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※ネタポストより『マスクドシンガーのパロ』です。
番組を拝見したことがないので別物になっていること請け合いですが、違和感・相違点ご容赦ください。
2話構成です。
『アリス』という名前のマスクの下で、ミズキは冷や汗をかいていた。
顔も背格好もまるきり隠れた舞台衣装なので初見でバレることは無いはずだけれど、そもそも数多いる芸能人の中で祓本の2人がパネリストになるとは何という偶然か。
知っていたら五条に「今度歌番組でシエナさんの曲を歌うことになっちゃったんです」なんて相談しなかった。その曲を歌うのは決勝戦なので、それまでに敗退したら何事も無かったも同然だけれど。
オファーを受けた時、「イヌマキの曲以外で自信があるの、6曲挙げて」とマネージャーに言われてリストアップした中に、ミズキはその憧れの人の曲を入れなかった。
しかし、そのリストを検分したマネージャーがどこかへ電話をかけ、通話が終わった時には1曲入れ替えで話がまとまっていた。それが、人気のアニメ映画の主題歌として書き下ろされたシエナの曲だったというわけである。
音域は広く音程が小刻み、一度踏み外すと修正不能になりそうな難易度の高い曲。憧れが強すぎて恐れ多いというのもあるし、あんな難曲を自信を持ってなんてとても歌えない。しかし言われたからにはやるしかない…とぐるぐる悩んでいるところへ偶然会った五条から「ミズキちゃん顔色悪い?」と覗き込まれ、その1曲以外のことは伏せて事情を打ち明けてしまったのである。
フムフムと聞いてくれていた五条は、ミズキが話し終えるとニッと笑って人差し指を立てた。
「行くでしょ、特訓!」
そうして2人で夜更のカラオケに落ち合ったのだった。
とにかく、5回戦までの曲どころか番組名さえ五条には伝えていないけれど、決勝の1曲は五条の前で28回練習したのだ。曲目を発表した瞬間にバレる。そうなればカンニングだとかヤラセだとか、五条を巻き込んでバッシングを受けることになるかも知れない。
彼女は2週間前の自分の口を呪った。
元は韓国の人気テレビ番組らしい。マスクを着け名前も伏せた有名人が歌とパフォーマンスを披露して点数を競い、敗退と同時に正体を明かす。優勝者が最後に正体を現すところがシーズン通してのハイライトである。
撮影初日、五条は苛立ちを隠せないでいた。
彼の隣には若手イケメン俳優が同じくゲストパネリストとして座していて、黄色い歓声を浴びている。
「悟、表情死んでるよ」
「しょーがねぇじゃんクソつまんねぇもん。ミズキちゃん出ない音楽番組って存在価値ある?撮りに3日取られるってのも鬱陶しいしさぁ」
どうせ審査員をやるなら、ミズキと一緒に練習をした(※五条の認識)カラオケ採点番組にこそ出たかった…というのが彼の本音である。
その時、夏油とは反対側から五条に話し掛ける声があった。
「祓本の五条さん、マジでイヌマキのファンなんですね」
「ア゛?」
「悟、ステイステイ」
いかにも爽やかに話し掛けてきたのは黄色い歓声を受け取り終えた俳優の阿手有真だった。その表情に僅かながら対抗心のようなものを見て、夏油は嫌な予感に口元をひくつかせた。
「俺も好きなんですよ、ミズキ可愛いですよね」
あっド正面から地雷野郎だった、と夏油は笑顔の内側で舌打ちをした。五条のコメカミには即座に青筋が立った。
「ニワカが知ったような口利いてんじゃねぇよミズキちゃんが可愛いなんて通りすがりの猿でも分かるわ呼び捨ても即辞めろ」
「うわ、噂に聞いてたよりガチっすね!声も可愛いですよね、俺CMに使われてる曲好きで」
「ハァァァァー??CMなら車とシャンプーとスマホプランの3曲あるわあとアルバム収録曲も全部名作なんだよドブカス」
「ハハ、ミズキって声が特別っていうか、聴いたらすぐ分かりますよね」
「こちとら歌う前のブレスで分かんだよ舐めんな呼び捨て辞めろ」
「悟、ハウス」
夏油はダメ元で仲裁するフリをしながら、内心ではこの猿そろそろ黙らないかなと思っていた。五条は純粋にイヌマキを応援するファンには寛容でも、下心の見え隠れする輩に対しては同担狩りである。
さすがに手が出ることは無いと信じたいけれども、手榴弾をふざけて転がすような真似は迷惑だと言ってやりたい。
そこでとうとう司会のタレントが五条と阿手の小競り合いに触れた。
「おーい阿手君五条君、これ今バチ○ロッテじゃねーのよ。推し口説くのは別のとこでやってー!今から登場するシンガーに興味持ってー!」
「あ゛?バチェ○ッテならこんな良い子で構えてねーって…え、待って傑公共の電波で堂々とミズキちゃん口説くのが仕事になるって理想すぎない?可及的速やかに実現しよ」
「はいはい悟、ハウス。阿手君もごめんね。うちの相方、半端なくせに馴れ馴れしいにわかファンには我慢ならないみたいで」
「すみませーんお客様の中でどなたかプロの火消しの方いらっしゃいませんかー!司会の手に余るんですけどー!」
舞台袖で伊地知は胃を押さえた。残念ながら彼の心労をねぎらってくれる人間はいない。
その後、多少強引にはなったけれども司会のタレントがどうにか軌道修正し、シンガー達が登場する流れになった。照明や紙吹雪に彩られて演者が舞台上歩み出る中、五条がサングラスの下で目を丸くして小さくぽつりと言った。
「…ミズキちゃんがいる」
その声は幸い司会者の耳には拾われなかったけれど、隣の夏油と阿手にはしっかり聞き取れ、直前までその話題で揉めていた阿手が早速噛み付いた。
「五条さんちょっと負け惜しみ過ぎません?あんな着ぐるみみたいな見た目でさすがに分かるわけないでしょ」
「お前こそファン公言しといて分かんねぇの?歩き方で分かるわ」
「ごめん悟ちょっと気持ち悪い」
「テメェ傑コラ表出ろ」
阿手は舞台に並ぶシンガー達をまじまじと見直した。見た目で判断出来ないように全員が着ぐるみに近い服装で、どう考えても個人の判別は無理である。
夏油は声を抑えて五条に耳打ちした。
「とにかく悟、もしあの中の誰かが本当にミズキちゃんだとして、歌う前からバレたら迷惑が掛かるだろ。プライベートで親交があるんだから事前リークしたとか難癖つけられる」
さすが相方は五条の操縦法を心得ている。以後五条は別人のように大人しくなって阿手の存在も忘れ、きらきらとした目で舞台を真剣に見るようになった。
舞台上のミズキは冷や汗が止まらなかった。何だか、パネリスト席にいる五条の自分を見る目が、とても親しげではないか。『頑張ってね!』みたいな感じではないか。隣の夏油はそんな五条のことを『あーあ』みたいな顔で見ているような気がする。
それでも、不安なあまりそう見えてしまうのだろうと思い込むことにして、ミズキは目の前の仕事に専念することに決めた。
水色のエプロンドレスをモチーフにした衣装はスカート部分が傘のように下半身に被っていて、それなりの重量がある。その中でハイヒールを履くミズキの足は重さと緊張と不安定に少し震えていた。
それでも着々と番組は進行し、初戦のミズキの歌唱順になってイントロが流れ始めるとスッと心が凪いで、彼女は歌うための呼吸に専念することが出来た。
今はただ全身全霊で歌うだけ、後のことは後で考えるのだ。
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モブのイケメン俳優の名前は【阿手 有真(アテ ユウマ)】です。当て馬です。