柔く尊いひと

※暴力表現あり



「ミズキさんは使おうとしないのに何故アンタは贈るのを辞めないのか」

この質問が先生の急所という確信は持てなかったが、足音の乱れを見る限り、少なくとも触れられたくない部分であることは明らかだった。
五条先生はやっと立ち止まって顎を上げ、フー…と長く息を吐いた。それから、ガリガリと後ろ頭を掻いた。

「恵さぁ、ミズキの足のサイズ知ってる?」
「………ハァ?」
「22pだよ」

「こんだけ」と先生は手の親指から小指でサイズを示した。

「手首も足首も小枝みたいだしお腹だって内臓足りてる?ってぐらい薄いし、僕じゃなくても悪意さえあればどうにでも出来ちゃうよあんな子。その上呪霊ホイホイ体質だしさ、蛇の群れにヒヨコがいるようなもんでしょ。つまり生存に不利すぎんの」
「…守りたいって素直に言ったらどうなんすか」
「厄介なのはさ、根っからイイコなんだよね、あの子。弱いなら狡賢くなればいいのに」

五条先生は俺の返事を聞いているのかいないのか、空を見上げたような格好のまま続けた。
陽が傾き始めている。

「あの体質の子がさ、僕と会うまでどうやって生きてきたと思う?祖父母が結界術に秀でてたのがラッキーだったね。ただ生まれてすぐあの体質にホイホイされた呪霊に両親殺されてるからマイナスの方が大きいかな」
「………」
「おじいちゃんが亡くなって、残ったおばあちゃんもある時自分の死期を悟って間際に高専にヘルプ求めてきたってわけ。保護されなきゃ生きてられないって純然たる事実をさ、ミズキは心底理解してるよ。常に死ぬ準備をしながら、それまでの間家賃でも払うみたいに人の役に立とうとしてんの。そんで死んだら始末で迷惑掛けないようにって、持ち物増やそうとしないんだよね。『トランクひとつ焼却炉に放り込んだらお終いだから、それだけゴメンナサイ』ってことさ」

ミズキさんの笑顔が思い浮かんだ。
中2の冬に五条先生と会わなければ失われていた笑顔。

「…で、答えとしてはこんなとこでいいかな?」
「まぁ…分かった上でやっぱり、守りたいって素直に言えよとは思いますけど」
「そういうのは若人に任せてるんだよね」

普段ガキみたいに振る舞うくせに、こんな時だけ実年齢を盾に逃げる。この人の愛情は酷く拗れて捻くれている。
五条先生が話をはぐらかす態度に入った時には、もうそれ以上まともに情報を引き出すことは不可能だと経験的に知っている。『今日はここまで』と同義だ。俺の腹は不完全燃焼を燻らせていたが、これ以上の進展を望めないなら飲むしかない。

その時30mほど離れた場所を、ダンボールの乗った台車を押して歩く男が目に止まった。知らない男、首から来客証を下げている。
五条先生もその男を視認して、「コンビニだね」と言った。

「学内にコンビニ出店は厳しいから、数日間の販売分だけ高専で買い取ることにしたらしいよ」

どこかで見たような気のする男、でも思い出せない。
五条先生が俺の肩に手を乗せた。

「寮に戻りなよ、恵」

アンタに恩を感じてないわけじゃない。だから『これ以上聞くな』って言えばそれまでだ。
俺の聞き間違いでなければ五条先生は去り際にただぽつりと、「さわれねぇよ」と、言った。





寮に戻ってシャワーを浴びても、不快な靄が胃にわだかまってるみたいに気分は晴れなかった。無性にミズキさんに会いたくなって、無計画に寮を出た。歩きながら会って何を言うつもりなのか考えてみたが、着いても答えは出てないままだ。
窓からオレンジ色の光が漏れている。
ドアの内側から『伏黒くん?』と俺を呼ぶ声を期待してノックした。応答なし。少し置いて再びノック、これにも応答なし。ドアノブに手を掛けると抵抗なく回って開いた。中は無人だった。
作業台の上に細い刃物が5本、ケースの蓋が開いて置かれている。家入さんのメスだ。

違和感。
ミズキさんが明らかに作業の途中みたいな状態を放って、明かりもつけたまま、どこに行った?
玉犬を出した。

「ミズキさんを探せ」

一声鳴いて走り出す玉犬を追う。玉犬は一目散に走っていく。方向からして職員寮、以前ミズキさんと歩いた道筋だ。
胸騒ぎがする。
道の途中で玉犬が一度止まって低く唸り、また駆け出した。職員寮の前まで来たところで玉犬がまた鼻に皺を寄せて唸った。玉犬には高専関係者を一通り覚えさせていて、関係者に唸ることはない。つまりミズキさん以外、関係者以外の何かが、いる。鵺を出して背に乗り地面を離れ旋回し速度を上げてミズキさんの窓を「突き破れ!」

ガラスの割れる音、破片が舞う中室内に土足で降りた瞬間、目の前が赤く染まるほど逆上した。
硬い床に男が、その下にはミズキさんがいた。髪は乱れ服は無惨に破られ白い肌と下着が露出している。見れば顔も頬が赤紫色に腫れ上がっていた。
ミズキさんに覆い被さったまま驚愕の顔で俺を見ている男に大股で距離を詰めた勢いそのまま躊躇なく脚を振り抜いた。鈍い音がして男が吹き飛んで壁に衝突して床に落ちた。
声の限りに罵ってやりたいのに何も言葉が出てこない。その男以外に何も見えない、何も聞こえない、殺す殺してやる、無意識に革鞘の留め具を外しナイフを逆手に構えた。怒りで手が震えたのは初めてだった。

床で呻く男に歩み寄ろうとしたところで服の裾が引き止められた。見ると上体を起こしたミズキさんが、痛々しく震える手で俺の裾を掴んでいる。もう一方の手で口元を押さえ、小さく何度も首を振っている。俺の耳に音が戻ってきた感覚がして、ナイフを仕舞い、ミズキさんの破られた服の前を引き合わせて肌を隠した。
鵺の突き破った窓から、遅れて玉犬が入ってきた。

「玉犬、アレを押さえてろ…今は殺すな。鵺は五条先生を呼べ」

玉犬が男の喉笛に噛み付く寸前で歯を止め前足を腹に置いたのを確認してから、ミズキさんの顔を覗き込んだ。血の気の失せた顔、頬だけが赤紫色で、頑なに口元を手で覆っている。
口内に血が溜まって、飲むのも吐くのも出来ずにいるんだろう。

「ミズキさん、飲まないで。飲むと気持ち悪くなります。立てますか?」

こくん、とミズキさんが頷いた。
立てるとは言ったものの脚が震えて難しそうにするミズキさんをほとんど抱えるようにして簡易キッチンへ連れて行き、シンクに向かわせた。ミズキさんが恐る恐る口の中のものを吐くと真っ赤な液体が銀色のシンクを流れていって、それを見たミズキさんが「ヒッ」と息を飲んだ拍子に咽せ、俺は背中を摩った。

「ミズキさん、大丈夫です。ゆっくり呼吸してください、俺を見られますか、そう、いい子です。家入さんのところに連れて行きますから、それまでティッシュ丸めて噛んでてください、出来ますか?」
「いや、もう来たから治すよ」

気付けば玄関の三和土に家入さんが立っていた。彼女はガラスの散乱する床の有様を一瞥して靴のまま歩いてきて、ミズキさんの頬に手を翳した。瞬く間に頬の赤味が引いて、反対にミズキさんの肌には血色が戻った。

「他に痛むところは?」

ミズキさんが首を振った。それから、まだ小さく震える身体を俺に寄せた。
家入さんが僅かに口元を緩めて、俺を見た。

「伏黒」
「はい」
「眼球や内臓を潰したり四肢と首を切断する以外の傷は治してやるから、存分にやれ」

そうだあの男、殺してやらないと。

「…と言ってやりたいとこなんだが、これは五条に釘刺すやつだな」

家入さんが指差すのを見ると、五条先生が男の傍らにしゃがむ後ろ姿があった。俺が玉犬を仕舞うと、先生は男の髪を掴んで頭を引き上げた。
白い頭が動いて男の耳元に何か囁いたようだが、内容は聞き取れなかった。ただ男が酷く怯えて取り乱した様を見るに、俺の思いと大差ない内容だとは想像に難くない。
五条先生が男を引き摺ってこっちに歩いてくると、ミズキさんが震えて俺にしがみ付いた。

「ミズキ、怖かったね。少し寝てて」

五条先生の指先がミズキさんの額にトンと置かれた途端、ミズキさんの身体が崩れ落ちそうになったのを慌てて支えた。

「恵、ミズキを頼むよ。ちょっと記憶消してるから適当に話合わせといて」
「…だそうだ。お前の部屋にでも寝かせてやれ」

ミズキさんを背負って、玄関から部屋を出た。階段を降り職員寮を出て歩いていると、割れた窓からくぐもった絶叫が聞こえたが背中のミズキさんは目を覚さなくて、それが俺の今日一番良かったことだと思った。


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