一条悠介の独白2

 俺が大学に入って最初の夏。翔の部屋の前で男とすれ違った。きっちりと高そうなスーツを着込んだ真面目そうな男だ。俺たちより随分年上に見える。左手の薬指に指輪があるのがチラッと見えた。……面倒臭いことに巻き込まれてんじゃねーだろうな。はぁ、とため息を吐いて翔の部屋のドアを開けた。

「あ、悠介」
「お前、ドアの鍵締めろ」
「ごめん」

 翔はソファーに座って紅茶を飲んでいた。長い脚を投げ出す優雅なその姿に、確かにこの男のためなら人生だって捨てたくなる人間もいるだろうと思った。

「コーヒー淹れようか」
「おー」

 テレビの前でそそくさとゲームの準備を始めた俺に翔が言った。翔の家には最新のゲームが揃っている。翔は全くゲームをしないが、全て貰ったものらしい。だから俺はよくここに来ていた。ついでに翔の顔も見に。
 俺たちの間に特に会話があるわけではない。俺が一人ゲームをして、翔が後ろでそれをぼんやり見ている。翔の携帯にはよく電話がかかってきて、俺といる時に翔は全く電話に出なかった。

「……電話出ねーの」
「うん、俺に深入りしそうな人とはもう連絡取らない」

 もう手遅れだと思うけどな。今まで、ストーカーになる奴を沢山見てきた。女に限らず、男も。さっきみたいなエリートっぽい奴も、翔に関わると狂ってしまう。美しい翔を、自分だけのものにしたいと。

『あなたが綺麗なせいで私は狂ってしまったのよ』
『あなたの存在は人を不幸にする』

 今まで何度も翔が受けてきた言葉だ。そんなクソみたいな人間にクソみたいなことを言われても、翔はまっすぐで。いつか言っていた、『大事な人』の存在を信じているようだった。

「悠介、俺この部屋出るよ」
「……ふーん」
「もう兄さんに甘えるのも終わり。今まで貰ったお金も、それぞれ返したしさ」

 19の男には相応しくない、3LDKのタワーマンション。これは翔の兄貴が翔に買い与えたものだ。海外に住んでいる兄貴と翔は父親が違う。もう一人弟がいると聞いたこともあるが、よくは知らない。
 母親の不貞で産まれた翔を、もちろん兄貴の父親は存在を認めず。捨てられた翔を救ったのは兄貴だった。兄貴が社会人になると同時に一緒に住み、生きていく術を翔に叩き込んだ。そして仕事で海外に行く時にこのマンションを買ったらしい。生活費も月に驚くほどの金を渡していたらしいが、翔は一切手をつけなかった。もちろん関係を持った奴から貰ったお金で生活していたわけではない。翔はひたすらバイトで稼いだ金で生活していた。高校生のバイト代なんてたかが知れてるだろうけど。俺なら兄貴に貰った金で贅沢三昧だろうなぁ。生真面目な奴だ。

「これからどうすんの」
「うん、ちょっとやりたいことあって。悠介にもちょっと手伝ってほしいんだ」

 一週間後。密かに準備を進めていた翔が開いたのがCafe fleurだ。人気が出たのは、翔の容姿のせいだ。来る客はみんな、何より翔と近付きたくて来る。翔は笑っていた。

「利用できるものは利用しないと」

 と。きっとその容姿のせいで、他の人間には分からない苦労をしてきた。でも、翔はそれを受け入れてきた。いつだって。



「俺さ、すずちゃんと結婚することにした」

 そう報告を受けた時、そうか、としか言えなかった。ようやく見つけたんだな、と安心すると同時。よかったな、と泣きそうになった。そんな恥ずかしいこと言えるわけねーけど。

「俺のせいですずちゃんのこと傷付けるようなこと、あるかもしれないから。悠介にはまた助けてもらわないといけないかもだけど」
「お前に迷惑かけられんのは昔から慣れてる」
「そうだよね。感謝してるよ、悠介」

 微笑んだ翔は昔と変わらない。昔からまっすぐで、諦めることを知らなくて。羨ましいと、少し思う。

「……俺も頑張るか」

 呟いた言葉に、翔が小さく笑った。

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