとくと速い脈拍や、自棄気味の告白を思い出し、電話の向こうにいる大男のことが何だか可愛らしく思えてしまったのだ。

「、うん、アレだ…そう、また、誘う、から。僕の家とか、来てくれる…?あっ安心そのっ下心はあんだけど!ちが、ちゃんと我慢するから!ごめん僕いま何言ってる!?」

今度はもう声を上げて笑ってしまった。
テレビ画面の五条はまた美しい顔に黄色い歓声と男性のやっかみを浴びている。
一方で電話の方の五条はつい今し方の自身の発言をどうにかして消せないものかと悔いているようで、くしゃくしゃと髪を掻き混ぜている音がしている。

「あーもーマジやだ格好悪ィ…愛想尽かさないでね?明日になったらやっぱり無しとか」
「言いませんよ」

ミズキは抱いた膝に顎を乗せて、ローテーブルの時計を眺めた。持ち主の動揺ぶりを他所に、淡々と美しい針を回している。どちらも五条らしいとミズキには思えた。「五条さん」と彼女が呼ぶと、背筋をピンと伸ばした返事があった。

「おうちデート、楽しみにしてますね。それまでちゃんと、預かった時計は持ってますから」
「………」
「五条さん…?」

恐る恐るの呼び掛けに対して数秒遅れて、蚊の鳴くような声で「しあわせぇ…」とあったので、どうやら嬉しかったらしいことはミズキにも分かった。

それからどうにかテンションを立て直した五条と予定を擦り合わせて、「おやすみ」を最後に電話を終えた。
テレビも、いつの間にか祓本の出ていたバラエティは終わりニュースに切り替わっていた。

ミズキはソファの隣に座っているペンギンのぬいぐるみを抱き寄せた。以前に五条からもらった大きなペンギン、プラスチックの目が艶々と光っている。五条の手にある時にはそこまで大きいとは思わなかったものが、自分で抱いてみると渡される間に膨らんだのかと思うほど大きく感じたことをありありと覚えている。
今度はローテーブルから時計を取り上げて、金属のベルトに手を通してみた。留め具をしても腕を傾ければ肘近くまで滑ってしまう。身体の大きさがまるで違うのである。
時計をした腕でペンギンを抱き、その腕をインカメラで撮った。





翌日、楽屋に現れた五条がいやに機嫌良さそうにしているので、夏油は何があったか聞くのは辞めておこうと最初思っていた。五条が嬉しそうにする原因なんて大まかに言えばひとつしか思い当たらないし、であれば長々と惚気を聞かされるのは御免である。
けれど彼が五条の背後を通り過ぎた時、ふと目に入ったスマホの画面に思わず「は?」と声を上げてしまった。それが良くなかった。

「あっ見られちゃった?まぁ相方だしいっかぁ実は付き合うことになったのマジだよこれ、見て見て腕ほっそいの時計が二の腕いくじゃん可愛くて発狂しそーちなみに抱っこしてるぬいぐるみ僕があげたペンギンね」
「うるさっ」

きっかけを与えてしまえば案の定、聞いてもいないことまでノンブレスで畳み掛けてきた。
昨日ライブをこなした後そそくさと姿を消した辺り何かあったのは明確だけれど、まさかここまで都合のいい展開に持ち込んでいようとは…というところである。
夏油は思ったよりも祝う気持ちになっている自分に少々驚いた。

「…まぁとりあえずおめでとう、かな。週刊誌には気を付けなよ」
「トーゼン。今度おうちデートするんだぁ」

五条がにへらぁと緩み切った顔をしたところで、彼にメッセージが入った。

(五条さんのうそつきこの時計ものすごい高級品じゃないですか!!)

夏油からはそのメッセージの内容も、その画面を見る五条の浮かれきった表情も丸見えだった。
溜息、そして差し当たり楽屋のドアに鍵を掛けた。

夏油は自分のスマホでカメラを立ち上げると鏡越しに五条の様子を写真に収め、ミズキに送ってやった。

(見ての通り浮かれてるよ。お揃いの時計がほしいなぁって悟に言ってごらん)
(ダメ絶対!!もう!!)

夏油が『おめでとう』とメッセージを送ったところで楽屋の戸がノックされ、出番が知らされた。ついでに送信、『出番らしいから行ってくるね』。

「ほら悟仕事だよ、スマホ置きな」
「えっヤダまだミズキちゃんへの返事考えてるとこなのに!」
「私から返信しといたよ。ほら立った立った」
「ハァ!?何でお前が連絡取ってんだよふざけんな不倫顔!!」
「おっといい度胸だね廊下出な」





***

ネタポストより『ハニシロの五条さんの、夢主さんとお付き合いした日(ガチの告白が実った日)のお家での様子』でした。
最初五条さんの自宅(イヌマキミュージアム状態)を書こうと思ったら想像以上に気持ち悪くなったので辞めました(笑
ネタ提供ありがとうございました!

タイトルはTempalay『どうしよう』の歌詞から。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -