許可は必要ない

五条先生は俺を、正確には俺が袖口に隠し持つことにしたミズキさんのナイフを、見た途端に口角を上げて「へぇ」と言った。

「随分イイもの貰ったんだね?恵」
「…文句あんですか」
「ヤダ恵ちゃんったら反抗期?可愛い恵ちゃんに戻ってぇ」
「どんな幻覚見てんだ」

五条先生が忙しく飛び回ってる間に忘れかけてたこの軽口、久々にげんなりした。先生の目に対して隠し事は不可能だから、弄り倒されるのは覚悟の上だったが。

「心配ないだろうけど扱いには気を付けなよ。バカみたいに切れるからソレ」

…気のせいでなければ、今俺はマウント取られたって思っていいのか?

五条先生の本心は読めない。
口元は笑ってても目隠しの下ではどうか分からない。ミズキさんの後見人だと言いながら俺を牽制する。

苛立ちに目を細めていたその時、入学して以来聞いたことのないサイレンが高専中に鳴り響いた。
聞いた者の緊張を瞬時に掻き立てる耳につく音に背筋が粟立った。
発報、説明は受けたことがあるーーー未登録の呪力を感知するとサイレンが鳴るからと、俺も入学して最初に呪力の登録をした。
結界内に呪霊が入ったか呪詛師か、と身構えた途端に戸を叩き付ける音がして、見ると五条先生の後姿が出て行ったところだった。行き先はミズキさんのところだと直感して俺も追った。

走りながら頭を回す。侵入したのが呪霊ならシンプル、ミズキさんの体質が危ない。呪詛師なら狙うのは忌庫の呪具、反転術式の家入さん、希少な呪具師のミズキさん、単なるテロ、可能性は広いが何にせよ高確率でミズキさんに危険が及ぶ。
五条先生は恐ろしく足が速く、俺がミズキさんの工房を視界に捉えた時にはもうドアが開いていた。

「ミズキさん!」

工房に駆け込むとミズキさんが呑気に「あっ伏黒くん、こんにちは」と柔らかく笑った。そこで気付いた。サイレンは既に止んでいる。
先に工房に着いていた五条先生はスマホを耳に当てている。

「ハァ?実験用に捕獲してた呪霊?何級?……ショボッ!もう祓ったんでしょ?はー…まぁいいけどさぁ」

成程大体事情は分かった。
要するに単なるボヤ騒ぎだったということだ。はー…と息を抜いた。

「…とりあえずミズキさん、怪我はまぁ無いですよね」
「うん、来てくれてありがとうね。サイレンが鳴ったときにね、この前伏黒くんが運んでくれた大太刀を研いでたんだけどビックリして手が滑っちゃって。ヒヤッとしたの」

作業の時にミズキさんがいつも座るスツール近くの床には、柳葉型の穴が空いていた。…『手が滑っちゃって』、太刀がそこに突き刺さったと。『ヒヤッ』どころじゃねぇ。
からからと笑う様に頭痛を覚える。全くこの人は、何故こうも万事において警戒心やら危機感が薄いのか。
ミズキさんからいつもの花の匂いが漂ってくることが、結構な奇跡のように感じた。

「ちょっとー恵が運んだって何?最近随分仲良しになってんじゃん、本の貸し借りまでしちゃってさ」

いつの間にか通話を終えた五条先生が、ミズキさんの肩に腕を回した。ミズキさんは観光地で大蛇を首に乗せられた人のように姿勢を前傾して、かなり高い位置にある五条先生の顔を見上げた。

「伏黒くん読書家なの。お薦めにハズレがないからあてにしちゃう」
「…ふぅん、随分信頼してんね?」

ミズキさんに対して穏やかに笑って見せた後で、五条先生の目が(目隠しの下だが)俺を見た、気がした。敵意があるとも無いとも取れる、微妙で居心地の悪い空気だった。
その空気を、五条先生は自分で絶ってわざとらしいほど明るい声を出した。

「まっ、恵に手ぇ出したいならまずは僕に許可取ってね?何しろ僕、担任の先生だから」
「担任の先生がなんて冗談言うの、硝子さんに言い付けるよ」
「硝子は山崎の50年で掌返すから平気」
「もー」

五条先生はミズキさんの肩に回していた手で、小動物の喉元を擽るみたいにミズキさんの白い頬を撫でた。
畜生。

先生と連れ立ってミズキさんの工房を後にして、不本意ながら並んで歩いた。
「アンタ、ミズキさんの何なんですか」と改めて俺は訊いた。
アラートが発報して瞬時に駆け付ける様を見るに、先生にとってミズキさんが特別大切なのは間違いない。それなのに先生はまた後見人だと、政治家の答弁みたいなことを言った。

「それなら、俺がミズキさんに手ェ出すのにアンタの許可は必要ないですよね」
「…ハハッ恵も言うようになったね」

月並みな大人みたいな誤魔化し方してんなよ。アンタがあんなに取り乱して駆け付けることなんて、他にないくせに。


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