翌朝、土方と桜ノ宮は街に繰り出していた。岩尾医師やセンター長の勧めで、知人や知っている場所等で彼女の脳を刺激して、記憶を取り戻させようという試みだ。
「ごめんなさい、私のためにこんな……」
「気にするな。俺がやりたいからやってるだけだ。それにだな」
「それに?」
「こんな、べ、別嬪な娘と街を歩けんなら役得ってもんだ」
桜ノ宮からすると嘘か本当かわからない言葉だが、どうやら土方は迷惑だと思ってはいないらしい。納得し難い部分も多々あるが、まあいいだろうと歩を進めた。
「ここは岩尾診療所だ。お前が昨日泊まったところだな。お前が医者になるまでは、よく世話になった」
「そうだったんですね」
「腕は悪かねえが、いかんせん跡取りがいなくてな。ジーさんにとってもあんたの存在は渡りに船だったんだよ」
「それなのに、こんな事になってしまって申し訳ないです」
「お前のせいじゃないのに謝ってどうする。それで記憶が戻るなら、いくらでも受け付けてやるけどな」
「でも迷惑はかかってる」
「あのジジイは当分死なねェ。真選組も、お前一人で崩れるような組織だったらとうの昔に全滅だ。俺達はそんなやわなもんじゃねェ」
だから気にするな。土方の言葉にも関わらず桜ノ宮は申し訳なさで俯いた。土方は萎れた桜ノ宮のつむじを見下ろしてため息をついた。こればっかりは記憶を失くしても尚変わらなかった特質らしい。土方もこのねじ曲がった頑固さには流石に呆れる。
「さて、お前が休みの日によく行く場所か……。酒飲んでるかゲーセンにいるか、屯所にいるかだったな」
「なかなか刺激のない生活をしていたんですね」
「そうかもな」
さて、まずはゲーセンだな。土方は宣言すると、桜ノ宮の手を引いた。散歩中の犬のように引っ張られている桜ノ宮は不安そうな目で土方を見ている。幸か不幸か、土方はそれに気が付かなかったのである。
二人は宇宙船の訓練生から出世していく某窓のピンボールゲーム、を現実に再現した著作権とかもろもろが大丈夫か不安になる台の前に立っていた。
「ここで、確かピンボールやってたな」
「確かに、なんだか懐かしいような感じがします」
「趣味嗜好は変わらなかったか。やるか?」
「はい!」
元気よく返事をした桜ノ宮の横で、土方は筐体にコインを入れている。どうやらこのゲームは土方の奢りのようだ。桜ノ宮は驚いて、土方を見上げた。
「え、奢ってもらうなんて」
「いや、一回お前が遊んでる様子見てみたかったからいい。好きにやれ」
ここまで言われてしまうと、さしもの桜ノ宮も固辞できない。桜ノ宮は渋々といった風情でブランチャーを軽く引っ張り、鈍色のボールを打ち出した。
「おい、これじゃあ発射レーンから出れねーだろ……ああ、これで点数を稼げるのか」
レーンの途中でボールの最高点を過ぎ、ブランチャーまで逆戻りする途中、発射レーンが途中で開き、ボールが盤面に躍り出た。桜ノ宮はフリッパーを上手く使って弾き、巧みにボールを運んでいた。時には軽く台を揺さぶってボールの軌道をコントロールする技術には土方も舌を巻いた。
しばらくして、桜ノ宮のプレイが他者を惹きつけたのか、台の近くには土方の他にも何人か人が集まりつつあったが、まだボールは一個も落ちてない。しかも得点板のニキシー管は八つ点灯していた。
「ほー、上手いもんだな」
「なんかどう打ち返すのか分かるんですよね」
「あの最高得点お前のだからな」
ホワイトボードに貼り付けられたポスターにはこの台での最高得点と最終階級が記されていた。得点は得点板のニキシー管いっぱい。階級は元帥と見事なものだ。ハイスコアはほとんどが桜ノ宮のニックネームで占められ、彼女以外の記録はかなり下の方に無残に散らばるのみだった。
「よくそんなに集中続くもんだ」
土方はぼやくように呟いたが、桜ノ宮は聞いていなかった。
*
結局ピンボールで桜ノ宮の記憶が戻る事はなかった。しかし、彼女のいた一角は彼女のスーパープレイの数々に大いに盛り上がり、その上かつての自分の最高記録を塗り替えたのであった。
「覚えてないかと思ったら覚えていたり、妙な感じだなお前も」
「ごめんなさい」
「いちいち謝らなくていい」
「あの、土方さんはやらなくてよかったんですか?」
「あんなに観客が集まった中で、ヘタクソがやっても冷え水ぶっかけるだけだろ」
そういうものなのか、と桜ノ宮は曖昧に頷いた。生憎と土方は、あの手のゲームには馴染みが薄い。達人の後でやるのは恥を晒すのに等しい。
「次はどこに行きますか?」
「そうだな……」
土方が桜ノ宮を連れて歩いていると、彼にとって見たくもない顔に出くわした。ピタリと同じタイミングで足を止めて、ヤクザかチンピラが出くわして小競り合いをするような視線のやり取りをしている。
「お、税金泥棒達がつるんで何やってるの?土方君の癖にデート?」
「テンパの癖に喧しいわ」
「テンパは関係ねーだろうが!」
「土方さん、この方は?」
「覚えておく必要は……そういや、万事屋お前、コイツに金借りてるんだっけか」
「あ、それはおいおいね。ところで、銀さん話が見えないんだけど、なんで俺と初対面みたいなやり取りしてるの?」
二人の話についていけない坂田は口を挟んだ。この場において妥当な疑問であるのは間違いないが、なぜか土方は舌打ちをした。土方の舌打ちが心底気に食わなかった坂田は土方にガンを飛ばしている。さらに険悪になった空気に、桜ノ宮は右往左往するのみであった。
土方と坂田がガンをつけ合いながら説明する事数分。事のあらましを理解した坂田は得心したとばかりに手を叩いた。
「なるほどね。俺ん時と同じか」
「お前パーの癖に、更にパーになったのか。パーの癖に」
「誰の頭がパーだ!つーかお宅のすみれちゃんだってパーだろうが!」
「私パーなんですか。ストレートヘアなのに」
「天パいじるのやめて!!」
頭を押さえながらちょっとだけ涙目で二人を見る坂田が少し哀れになった桜ノ宮は「なんかすみません」と謝罪になっていない謝罪をした。
「それにしてもオタクの妖刀といい、お宅らも大変だねェ」
「オタクの妖刀?」
「記憶なくしてるから分かんねーか。コイツが今腰に帯びてる刀な、妖刀なんだぜ」
「オイやめろっ」
「で、一時ヘタレオタクになりそうだったのを銀さんが助けてやったって訳だ」
「スゴイんですね」
「だろ?」
純粋に目を輝かせる桜ノ宮に向かって、坂田は胡散臭い笑顔で接している。しびれを切らした土方は彼女の肩を掴んで、無理矢理自分の体の後ろに隠した。
「おい、コイツの言うことの九割九分九厘は無視していいからな。『明日支払うから』とか金絡みの話題は特に」
「わかりました」
素直に返事をした桜ノ宮を、坂田は興味深そうに眺めている。
「それにしても、記憶をなくして大分可愛げが出たんじゃねーの。服も可愛いし」
「え、そうですか?」
「うんうん。今の方がめちゃくちゃ可愛い。もしかしたらさ、このまま思い出さない方が――」
坂田の顔に、土方の右ストレートがめり込んだ。桜ノ宮の目に残像を残して吹っ飛び、地面の上をスライディングする坂田。土方は汚い物に触れたかのように右手を拭い、何事もなかったと言わんばかりの顔で桜ノ宮の手を引いた。
「もし真選組クビになったら、銀さんとこで――」
坂田の勧誘は、土方発射のバズーカによって遮られた。
坂田と別れて歩く事しばらく。昼になって、食事処の看板がいつになく目立つようになってきた。桜ノ宮もお腹が空いてきたような気がしてお腹をさすった。
「次行きたい場所はあるか」
「特に思いつかないです」
「じゃあ、近くまで来てるし、屯所で飯食ってくか」
「私が入っても大丈夫なのですか?」
「何言ってんだ。お前の居場所なんだから、入っていいに決まってんだろ」
「でも、」
それは今の私の居場所じゃない。桜ノ宮の小さな声は、都会の喧騒に紛れて土方には届かなかった。
桜ノ宮が事故によって記憶喪失になったという情報は一夜にして屯所中を駆け巡ったようで、彼女はすれ違う隊士全員から酷く心配された。中には彼女をはねた運転手に天誅を下しかねない程殺気だったものすらいた。
「頭は足りねえが、血の気は有り余ってるような連中でな。だがアンタを悪いようにはしねェさ」
「確かに、みんな優しい人でした」
「申し訳ないって思うか」
「どうして分かるんですか」
「お前がわかりやすいんだよ」
桜ノ宮の頭の上に手を置いたその影から、不安げな顔が覗く。土方がそれに声をかけようとした時、別の声が割り込んだ。
「あり、すみれさん、思い出して……って感じでもないか」
「その、頑張って思い出したいと思いますので、」
「別に、思い出さなくてもいーんじゃないですかィ」
桜ノ宮の視界の上、土方と沖田の間で言語や肉体の外の領域での会話がなされていた。それに気が付かない桜ノ宮は、思ってもみなかった言葉に首を傾げた。
「俺ァ、アンタがヘラヘラ笑えるなら、なんだっていいんでさァ。それは他の連中も同じでしてねェ。ロリコンの土方にゃクチが裂けても言えねーだろうが、別に思い出さずに普通の娘として暮らしたっていいんじゃないですか」
「沖田、さん?」
「俺ァ、アンタにゃこんな人斬り包丁振り回すんじゃなくって、真っ当に生きて欲しかったんでね」
妨害を働こうなら真っ先に何かを言ってくるか、坂田のようにぶん殴るはずの土方が、珍しく沈黙していた。それになぜか不安になって、桜ノ宮は土方を見上げた。
土方は、静かな目で、桜ノ宮を見下ろしていた。彼女はその目を、抜身の刀のようだと感じた。そして、その目にどこか見覚えがあるとも。
桜ノ宮は沖田に向き直った。そして、小さく一礼した。
「沖田さん、ありがとうございます」
彼女の言葉を背に受けて、沖田は歩き去った。桜ノ宮はその背中になぜか声をかけなければいけない気がして、息を吸い込んだ。
「沖田さん!――気をつけて」
沖田はひらりと手を振って、何処へと向かった。その背中が曲がり角の向こう側に消えた頃、土方はぽつりとこぼすように彼女に伝えた。
「お前の人生だ。どうするのかは、お前が決めろ。俺は、お前に選択するための材料をやるだけだ」
「どうして、そこまでしてくれるんですか」
「お前に進む意思がある限り、俺はお前の味方だからだ」
なんでもない口調でそう言った男の目は、桜ノ宮の目にはどこか寂しげに映った。
*
半日以上かけてあちこちを巡ったが、桜ノ宮の記憶は戻る事はなかった。あちこちを歩き回っているうちに分かったのは、大きく二つ。
桜ノ宮すみれはマトモな友人には恵まれなかったようである事。そして、あまり打ちどころがよくなかったのか、いわゆる体が覚えていると表現される領域でも覚えている事と覚えていない事が混在しているという事実だった。
歩き回っているうちに、桜ノ宮の顔も、土方の顔も徐々に暗くなっていく。記憶を失って不安がる桜ノ宮はもとより、土方も焦っていた。センター長の話では、こういう健忘はそう長く続くものではないという事だったが、一体いつなのか。それが気にかかっていた。
「あの、私、一つ決めたんです」
そんな時に桜ノ宮は、神妙な顔つきで、土方から一歩離れた。夕陽に照らされて長く伸びる二人分の影は、どこまでも平行に伸びている。
「まずは、土方さん、今日はありがとうございました」
「…………」
「それと……真選組を辞めさせてください」
土方は眉を潜めただけだった。桜ノ宮はそれに不安になったが、あくまで土方は冷静だった。
「理由は」
「記憶があった時ならばいざ知らず、今の私は一介の町娘です。貴方が私に時間を割く価値なんてありません」
「価値があるかないかは俺が決める」
「でも、私は」
「まだ、決断するのは早ェ。もう少しだ。もう少しだけ、俺達といてくれ」
「それは、戦えない私が、嫌いだからですか」
「何を言っているんだ?」
「土方さんにとって、戦えない桜ノ宮すみれは必要ないのでは?」
夕暮れの冷たい風が、二人の間を通り過ぎた。都会の喧騒が遠い。
桜ノ宮の言葉に、土方は険しい顔をした。眉間にできたクレバスが深く鋭くなって、彼女に圧迫感を与えた。殴られるのかも。小動物的な直感に従い、彼女は身を固くした。だが、緊張した空気はすぐに風に流された。
彼は唐突にため息をついて、煙草を一本取り出した。赤い夕暮れに紫煙。その二つが、桜ノ宮の頭の中の触りたくない部分を刺激した。彼女はそれらの全てから目を背けた。
「
真選組に戦えないやつは必要ねェ」
桜ノ宮の狭い視界の中で、土方のつま先が反対側を向く。はっと顔を上げると、土方は彼女に背を向けていた。その背中は、明確な拒絶を示していた。
「追って辞令を渡す」
土方の背中が遠ざかり、空気が冷える。いつの間にか、夕日はその巨体を地平線の彼方に隠し、空には残渣が残るのみとなっていた。
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