夢か現か幻か | ナノ
Forget-me-not part.2
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近藤土方沖田の三人の内の誰よりも早く手術室前の家族控室に駆けつけたのは土方だった。山崎が所在なさげにベンチに腰掛けている。

「山崎」
「たまたま、俺が事故現場に居合わせたんです」
「どうなんだ」
「バイクが潰れてて、ヘルメットを脱がせたら、先生、頭が血だらけで、意識がなくて。副長、先生がいなくなったら俺達どうすれば」

真っ青になって土方にすがりつく山崎を振り払い、土方は鼻を鳴らした。土方も慌てていたのは確かだが、自分よりも憔悴している山崎の顔を見たらかえって落ち着いたらしい。

「バカバカしい。山で生き埋めになっても、人斬り似蔵に斬られても、土手っ腹を撃たれても死ななかった女だぞ。普通車ごときで殺せるかよ。なあ総悟」

近藤と共に現れた沖田が頷く。

「同感でさァ。あの人を殺したきゃ俺か近藤さん、あとは、まァ土方さん、それか戦車でももってこいって話だ」
「俺ァまだまだアイツに負けるつもりはねーよ。それにしても、信号無視の車に……だっけか?アイツも間抜けだな。短足のくせして単車なんかに乗ってっからだ」
「違いねェや」
「これで先生も懲りて安全運転してくれると助かるよね」

ハハハと薄暗い家族控室の空気を吹き飛ばすような笑い声。そこに、軽薄そうな声が割り込んできた。土方達がその声に振り返ると、チャラチャラした格好のいかにもな若者が控室の入り口に立っている。

「いや〜警察の方にそう言ってもらえると気が楽ッスね〜」

一瞬明るくなった空気が、硬直する。それを知ってか知らでか、男は続けた。

「いや〜スミマセン、カーナビでテレビ見てたら信号見落としちゃって。もしあの子が傷物になったら俺が――」
「誰がテメーなんかにアイツをやるかァァ!!!道交法違反で今すぐ切腹だァァ!!」
「ヒィィ!」
「土方さん落ち着いてくだせェ」
「あ゛?!」

沖田がいつものかったるい口調で、珍しく土方を諌めている。珍しいこともあったものだなと近藤と山崎は目をみはる。直後に、揃って顔をひきつらせることになるのだが。

「そいつァ武士でもなんでもないんだから、切腹じゃありませんぜ。――打ち首獄門でさァ」
「あーそーだったなァ。俺がうっかりしてたよ。よし、うっかりついでだ。ここでやっちまうか」
「わかりやした。俺が斬っていいんですよね、このバカ」
「ああ、好きにしろ。首は河原に晒しときゃいい」
「え、え、え、冗談ッスよね。真選組ジョーク的な」
「真選組にジョークなんかねーよ。地獄に直葬してやらァ!」
「お、落ち着けお前ら!す、スミマセンね、コイツらほんっと血の気が多くて。……オイ山崎も押さえろ!」

沖田を押さえ込みながらがなる声に従って、山崎は土方を押さえにかかる。だが、相手は鬼の副長である。山崎はあっさり顎に肘鉄をくらい撃沈した。もみあう内に、沖田がうっかり近藤を殴り、側杖を食った近藤が土方を殴り、そして土方は山崎に死体蹴りをする。そこから加害者をそっちのけに身内争いが始まったのだが。

「うるせーーーー!!!ここ病院だぞ静かにしろーーー!!」

恰幅の良い師長の渾身の叫びに、全員揃って謝罪することになった。後ろに控えているセンター長は「いや、師長もうるさい」と苦笑していた。

「センター長、手術は終わったのか!?」
「いや、もとより手術ってほどの事はしてないんだけどね。すごいね、あの子。乗ってたバイクがブッ潰れたってのに、骨折一つなかったよ」
「なんだ。大した事ねーな。ったく、人騒がせな女だぜ」
「脳みそも腫れたりしてないみたいだし、あの分だとスグ意識取り戻すよ。一旦様子見で入院するけど、いい?」
「ああ、構わねェ。アンタにゃ迷惑かけたな。昼飯中だったんだろ?」
「ギリギリ食べきってた。今回は貰い事故っぽいし仕方ないけど、今度から気をつけるように言っておいてよ」
「よく言い聞かせておく。お疲れさん、一服どうだ」
「いいね。喫煙室行くか」

下にも上にも問題児を抱える中間管理職同士、波長が合うのか連れたって喫煙室に向かっている。その後姿を呆れ顔で見つめる一同に駆け寄ってくる青年がいた。看護師の格好をしている青年はセンター長に追いつくと、息を整えた。

「さっきの患者さん、意識が戻りました」
「早いな!どう?」
「あの、それが――」

顔を曇らせて言いよどむ看護師。土方は言いしれぬ悪い予感に眉をひそめた。

果たして、彼の悪い予感は見事に的中する。

*

「記憶喪失ゥ?」
「おいおい、冗談きついぜ」
「いえ、冗談でも嘘っぱちでもなく本当です。あくまで疑い、ですが」

その場にいた全員によってたかられちょっと引いた顔の看護師が言うにはこうだった。

勤務先で意識を取り戻した桜ノ宮すみれは顔見知りの医療スタッフと顔を合わせた。しかし、面識があるはずの彼らに反応しなかった。そればかりか、自分の名前も、自分がなぜ治療を受ける羽目になったのかも記憶していないようである。

耳を疑う報告に全員が半信半疑だった。センター長と師長を覗く彼女の顔見知り達は足音荒く、病室に飛び込んでいく。彼らに驚いたような目を向ける桜ノ宮はいつも通りに見える。

「おいすみれ!本当に記憶喪失なのか!?」
「えっと、どちら様でしょうか」
「本当に覚えてないんですかィ」
「先生、私の知り合い、なんですか」
「そうだよ」
「先生、顔面がボコボコになったゴリラの幽霊が見えます」
「えっゴリラって俺?違うよね、山崎のことだよね」
「ここは病院だからね。ゴリラの幽霊くらい出るさ」
「いや、ゴリラの幽霊は出ないと思う」

その内に、土方と沖田がいつもの言い争いをはじめ、近藤と山崎がそれを止めに回る。土方らがいつも通りのやり取りに勤しむ中で、桜ノ宮だけがただ一人流れについていけずに硬直していた。

「気にするな。いつものやり取りだ」
「皆さん元気なんですね」
「まあな。普段なら桜ノ宮先生もそこにいたんだけどね」
「マジですか」

ふーんと沖田達を見つめる彼女には実感が無いようだ。彼らの乱闘のようなコミュニケーションは師長の怒鳴り声をもってお開きとなった。困ったように真選組の男達を見ている桜ノ宮のそばに、土方が戻ってきた。

「今は思い出せなくとも、これからゆっくり思い出していけばいい」

頭を撫でる土方を、桜ノ宮は浮かない顔で見上げた。

*

桜ノ宮入院から丸一日が経過した病院の1階。一番広い待合室には、老若男女が集っている。土方と沖田はその一角で桜ノ宮がやってくるのを待っていた。

沖田は時計を見上げて、約束の時間よりも少し早いことを確認し、横目で土方を見て、ぽそりと喋りだした。

「土方さん」
「なんだ、総悟」
「あの人に思い出させるつもりですか」
「アイツにはまだまだ戦ってもらう」
「それだけですかィ」

まだ理由はあるはずだろう。沖田は言下にそう言っている。

「それに、センター長が言ってただろ。アレは永続的なモンじゃねェって」
「そんだけですか」
「……それだけだ」

土方はつっけんどんに返した。沖田はそんな訳があるか、と食い下がる。

「違うでしょ。パトカーん中で『どうやったら桜ノ宮を穏当に戦場から引き剥がせるか』って俺に相談してるのは、他でもない、アンタだ」
「そうだな」
「少なくとも俺ァ、これはいい機会だと思いますがねィ。だってのに、一体どういう風の吹き回しですかィ」
「お前はあのまま忘れさせていた方がいいと思うのか」

沖田は一呼吸置いて、言った。

「あの人は辛いことを辛いと思えないタチです」

それは土方も知っている。進歩がないように見えた刀の稽古も延々と続けていた。この前も居合の稽古に励んでいるのを目撃した。

あれは、自分自身にまつわる苦痛をうまく感じ取れない。土方が3年ほど彼女を観察して出した結論がそれだった。

「でも、痛いものは痛いし、辛いものは辛いんでさァ」

人を人と思ってるか怪しい男が彼女を慮るような言葉を口にしている。いや、沖田には沖田なりの正義があり、彼なりに他人の何かを護ろうとする事もなくはないのだが、この男がそれを誰かに、殊に土方に伝えるのはとても珍しかった。

「もう十分でしょう。何も知らねーなら、そのままで居させた方がいい。俺ァそう思いますがねィ」

祈りにも似た言葉だった。土方はちらりと沖田の顔を見た。いつも通りの読めない顔の奥。そこに懇願のようなものを見て取って、土方は斜め上に視線を戻した。

「俺は『すべてを背負って強くなる』と約束したアイツを知っている」
「……」
「だから、俺だけはそのアイツを否定しちゃならねーんだ」

沖田は何も言わなかった。多数の人が入り乱れ慌ただしい空気の待合室の一角に重たい空気が満ちる。

「あの、お待たせしました。ごめんなさい、準備に手間取ってしまって」
「いや、俺達が早く来すぎただけでさァ。それにしても、すみれさんにしちゃあ随分センスのいい私服だ」

確かに、待合室のベンチに並んで座る土方と沖田の前に立った桜ノ宮の私服は、彼女がセレクトしたとは思えないほどセンスよくまとめられている。ファッション誌の一面を飾っても不思議ではない印象だ。

「岩尾先生が持ってきてくださったんです」
「へえ」
「そんなナリで刀振り回せるのか?」
「えっ、か、刀ぁ!?」

桜ノ宮は予想もしなかった言葉を聞いたとばかりに目を見開いた。土方は、自身に対する桜ノ宮の認識に絶句した。彼女は自分を戦人とは微塵も考えていなかったのだ。

「あの、ごめんなさい。ご期待に添えなかったみたいで。……今すぐ動きやすい格好に着替えてきます!」
「いや、せっかく着たんだからそのままにしておきなせェ」
「でも……」
「今のすみれさんに華々しい戦働きなんざ期待できねェんだから、どんな格好してよーが一緒だろォ」
「ごめんなさい」

こうなると謝り続けるのは記憶が失われてもなくならなかった特質らしい。そこはなくなってくれていいんだけどな、と思いながら土方は二人のやり取りを見つめていた。

沖田が心底うんざりした顔で手を振って、ようやく諦めが付いたらしい。頑固者と頑固者の戦いは、今回は沖田の方に分があったようだ。聞いている土方まで少し苛つきを覚えるやり取りだったので、それが終わった事は彼を安心させた。

岩尾診療所の裏門の前で、三人は一時の別れの挨拶を交わしていた。

「今日はここで一日休め」
「岩尾先生の診療所ですか。そういえば昨日の夜にいらっしゃいました」
「ああ。その岩尾だな。昨日会ったと思うが、うまくやれそうか?」
「なんとか、大丈夫だと思います」
「そうか。頑張れよ。あと、俺と総悟の分も晩飯頼まァ。じゃ、俺らは行くわ」
「あ、ありがとうございました!」

土方は沖田を伴って、表通りに出た。

岩尾診療所が遠ざかったところで、黙ってやり取りを見ていた沖田が急に立ち止まり、ポツリと言葉をこぼした。

「あれ、戻るんですかねィ」
「戻すんだよ」
「俺ァ手伝わないんで、土方さん一人で頑張ってくだせェ」
「お前は、忘れたままでいいと」
「見解の相違でさァ。妨害しないだけ感謝してくだせーよ」

土方も沖田も、理解しているのだ。互いの考えはどちらもある意味では正しいのだと。それ故に互いの方針に非干渉とする方向で決定したらしい。

「手のかかる女だ」
「全くでさァ」

男二人は、やれやれと肩をすくめて歩き出した。

*

沖田はかぼちゃの煮物をひとくち食べて不思議そうな顔をした。

「あり、これすみれさんの飯ですかィ?」
「確かにいつもよりかなり薄味だな」
「多分、エピソードと一緒に手続き記憶も抜け落ちちまったかな」

桜ノ宮は申し訳無さそうな顔で縮こまっている。自分でも自覚があるのだ。レシピ本通りの分量で作ったはずだが、かなり薄いと。わざとではないと全員が理解しているのか、彼女のミスを責めるものは誰もいなかった。

「今日のかぼちゃはちょっと水が多かったのかもしれないわ。すみれちゃんは悪くないわよ」
「ごめんなさい……」
「これはこれでマヨネーズが引き立つから悪くねーぞ」
「そらァ土方さんだけなんで安心してくだせェ」
「トシ、マヨネーズは程々にな」
「どう見ても程々だろ」

認識と価値観の違いに、岩尾医師は嘆息した。その隣で、桜ノ宮は食べ物に箸もつけずに正座していた。どうやら申し訳なさで食事が喉を通らないらしい。

「こりゃあ厄介な事になりそーだ」と沖田はひとりごちた。
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