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「前にボイトレの先生から『ハイヒールの方が緊張感で良い声出てるね』って言われたことあるんです」と、ミズキはカラオケの個室で教えてくれた。一般のファンでは知り得ないエピソードに五条は内心で泣くほど感動しつつ、その時には一応余裕ぶって「そうなんだ」と返したのだった。

「はー…ミズキちゃん緊張してる、かんわいぃぃ…!あの衣装の中ハイヒールなんだろうなぁ、足捻らないといいけど…あっでもミズキちゃんが足挫いたら救護のためって合法的に抱っこ出来る?最高の未来待ってる?」
「悟、ミュート」

ステージを見る五条は夢心地の表情で、最早『アリス』もといミズキ以外は見えていない。傍らの夏油は爽やかな笑顔で顔面を固めて、チラチラと祓本を盗み見る客席の女性客らにも愛想を振り撒いて営業に徹している。
祓本の隣、イケメン俳優の阿手は五条を時折盗み見つつ、シンガーの誰かが本当にミズキなのだとしたら『どれ』なのか聞き出しておくべきだったと歯噛みしていた。声を聴いたところ若い女性と思しきシンガーは4人いて、その中のどれがミズキなのか彼にはまだ分からなかった。これでミズキ以外に投票したり、聞き分けられなかったとバレれば赤っ恥である。

2日目の撮影にも五条は発光するほどの笑顔で遅刻もせずやってきた。
上機嫌の理由など分かりきっているから夏油は尋ねなかったのに、五条は嬉々として語り始めた。

「僕としてはもう『初戦の曲すっごい良かったよ』ぐらい本人に言いたいとこなんだけどミズキちゃんが頑張って隠そうとしてんの可愛いじゃん?昨日別件で電話したんだけどミズキちゃん意識しちゃってて声震えて超かわいーの。決勝戦の収録終わったら優勝祝いに渡そうと思って昨日でかいペンギンのぬいぐるみポチッたんだぁ」
「ちょっと待って緊急案件から言うね。まずペンギンは何メートル?」
「2.3」
「キャンセルしな迷惑になる。次、気持ちは分かるけどまだ優勝は決まってないよ」
「優勝に決まってんだろミズキちゃんしか勝たん」
「…そこはもういいや。とにかく悟、SNSでも他の場の発言でも、『アリス』がミズキちゃんだって知ってる匂わせは駄目だからね」
「分かってるって。ミズキちゃんに迷惑は掛けねーよ」

2.3mのぬいぐるみはおそらくどんな個人にとっても迷惑である。1.9mの大男が2.3mのペンギンを抱えて近付いてくる悪夢を想像して溜息を吐きつつ、夏油は反らせた親指で額を掻いた。

その日も着々と対戦は進み、1人また1人と正体を現していく中でも、『アリス』はまだステージに立っていた。

「ミズキちゃんがイヌマキ以外の曲歌ってくれんの最高すぎ圧倒的感謝ツイが追い付かねぇ」
「スマホ触らせとけば大人しくしてるんだから小さい子供のいる親御さんもやるよね、私いま完全に理解した」
「え、傑子供いんの?隠し子?」
「余計なとこだけ聞くんだな君は」
「さっき音声さんに交渉してさぁ、ミズキちゃんの歌唱部分の音声もらえることになってんの。マジでこの仕事受けて良かったぁ!」
「自分が初日にこの場で何言ったか覚えてるかい?」
「男性歌手の曲とかSSレアじゃね?昔のアイドル曲もミズキちゃんが歌うとエモいよな。音源化必須」
「都合の悪い時は耳にシャッター下ろしやがるなこいつ」

夏油だって口が悪くなりもする。それでも一応五条の言葉を聞いてやる辺り律儀である。

阿手は祓本の隣で今日も戦々恐々としていた。投票は五条の動向を必死に盗み見てやり過ごしつつ、若い女性のシンガーが1人だけ残るのをじっと待っているのに、中々絞れない。彼は最早歌唱すら聴いておらず、恥をかかないためだけに心血注いでいた。ちなみに夏油はそのことに気付いて嘲笑していて、五条は阿手の存在すら覚えていない。

3度目の撮影でとうとう決勝戦を迎えた。つまりミズキは五条の前で何度も練習した曲を歌うことになる。
夏油は五条には『優勝は決まってない』と言いつつ、実際のところほぼミズキが勝つだろうと思っていた。五条が調子に乗るので言わないけれどもやはり圧倒的に歌が上手いし、音程の正確性だとか技術的なこと以上に心を惹かれる声をしている。ここまでの得票の様子を見るに他のパネリストや観客も概ね同意見だろう。
だからこそ、先程休憩時間に伊地知を捕まえて「今日はこの後仕事ないよね?多分終わったら悟が消えるだろうから」と根回しまでしてやったのである。

そして本当にミズキの最後の曲が終わると会場は割れんばかりの拍手に沸いて、結局五条の言葉通りになって幕引きとなった。



「五条さん!」

いつもならば先に相手に気付くのは五条の方だけれど、この時は行き交う演者やスタッフを挟んだ向こう側からミズキが手を上げて彼を呼んだ。
小さな魚のようにすいすいと人を避けて彼女は寄ってきて、普段なら積極的なスキンシップをすることはないのに、五条の右手を両手で捕まえてきゅっと握った。

「っお、」
「五条さん!五条さん五条さんっ」

重圧から解放されたミズキは熱に浮かされたようにふわふわとしていて、いつになく興奮しているようだった。思いが先走って言葉が追い付いていない。
五条が気持ち良く笑った。

「おめでとう、すごかった。もうそれしか言えないよ」
「五条さんありがとう私、えっと、」
「うん」
「一生懸命やりました…!」
「うん、僕の前以外でもすごく練習したんだって分かるよ」
「私ちゃんと、歌えてましたか」
「優勝しといて何言ってんの。最高だったよ」

空いている方の手を五条はミズキの肩に置いた。重い衣装を着て、たったひとりで、憧れてやまない人の曲に手をつけるプレッシャーと戦ったのだ。掛け値無しの賛辞だった。
ミズキは興奮が落ち着いてくると次第に目に涙を浮かべた。

「怖かった、失敗する夢見ました、昨日からご飯食べられなくて」
「うんうん、怖かったね。でももう安心していいよ。安心したら何食べたい?」

ミズキは片手を離して目元を拭い、少し視線を落として何もない空間を睨むように真剣に考えた後、ぽつりと言った。

「明日になったら後悔するくらい甘いものが食べたいです」
「いいねそれ、行こう!」

ミズキの方から掴んだ手を五条がパッと握り直し、そのまま彼女の手を引いて人の行き交う会場内を縫っていく。
「五条さん」とミズキの戸惑った声が彼の背中を呼んだ。

「どこ、どこ行くんですか?」

僅かに振り向いた五条の横顔がニッと笑った。
「こんな時はね、ミズキちゃん」と言う声には悪戯の響きがあった。

「行き先もカロリーも気にしちゃダメだよ」

ミズキは数秒間呆気に取られたまま五条に手を引かれていて、それから段々と目を輝かせた。
「はい!」と元気な返事があって、ミズキが自分から五条の隣に並んだ。

数日後、夏油は局内でミズキとすれ違った機会に優勝を祝ってから、あの後の五条の行動について尋ねてみた。
五条は甘いものを所望したミズキを本人同意の元で拉致し、馴染みの店のデザートコースに連れ込んだらしい。店のドレスコードに合うよう事前にシャワーと着替えとヘアメイクまで挟んだというのだから、相変わらず行動がいちいち庶民の発想からはみ出ている。
しかし幸いミズキも彼の傾向には慣れてきたようで、そこまで驚いてはいなかった。

「コンビニスイーツ全種類買うとかファミレスのデザート全部頼んじゃう、みたいなのを想像してたんですけど、番組の決勝戦と同じくらいすごい体験しました」
「うん…ミズキちゃんがすごく良い子だってことだけ分かったよ」
「五条さんに何かお返し出来たらと思うんですけど、好きなものとか集めてるものとか、夏油さんご存知ですか?」

君だろうね、と夏油は言おうか迷った末に言わないでおいた。代わりに、「悟はきっとやりたくてやっただけだから、喜んであげるのが一番だよ」と無難なことを言っておいた。

「あっあと、すごく大っきいペンギンのぬいぐるみもらったんです」

やりやがったなアイツ。夏油は気の遠くなる思いがした。

「………そのペンギン、どれくらいの大きさだったかな?持てた?」
「持って帰って測ったら60cmもありました!可愛いんですよ、ソファに座ってもらってます」

そのペンギンが最初は恐らくソファよりでかかったことも嬉しそうな彼女には伝えないでおいた。夏油の優しさである。

その時2人の背後を某イケメン俳優が顔を隠しながらそそくさと通り過ぎていったことに、ミズキは気付かなかったけれども夏油はしっかり気付いていた。



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ネタポストより、『ハニー・アンド・シロップで「マスクド・シンガー」パロ』でした。
番組そのものより舞台裏ばかりになってしまいましたが(すみません!)ネタ提供ありがとうございました!



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