愛らしいその目が憎い

静かな水面にストローを挿す感覚と大差なかった。ミズキさんのナイフはそれぐらい静かに呪霊の肉に沈み、専用に作られた隙間に収まっていくように抵抗なく進んで、霧を抜けたようにまた呪霊の身体から出てきた。
皮膚や肉を裂く感触を想定していた俺の手は見事に拍子抜けを食らった。

「アンタそれ、馬鹿みたいに切れるわね」

任務同行の釘崎が、図らずも五条先生と同じことを言った。
ミズキさんのナイフを通した呪霊は恐らく斬られた認識も無かっただろう。しばらくしてからようやく、ナイフの軌跡から斜めに身体がズレて、濡れ雑巾が落ちるような音を立てて地面に落ちた。

俺自身が呪具師なんていう職業をミズキさんに会って初めて知ったように、そもそもの人数が少ないことは明らか。その中でもこれだけの切れ味の呪具を気軽に作ってしまうとなれば、ミズキさんの単独での外出が禁じられることにも頷けた。
呪霊に殺されるか、呪詛師に攫われるか…いや、呪術師だって必ずしもミズキさんの味方じゃない。ミズキさんの危険は至る所に転がっている。

ナイフを軽く振って汚れを払い、袖の中の皮鞘に大切に仕舞った。
ミズキさんの呪力が染み込んだそれが従順な生き物みたいに手元の定位置に収まると、ひどく満ち足りた思いがした。

「そんな顔してる暇あんならさっさと告白しなさいよ」

うっせぇな。
釘崎は最近では生温かい目で俺を見るのに飽きて、呆れることにしたらしい。





呆れつつも釘崎は、任務の後で俺がミズキさんに持ってく甘い物を調達することを当然のように把握していて、流行り物をあれこれと俺に吹き込んだ。言われた物を本当に買う俺も大概だが、甘い物をわざわざ買って食べるほど好きでもなければ流行なんてさらに興味もなく、女性の喜ぶ物は女のアドバイスを取り入れた方が無難に違いない。

実際に渡したところ、ミズキさんも「このお菓子この前テレビで見た、すごいね伏黒くん詳しいんだ」と感心したようだから、釘崎案採用は正解だったらしい。

「いつもごめんね、これ買うの大変だったんじゃない?」
「…そうでもないです。それよりナイフの手入れに」

俺が袖口からナイフを抜き出すと、ミズキさんは菓子の袋を開けて見た時よりも嬉しそうな顔をした。切った感触も無いほど切れたと伝えると、尚更嬉しいようだった。
ミズキさんはほんの少しだけ、ごく目の細かい砥石にナイフを滑らせ、軽く水で流してから薬液か何かを染み込ませた布で磨くように拭いた。磨き終えた刀身に光を滑らせて僅かな刃毀れの有無を確かめる。ミズキさんの真剣な目が綺麗だった。

ふと作業台の隅を見ると、有名デパートの紙袋が置かれていた。何となく気になって、ナイフの仕上げ拭きをするミズキさんに今日買い物に出たのかと聞いてみると、返事は否だった。
俺がデパートの袋を見て言ったことに気付いたミズキさんは、少し後ろめたそうに、困ったように笑った。

「それね…悟くんがくれたの。気軽に出られないでしょってよく服や靴をくれるの」
「…五条先生が」
「申し訳なくなっちゃうんだけど、『まぁいいから』っていつも」

奥歯で苦々しい感情を噛んだ。ただの後見人がやることじゃない。やっぱり五条先生はミズキさんを深い執着で包んでいる。
あの人のセフレが軒並みミズキさんに似てるのも、偶然だとか単にそういう好みだとかいう可能性だって僅かばかり残っていたのが俺の中で完全に消えた。
ミズキさんの綺麗な目が、急に黙り込んだ俺を不思議そうに見ている。それが、今この時に限っては腹立たしくて仕方なかった。

「……すみません俺帰ります」

「えっ」とミズキさんが声を上げたのも気にせず工房を飛び出した。俺の好きなオレンジ色のあたたかい光から全力で遠ざかって、もうすぐ夜に沈む高専の中を駆けた。飛び出した後でナイフを預けっぱなしなのに気付いたが、取りに戻るわけにもいかない。
こうするしか無かった。あのままミズキさんを見ていたら、きっとくだらない八つ当たりをしていた。
あの一応忙しい五条先生が時間を割いて店に出向いて、ミズキさんの顔を思い浮かべながら、当然ミズキさんの服のサイズを把握して、服の色形手触りを確認して会計をする。その袋を持って帰ってきてミズキさんに差し出して、遠慮を丸め込んで受け取らせる。
さぞ気分がいいだろうな、クソ。

腐った気分のまま寝床に入って腐った気分のまま寝た。それが良くなかったのか、あのデパートの袋の中身(見てないが)を身に着けたミズキさんが五条先生に腰を抱かれて出掛けていく夢を見た。最悪だ。

今日が土曜で、何の予定も入ってなかったのが救いだった。自室でシャワーを浴びて悪い夢の不快を洗い流し、共有キッチンに降りて適当に朝飯を食った。昨日夕飯をすっ飛ばした割に空腹を感じなくて、腹に入れただけという感じになった。
食べ終わるとまた自室に引き上げてベッドに転がった。本を読む気にも今はなれない。
経験的にこんな時は寝るに限る、と思って頑なに瞼を下ろし続けたらいつの間にか寝ていた。

眠りが途切れた時、一瞬何が起こってるのか頭が追い付かなかった。ただ酷くうるさくて、何の音だと思ったら外から俺の部屋のドアが無遠慮に殴られまくっているようだった。
誰だ畜生と思ってるところへ響いた声は釘崎だった。

「伏黒!寝てんの!?起きなさいよふーしーぐーろー!!ムッツリー!!」

一般の賃貸だったら通報してもいいレベルの迷惑だろと思いながらのそのそ扉のところまで歩いて、薄く開けるとやっと騒音が止んだ。

「…んだよウルセェな」
「サッサと開けなさいよ。そして私に感謝して崇め奉れ」

何でだよ一欠片も意味が分からん、と思ってると、喧嘩を売るヤンキーの表情だった釘崎が突然愛想良く笑って、扉に隠れて見えない位置に向かって「それじゃあミズキさん、後は煮るなり焼くなりどうぞ」と言った。

…ちょっと待て今何つった?


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