触れたい

異論を一切受け付けない釘崎の剛腕によって、戸惑い顔のミズキさんが俺の部屋に押し込まれた。
この状況から一体どうしろと言うのか。

「あ、あの…急にごめんね。ナイフを、ね、届けに…」

ミズキさんがおずおずと懐から取り出した包みを開くと濡れたように光る細い刀身が現れて、ひとまず礼を言って受け取ったそれをいつもの皮鞘に仕舞った。

昨夜の俺の行動は、ミズキさんからすれば唐突でまるで意味が分からなかっただろう。徒歩数分のコンビニすら自由にならない立場で、善意(じゃないと俺は邪推するが)で差し出された服飾品を受け取って何が悪い。俺は勝手に嫉妬して逃げた情けない餓鬼だ。睡眠を挟んで頭が冷えて、昨日の自分をブン殴りたくなった。

とにかくミズキさんを三和土に立たせたままは良くないと部屋に上がってもらったはいいが、上がってもらったところで来客なんて想定してない部屋じゃ地べたに座ってもらうしかなかった。ふたりしてクッションのひとつも無く床に並んで座るという奇妙で微妙な状況。
気まずい空気が、質量を伴ってそうなぐらいに太々しく場に横たわっている。

「あとこれ」とミズキさんが袋を持ち上げた。昨日俺が渡した菓子だった。

「せっかく買ってきてくれたから、伏黒くんと一緒に食べたいと思って」

俺の出方を窺って少し不安そうな顔をミズキさんがしている。嫉妬で拗ねて逃げた餓鬼なんて無視して食っちまえばいいのに、律儀な人だ。
緩みそうになった口元を隠す目的で顔を逸らした。
「茶、淹れます」と立ったものの、インスタントコーヒーと緑茶しかない選択肢をミズキさんに示すのが恥ずかしかった。それでもミズキさんは立ち上がって寄ってきて、嬉しそうに手伝いを申し出てくれた。気まずい空気はいつの間にか退散していた。

「伏黒くんってミニマリスト?お部屋綺麗だね」
「…まぁ物欲は薄い方です」
「でもマグカップがわんちゃんなの可愛い」

マグカップを手にミズキさんが目を細めて笑った。『可愛い』はマグカップの犬に対してだと信じたい。

見慣れた部屋の中にミズキさんが立ってるのが新鮮で不思議で、靴を脱いだミズキさんはいつもより小さく感じる。自分の下心に後ろめたい思いがして無意味に首を掻いた。
そうしてる内に薬缶から湯気が上がって火を止めた。

ミズキさんの視線がコーヒーの粉を探して辺りを巡ったのを見て、吊り戸棚のインスタントコーヒーを思い出した。俺が上の棚に手を伸ばすと、胸板にミズキさんの背面が当たった。俺が後ろから寄り掛かったような形だ。
顎の下にミズキさんの頭、小さい、甘い匂い、甘い匂い、ミズキさんの背中が緊張してる、離れなきゃマズい。でも今、腕を少し動かすだけで、ミズキさんを抱き締めることが出来る。肋骨が痛むほど心臓が波打っていた。
見下ろして気付く、髪の間から見えるミズキさんの耳、小さくて丸くて、噛み付きたくなるようなそれが、赤い。

インスタントコーヒーの瓶を取って一歩引いた。

「……すみません」
「いっいいえ!?」

細い後姿の肩が跳ねた。…耳はまだ、赤い。

一度去ったはずの気まずさが思い出したように戻ってきて、ただ今回は心臓がむず痒いような、気恥ずかしさが勝っていた。

人付き合いが得手じゃない自覚はあって、最低限を残して避けて通ってきた自覚もある。そんな俺が誰かを抱き締めたいだとか、ましてやキスがしたいだとか噛み付きたいなんて、衝動に自分で戸惑った。
最初の位置にまた並んで座って、気まずい空気を誤魔化そうとマグカップに口を付けながらミズキさんを盗み見た。髪の間に覗く丸い耳からは幾分赤みが引いていた。律儀に俺に断ってから菓子を齧る(一口が小さい)口元をやたら凝視してしまう。ミズキさんに聞こえないように主に心内で、深く深く溜息を吐いた。
認めてなかったわけじゃないが、これはもう完全に恋で、俺はこの人に触れたくて仕方がないらしいことを認めざるを得ない。

「伏黒くん、これすごくおいしい!」

ミズキさんは甘さで気分が切り替わったらしく、目を輝かせて俺を見た。その目が皿の上にひとつ残った菓子を食べてみろと俺に促していて、ビジュアルだけでもう甘いそれを取り上げて口に運んだ。

「…うま」
「ね」

思ったより、見た目より、甘くなかった。食える…と言うと釘崎はキレそうだが。
好きな人と並んで甘いものを齧る状況が、自分で不思議だった。どうやってそこに至ったか道順も分からないくせに、不意に綺麗な泉でも見付けたみたいな。

ただ齧った断面を見てると、ふとその浮ついた心に陰が差した。その陰は、突き抜けた甘党というか最早砂糖中毒といえるあの恩師の形をしていた。
あの人がこんな風にミズキさんと甘いものを食べる機会が無かったとは思えない。
何もかも、俺はミズキさんの一番にはなれない。俺がミズキさんに対して何を為そうと、あの人が既にやったことだろう。
口に含んだ甘いはずのそれは、いつの間にか苦々しく変化していた。

ミズキさんに触れたい。抱き締めて俺だけを見るその目を眺めていたい。
でも勝てない。五条先生には何もかも敵わない。術師としても男としても、過ごした時間の長さも与える影響の大きさも。
思いがせめぎ合って、分裂して、混濁する。苦しい。

「伏黒くん?」

ハッと気付いた時には、俺はそこそこ険しい顔で食いかけの菓子を凝視していた。ミズキさんの心配そうな目が俺を覗き込んでいた。

「…すみません、ボーッとしてました」
「ごめんね、もしかして本当は甘いのあんまり好きじゃないかな?」
「いや、普通に食います」
「…嫌じゃなかったらね、また遊びに来てほしいな。伏黒くんとお話するの楽しいから」

三角に立てた膝を抱いて、ミズキさんは優しく笑った。もしかしたらこれは所謂大人の気遣いってやつなのかもしれない。ただのリップサービス。
それでも可哀想なほど単純な作りをした俺の頭はもう喜んでいて、抗い難く光に吸い寄せられる蛾みたいにきっと俺はまたミズキさんのいるオレンジ色の光を目指すんだろう。

「…行きますよ。ミズキさんに会いに」

抗い難く好きになってしまった。


[ 11/22 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -