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目視など出来なかった。それ程までに速く、" 人 "において規格外な戦い。砂埃を巻き上げ、衝撃波に思わず腕で目を覆うほどの激しさ。しかしその中でも分かることがあった。…それは確実に、圧倒的なまでにあの殺せんせーが押されていることであった。



「っ、こんなの、あいつ勝てるの…!?」


イリーナが乱れる髪を抑えながら衝撃音が轟く中、側に立つ烏間と柴崎に問い掛ける。


「っ、」


勝算など今ここで計算し出したところで無意味。現状は常に変わってゆく。彼、柳沢が自らに触手の種を体に植え込んだことさえ予想外だった。けれどあの二人の殺意。否、柳沢の殺意は愛を巡って生まれた殺意。互いに互いが満足するまで、自分の愛を踏み躙った標的の心も体も引き裂くまで…この戦いは決して終わらない。

烏間は風が地面の砂を舞い上がる中、懐にしまう拳銃に手をかけた。いざという時、彼はその引き金を引くことになる。しかしそれは柴崎も同じことであった。互いに上からの発砲許可は得ている。名目上は対殺せんせーに対してのものであるが、事実は違う。彼等が狙うは生徒達や殺せんせーに仇なす二代目「死神」、そして柳沢だ。



「…っ、お前に追えるか、あの速さを」

「…っ分からない。でも例え当たったとしても、きっとそれはまぐれだ」


音速。そう言っても過言ではなかった。人の目で追えるかと言われるとその答えはNoに近い。例えどんなに動体視力が良くても人間には限界がある。ましてや…人智を超えた触手が相手となれば…。



「っ、…烏間…、」

「…あぁ、」


二人の目は殺せんせーのある行動に留められる。攻撃をしているわけではない。彼が押しているわけでもない。…けれど、あの行動は酷く彼らしい。



「…最小限の力で攻撃を逸らし始めた」

「…周りの環境を上手く利用して、間合いを詰めてるんだ」


全く以って、彼は何処までも先生であった。例えどんな状況であっても工夫の仕方は変わらない。彼自身が生徒達に教えたことをそのまま、彼もまた今この場で成していた。

殺せんせーと二代目「死神」。彼等の攻防は大きな音を立て、そこから互いに距離を取った。



「道を外れた生徒には…今から教師の私が責任を取ります。だが柳沢。君は出て行け」


聞き慣れないほどの冷たい口調。けれどそれが今の彼の心境を物語っていた。



「ここは生徒が育つための場所だ。君に立ち入る資格はない!!」


しかしその言葉は柳沢の癇に障ったのか、彼の目元が僅かにピクリと動く。


「…まだ教師なぞを気取るかモルモット。…ならば試してやろう」


一度指を鳴らす。すると彼の後ろに居たはずの二代目「死神」の姿は瞬きをするよりも速く生徒達の前へと立ち塞がっていた。



「分からないか?我々が何故このタイミングを選んで来たのか。パワー重視の全開攻撃を躱せない生徒達を標的に、全員死ぬまで繰り出し続ける」


そう、端からこうだった。彼らの目的は生徒達。そしてさらにその奥に隠れる真意は、的にされた生徒達を必ず守る殺せんせーを一点集中にして攻撃を与える。これこそが柳沢の策だった。そしてその機がこの日だと、彼は確信していたのだ。

言葉通り生徒達へと繰り出された鋭い攻撃。大きな音を立てて辺りは煙に囲まれる。…しかし、生徒達は誰一人として怪我を負ってなどいなかった。その理由はただ一つ。二代目「死神」の全力の一撃を、すべて殺せんせーが受けたからであった。



「「「「殺せんせー!!」」」」


悲壮感に満ちた生徒達の声が響き渡る。それもそうだ。自分達の恩師である先生を、こんなにも傷付けられ、更にはその傷が自分達を守って出来たものなのだから。



「教師の鑑だなモルモット!!自分一人なら逃げられるだろうこの強撃を…生徒を守るために正面から受け取るとは!!さぁ「二代目」次だ!!」


殺せんせーは既にボロボロ。それでも二代目の攻撃は止まない。又しても彼の矛先は生徒達に向かう。彼等は顔を青くし、立ち竦む。只ならぬ殺気を肌で感じ取ったのだ。

二度目が放たれた。けれどそれを殺せんせーは生徒達の前に出ては防御する。体全体を使い、一つとして後ろにいる大事な彼等に当たらぬよう。そして三度目、四度目。彼は二代目からの攻撃全てをその身に受けていく。



「っ、」

「っ」


烏間と柴崎は互いに見合う。この状況を見て察したのだ。此処で悠長に立っている場合ではないと。二人はその場から地を蹴る。胸元に仕舞われる拳銃。この引き金はいつだって引ける。覚悟はもうずっと前からしてきた。最悪の形でも良い。ただこれ以上傍観などしていられなかった。

なんの力もない、ただの人間に出来る事など少ない。況してや相手はあの触手を待つ。真正面から行けばどうなるか、その結果は見えていた。…だがそれでも、出来ることをし、守らなければならない存在があった。


二人は柳沢の近くまで降り立つと、互いに距離を取って彼を真っ直ぐと見遣る。そして懐より拳銃を出し、柳沢へとその銃口を向けた。淀まない彼に対し先に牽制の声を上げたのは烏間だった。



「やめろ柳沢!!これ以上生徒達を巻き添えにするな!!さもなくば…」


しかしその先の言葉が続くことはなかった。烏間の左腹部。そこに柳沢の触手と化した右腕が残酷にも打ち付けられたのだ。彼の体はその衝撃と共に飛ばされ、そして地面に叩きつけられる。



「っ烏間!」


駆け寄りそうなる足。しかしそれをぐっと堪え、彼は視線を柳沢へと戻した。銃口の先は彼を外さず、柴崎はその引き金に指を添えた。いつでも撃てる。それはその意思の表れだった。柳沢の体が彼へと向く。目は殺せんせー、生徒達から離れた。



「動くな」

「……」

「それ以上生徒達に危害を加えるな」

「…撃つ気ですか?貴方が」


一歩、彼の足が柴崎に近寄る。それに気付き彼もまた一歩、彼より距離を取った。



「…人間である俺を、同じ人間である貴方が」

「…そのなりをして未だ人間だと言えるのならね」


だがどう見ても、今の彼はもうその範疇を超えている。息をし、話し、例え二本の足で立っていたとしても…。柳沢の造形は最早人間ではなかった。



「………やはり欲しいな」

「…?」


分かるか分からないか。それくらいの差だ。けれど確かに今、彼は笑った。その口元だけに不気味な弧を描かせて。

途端に鳴り響く警戒音。それが柴崎の頭の中で波紋を広げた。そして何度も何度も、誰かが囁くのだ。逃げろ。もしくは走れと。でなければあの触手が…。



「っ、柴崎!!」

「柴崎先生っ!!」

「シバサキッ!!」


お前を喰らおうとしているぞ、と。



「…ッ、!」


忍び寄る気配にハッとしてそちらを振り向く。しかし遅かった。彼から伸びた触手。それが柴崎の首を捕らえた。途端に息苦しくなる呼吸。酸素が上手く取り込めない。


「貴方のその冷静な頭脳。…実に欲しい。今の俺なら貴方から細胞だけを奪い取り、この身に移植することが出来る」

「ぅ…ッ、」

「そうすればもっと、もっと効率的にあいつを殺すことが出来るッ!」


欲に塗れた、醜い人間。…いや、人間だったがきっと正しい。なぜなら今ではその心さえも失いかけている。人の道徳から外れ、考え付かないような発言。

徐々に強くなる締め付け。気道が狭まり必要な酸素を取り込めなくしている。崩れ落ちそうになる体。本当ならフラついて、膝を突いていても可笑しくなかった。だがそれでも彼は尚二本の足で体を支え、己の首を締めてくる触手を残る力で強く握り締めた。



「(…自分から、こうなった訳じゃないけど…っ)」


それでも十分なほどに時間は稼げている。全ては偶発的なことであった。しかしこうなれば最早1分でも2分でもいい。前方にいる彼の力が少しでも戻れば、勝機としての可能性が1%でも高くなるかもしれない。だからこんなところで倒れてなどいられない。



「(…枷役なんて、真っ平御免蒙るね…っ)」


そして死ぬつもりも、柳沢が欲しているらしいこの細胞とやらも…彼に渡すつもりは毛頭ない。

柴崎は今握っている拳銃に力を込める。これを手放さなくて良かったと安堵しながら。もしもこれが無ければ、此処から抜け出す算段さえも崩され、道を閉ざされていたのだから。

目を瞑り、ふ…、と。柴崎は体の力を抜く。触手に触れていた手からも。すると柳沢は彼の気が失われたと思ったのだろう。…僅かな隙を彼の前に見せた。それが柴崎にとっての好機であり、最大の抜け出すタイミングであった。



「ッ、!!」


銃口を彼の腕に向け、二発。弾を打ち込む。痛みによる神経はまだ残っていたのであろう。柳沢の触手はその拍子に柴崎の首から離れていく。途端に入り込む酸素。それに苦しく思いながらも、彼は柳沢から距離を取った。



「っ、このっ、国家の犬が…ッ!!」


吐き捨てられるような言葉。しかしそれを意に返さなかった。罵倒されようがなんであろうが、此処で言い返すが得策とは到底思えなかったからだ。柳沢は大きく舌打ちをし、今も首元に手を充てがう柴崎を見る。憎々しいまでに彼を睨みつけると、そこから目を離し柳沢は初めの目的へと意識を戻した。

視線が離れ、意識が他へと離される。それにはまるで大きな荷物が肩から降りたように柴崎の体が今やっと、僅かにフラついた。



「柴崎っ!」

「っ、…烏間」


急いで駆けて来てくれたのだろう。柴崎の体を支えた烏間の肩は僅かに上下に揺れていた。その表情は酷く心配の色に染まっており、彼の瞳は僅かに揺らいでいた。



「…大丈夫だよ。だからそんな顔しないで」

「っ、無事で良かった…」


ちゃんと此処にいる。それを伝えたくて柴崎は烏間の手に触れる。温もりが伝わったのだろう。人が生きているという、確かな確証が。



「烏間は?…此処、痛かったでしょ」


彼の手に触れていた手で、柴崎はそっと烏間の左腹部に触れる。あの時駆け寄り、立ち上がる彼を支えてあげたかった。けれどそちらを優先せず、柴崎は柳沢の阻止を取り、殺せんせーのための時間稼ぎを取った。今何をすべきで、何が一番なのか。推し量り、選択した結果があの行動だった。

悔いはない。…しかし私情を挟んでも良いのだと言われたなら…。その時は誰よりも早く、何を置いてでも、彼の元に…烏間の元に駆け寄りたかった。



「…俺は大丈夫だ。骨にも異常はない」

「…そう、良かった」


ほっと、安心したように息をした柴崎。そんな彼の首元に烏間の視線が向けられる。見えた痕。それには僅かに彼の眉間に皺が寄った。



「…首が、」

「…無事に事が済めば、その後に手当てをするよ」


赤くなったそこに手を当て、柴崎は静かにそう話した。結構な強さで締め付けられたのだ。痕になっていないわけがない。まさかあんな風な事をされるとは思っていなかった為に動揺はしたが、培われた自身の勘とやらには感謝をした。

鳴り響くあの危険信号。あれは正しく先程のことを伝えていたのであろう。お陰であの状況でも出し抜く算段をつけられた。深く染み付いてしまった癖というのは抜け難いが、こういう時に役に立つなら抜けなくて正解だったのかもしれない。

柴崎はもう一度烏間に大丈夫と伝えると、視線を再びある一箇所に当てた。彼に出し抜かれた苛立ちか、それとも無様な程にボロボロな殺せんせーを見てか。今の柳沢は狂ったように声を上げていた。

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