記憶の蓋

ミズキさんが女子棟の空き部屋に移って迎えた最初の週末、談話室に降りると釘崎と真希さんとミズキさんの3人が楽しげに何事かを相談していた。それで、そういえばミズキさんが『3人でお買い物』と言っていたのが今日のことだと思い当たった。

戸を開けた俺に最初に気付いた真希さんが席を立って俺に目配せをするので着いていくと、少し奥まった物陰で真希さんは開口一番「悪かったな」と苦々しく目を細めた。

「悟から大体事情は聞いた。私が気付いてりゃ防げた」
「どういうことですか?」
「前にミズキがコンビニで受け取ってきた荷物に開封された痕跡があった。品名が『衣類』でも発送元が下着メーカーじゃ中身は割れるだろ」
「………クソ変態野郎」
「運送屋かコンビニか辿れなかった。非術師だから残穢が薄いし私は目が良くねぇし…その時点で悟に見せるべきだった。私のヘマだ」
「それなら俺も同罪です。あの店員なら見たことがあったのに、見かけた時点で思い出さなかった」

真希さんはかりかりと後ろ首を掻いて、フー…と空気を区切るように長く息を抜いた。

「…ま、ミズキが今元気にしてるってので納得するしかねぇな。そんでそれ以来下着は実店舗で買えって言ってあんだよ」

成程。初めて買い物に付き添った時のことを思い出した。

「だからまぁ、色形手触りに希望がありゃ聞いてやるぜ」
「………何の話っスか」
「何の話だろうな?」

その時の真希さんの笑い方は、文字に起こすとしたら『ケヒッ』という感じだった。不吉なんで辞めてほしい。
とにかく、ミズキさんと護衛2人は買い物に出掛けていった。



夕方になって帰ってきたミズキさんは、朝とは一式違う服装になっていた。膝下丈のスカートと柔らかそうなブラウスというシンプルな出立ちは、普段のミズキさんと違和感なく馴染んでいた。
正直、五条先生のカードを装備した釘崎ならもっと分かり易くブランド物で固めてくるかと思っていたから、何となくミズキさんが自分で選んだんじゃないかと思った。
そんなことを考えてる内に、俺が無遠慮に見過ぎたせいで、目の合ったミズキさんを「…変じゃないかな?」と不安にさせてしまった。

「変じゃない…じゃねぇ、似合います。すみません」
「そっか、なら良かった」

ミズキさんが柔らかく笑った。

「…自分で選んだんですか?」
「うん。ちょっと綺麗な服もね、着たいなって思って」

ミズキさんは、綺麗なスカートを少し摘んで色を確かめるように揺らした。五条先生のカードは使わず自分で買ったことが付け加えられたが、あまり意味を咀嚼出来た気はしない。
トランクひとつに収まる荷物しか持たないできたミズキさんが綺麗な服を着たいと思う、喜ばしいことだ。でもそれは、誰のためか。
誰に、着飾ったところを見せたかったのか。

俺が苦し紛れに「似合います」と重ねたのに対して、ミズキさんの後ろにいた釘崎が舌打ちをした。

「そんだけかよ観察力死んでんのか」

何でだよ褒めてんだろうがと思っていると、釘崎による俺にはてんで分からない装備品プレゼンが始まったのだった。
そこへ、いかにも当然という感じで五条先生が入ってきた。この人は本当に、顔を見たくない時に限って現れる。

「おーミズキ可愛い!スカートの色綺麗だね。アイシャドウとリップの色もいい感じ、あぁネイルと合わせたんだ?アクセも華奢な感じミズキに合ってる。あと髪もちょっと巻いてんね、かわいー」

釘崎から10点の札が上がった。俺には無理な出題だった。

「でも詳しすぎるのもキショいわね」

どの道不合格じゃねーか。
ミズキさんは微笑ましそうに釘崎を眺めていた。


夜になって、自室で玉犬を出してブラッシングしていると戸がノックされて、出てみるとミズキさんだった。驚きと嬉しさのあまり事態が把握出来ずに口籠っていると、ミズキさんが紙袋を胸の前に引き上げて見せた。

「いきなりごめんね、良かったら一緒におやつにしませんか?」

勿論是非に、とは口に出さずにただミズキさんを迎え入れた。ミズキさんは部屋に入るなり、スフィンクス像の姿勢で待機した玉犬を撫でに行って、傍らに置いたままだったブラシを見て目を輝かせた。

「ブラッシングしてもらってたの?良かったねぇ」
「俺コーヒー淹れるんで、良ければ梳いてやってください」
「いいのっ?わぁ、嬉しい!」

ミズキさんは玉犬に向かって「じゃぁ、失礼しますね」とわざわざ畏まってから、喉元の毛並みにブラシを滑らせた。俺はそれを微笑ましく盗み見ながら、慣れた簡易キッチンで湯を沸かしコーヒーの支度をした。

「…そういえば、服とか爪とか、戻したんすね」

ミズキさんの前に湯気の立つマグカップを置いた。
玉犬の背中を撫でるミズキさんの爪はいつも通りの色に戻っていて、匂いもいつもの甘いそれだ。服もリラックスした部屋着に変わっている。
今日の新しい服を見ればどうしても五条先生の顔がチラつくし、部屋着の方が馴染んでて俺は好きだが、まさか褒め方がまずかったからわざわざ着替えたのかと不安が過った。
ミズキさんはふわふわと笑った。

「爪はね、指の感覚に影響するから何も塗ってない方がいいの。野薔薇ちゃんや真希ちゃんとお出掛けするときはまた一緒に塗ろうねって約束してあるし。服は帰ってきて一回シャワー浴びたから着替えただけ」

服とか爪よりシャワーの方が情報として威力がある。…というのをミズキさんは恐らく把握していない。知ってしまったコッチはいい匂いに神経が集中するってのに。
後ろめたさから痒くもない頭を掻いた。

「何つーか…すみません上手く感想言えなくて」
「うん?…あ、服のこと?謝ることないよ、似合うって言ってくれたし、私だって野薔薇ちゃんの言うこと全部は分かんないもん。悟くんが詳しすぎるだけ」
「…そんなもんですか」
「そんなもんですよ?」

ひとまず安心して、コーヒーを一口含んだ。

玉犬はソファの背凭れのように半円状にミズキさんを後ろから囲って、頭を優しく撫でる手に心地よく目を細めていた。

先の事件、玉犬と鵺がいなきゃ間に合わなかった。
自分の術式についてはこれまで優越感も劣等感も無くただそういうモノとして、別段思うことは無かった。だが今回のことで俺は初めて自分の術式がこれで良かったと、心底思った。
感謝の意を込めて玉犬の喉元を撫でると、くぅ、と心地良さそうな声が上がった。

「いい子だ」

玉犬から手を引いてふと顔を上げると、隣のミズキさんはじぃっと俺を真っ直ぐに見つめていた。俺の目の中に探し物をするような目だった。「伏黒くん」とミズキさんが言った。

「…私に『いい子』って、言ってくれたことがある?」
「いや…さすがにそんな、」

失礼なことは、と言いかけたところで膜が破れたように思い出した。
ミズキさんの部屋、暴行犯を蹴り飛ばした、血を見て動揺したミズキさん、その細い背中。

ーーー大丈夫です。ゆっくり呼吸してください、俺を見られますか、そう、いい子です。

「ッ考えるな!」

ことのほか大きくなった俺の声にミズキさんが肩を縮ませた。怖がらせたかったんじゃない。ただ思い出してほしくなかった。痛み、恐怖、嫌悪感、絶望もしただろう、あんな壊れそうに震えて、血の味と色、涙を。

「…っミズキさん、俺を見て、よく聞いてください」

ミズキさんの薄い両肩を掴んで正対した。

『聞け』なんて口走ったはいいが、クソ、何て言やいいのかまるで纏まんねぇ。


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