2.学校の怪談
「んじゃ、そろそろ教室出てみるか」
「探索みたいな感じです?」
「ああ。なーんか変な感じするんだよな、ここ」
ぱちんっと手を叩いて、虹村さんが場を仕切った。
虹村さんが真面目な顔で言い出すものだから、浮上しかけた気持ちが急速に沈んでいく。
……うん、ちゃんとわかってる。
今が異常事態だってこと、忘れたわけじゃない。
「行けるか、白鐘?」
「はいっ」
立ち上がって制服についた埃や塵を払う。
私が通っている中学の制服は白がメインなので、汚れに気をつける、という習慣が三年間でばっちり染みついているのだ。
うちの制服、セーラー服なのは可愛いくて良いんだけど、ちょっとの汚れも目立つのはやっぱり困るんだよねぇ……。
紺地のセーラー服に赤いスカーフがやっぱり鉄板だと思うし、憧れるなー。
「先頭はオレが行く。次に白鐘、最後が灰崎だ」
「わかりました」
「はいはい」
「……」
「に、虹村さん、どうかおさえて……!」
虹村さんは剣呑な視線を作ったものの、ため息を吐きながら肩を竦めた。
それはまるで、仕方ないなとでも言うように。
「行くぞ」
「……まじかよ」
扉に向かう虹村さんの背中を食い入るように見つめて、灰崎さんがポツリと呟いた。
なんとなくだけど、その声には驚きが含まれている、ような。
それが何に対しての驚きかはわかりかねるけど、今は虹村さんに置いて行かれないようにするのが先決だよね。
「二年三組……」
「てことは二階、ですかね?」
「多分な」
長い長い廊下の、ちょうど真ん中あたりに位置する教室だったらしい。
教室と同じく廊下もやっぱり暗くて、妙に『それらしい雰囲気』がある。
そう思ってしまったが最後、ぞわぞわと背筋が震えて鳥肌が立った。
「……おい」
「はい、なんですか?」
「……ちっ」
「え、あの、私何かしましたか!?」
「はーいーざーきー?」
「なんもしてねぇ──ッスよ!!」
虹村さんの圧からか、焦った様子の灰崎さんはとってつけたような敬語で言う。
それから表情を曇らせて、「あー」とか「うー」とか唸りながら視線をあちこちに彷徨わせる。
「……怖いんじゃねーのか」
「え?」
聞こえた言葉に、思わず自分の耳を疑う。
呆けている私を見て、灰崎さんは更に眉間のシワを深くした。
「震えただろ、さっき」
「……大丈夫です。こんな雰囲気より、物理的な危険の方がよっぽど怖いですから」
「……そーかよ」
最後の一言はとてもぶっきらぼうに。
だけどそれを怖いとか、嫌だなって思うことはなくて。
「あの」
「あ?」
「ありがとうございます」
はにかみながらお礼を言う。
灰崎さんは何も言わず、唇をへの字に曲げて頬を掻いていた。
まだまだ、ほんの少ししか一緒に過ごしていないけど、虹村さんも灰崎さんもとても優しくていい人たちだと思った。
顔見知りでもなんでもない私なんかに気を遣ってくれる。
それが私には、本当にありがたかった。
だってそのお陰で、私は泣きべそもかかずに歩いていられるんだから。
「……? 何か、聞こえねーか?」
「え?」
先頭を歩いていた虹村さんが足を止め、耳をすました。
ならうように私たちも足を止めて、聞き耳を立てる──
──テケ
──テケテケテケ
「!?」
ま、さか。
「なんだ? この音……」
早く、早く逃げないと。
アイツが来る。
私たちを刈り取りにやって来る!
空耳だとか、たちの悪い悪戯だとか、そんな可能性は一切頭になかった。
──『いる』。
根拠のない確信を肌が感じ取り、間近に迫る死の恐怖に心臓が凍り付くようだった。
頭の中でけたたましい警鐘が鳴り響いている。
早く。
早く。
早く!
「白鐘?」
「っか、隠れましょう! 早く、どこかに!!」
虹村さんに縋りつくようにして訴えた。
取り乱す私にただごとではないと感じ取ったのか、虹村さんはすぐ近くの教室へ私たちを押し込んだ。
外からの侵入を防ぐため、手分けして急ぎ二つの扉に鍵をかける。
そこまで済んだら窓際に三人で固まって、身じろぎで少しの音も立てないように細心の注意を払いながら、じっと息を潜めた。
……緊張と恐怖で心臓が痛くて、うるさい。
「ユウ」
灰崎さんの声、だ。
「た、ぶん……間違ってなければ……今の、【テケテケ】です」
訊きたいのはあの音の正体だろう。
勝手にそう見当をつけ、必死に声帯を震わせて知識を紡ぐ。
「学校にまつわる怪談の一つ、で……七不思議に挙げられることもあるみたい、です。……上半身だけの女の子が、大きな鋏を持って追いかけてきて……」
「もし捕まったら、どうなる?」
「……鋏で上半身と下半身を真っ二つにされて、死にます」
死ぬ、と言い切ったことで二人の表情が強ばった。
ぱっと見、無表情のようにも見えるけれど、戸惑いと恐怖が確かに滲んでいた。
ぶるぶると震える手を強く握り、大丈夫、大丈夫と心の中で何度も唱える。
所詮は言い聞かせているだけで、【テケテケ】の脅威の前ではなんの意味もないこと。
それでも自分を落ち着かせるためには、安心させるためにはどうしても必要なことだった。
「大丈夫だ」
掠れた声が降ってくる。
ぐっと引き寄せられ、震える身体が虹村さんと密着した。
右手は無意識に虹村さんのシャツを握る。
左手は、……痛いくらいに左手を握ってくるのは、灰崎さんだろうか。
強く、強く、不安や恐怖を誤魔化すように、お互いの手を握りしめる。
──テケテケテケテケテケテケ
──テケ、テケテケテケ、テケテケテケ……
「……行った、か?」
「……たぶん」
次第に遠くなっていく音に、いつの間にか詰めていた息を吐く。
これでひとまず、一安心……だよね?
ゆっくり、ゆっくり、深呼吸を繰り返す。
数メートル先まで迫っていた死の恐怖がまだ残っているのか、身体の震えは止まらない。
指先まで氷のように冷たいのは、どうやら私だけではないようで。
「──っと、悪いな。勝手なことして」
「いえ……こちらこそ、すみませんでした」
いったん虹村さんとは離れたものの、ぬくもりを失いがたく、ぴったりくっつくようにして座る。
灰崎さんも、無言で反対側にくっついた。
九月に入りたての今はまだ時季外れだけど、もはやプチおしくらまんじゅう状態だ。
「あー、くそ。心臓に悪ィな……」
しばらくそうして気分を落ち着かせていれば、灰崎さんはガシガシ頭を掻いた。
いつになく覇気のない声。
灰崎さんも憔悴していることが手に取るようにわかった。
「でも、なんで出てきたんでしょう……。私たち、アレの話なんてしてなかったのに……」
「話?」
「アイツが出てくるのは、アイツの話──怪談話をした後だったはずなんです。昔から言うでしょう? 噂をすれば影、って」
「なるほどな」
ぽつぽつと言葉を交わしているのは、ようやく気持ちに余裕ができたことのあらわれだろう。
だからきっと、灰崎さんは見つけられたんだ。
「……なぁ、あそこ」
真っ暗な学校の中で唯一、明かりのついた体育館を。
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