8歳 / 日向ヒナタ誘拐未遂事件B
副題:音の記憶はずっと残り続ける

 ヒナタの誘拐未遂が起きてから、木の葉の里に非常事態宣言レベル2が発令されるまで2日とかからなかった。年の瀬もかくやと言わん程に慌ただしい年末は、大晦日に向けて休みを取っていた多くの忍を急遽動員し火の国国境近くに配備することとなり、また、忍たちの任務請負シフトも、もうしばらく引っ張り出されることはないだろうと思われていた戦時用シフトに組み換えられた。
 ピリピリと神経質な里内をアッサリ抜け出したわたしは、朝から隠れ家に来て、コゼツを中に入れてイプ1からの報告を聞いていた。雲隠れに日向宗家の死体を要求されてヒザシが身代わりとなって死ぬことが決定したそうだ。

――わたしは一度だけでいい、日向の運命に逆らってみたかった。

 ヒザシが死ぬことが正式に決まると、火影と暗部の人間は日向家を去った。日向家の警備のため大勢の暗部が宗家周辺を固めた中、名だたる日向の者たちを緊急収集した大部屋で、ヒアシは当主としてヒザシを身代わりにするという決定を告げたそうだ。誰ともなく落とした涙は、”運命からは逃れられぬ”恐怖か、それとも”日向ヒアシという聡明で心優しい人物をこのように理不尽な理由で失う”哀しみか、押し殺した嘆きが渦巻く部屋の中は暗い。集まった人間は当然、全員分家である。
 また、暗部らのさらなる調査によって、病院から盗まれた日向家専用点穴阻害薬は、この雲の使者が盗んだものではないかという話になったらしい。期待した通りに動いてくれて今のところは順調だ。
 そして更に待つこと数時間、中のコゼツが深く息を吐いた。

--死に方決まったよ、薬殺だ。
--あー……そっかー。

 ひゅ〜〜〜〜〜っやったぜ!どうやら神には見放されていないようだぜ!なんて喜べるような鋼鉄の心臓は持っていないので、わたしはふうと息をついて改めて腰を落ち着けた。実は、暇をあかして洞窟内入り口の覆いになるものを縫っていたのだが、イプ3からの報告をソワソワ待ちながら貧乏ゆすりをしていたら針がどっかに飛んで行ってしまったのだ。舞い上がりそうになる気持ちを抑えて針を探し、革と井草を縫い合わせたものに波縫いの要領で刺して、ヒョイとその辺に放った。
 わたしは腕組みする。実は今日になって弱気になり、このまま薬殺以外の方法で死ぬってことになって作戦中止だったらいいのになと、少し考えていたからだ。

--薬を用意するのはあの医者の仕事みたいだ。この女は湯呑にさ湯を入れてヒザシのところに持っていく役を仰せつかった。今トイレの中でさめざめ泣いてるよ。

 イプ1の言葉に、『さ湯の中に薬を入れることはできそう?』と聞くと、イプ4が回線に割り込んで『それはどうかなぁ……ちょっと屋敷内がバタバタしてるから……抜け出すタイミングが…。暗部が外から監視してるしね』と言った。どうやらかかりつけ医も今日向家の屋敷にいるようだ。

--暗部がいるのは外だけなの?
--ボクは内部に潜入してるとは聞いてないけど。
--外だけだよ。

 そこに、イプ3も割り込んでくる。 

--おつです〜。ヒザシ的に見て、床下や天井に暗部いそう?
--そのことでさっきヒアシと暗部の誰かが口論しててさ、監視の目は全て撤去しろってヒアシが言ってたよ。その後こいつ、ヒザシが、気にする必要はないから心ゆくまで監視させてやれって言って、その会話を聞いたら暗部が全員引いた。
--了解。んー、人がいなくなっても、蟲が見てるってことがあるからなぁ。
--そこに関してはボクらに任せてよ。ああ、ボクらって、潜入中のボクらじゃなくて地面にいるボクのことだけど。
--つまりボクだね。

 もう人が増えすぎて誰が誰だかわからない。恐らく最後に参加してきたのがイプ2だろう。

--土の中にいれば蟲の眼があるか分かるの?
--分かるよー!あいつらが使う蟲は普通の昆虫と違って、チャクラを纏ってる。ボクらは、地面でもあり、木でもある、透明な存在だからね……忍猫や蟲のような特殊生物はすぐに分かっちゃうんだ。
--分かった。それじゃ蟲や特殊動物用に一人日向家の床下に潜ませておく。イプ1、4は引き続き情報収集、イプ2はヒザシの身体を運搬して貰うから隠れ家に来て。イプ3、薬を盛るのが難しそうだったら、無理しないでいいからね。
--おーけー。できるとしたら、女が寝てる時だ。ヒザシが死ぬのは多分明後日だからそれまでの間どうにかやってみるよ……無理のない範囲で。

 その日はまだ明るいうちに木の葉に帰った。地下室から出て、すぐ家に帰ろうかとも思ったが、身体を動かしていないと落ち着かなかったので手裏剣術の練習を1時間と忍組手を1時間やって帰宅した。 



 本番は突然訪れる。

「サエ、ちょっとそこの棚に白い封筒があるでしょう、それお母さんのところに持ってきてくれる?」
「はーい!判子も?」
「ああそう、よく分かったね」

 午後六時半、仕事で帰りが遅い父より先に夕食を頂いて、皿を洗って風呂掃除をし終わったら母に声を掛けられた。白い封筒を探して、判子を持ってリビングに向かう途中で「サエ、先に部屋に行ってるから」と肩を叩かれる。「はーい」と同じように返事をした後、ハッとコゼツの方を向いたら、彼はおもむろに頷く。ついにイプ3から連絡が入ったのだ。
 ゆっくりと部屋に上がって扉を開けると、コゼツが待ち構えていた。「きたよ」と言う彼に頷き、後ろを向くと、彼が身体の中に入ってくる”ぞわり”とした感覚が腹から頭の方に駆け上がってくる。ぶるっと震えて、緊張で口の中に大量分泌される唾を飲み込み、予め調合しておいた麻酔薬の瓶の加圧式封印を解く。
 黒い手袋をしようとしたが、今回はこっちだった、と思い出して滅菌ビニール手袋を嵌めた。これは主に病院で使われているもので、手袋そのものに滅菌の術式が書かれているため、ある一定の汚れは自動的にはじかれるという優れものだ。ナルトの世界では、このような『滅菌』『加圧』『断熱』といった簡単な――術式の仕組みが簡単なんであって、前世で同じ効果を得るにはそのコストと得られる効果が割に合わない――定常状態を維持する術式が様々なシーンで使われている。これらはチャクラさえ流せばどんな弱い忍でも扱えるため、とても重宝する。
 蓋に十字に這っていた黒い墨文字がぞろぞろと消えていき、蓋を開けて中身を注射器で吸い、アカデミーで習ったように一度針を中に引っ込める。この注射器は、砂隠れの傀儡(とその毒)が猛威を振るった第二次忍界大戦のとき開発されたもので、内部に薬品を入れたままでも空気が入り込まず、針の先端部に細菌が着かないような術式が組み込まれており、長時間持ち運べる仕様になっている。
 薬を入れた注射器を2本、イプ2に飲ませて、息を大きく吸って地面に潜る。

--今、女がさ湯と毒薬を盆に乗せてる。ヒザシは白装束に着替えて、座敷の中で瞑想してるよ。
--わかった。すり替えはできなかったんだね。
--みたいだね。
--サエごめん。
--構わないよ。
--薬を届けるのと一緒に、ヒアシが最後の挨拶をしに行く。でも正式な挨拶はもう終わってるから……本当に一言だと思う。あ、今座敷にヒアシと女が入った。

 心臓が早鐘をうつようにガンガンと鳴り響く。わたしは緊張して、喉が渇いて、土の中だということを忘れて目を見開いてしまった。
 あっ、と思ったが遅かった。いつも目を閉じていたので、土の中は真っ暗だと思っていたが、そこはオーロラやトパーズ鉱石のようなありとあらゆる光が混ざり合い、溶け合って、まばゆい光を放っている。

--白い……。
--ん?何?

 コゼツが行き来していた世界は、こんなに白かったのか。

--屋敷のすぐ近くの森で一旦浮上するよ!
--わかった!

 白く揺蕩う光の海は、コゼツが浮上すると瞬く間に明るさを失った。顔の皮膚に冷たい風が当たるのと同時にわたしは大きく息を吐いた。
 勝負は一回、たった数秒。大きく息を吸って、大きく吐いてを何度も繰り返す。肺の中に新しい酸素が送り込まれているような感覚が全然しなくて、たちどころに不安に包まれる。

--ボクの合図で息を吸って、一気に内部に侵入する。
--うん、頼んだ。

 黒い木々の隙間から藍鉄色の空が覗き、星がチカチカ瞬いている。

--ヒアシが部屋から出た、人払いをかけたから周囲10メートルには誰もいない。ヒザシは薬の入った盆の前で目を瞑っている。今しかないよ、準備はいい?
--いつでも。

 大きく息を吸って、再び光の海に飛び込んだ。
 日向ヒザシの屋敷まで距離にして300m、10秒で着く。ぐんぐんとその気配が近づき、”3……2…1…”とコゼツが秒読みして、わたしは素早くヒザシの背中に抱き着いた。

「ッ――!」

 やはり一流の忍、30m/sで近づいたわたしが地面から現れる2秒前には感づいて、眼を開き身体を捻っていた。しかしその1秒後にイプ1がヒザシの身体から抜け出して強引に口を塞いでいたせいで、ワンテンポ動作が遅れた。その0.1秒が全てを決めた。
 生唾が競りあがってくる。
 後続していたイプ2から受け取った注射器を首に突き刺した。ボキッ、と針が折れて、頭が真っ白になる。なんで折れた?何を考える余裕もなく、イプ2に次の注射器を要求し、もう一本の針を出してもう一度、今度は二の腕に突き刺す。
 イプ1と、突如ピンチを察知して出てきてくれたらしいガンマが、彼の手足を拘束し首を絞めていたお陰で、騒音を出さずに注射することができ、練習した通りヒザシは意識を失って脱力した。最後にわたしの顔を見ることがなかったことには何故かほっとしたが、耳の中で心臓がゴウゴウ大きな音を立てているせいで、今どれくらい騒いでしまったのかが分からない。
 生唾がギュルギュルと競りあがり、口の中で種を噛み潰したような苦い味を感じる。誰か気づいただろうか?近づいてくる足音はないか?
 白装束姿のヒザシに変化したイプ1と一緒に、ヒザシの身体をイプ2の口の中に押し込むと、彼は「口が裂けそう」と涙交じりに囁いた。そして、先にイプ2を隠れ家に向かわせて、さっきヒザシと格闘したときに吹き飛ばしてしまった枕を元の位置に戻した。よし、やることはやった。
 地面の中に再び潜る寸前、わたしは完璧にヒザシに成り代わったイプ1に最期のお別れを言った。

「今までありがとう。死ぬ前にちゃんと呪印を消してね」
「任せてくれよ、ちゃんと変化するから」

 枯れ葉が擦れるような囁きだった。
 彼はあくどい笑みを浮かべ――そんな顔のヒザシは見たくなかった――、白装束をきっちりと着込み、正座して、流麗な手つきで毒薬を喉に流し込み目を瞑る。その後はもうまばゆい光の中に溶け込んでしまい、畳がずっしりと擦れる重い音だけが耳の奥に残っている。
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