悪い夢を見たんですよ

きっと五条先生はミズキさんに恐ろしいことが降り掛かる度、こうして記憶を消してきたんだろう。
俺のベッドに眠るミズキさんの傍らに椅子を引っ張ってきて、綺麗な寝顔を眺めながらそう思った。

俺の部屋まで来たはいいが、そういえばミズキさんの服は無惨に裂かれているし着替えもないことに気付いて、ベッドに寝かせると急いで釘崎を呼んだ。服を貸してほしいことと着替えさせてほしい旨を伝えると、布団を捲ってミズキさんの状態を見た釘崎は最低限の事態を把握したようで、「呼ぶまで廊下出てろ」と言ってくれた。
着替えさせた後はただ俺の肩を軽く叩いて「何かあったら呼びなさいよ」と部屋を出て行った。有り難かった。

そうして静かになった部屋でミズキさんの寝顔を見ながら、どういう経緯で俺の部屋に至ったことにするのか纏まらない考えを練っていると、外からドアがノックされ、今度はトランクを携えた家入さんが立っていた。トランクの中身はミズキさんの私物の全てだという。

「…五条先生が贈ったものが山ほどあると思ってました」
「それなら、強めに言えば返品出来るくらい綺麗に保管されてるよ。これは純粋なミズキの私物」

本当にトランクひとつに収まるらしい。
これを焼却炉に放り込む未来なんてあって堪るかって思いで、トランクを受け取って持ち手を強く握り締めた。
そこで気付く。五条先生はきっと、焼却炉に収まらない量にしたかったのだ。

「そういえばお前も直接手を下したかったろうに、五条に譲らせて悪かったな」
「まぁ…ミズキさんの方が大事なんで仕方ないです」

「へぇ」と家入さんは楽しそうに笑って、ポケットからスマホを出した。

「制裁の結果報告、治す前の状態」

表示された写真を見ると、心臓の弱い人は見ない方がいいような状態の男が写っていた。

「これで手打ちにしてくれ」
「そうですね。ミズキさんに許すかどうか問える状態でもないですし」
「これから、ただの非術師による暴行事件なのか呪詛師の手引きがあったのか聞き取り調査になる。まぁ正味な話、魔女裁判だがな」

家入さんは部屋に深入りするつもりはないという様子で、靴を脱がないままドアを開けてするりと廊下に出た。「あぁそういえば」とドアの隙間から覗く顔が悪い笑顔を作った。

「ミズキをしばらくこの部屋で寝起きさせてやってくれよ。何せ本人の部屋はあの状態だからな」
「なっ、」
「じゃ頼んだぞ青少年」

閉じる寸前のドアの隙間からヒラッと振った手が見えたのを最後に、家入さんは言い逃げをかました。
確かにミズキさんの部屋は窓が割れ(俺が割った)土足で荒らされ(俺がやった)、とても寝起き出来る状態じゃない。そもそも設備に問題が無かったとしても、暴行事件の現場にミズキさんを帰らせるのは有り得ない。
いやでもそれならせめて女子の部屋に…と混乱していると、ベッドから微かに声が上がってゆっくりミズキさんの瞼が持ち上がった。ミズキさんの目は不思議そうに天井を見回した後、俺を発見した。身体を起こそうとするので心配で駆け寄ったが、そういえば身体的には家入さんの治療を経て何の問題も残ってないはずだ。

「伏黒くん…?ここ、どこ…?」
「…俺の部屋です」
「あ、ほんとだ…ベッドごめんね、あれ、私…?」

まぁ当然の疑問だよな…と内心頭を抱えつつ、工房で倒れていたのを俺が発見した、家入さんに見せたら貧血と言われた、とかどうにか苦しい説明を通した。

「とりあえず…何か飲みますか?何かっつーか、インスタントコーヒーか緑茶ですけど」

言ってから、前にここでコーヒーの準備をしたときのことを思い出した。ミズキさんの方も同じことを思い出したようで、心なしか顔を赤らめて、またコーヒーを選んだ。
前回同様に準備を手伝ってくれようとするのを貧血にこじつけて座っていさせて、黙々とコーヒーを用意した。
マグカップを持ってベッドまで行く頃には、ミズキさんは足を床に下ろしていた。22pの足。改めて見ると、五条先生の言う通り心配になってくる小ささをしていた。
自分のを机に置いてからミズキさんにマグカップを差し出した。

「熱いですよ」
「ありがと」

受け取ろうとしたミズキさんの手が震え、コーヒーが大きく波打ったので慌てて机に置いた。ミズキさんは小刻みに震える自分の手を不思議そうに見ている。

「ごめ、あれ…?へんなの、ごめんね」

ミズキさんが眉をハの字に下げて無理な作り笑いをするから、俺はほとんど衝動的にミズキさんを抱き締めて背中を撫でた。

「… ミズキさん、大丈夫です。ゆっくり呼吸してください」

喉の震えるような呼吸を徐々に落ち着けながら数往復した後、腕の中からミズキさんが俺を見た。記憶を消したとは言っても、潜在的には残っているのかも知れない。恐怖の名残みたいなものが。

「伏黒くん、あのね…」
「はい」
「悟くんから何か言われた…?」
「………何でですか?」
「…こういうこと、前にも何度かあったの。何か良くないことがあった気がするのに、思い出せなくって。そういうときはいつも悟くんがいて『悪い夢を見たんだよ』って言うんだけど、嘘をついてるときの顔なの」
「今もそうですか?」
「うん…」

ミズキさんの目を見ていられなくて、自分の胸に抱き締めた。真実を伝える選択肢は有り得ないが、しらばっくれて誤魔化すのも違う気がする。『悪い夢を見たんですよ』と言ってしまいたい気持ちは、分かるが。

「…良くないことは、ありました。でもミズキさんが覚えておくには値しないことです」
「…そっか」
「はい」
「ごめんね、私に起こったことなのに、伏黒くんに覚えておくのを押し付けちゃって…辛いよね」

そう言ってミズキさんが俺の背中をとんとんと叩いた。どうしてこの人はこうも、自分の優先順位を後回しにばかりするのか。もどかしい思いがした。

「俺はミズキさんが無事なら後は何でもいい。遠慮すんなっても無理でしょうから、それだけ覚えててください」

数秒間沈黙の後、ミズキさんが俺の胸を押して距離を作った。何か気に障ったろうかと心配していると、ミズキさんはほんのり頬を赤らめて目を逸らした。

「すっごく、格好良いこと言うのね…照れちゃう」

脳天を釘崎の金槌に打たれたような衝撃を覚えた。そういえば俺は暴行事件から少し落ち着いたとはいえそのままのテンションで話してたが、記憶の飛んでるミズキさんからすればいきなり抱き締めたり口説くようなことを口走ったり、かなりアウトなことを俺はしでかしたのかも知れない。
いきなり、ツケが回ってきたかのように羞恥心が来た。

「………すみません、馴れ馴れしく」

後ずさって適切以上の距離を取り、降伏のジェスチャーのように両手を上げた。

「あっ違うの、ごめんね、嫌だったんじゃないから」
「自重します。なんなら気が済むまで殴ってください」
「や、だから嫌だったんじゃなくてね?戻ってきて伏黒くん、おーい」

ミズキさんが手を上げてぴょこぴょこと俺を手招きした。何やら、投げたボールを捕まえたまま帰ってこない犬と飼い主のような格好になってしまって、ミズキさんは同じ状況を想像したかは定かでないが、気が抜けたようにくすくすと笑った。
意図した結果じゃないが、リラックスには一役買ったらしい。

「せっかくコーヒー作ってくれたんだもん、一緒に飲んでほしいな。飲んだら私帰るから、こんな時間までごめんね」

………そうだ、今日からしばらくこの部屋で寝起きしてもらうのをどう説明するか、それが残ってた。
コーヒー1杯飲み終えるまでに考えねぇと、と思いながら俺はかつてなくチビチビとコーヒーを飲んだのだった。


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