冬来りなば春遠からじ | ナノ
04.硝子細工の幸福



 入院生活は驚くほど穏やかだった。
 一日のほとんどを病室で静養して過ごし、日中に何度か寂雷や看護師が様子見として訪れ、日が沈む頃になると独歩がお見舞いに現れる。
 そんな日々を繰り返して、そろそろ五日が経とうとしていた。

 力になりたい、という言葉を証明するように、どんなに遅くなろうとも独歩は毎日必ず皇の元に顔を出した。
 しかも、ラップにしてしまうほどブラックな会社に勤め、パワハラハゲ上司の元で摩耗するまで働いて疲れているだろうに、皇の前ではちっともそんな様子を見せないのである。

 たまにちょっぴり自虐スイッチが入ることもあるが、まあ、そこはそれ。
 愛嬌と思えば可愛いものだ。

 非常事態であったあの夜以来、独歩は決して皇に触れようとしなかったし、適切な距離感を保って接してくれる。
 おまけに『胃が食べ物を受けつけず、あまり食事がとれない』と話した(皇は声が出ないのであくまで筆談なのだが)翌日には食べやすいものをとゼリーを差し入れてくれるのだから、申し訳なく思う反面、どうにもくすぐったくて仕方なかった。





 独歩には寂雷と口裏を合わせ、怪我の理由はいじめであり、このままでは殺されかねないと思って逃げてきた、と伝えてある。
 怪我の状態と種類を考慮すれば、いささか無理がある言い訳かもしれない。だが、皇が学校でいじめを受けていたのは本当のことで、嘘ではない。
 皇は確かにいじめ『も』受けていたのだから、上手い具合に誤魔化せる……はずだ。たぶん。

 果たして『いじめ』という理由に独歩は納得いかない顔をしていたものの、敬愛する先生からも同じ言葉を聞いたこともあり、問い詰めたい気持ちを飲み込んで納得することにしたらしい。
 こうして無理に問いただして来ないあたりが大人だな、と皇は思ったし、引き際を見極められる優しさが嬉しかった。

 そして。


「いじめの理由なんてわからないし、わかりたくない。……っ、けど、どうして西条さんがあんなに傷つけられなくちゃいけなかったんだよ……!」


 心底苦しそうに独歩が吐き出したのを聞いて、ひどく泣きたくなった。

 独歩自身のことじゃないのに。
 出会ってまだ数日の皇相手なのに。
 彼はまるで自分のことのように心を痛め、悲しみ、憤った。

 それがとにかく眩しくて、ひび割れた心に吸い込まれるように染み込んで。際限ない皇の心の渇きを癒し、潤した。

 独歩がいる間は必死にこらえたものの、帰ったあとにボロボロ涙がこぼれてしまった。
 声が出ないのは不便と面倒ばかりだけれども、この時だけは感謝した。
 だってきっと声が出ていたら、小さな子どもみたいにみっともなく大声を上げて泣いていていただろうから。

 彼と過ごす時間は、皇が思っていた以上に心地良い。

 押しつけがましいものではない、ふんわりと包み込むような優しさ。
 触れ合わずとも伝わってくるやわらかなぬくもり。

 まだ五日と言われそうだが、もう五日だ。
 それだけの時間を過ごせば、与えられるものを手放したくないと思うのは至極当然のなりゆきだろう。

 それと同時に恐ろしくもなった。
 もしこの時間が、日々が、皇から失われたら。
 仮初の日常と幸せが手のひらからこぼれ落ちてしまったらどうしよう、と。

 夢なら夢で構わないから、どうか目覚めないでくれと、この日々を奪わないでくれと祈りながら、怯えながら、皇は毎日眠りについている。
 そうして、あの暗い檻の中で目覚めたくないと願って、起きて、窓から差し込む朝日に安堵するのだ。

 いくらボンゴレ十代目のせいで神経が図太くなったと言っても、人の殺し方を身につけても、決して皇は一般人の感覚を失ったわけではない。
 暴力、男性、明かりひとつない真っ暗な部屋など、怖いものは怖いまま。

 ただ、感覚の鈍らせ方と感情の切り替え方が、ボンゴレ十代目と出会う前よりずっと上手くなっただけなのである。





 沈んでいく夕日を眺めていれば、控えめなノックが三度鳴った。


「こんばんは、西条さん」
『こんばんは、観音坂さん』


 ひょこ、と覗いた小麦色の髪に目元が自然と緩む。

 淡く笑んで入室してきた独歩に椅子を勧めながら、皇は用意しておいた挨拶用の紙を見せた。
 独歩は今日も来てくれるかな、来てくれたらいいなと期待して書いておいたものである。
 子どもっぽい自覚があっても情緒不安定がちな間はやめられないだろうな、と皇は考えている。


「これ、どうぞ。前とは違うのにしてみたんだ。調子がいい時に食べてね」
『そんな……わざわざすみません、ありがとうございます』
「いいんだ、気にしないで。休む暇もなく働いてるから、お金の使い途がなくて正直困ってたくらいでさ」


 話の途中にさらりとブラックな部分を垣間見たが、深掘りはせず、『今日もお疲れさまでした』と労いを伝えた。
 下手なことを言って自虐スイッチという薮蛇を避けるためはもちろん、辛かったことがあるならそのまま忘れていて欲しい気持ちゆえの言葉選びだ。

 独歩ははにかんだ笑みを見せて、


「ありがとう。でも、最近は西条さんのお見舞いのために残業せず切り上げてきてるから、前よりはずっと休めてるんだよ。嫌味を言ってくるハゲ課長も、適当にあしらってるしね」


 茶目っ気を含んだ台詞に皇も僅かに頬が緩む。
 残業せず切り上げて、の部分が少しばかり気になるが、こちらもさらっと流しておくことにした。

 独歩は自身の仕事に手を抜くタイプではないので、その日のタスクを投げ出したりしないだろうし。ハゲ課長なる人物が理不尽に振ってくる仕事をのらりくらりと躱している、ということだと皇は解釈した。
 ここ数日の雑談から察するに的外れな見当ではないはずである。……たぶん。


「……俺の顔に何かついてる?」
『いえ、そういうわけではないんです。
 少し気がそぞろに見えたので、何か気がかりなことでもあるのかなと思って』
「うぐ」


 首を傾げた独歩に答えると、心当たりがあるような素振りを見せた。
 いささか気まずげなその様子を前に、皇の胸中へ急速に不安が広がっていく。

 自分が何か迷惑をかけてしまったのだろうか?
 否、それとも、もうボンゴレ側に居場所が見つかってしまったということは?

 だとしたら、助けてくれた彼らを危険に晒すわけにはいかないし、何より寂雷と交わした約束の件もある。
 すぐにでもここを離れて潜伏場所を探さないと。
 休ませていた脳をフルで働かせて今後の動きを計画するため、皇は力いっぱいアクセルを踏み込んで──


「実は、俺の幼馴染が西条さんに会ってみたいと言っていて」


 ぽつり。

 告げられた言葉にアクセルは空回りし、思考が急停止した。




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