アップル・コンポート

「傑、デートしたい」

机に覆い被さるように姿勢を崩した五条がそう呟くと、隣の席で夏油が腕を交差させて胸を庇うようにしつつ「えっ嫌だけど」と五条を心底軽蔑するような視線で答えた。
五条は嘔吐するように顔を顰めて「殺すぞ」と凄んだ。

「ミズキとに決まってんだろ」
「なんだ、ビックリしたよ」
「ビックリすんな可愛くねぇ。成功率が史上最高の誘い方さっさと言えよ」
「何でそう偉そうなんだい。まぁとりあえず、ミズキが喜ぶ行き先を探る方が先なんじゃないかな」
「…まぁ一理あるか。無駄に遊んでるだけのことはあるよな」
「殴るぞ」

助言を求めておきながらとことん横柄な五条に、夏油は目元を引き攣らせて腰を椅子から浮かした。
そこへ逆隣から硝子が声を掛けた。「おいクズども」と。

「夜蛾先生がお前らを殴るぞ」

確固とした足取りで夜蛾がふたりの前に立ち、その大きな拳が黒と白の頭に相次いで振り下ろされた。
平日の昼間、授業中の出来事である。




硝子がその日の授業を終え、午後からそれぞれ任務に出た五条と夏油が帰宅して食事や風呂を済ませると、彼等は自然と談話室に集合した。
正確に言うならば、夏油が少し先に帰宅して食事中だったところへ五条が帰宅して捕まえ、食後ふたりが風呂から上がったところへ同じく風呂上がりの硝子が煙草のために通りすがったのを五条が捕まえた。つまり五条の腕力による『自然』だった。

「私煙草吸いたいんだけど」
「明日1カートン買って来てやるから」
「それならまぁ」
「私はもう寝たいんだけどね」
「まだ早いだろジジイかよ」

いつになく余裕のない五条にTシャツを引かれ、夏油は嫌々ながらソファに腰を落ち着けた。数少ない友人の(多分)初恋であれば、夏油としても応援したくないわけではない。

今までの五条であれば、本人が望むと望まざるとに関わらず遊び相手になりたい女性の順番待ちは途切れることがなく、フラッシュ暗算のようにいくつか顔を見て適当に見繕うという状態だったのだから、女性関係で余裕を無くすタイミングなどある筈がなかった。この男がここまで必死になっているのは、夏油とふたりで負けた方が夜蛾先生にビンタという条件を付けたストリートファイターズ2以来である。

五条が落ち着かない様子で「で、」と切り出した。

「どうやって誘えばいい!?」

「そもそもどこ行くの?」と硝子、「ミズキの行きたい場所とか好物とかは?」と夏油。
意味もなく流しっぱなしにしていたテレビを、夏油が指さした。タレント達が話題のスイーツを食べては美味い美味いと並べ立てて騒いでいる。

「未定、知らん」
「ダメだコイツ」
「それを本人に聞くところからじゃないか?」
「それ聞いたらデートに誘ってんのと同義じゃねーかよ」

五条が苛立った手つきでその白い頭を掻き回した。純情な中学生なら同情の余地ありというところだけれど、残念ながら彼は爛れた五条悟であった。
その時、女子棟へ通じる戸が開き、声が「あっ硝子さん」と呼んだ。途端に五条が硬直した。ミズキだった。

「硝子さん、さっきお風呂に洗顔料忘れてましたよ」

ミズキが洗顔料のチューブを掲げてソファに歩み寄ると、硝子は背凭れ越しにそれを受け取って柔らかく笑った。

「あーありがと。悪いね」
「ぜんぜん」

ミズキは緩いカーディガンの肩を掛け直した。薄手の部屋着や風呂上がりで少ししっとりとした髪に五条が目を奪われている傍ら、ミズキはテレビ画面に目を奪われていた。それに気付いた夏油が五条の踝辺りを小さく蹴飛ばし、五条が睨むと夏油は顎をしゃくってテレビを指した。
テレビには、最近オープンしたという専門店のアップルパイが大映しになっている。

「…お前、アップルパイ好きなの?」





抜けのいい高い天井まで床から一面が窓になっているために店内は明るかった。遥か高いところで天井扇が回っている。テーブル同士は飾り棚や観葉植物で適度に距離を保っていて、隣がうるさいということも無さそうだった。
広く平たい皿の上に丁寧に安置され、粉糖やアプリコットジャムで装飾されたアップルパイが目の前に現れると、ミズキの目が輝いた。

タイミングよくミズキの好物がテレビに映ったその場で約束を取り付けてから今日に至るまで、五条はデートで女性に不快感を与えない所作というものを夏油から履修してきている。
女性との関係に於いて自分の快・不快にしか観点のなかった以前と比べれば格段の進歩だと、夏油も硝子も親心に近い何かを抱いた。

「美味しそう、これ絶対美味しいやつです私分かるもん、写真撮るのって失礼ですかね?でも撮りたい待ち受けにするのこれ…!」

ミズキは目の前の皿をきらきらと見つめたり、不安げに周囲を見回したり、また皿に戻ってきたり忙しくしていた。
五条が笑った。

「別に撮りゃいいだろ、俺も勝手に撮るし」

あんたを、とは彼は敢えて言わなかった。
五条に背中を押されてミズキが携帯のカメラを構えると、彼もしれっとカメラを立ち上げて楽しそうな彼女の写真を撮った。
満足な写真を撮り終えたミズキが携帯を仕舞う頃には五条もそれをポケットに突っ込んで、さてわざわざデザートナイフまで添えてある皿に取り掛かったのだった。
話題の専門店だけあって味が良いというのはあるけれども、それ以上に五条は心底幸せを感じていた。ミズキが何か言葉を口にする度、うん、へぇ、あぁ、ふぅん、良かったな、うん、うん、と相槌を打つのがここまで楽しいとは彼自身驚くところだった。

アップル・コンポートの歯触り、シナモンの香り、少しふやけたパイ生地、アプリコットジャムの艶、微かな食器の音、嬉しそうな顔、五条を見るミズキの目、それが今このスノードームのような世界の全てだった。
恋をすると世界が変わるというのを、五条は肌身に沁みて感じていた。少なくとも彼にとって、こんなにも心地良い水槽に身を浸した経験は初めてだった。

「美味しかったです、しあわせ、毎日これでもいい…」

カトラリーを置いてほぅっと感動の溜息をついたミズキを眺めて五条はゆったりと笑った。

「毎日コレだと俺腑抜けになるな」

頬杖の上で微睡むように目を細めている五条に、ミズキは「五条さんもアップルパイ好きなんですね」と無邪気に言って彼から生返事を引き出した。
それから五条はミズキを待たせて席を立った。夏油の入れ知恵で食事中に会計を済ませておけと言われていたものの、見ていたい一心でここまで中座出来ずにいたのである。

席を離れるとスノードームから出たように雑音と不純物に満ちる空気の中を、五条はサングラスで遮りながら会計を済ませた。
やっぱ毎日コレって良くないな、俺ダメ人間になりそ、と歩きながら五条は溜息を吐いた。高地トレーニングの逆みたいなもので、ミズキのいる水槽に慣れすぎると恐らく他で泳げなくなる。

ミズキの待つ席が視界に入る位置まで戻ると彼は苛立って舌を打った。
ほんの少し離席した隙に、彼のお気に入りの水槽に他所者が侵入して水を汚していれば、苛立ちもする。
五条は意識的に口角を上げ、一見友好的な表情を作って席に歩み寄った。

「ミズキただいま、その男、トモダチ?」

ニコ、と笑って五条はミズキの斜め後ろに立った。




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