警戒心がなさすぎなんですよ
出張と任務続きで不在がちだった五条先生の顔を久しぶりに見ると自ずと、ソウマさんの顔が思い浮かんだ。
忘れてた(あるいは考えないようにしてた)が、先生に腰を抱かれてるところを俺が遠目に見かけた女性は恐らくソウマさんで、五条先生のことを「悟くん」と親しげに呼んだ声もソウマさんだ。
少なくとも指輪は、してないとは思っていた。だが女性関係についてはクズを地で行く五条先生のことだから、身体だけの関係って可能性もあるのかと勘繰れば、知らず眉間に皺が寄った。
「ハハッ恵どーしたの怖い顔しちゃって。僕に会えなくて拗ねちゃった?」
「誰がですか」
胸倉掴んで問い詰めてやりたい思いもあるが、一応先生には恩義があるし、挑んだところで敵いもしない。そもそもソウマさんが先生を好きなのだとしたら、『正気に戻った方がいい』と諭したくても俺の出る幕じゃないのは明らかだ。
握り込んだ拳に力を入れていると、五条先生の口元がニッと笑った。
「恵、最近ミズキと仲良しになったみたいだね?」
俺が驚いて先生を見るも、目を隠した顔は表情が読み難い。無性に苛ついて、その後吐き出した声は自分でも意外なほど低かった。
「…何なんですか、アンタ、あの人の」
「ハイハイ威嚇しないの。まぁ後見人ってとこかな?あの体質だし身寄りがないからねミズキは」
「………」
「お、信じてないね?うんうん、疑り深いのは術師としていいことだよ」
いつも通りの胡散臭い笑顔で、先生は俺の肩をバシバシ叩いた。地味に痛い。
確かに自分自身が先生の世話になった身だし、先生はやり方は無茶でも立場の弱い術師やなんかを守ってる人だ。後見人ってのも嘘ではないだろう。
それでも、生活必需品みたいにセフレを絶やさないこの男が、あの可愛い人の後見人を務めるだけで本当に済むものか。ソウマさんを隠す素振りだって見せたくせに。
俺は腐った気分で五条先生との会話を切り上げた。
結局五条先生は俺達の体術の授業を見ただけでまた別の任務に出て行った。正直少し、ホッとした部分がある。
俺にも午後から単独の任務が入って、補助監督の車を目指して高専の広い敷地を下っていた。足元に落としていた目線をふと上げた時、前方を行く小さい後姿を見、それが誰か分かって急いで駆け寄った。
「ソウマさん」と俺が声を掛けると、小さい背中がビクッと震えた。
「ふ、しぐろくん、こんにちはっ」
「…何やってんですか、こんなとこで」
ソウマさんの目が泳いだ。『何やって』も何も、この場所を歩いて下る時やることはひとつしかない。
「えっと、ね、ちょっとさんぽ「ソウマさん」
俺からの圧にソウマさんは身を竦ませた。まさか散歩の言い訳が通るとは本人も思ってないだろう。
「…注文してたものが麓のコンビニに届いたって通知があってね、でもその、皆忙しそうだったから…」
「ひとりで取りに行こうとしてたんですね」
「私も4級だけど一応術師なんだよ?護身用の呪具もあるし…」
言うと、ソウマさんは懐…というか胸元から、ペーパーナイフのようなものを抜き出した。確かに無いよりはマシだろうがどちらかと言うとそれは暗器の類で、化け物から身を守るにはあまりに頼りない。
この状況を看過する材料にはならない。
改めて俺が呼ぶと、ソウマさんはその頼りない呪具を握り締めた。
「…常に人を帯同しなきゃならない不便は察します。遠慮も。けどひとりで行かせるのは出来ません」
「…ごめんなさい……」
「俺も今から任務だけど、夕方には帰るんで付き添います。それまで待てますか」
「…はい」
結界を出て5分の距離も自由にならないこの人を不憫に思いはする。俺みたいな歳下に叱られて肩を落とす様も気の毒に思う。
それでもこの人が呪霊に食われるぐらいなら、閉じ込めて恨まれた方がマシだ。
「やっぱ着いてきて良かったですよ」
「いやもう本当…面目ない…」
ソウマさんがコンビニで受け取った荷物はそこそこの大きさと重量をしていた。結界を出る問題を抜きにしても、小柄な彼女がこの荷物をひとりで抱えて坂道を帰るのは現実的でなかった気がする。
気になって送り状の品名を見れば、刃物とあった。
日が落ちたばかりの宵の中、荷物を抱えて階段を登る俺の隣で、ソウマさんはやっぱり肩を落としていた。
鵺に乗れば早いのを黙っているのは、俺に下心があるからだ。長く話していたいし、隣を歩くのは悪くない。だから罪悪感は捨ててほしくて、「そろそろ持つの代わるよ」と申し訳なさそうにするソウマさんの声をわざと遮った。
「呪具ってイチから作るんじゃないんですね」
「鋼を打つところから出来たら理想だけど、ものすごく時間かかっちゃうしひとりじゃ出来ないから…あの、伏黒くん、待つの交代…」
「モノに呪力定着させるってどれぐらい掛かるんですか」
「小さいものならひと月もあれば…伏黒くん、私自分の荷物だしやっぱり、」
「いくつか並行で作ってんですか」
「さすがに分かるよ聞く気ないでしょ!?」
「分かってんなら聞かないでくださいよ、これぐらい大したことねぇんで」
いつも面倒になる長い階段が、今日はやけに短い。自分がこんなに単純な奴だとは初めて知った。
もうすぐ、いつもの工房に着くって位置。
「伏黒くん」とソウマさんが俺を呼んだ。
「何かお礼させて、何でもいいから」
そういうのを簡単に男に言うってのは、俺が男と見られてないからか、単に警戒心が薄いからか、あるいはその両方か。
考えながら歩いて、工房に着いて、ソウマさんがドアを開けていつものオレンジ色の明かりを点けた。荷物を机に下ろした。
「…それじゃ2個、お願いが」
「!うん、何かな?」
「昼間見せてもらった護身用のナイフ、俺にください」
「え…そんなのでいいの?もちろんいいけど」
ソウマさんはペーパーナイフみたいな細い刀身を革鞘ごと取り出して俺に差し出した。受け取ると体温の移ったその手触りに、自分で強請っておきながらちょっとやましい気分がした。
「もうひとつは?」
「あんたのこと、ミズキさんて呼びます」
「え…」
「許可ください」
「許可っていうか…そんなこと?いいの?」
「勿論」
ソウマさん改めミズキさんはどうにも腑に落ちないって感じの顔をした。逆に何を要求されると思ったんだか。
そもそも個室に男を簡単に招き入れて、『何でも』なんて要求を受け付けて、警戒心のない人だ。
「護身用のを俺が貰っちまったんで、ミズキさんは薙刀でも背負っててください」
「護身っていうか狩りにいってないかなそれ」
「警戒心がなさすぎなんですよ、あんた。さっきのコンビニ店員に何も思わないんですか」
ミズキさんは『キョトン』を絵に描いたような顔をした。
下心のない男はあんたを見てあんなに嬉しそうにしないし、「夕方に来るの珍しいですね、今回は何が届いたんですか」なんて詮索もしない。
「とにかく、これからも外に出たい時は俺に声掛けてください。夜中に叩き起こしてもいいんで」
「そんなことしないよ」
「例えです。じゃ、コレ貰っていきます」
ミズキさんの呪力が染み込んだナイフを懐に仕舞って、工房を出た。ミズキさんが俺を呼び止めて、改めて礼と、おやすみを言ってくれた。
「おやすみ」と返すと、自分からこんな声出んのかと思うような優しい声だった。
寮に帰りながら懐のナイフを服の上から撫でた。
確証は無いが、ミズキさんは五条先生のセフレなんかじゃない。あの初心な人が五条先生の毒牙にかかってて堪るかって願望もあるが、ミズキさんがそんな関係を結ぶのは想像出来ない。
五条先生はミズキさんのことを好きかもしれない。ミズキさんが五条先生を好きって可能性もある。俺は術師としても男としてもあの恩師に勝てる気なんか少しもしないが、この恋を諦める必要だってないはずだ。
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