8歳 / 日向ヒナタ誘拐未遂事件C
副題:チーム・メディカルコゼツ

--このまま一気に里の外に出るよ。ボクらからの報告だと今は誰も気づいてない。
--イプ3と4には、十分警戒して情報収集を怠るなって伝えて。ヒアシは感づいたかもしれない。
--分かった。

 こんなに長い間準備したとは思えない程、あっという間に終わってしまって、まだ実感が持てない。何度か息継ぎして山の上の隠れ家に着くと、既にイプ2がヒザシを吐き出して焚火を焚いて温まっていた。
 唾が飲み込めない。

「……まったりしてるね」
「薬よく効いてるよ。脈拍すらない」
「それはやばいやつ」

 むりむり、もうやめてくれ。さっきから唾が飲み込めないんだ、自分の苦い唾で窒息死しそうだ。わたしも死ぬしヒザシも死ぬやつだぞ、まだ眼取ってないのに死んだら何のためにこんな頑張ったっていうんだ。
 わたしは急いでヒザシの脈拍を測り、隠し穴に詰め込んである資料の中からノートと医学書のコピーを引っ張り出して、参照しながら容態を診る。コゼツはわたしの背中からにゅっと外に出て、服を着て、洞窟の外に出かけた。

「どう?」

 ヒザシのそばで体育館座りをするイプ2が聞いてきたので、「脈拍あるよ。焦った〜……」と答える。
 死んでも困るけど、目覚められても困るので、まず新しいビニール手袋を嵌めて新しい注射器で点穴阻害薬を吸ってヒザシの肘の内側の静脈に注射した。
 次に点滴静脈内注射の準備だ。静注の装備一式も病院からパクってきていたので、布を広げた地面に並べて説明書きの通りにやってみる。簡単な自己注射はアカデミーで習うが、点滴は医療忍者の仕事なので完全に初体験だ。

「サエって前世は医療忍者だったの?」
「いいえ……しがない旅行好きな理工学部生です…」
「旅行好きなんだ」
「好きだよー。ランニングも好き……」

 素人がこういうことやっちゃいけないのは重々分かっている。前世だったら絶対にやらなかっただろうが、今の自分には所属がないからなんでもできた。所属っていうのは、家族や、バイト先や、大学や、部活といったコミュニティのこと。つまり、わたしが殺人や、失敗や、様々なやらかしをしても、迷惑をかける人間が3人しかいないということが、わたしの行動から躊躇いを吹き飛ばす。
 ”所属”は環境であり、人の行動を大きく制限するし、それは時として倫理観や法律の縛りよりも大きく作用する。こっちに来てからというもの、以前なら絶対に手を伸ばさなかったであろう透明な線を幾つも飛び越えていたし、今もまた一つ自分が遠くに行く感覚があった。
 こちらの世界での唯一の所属である家族には、なるべく迷惑をかけたくない。それに、科学に携わる人間として、あやふやな知識に基づいた愚かな行動はなるべくやりたくないのが本音である。しかし、それらを破る数々のリスクと引き換えに、一つの尊い命を守れるならこんな行為は容易いものであった。人の命には順位がつくし、わたしの中の一番はユズリハだ。

「イプ2ちゃん瓶取って」
「瓶?」
「そこの褐色のビニール袋の……そうそれ、それです」

 油目紫蘇麻酔薬の入り口にゴムパッキンで出来た頑丈そうな連結口をつけ、そこに細い管を差し込んで、管の反対側を麻酔薬Aと書かれた輸液剤に繋ぐ。翼状針を接続し、クレンメを閉じ、点滴筒に輸液を1/3ほど入れて、クレンメを開け、針先まで輸液剤を満たして気泡を外に追いやって、もう一度クレンメを閉じる。輸液剤は予め岩壁に作っておいた凹みにぶらさげた。これでよく入院患者とかがやってるあの感じに近くなったと思う。
 駆血帯で腕を縛って針を刺し、クレンメを開けて、針の場所をテープで固定し抜けないように透明なフィルムを張り付ける。点滴スピードを調節していると、コゼツが頭に雪をのっけて戻ってきた。

「雪降ってたの?」
「いやー、ボクが木にぶつかった」
「お、面白いじゃん」
「むかつくなー……はい、お茶」
「ありがとう、でも今手が離せないのわかるよね」
「飲ませてやるよ」
「やめて」

 コゼツは自分もリュックから水筒を出して、湯気の立つ温かいお茶をすする。

「ヒザシ、このままじゃ寒そう」

 コゼツがぽつりと言う。

「あ、」

 ひたり、とヒザシの首元に手を当てると、結構冷たい。既にかなりの体温が奪われているようだ。忍者だし大丈夫かなーって思っていたけど、ここの気温や彼の衣服の薄さを鑑みると暖めてあげたくなる。

「確かに……それすっかり忘れてた。コゼツわたしの掛け布団ちょっと取ってきてくんない?」
「えぇ〜〜…別にいいけど、サエが寒いしユキに説明もしなきゃだし……口の中に入れたら折角の羽毛布団がしわくちゃに…」
「言い訳は適当に考えておくよ。よろしく」
「はいはい」

 冷や汗をかいた青白い顔が、炎の揺らぎに反射して一層悲壮に見える。呪印隠しの布を解き、緑色の卍呪印がまだあることを確認すると、滅菌トレーと眼球保存瓶を準備した。
 眼球移植の時には医療忍者による繊細な処置が必要だ、と、本には書いてあった。しかし白眼や写輪眼のような特殊瞳術を持った瞳は、チャクラの守りによって眼球の劣化が極めて遅く、抉った後の眼窩が膿んだり、千切った血管から菌が入り込んで腐食することは珍しいのだそうだ。まあ、わたしはヒザシが雲に渡されるときまでとりあえず生かしておけばいいので、その後はきっと向こうの医療忍者が適切な処置をしてくれるだろう。
 さっきのビニール手袋をゴミ袋に入れて、新しいビニール手袋をパチンと手に嵌めてヒザシの右瞼を開き押さえつける。
 とても柔らかくて、温かくて、まるで心臓のようだ。ぶちぶちと細かい血管を引きちぎると白い瞳に赤錆色の血が付着する。心臓を手で触ったことがないから分からないけど、人差し指と親指で挟み込んだそれからは生きた拍動を感じる。保存液の中にそのままポチョンと落として、再びキャップで密封して寅の印で封をすると、中から空気が抜けて黒い文字列がキャップの上を十字に這う。
 一応本に書いてあったように、切除後の幹部を脱脂綿で拭き包帯を巻いて、血で汚れたビニール手袋はゴミ袋に入れた。このゴミをどこで処理するのかも考えなきゃいけない。

「やっぱ布団なくなるの寒いな。コゼツの布団で寝させてもらおう……」

 一人ごちる。
 外では雪が降り始めていた。



 こちらの世界にも三が日とおせち料理の文化はあって、正月はどのお店もお休みして家族でまったり過ごす。
 しかし今年の正月はそうも言っていられないようで、紅白の御飾りが控えめに添えられた大通りはピリッと警戒心を強めた忍が行きかい、毎年のどんちゃん騒ぎは起こらなかった。そういう我が家は三重のおせち料理とお刺身と日本酒でちゃっかりお正月を堪能していたわけだが、わたしといえば栗きんとんの栗を数えることよりも隠れ家に置いてきたヒザシのことが心配でとてもゆっくりとご馳走を味わえる心地ではない。

「今年はとんだ年明けになってしまったわねぇ」
「そうだな。どうにか戦争は避けて欲しいものだよ」
「忍は正月休みなくて大変そう。ブラックだな〜サービス業でもないのに」
「大変そう、なんて、サエちゃん他人事みたいに……」
「他人事じゃないよ勿論わたしも数年後にはそこに入るんだから真面目に考えて悲嘆してるよ。っていうか、待って、忍ってよくよく考えても第三次産業だしサービス業なのか……?」
「戦争になったらボク一番に死にそうだな〜」
「そういうヤツほど生き残るんだよなぁ……」

 テーブルを囲んでまったりとくだらない会話をして、元旦の朝は過ぎていく。前世では、何もないことを退屈だと思い色々とハプニングが起こると楽しんでいたものだが、こちらの世界では平和が一番だと心底思うようになっていたので、両親とコゼツと一緒にまったりとご飯を食べるこの時間は何より大事だ。
 だってモラトリアム残り2年だったのに、突然+12年になったんだよ?そりゃ喜ぶよ。働きたくない!って言ってたら本当に働かなくてよくなったんだからね!!誰もが羨むニートすごい。

「戦争になったらなんて……ああ、わたしどうしたらいいか…」
「大丈夫だよまだアカデミーだし」
「そんなことないのよ?戦争が始まったら卒業も早まって、下忍でも戦地に送られてしまうって田中さんおっしゃってたわ」

 田中さんは郵便局の隣の青い屋根のアパートの二階に住んでいるおばさんだ。
 母は悲壮な顔をしてため息をつき、わたしの頭をぎゅーっと抱きしめた。

「2人とも、絶対帰ってきてね……!」
「まだ戦争始まってないんだけど」

 ぎゅーぎゅーされたせいで身体が横倒しになって、栗きんとんが箸から落ちる。

「あ、そういえばサエちゃん布団はどうしたの」
「ンンッ……」
「どこにやったの」
「んんー忍術の練習してたら燃えた」
「あらやだ」

 ヒザシの死体は自死の翌日、つまり1月1日には雲隠れの者たちに譲渡された。そこで一旦雲隠れに鷹を飛ばし雷影の指示を待ったのだろう、雲隠れの者が木の葉を出るのは1月3日と決まった。
 新聞は、日向家の人間が死体を取引したことは報じなかったが、戦争は起きないこと、雲隠れとの同盟締結は破棄されなかったこと、裏でなんらかの取引があったことを遠まわしに報じた。その知らせは瞬く間の里中に広まり、特別警戒態勢は解除された。
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