手の届く人
私が距離を置いたら武さんとの接点は全くなくなった。当然だ。だって私の一方的な片想いだし。武さんは毎日見掛ける。でももちろん私に話しかけるでもなく、近くに来るでもなく。きっとこのまま何もなく終わるんだろうなって、そう思っていた。
そんなある日、事件が起きた。駅で武さんを見たのはいつもと同じ。違ったのは、目が合って、そして武さんがこっちに来たことだ。戸惑っているうちにズンズン距離が縮まって、一気に0になった。驚いてただ呆然と武さんを見上げる私の手を、武さんが掴む。初めて触れた手は、大きくて温かくて。すっぽりと私の手を包み込んでしまった。何だろう。何が起こっているんだろう。訳もわからぬまま武さんについていって、そして。突然立ち止まった武さんが私の肩を抱いた。
「これ、俺の彼女」
驚いて顔を上げると、目の前に涙をいっぱい目に溜めた女の子がいた。……見たことがある。毎日同じ電車だから。武さんのこと、いつも見てた。何となく状況が分かった。この子、武さんに告白したんだ。そして、私は使われている。
泣きながら女の子が去って行った後、武さんはパッと私から手を離した。そして「急に悪かった」と言って行こうとする。……最低。最低最低最低。
「……最低」
「え?」
「ほんっとに最低!あの子の気持ちも、私の気持ちも、踏み躙って……!」
「……」
「ちゃんと向き合いもしないで、私が武さんのこと好きだからって勝手に使って……」
「ごめん、……ごめん」
私が泣きながら喚いたからだろう。周りからは変な目で見られるし、でも止められなかった。武さんは私のところに戻ってきてぐしゃっと頭を撫でた。さっきみたいな適当な謝り方じゃなくて、心の底から反省しているようで。武さんが私の手首を掴んで歩き出した。
「……ごめん。確かに無神経だった」
駅の近くのカフェで、向かい合って武さんはまずそう言った。久しぶりに近くで見る武さんはやっぱり悔しいほど格好いい。
「あの子には、何回も告白されて何回も断ってたんだ。何度言われても付き合うつもりはないって分かってもらうために、たまたま見つけた君を彼女だって嘘ついた」
「……」
グサグサと胸に棘が刺さっていった。まるで自分に言われているみたいで。きっと武さんは、私にも同じようにするんだろう。いつか、きっと。
「でも君の気持ちを考えたら無神経だった。本当にごめん」
頭をさげる武さんに慌てて「もういいですから」と言って頭を上げてもらう。泣いていたせいで目元がヒリヒリと痛い。
「私じゃなくても……彼女に頼めばよかったんじゃないですか?」
「彼女いないし」
「へっ……」
じゃあ、あの人は?あの綺麗な人。よく分からなくて戸惑っていると、武さんはちょうど来たアイスコーヒーを口に含んだ。
「最近、話しかけてこなかったから。俺のこともう好きじゃなくなったんだと思った」
「……っ」
話しかけてこないなって、思ってたんだ。好きじゃなくなったと思って、安心した?面倒なのがいなくなったって。それとも、少しでも寂しいと思ってくれた?
「凛ちゃん」
「っ、は、はい」
名前、覚えてたんだ。それが衝撃で、俯いていた顔を上げる。武さんはふっと微笑んだ。ああ、もう。やっぱり好きだって思ってしまう。
「今日のお詫びに、俺の連絡先教えてあげてもいいかなって思ってるんだけど。どう?」
「い、いりません!」
「ふーん、そう」
「やっぱり教えてください……!」
ぷっと吹き出した武さんは、ポケットから携帯を取り出した。武さんの思い通りになっているような気がして何となく悔しいけれど、やっぱり嬉しい……!
「仕事中は返せないし、俺あんまりマメじゃないけど」
「は、はい」
「早朝と夜中以外なら、いつでもどうぞ?」
そう言って、武さんは携帯を差し出した。ディスプレイに映る連絡先は、確かに武さんの名前。私は微かに震える手で、携帯を受け取った。
「わ、私、いっぱいメールしますからね?」
「はー、面倒くさいなー」
「寂しくなったら、電話もしちゃうかも……っ」
「仕事中はやめてね」
「多分、しつこいと思います……!」
「……いいよ、別に」
何度も何度も間違っていないか確認して、彼に携帯を返すと。彼は今までに見たことのない甘い笑顔で微笑んで。色っぽすぎて鼻血が出るかと思った。
「た、武さん!」
「んー?」
「す、好きです!付き合ってください!」
「ははっ、それ久しぶりに聞いた」
武さんは楽しそうに笑って、そして。
「今はまだダメ。ちゃんとお互いのこと知ってからね」
「そ、それって……」
「ん?」
「脈、ありって、ことですか……?」
「好きに受け取っていいよ。じゃ、俺仕事だから行くね」
ときめきと衝撃で完全に頭がぶっ飛んだ。それからしばらくその場で動けなかったのは言うまでもない。どうやら、大好きな彼が手の届くところまで来てくれたようです。