1.誰かの声


「おい、大丈夫か?」


 ──聞きおぼえのない男性の声で、沈んでいた意識が浮上した。


「あ、起きた」
「みてーだな。……起きられるか?」
「……、はい」


 あれ、わたし、いつの間に寝たんだっけ?
 ぼうっとしながら目を開くと、見知らぬ男性が二人、こちらをじっと見下ろしていた。
 緊張や恐怖、警戒心で固くなる身体をゆっくり起こし、周囲の様子をきょろきょろと忙しなく窺う。
 辺りは薄暗くて、窓の外から差し込むほんやりとした光だけが頼りだった。
 照らされた机や椅子、黒板や掲示物から、辛うじて此処が教室らしいことだけは理解できる。
 それから、今この場に居るのがわたしたち三人だけだってことも。


「あの、此処は……?」
「多分だけど、どっかの小学校じゃねーかと思ってる。何時、どうやって来たかまではわからねぇけど」
「お前、目ぇ覚ます前のことは何処までおぼえてる?」
「え。……確か、学校を出ようとして、それから……」


 そうだ。生徒用の玄関をくぐった時、ぐにゃりと視界が歪んで気持ち悪くなったんだ。
 それきり気を失ったのか、此処で目を覚ますまでのこと──どうやって此処に来たかとか──は曖昧だ。
 思い出したことをそのまま二人に伝えると、彼らはちょっと驚いたように目を見開いてアイコンタクトを交わした。
 それがなんだか居心地悪くて、ほんの少し身体を小さくする。


「オレたちも同じだ。場所は違えど、同じような体験してる」
「そう、ですか」
「チッ……何なんだよ、此処は」


 薄気味悪ィ、と呟く貴方に大変同意です。


「…………あっ」
「あ?」
「そういえば、ぐにゃってなった時、誰かの声が聞こえたような気がします。『先生、助けて』って」
「! そういやオレも聞いたな。灰崎、お前は?」
「あー……多分、聞いたような気がするわ」


 じゃあ、わたしたちは同じことを経験して、気付いたら此処に居たってことなんだ。
 誘拐にしては怪しい経緯だし、こんな風に三人も攫う犯人の思考がよくわからない。
 そもそもウチはありがちな一般家庭で、身代金を払えるほどお金の余裕もないし。

 改めて教室内を見渡した。
 校舎自体が古いらしく、木造であちこちボロボロ。
 綺麗な形を残した机や椅子があれば、対照的に壊れたものもちらほらと散在していた。
 少し気になるのは所々に埃っぽさではなく、焼け焦げたような跡や煤けたところがあることくらいかなぁ。
 昼間ならいくらかマシに見えたであろう光景も、頼りない月明かりのせいで不気味さしか見出せない。
 正直言って、とても怖かった。
 じわじわと胸に広がる恐怖で震えそうになるのを、歯を食いしばって必死に噛み殺す。


「ってぇ! 何すンだよ!!」
「てめぇ何時からオレより偉くなったんだ? ん? 先輩には敬語だろーが」


 パコリ、とわたしを起こした男性がもう一人を殴った。
 殴られた側が涙目で抗議しているので、音の割に本気で痛かったのだろうと見て取れる。
 ……というかこの二人、知り合いだったんだ。


「あ、あの、大丈夫……?」
「お前は気にすんな。ヘーキヘーキ、こいつ丈夫だし」
「あ゛ぁ?」
「そういや自己紹介がまだだったな。オレは虹村修造。で、こいつは後輩の灰崎祥吾な」
「正しくは元後輩、だ」
「わたし、白鐘侑です」
「よろしくな」
「はい」


 虹村修造さん、と、灰崎祥吾さん。
 黒髪で、少しだけアヒルみたいな口をしてるのが虹村さん。
 灰色の髪で、虹村さんよりちょっと背が高いのが灰崎さん。
 ……よし、多分おぼえた。
 それにしても灰崎さんの髪、綺麗なグレーだけど染めてるのかな。

 二人の名前と特徴を自分の中で反芻していると、虹村さんが手を差し出した。
 ま、まさかこれは握手? うひゃあ、どうしよう。
 こんな状況でもドキドキと逸る鼓動にひとまず落ち着け、と念じながら、恐る恐る虹村さんの手を握った。


「んな心配しなくても食ったりしねぇよ」
「えっ、あっ、いや、そんなつもりじゃ……」
「ソイツはどうだか知らねぇけど」
「え゛っ」
「んな乳くせぇガキはオレの好みじゃねぇよ」
「灰崎」
「あ?」
「二度目」


 わたしの手を離し、虹村さんがにっこり笑う。
 パキパキと指を鳴らす姿に灰崎さんは「ゲッ」と声を上げるや否や、わたしを盾にするように背後に隠れる。
 ……え!? 隠れた!?


「いやあの灰崎さん、わたしを盾にしないでくれます!? 先程の話とは別の意味で危険を感じるのですが!!」
「大丈夫だ。白鐘に手は上げねー」
「何故でしょうその笑顔に不安しか感じない!!」
「ぜってーそこ退くなよ」
「無茶言わないでください! 灰崎さんを庇って死ねるお人好しじゃないです!!」
「今サラリと酷いこと言ったなお前」


 くつくつと喉を鳴らして面白そうに笑う虹村さん。
 その様子に混乱状態から我に返ったわたしは、冷や汗が背筋をつうっと伝い落ちるのを感じた。
 あれ、今わたし何気にヤバいこと言ったのでは?
 背筋がヒヤリとして乾いた笑いしか出ない。
 というか駄目だこれ、灰崎さんの不興を買ってしまった予感しかしないんですけどー!
 あああどうしよう、これはもう振り向けないよ怖いよ虹村さん助けてくださいお願いしますなんでもしますから!


「に、虹村さん……」
「おう、来い来い。うしろの極悪人面した馬鹿から守ってやるから」
「ぜひ!」
「あっ待てコラ!」
「嫌です殴られるの怖い!」
「顔は?」
「顔?」


 カモンとばかりに両手を広げた虹村さん。
 なんとも頼もしい笑顔とお言葉に魅せられ、すたこらさっさと背中に隠れる。
 ──と、なんだか良くわからないことを虹村さんから訊かれ、何が言いたいんだろうと首を傾げた。


「あの顔は怖くねぇのか?」
「え? ……いえ、その、特には?」


 ああ、なるほど、そういう。
 いやでも、我が兄上が起こった時の方がよっぽど怖いしなぁ。
 虹村さんと灰崎さんも目に鋭さはあるけど、あの人の場合は威圧感がプラスされるんだよね……それもパンパじゃないヤツ……。
 思い出しただけでぶるりと身体が震えた。
 うん、これ以上思い出すのはやめておこう。
 私の精神衛生的に。

 ちなみに灰崎さんはというと、何故か面食らったような顔をしていた。
 しばらくそうしてフリーズしていたのだけど、途中からなんとも形容しがたい微妙な表情をする。
 ……私、何かマズいこと言っちゃったのかな。


「良かったなぁ、灰崎。お前のこと怖くないってよ」
「う、うるせぇ! ンな気色悪ィ顔で笑ってんじゃねぇぞ!」
「あっ」
「あん?」
「灰崎。三度目。敬語」


 ゴンッという鈍い音が教室に響き、私も思わず『痛い顔』になる。
 あ、あれは絶対に痛いよ……。
 頭をおさえてうずくまる灰崎さんに少し同情してしまう。
 いやでも、今までも虹村さんは敬語を使えって言ってたし……仕方ない、よね?
 一方で虹村さんはとても清々しい顔をしている。
 う、うわぁ……なんだろう、頼もしいのになんだか複雑な気分になる……。

 ……それにしても。


「虹村さんも灰崎さんも顔面偏差値が高い……」
「ん?」
「顔面偏差値?」
「あ、いや、なんでもないです。お気になさらず」


 一人だけ十人並みの容姿なのでブルーになってるだけです、はい。
 胡乱な目を向けてくる二人に引きつった笑みを返しながらも、視線はどこか遠くを捉えていた。




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