05.対極の二人
(どういうこと?)
予想だにしないイベントフラグが立とうとしている現実に、ガッチリと思考にロックがかかった。
独歩の幼馴染といえば、麻天狼のMc.GIGOLOこと伊弉冉一二三──そう、あの病的なレベルの女性恐怖症がある二面性ホスト・ひふみんである。
男性恐怖症気味の皇と似ているようで違う、ある意味では対極に位置する存在だ。
麻天狼の独歩や寂雷と関わることになっても、決して彼とだけは関係を持つことができないだろう──そう確信していた相手が、『皇に会いたい』と言っているだって?
『観音坂さんの幼馴染って、伊弉冉一二三さんですよね?
確か、ものすごく女性に対して苦手意識がある方だと記憶しているんですが、本当にそうおっしゃったんですか?』
「あ、やっぱり一二三のことも知ってるんだね。すごいなぁ」
(前世からのファンだからそりゃあね!?)
この世界でのディビジョンチームは自警団的なローカルチームだ。
その気になれば誰でも調べられるということで、皇が麻天狼に詳しくても独歩から疑われることはない。
もちろんそれを理解した上での今のセリフだが、はにかみながらのほほんとしている彼に皇は『もちっと重大な発言をした自覚して!!』と泣きつきたくなった。
「でも、そうだよね。一二三のこと知ってるなら、不思議に思うのも仕方ないよ」
(あ、伝わった)
「あいつがどうして西条さんに会う気になったのかは、俺も教えてもらえてないんだ。……けど、たぶん、俺や寂雷先生が西条さんのことを話してるのを聞いて、一二三も君のことが気になったんじゃないかって思う」
(……なるほどなー?)
小学生の頃からの付き合いで持ちつ持たれつ、助け合いながらルームシェアする幼馴染の独歩。
そして、プライベートで一緒に出かけることもあるほど仲が良く、麻天狼のチームリーダーとしても人間としても敬愛する寂雷。
一二三にとって大切な人たちが気にかける相手に関心を持ってもおかしくない。
(……おかしくない、かぁ?)
納得できそうな気がしたがやっぱりできなかった。
いくら大切な人たちが気にしているからと言って、天敵に会いたいと思う人間は果たしているだろうか?
皇にとっての答えはノーだ。
それに、一二三の『あの』怯えようを知っているからこそ、どうしても皇は納得がいかないのである。
(ほかに何か、一二三さんが気になるようなことあるかなぁ)
考えてパッと思いつくのは怪我だろうか。
寂雷以外の人間には原因がいじめだと伝えているし、哀れみでも買ったのかもしれない。
(……いや、でも……)
あれこれと思考をめぐらせてみても、皇が納得するに足る十分な理由は見つかりそうにない。
これはもう考えることを放棄するしかないだろう。
どうせ考えるだけ無駄だ、思いついたってすぐ反語が出てくるのだから。
と、いうわけで。
『伊弉冉さんが大丈夫なら、大丈夫です。
近寄られるのは駄目ですが、伊弉冉さんならその心配もないでしょうし。
くれぐれも無理だけはならさないでください、と伝えてもらってもいいですか?』
「ありがとう、西条さん」
ほっと安堵の息をつく独歩に、皇は仄かに頬をゆるめた。
*
「……うわやっべ、どうしよう」
独歩から届いたメッセージの内容を確認し、しっかりと咀嚼(そしゃく)して飲み込んだところで、一二三は冷や汗が背筋が伝うのを感じた。
『西条さん、ちゃんと距離感さえ保ってくれれば一二三が来てもいいってさ。一二三のことも知ってるみたいで、くれぐれも無理はしないでくれって言ってた』
「……まじかぁ」
何度確認し直しても文面は変わらない。
自分の発言が招いた事態とはいえ、あまりの迂闊さに思わず頭を抱えてしまう。
(そりゃあ、さ? 気になったよ? 気になったけど!)
幼馴染と尊敬する先生が助けた女の子。
年頃は高校生くらいらしいが、見つけた時は身体中が傷だらけで、ガリガリに痩せ細っていたという。
本人曰くいじめのせいでそうなった、とのことだが、果たしてそれだけが原因なのかと一二三は首を傾げている。
怪我についての詳細な話を聞く限り、いじめにしては凄惨すぎる気がしたからだ。
何よりも一二三の気を惹いたのは、女の子──西条皇が男性恐怖症らしい、という情報である。
女性を前にした一二三ほど過剰に気が動転することはないが、男性に近づかれると震えが止まらず、過呼吸になったり、不安からか眠れずに朝を迎えることもあるとのこと。
話を聞く限り、喉元過ぎればなんとやらというタイプの一二三に対し、皇はじんわりと実害があとを引くタイプらしい。
独歩に対してはいくらか症状が出にくいようだが、恐らくそれは『独歩は皇を傷つけない』という信頼が下地にあるからだろうと寂雷が言っていた。
一二三は皇のその信頼を正しいと思う。
一二三の幼馴染は優しすぎるくらいに優しくて、誰に対しても基本姿勢はとても真摯だ(一部例外もある)。
人の痛みに敏感で共感しやすい気質もあり、自分から積極的に他者を傷つけようとしない。
皇はきっとそれを感じ取ったのだろう。
心が傷ついた女の子にさえそう思われる独歩が、一二三はとても誇らしかった。
「……でも、そんな子が相手なら怖くないかも、とか思っちゃってる俺はちょーダセェ……」
女性への恐怖心を克服しようとホストに就職したものの、一二三は未だに女性恐怖症が治らずいる。
高校時代に『彼女』のせいでこうなってから、一二三がまともに接することができる女性は皆無と言ってもいい。
母親相手でさえ、いくらかまし、という程度であり、やりとりは父親を通すかメールを介してしか行われなかった。
そんな状態で一人暮らしするのは危ないのではないか、という両親の親心(しんぱい)や幼馴染の危惧が現在のルームシェアの背景にあった。
一度、極限状態に陥ったことで、スーツのジャケットを着て一種のトランス状態に入るという方法を編み出したが、それでは根本的な解決になっていないことを一二三は理解している。
自分たちももう二十九だ。いつまでもこのまま、というわけにはいかない。
今のところそんな気配はないが、いずれは独歩だって好い人ができて結婚し、家庭を築くようになるだろう。
だから一二三は、一人でも生活できるようにならなければ。
いざという時、きちんと独歩の幸せを心から祝福できるように。
(せめて、ジャケットを着なくても普通に話せるくらいにならねぇと……)
ぐ、と拳を握る。
胸に巣食う心苦しさからは、目を逸らさない。
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