8歳 / 予感A(はたけカカシ)
副題:お前の言葉は今も俺の心の中にある

 伝説の三忍たる大蛇丸が行っていた非人道的な人権の詳細について、カカシは他の暗部と同じ程度のことしか知らなかったが、それは任務に当たって情報収集を怠ったわけではなく、専門知識のないカカシには到底理解できない難しい内容だったからだ。
 大蛇丸は里内外のあらゆる場所に秘密裏に実験施設を持っており、その幾つかは、到底個人の力で隠し通せるような規模ではないのが容易に判断できた。その事実は、木の葉内部に彼に金銭的・社会的援助をする協力者がいたことを示唆しており、そのことが一層、彼の残虐な行いの発見を遅らせた。そして、大蛇丸が公に里を抜けたということは、その協力者が大蛇丸を見限ったか、協力者のことを嗅ぎまわり、その行いを指摘していた何者かとの間に1つの決着がついたということでもあった。
 饐えた匂いと、土と黴の湿気た匂いが鼻をつく。土を刳り貫いて作られた洞窟内は、等間隔に蛍光灯が設置されて申し訳程度に足元を照らしている。
 カカシは火影直轄暗部として、新たに見つかった大蛇丸の研究施設跡へ踏み込む任務を命じられた。この任務は、その危険性と秘匿性、そしてカカシが追跡調査に長けた忍であることにより、カカシ一人に下されたものであったが、施設に繋がる直通通路の入り口で待機していた暗部仲間の他に、もう一人知り合いの人間が別の人間から別の命を受けて待機していたため、今、空気の淀んだ薄暗い道をその人物と共に歩いている。

「この件であなたと一緒になるのは、これで二度目ですね」

 髪を女のように肩まで伸ばした少年は、慣れた口でそう言った。カカシは「そうだな」と少し挑戦的に言い返して、固く閉じられた鉄の扉の前で足を止める。
 木の葉にある組織の大抵は、指揮系統の重複が起きた場合全ての命令はより高い地位にいる人間からの命令を優先するものとなっているため、その最高権力者たる火影の勅命を受けたカカシの仕事は、他の何物も遮ることはできない。しかし、その火影が口を挟めない組織というのも、いくつかは存在し、その一つが暗部育成部門”根”であった。
 偶然にもカカシと同じ命令を受けて、同じ目的地に向かっている少年は、その根の者。カカシはこの少年――根では甲(きのえ)と呼ばれ、カカシはテンゾウと呼んでいる――と、幾度か接点を持ったことがあり、前回見つかった大蛇丸の研究施設へ向かうときも同じ命令を彼の上司より承った彼と、同行している。

「ま、前回みたいに蛇が出てこないように気を付けるしかないな。お互いに」
「そうですね」

 前回、テンゾウがカカシの写輪眼を奪い取ろうとしたせいで、大蛇丸の実験生物による地ラップに引っかかったため、カカシは敢えて皮肉っぽい言い方をした。テンゾウの行動がダンゾウの命令であることを知った上であったし、甲は結局カカシから眼を取ることはなく、カカシの発言に少し心を揺らしていたことを理解した上での発言であった。カカシはもうテンゾウを”火影に二心ある者”だと思えなくなっていたし、もしかしたら、否いずれすぐに、自分と同じ部署に異動することになるのではないかと予想してすらいた。
 「じゃ、解除するから離れて」と合図して、扉の上に貼られている封印札にクナイを投げつける。「解!」の号令と共に片手印を結ぶと、札が爆発して轟音と振動が鼓膜を揺さぶる。
 振動と石崩れが止み、今すぐに生き埋めになることはなさそうだと思うほどにその余波が収まると、2人とも地面に臥せっていた身体を起こして中に踏み込んだ。
 入った部屋は小さく、本棚やテーブルなど書き物をする専用の場所であるようで、奥に1つ扉がある。カカシが一回目に踏み込んだ実験施設と違い、今回の部屋はあまり妙なものはないようだったので、自然と肩の力が降りて慎重に中を検分していく。

「今回は蛇が出てくることもなさそうですね」
「さあ、まだ分からないぞ。あっちに扉がある」

 テンゾウは片手で携帯用懐中電灯を持って、棚や床、机の裏側などトラップが仕掛けてありそうな場所を片っ端からチェックしていく。

「前回は、資料になりそうなものは殆ど残っていませんでしたが、今回はいくつかありますね」
「俺たちが見たって何も分からないけどね。どれくらい役に立つか知らんが、書物が残ってるなら、研究チームが喜ぶだろう」

 山のように積まれている巻物にチラリと眼をやって、カカシは興味のなさそうな口調で相槌を打った。実際興味がないし、カカシの仕事はこの部屋に残された大蛇丸の実験内容の痕跡を、火影と影で対立しているダンゾウという男――そして恐らくは大蛇丸の協力者であっただろう男――の手に渡ることのないよう、テンゾウより先に回収しておくことである。次点で、この部屋に危険なトラップがないか調べて、後で資材を運び出す者たちに危険がないよう、部屋の中の安全確保をすることであった。
 こっちの部屋には何もないと判断し、テンゾウと目くばせすると一つだけ設置してある扉をねめつけて息を吸い、ごくりと唾をのむ。まずは静かにその扉の周辺に気を配って、目立ったトラップの手がかりがないことを確認したのち一気に足で蹴破った。
 爆発や毒など、即効性のトラップはない。テンゾウが素早く中に入り、警戒しながらじっと部屋の中を観察する。

「何もない……みたいですね」
「らしいな。ま、この研究施設は大蛇丸にとってそんなに重要な場所じゃなかったんだろう」
「……これ、生きているように見えますが」

 2人は部屋の真ん中にある、透明な液体の入った容器とその中に浮かぶ人間の子ども程度の大きさをした褐色の物体を見た。
 カカシは、「これはたぶん大丈夫だろう」と言った。テンゾウも、無言でうなずく。強化ガラスで覆われた円筒の容器は、前回踏み込んだ実験施設の中にもいくつか連なっていて、殆どが割れたり中身がなかったりしたが、共通していたのはその全てに気体を封入する圧力弁のついた頑丈な蓋とそこに繋がる大小さまざまなチューブが床と天井を這っていた点だ。この容器にはそれがなく、ただ液体の入った大きな容器が置いてあるだけである。
 中身の褐色の物体は、近くで見ると弱く拍動していたが、カカシはそれを哀れとすら思えなかった。既に生命ではない。肉塊だ。
 その部屋にはカカシの背丈より大きく、数十トンはありそうな重い機材が置いてあり、どうやらその機材を使って何かの実験をする場所であるらしかった。機材の真横には、何かの骨格標本がバラバラに並べられていて、部屋に入った時に感じた酸っぱいような匂いはそこから発生しているらしい。壁際に整然と並ぶ本棚を見て、テンゾウは「大蛇丸は随分とここを手つかずのまま放置して行ったんですね」と言った。「手つかずってことは、俺たちにとっても価値のない情報である可能性が高い」と答えて、カカシは少し気を楽にしながら慎重に足を進めていく。
 薄暗い、黴臭い、倫理観もクソもない吐きダメのようなこの場所。カカシは冷静に任務に当たる自分をどこか客観的に俯瞰しながら、”ざまあみろ”と思った。ざまあみろ。お前は、自分に大切なことを教えてくれた友も、その友から託されたチームメイトも、拠り所だった先生とその愛する女性も、何一つ守れないクズだ。大蛇丸を非人道的な犯罪者だと罵るつもりは毛頭なかったが、改めて、嗚呼全く今のオレと何が違うっていうんだ。
 オビトもリンも、オレが殺した!

「カカシさん、何か見つかりました?」
「……いや」

 頭の中でいかに自分を卑下したところで、テキパキと安全確保をしながら棚の中をかき分けて危険区域を排除していく手は止まらない。如何にすさんだ心境を過ごしているからと言って、任務をおろそかにするほど、カカシも落ちぶれてはいなかった。木の葉の忍としてあり続けることだけが、今のカカシを支える最後の手綱であり、矜持だ。
 ふと、カカシの顔の中で唯一外気に晒されている右目が、棚の上に異物を認めた。髪の毛。赤茶色の20センチほどの長さの髪の毛が、棚の上から滑り落ちそうになりながら引っかかっている。

「髪の毛、か」
「大蛇丸の部下のものですかね」
「さあな。まあ、いずれ中を検分する連中が全部採取していくだろうし、こういう証拠はあまりアテにならないからな」

 口ではそう言いながらも、口寄せの術で八忍犬の中からパックンだけ呼び出すと、床の上にはダルそうな顔をしたパグが現れる。「カカシ!まぁたこんなシケた場所に呼び出しおってぇ〜」と、その表情に違わず開口一番ダルそうに文句を言う彼に摘まんだ髪の毛を近づける。

「パックン、この匂いから何か分かることはあるか?」
「んん??まず、ここはどこだ。薬品の匂い……研究所か」
「大蛇丸の残した実験施設だよ」

 茶色の毛並みに青い忍具を身に着けたパグは、鼻づらに近づけたその髪の毛よりもまず周囲の匂いを嗅ごうと好き勝手に動き出し、クンクンと鼻をひくつかせる。テンゾウが、「それ、あなたの忍犬ですか?」とこちらに近寄ってきたが、今更手札を隠す必要性も感じなかったのでそのまま見せてやった。

「なるほどなぁ。死体の匂いがする」
「ほれ、こっちこっち」
「わかっとるわい」

 髪の毛を鼻先でクルクル回して存在を強調しパックンに匂いを嗅がせると、カカシはそれを布に包んでポケットに入れた。大して期待していなかったが、大蛇丸の部下がまだ木の葉にいるとしたら、その存在は後に大きな災厄をもたらすに違いないので、絶対に見つけ出して目も耳も摘んでおかなければならない。
 パックンは眉を顰めて床の匂いを嗅ぎ、何かを追いかけるように部屋の中を嗅ぎまわり一つの棚の中に行きついた。「そいつは大蛇丸の部下じゃないだろう」と言って、小さい掌でガラス棚を開けようとする。テンゾウが開けてやると、中には青い眼球が入った小瓶が二つと、空っぽの眼球保存液が封入された新品の瓶が整然と並んでいる。

「眼、ですか……」
「見たことのない瞳だ。大蛇丸はどこまで手を広げて――「いや、そっちじゃない」」

 パックンが遮り、その肉球が新品の瓶の方を指し示す。「こっちだ」と言って、更にクンクンと床の匂いを嗅ぎながら再び移動して棚の上に飛び乗った。「ここもだ」いい加減その行動の意味が知りたいと、カカシは声をかける。

「どういうことだパックン。この髪の毛の持ち主は大蛇丸の部下じゃないのか?」
「十中八九、違うだろうな。まず、その髪の毛はまだ細胞が若い、どう見ても未成年の子どもの髪だ」

 話を聞きながらカカシもテンゾウも話の方向に疑問が湧き始めるが、ガラス扉の棚に積み重なり、一部が崩れた巻物の匂いを嗅ぎながらパックンは「そいつは大蛇丸がここを廃棄して数カ月経ってからきたようだ。匂いがまだ新しい、恐らくは半年前より最近だろうな」と続ける。

「大蛇丸の実験が気になっていた何者かが、暗部より先にここを突き止め、内部を調査したということか?しかしどうやって」
「入り口には封印札があります。解除の印を知る人間となると大蛇丸の仲間としか」

 パックンは大体嗅ぎ終わったらしく、棚の上から飛び降りてカカシの元に戻ってきた。

「方法は分からん。とにかく、そいつは入り口を通って侵入していないようだ。向こうの部屋からこの部屋に入ってきて、棚の一部を見て、ここを通って部屋の中を一周。最後に眼が入っていた棚の中を弄ってまたどこかから外に出ている」
「どこかからって、やはり大蛇丸の部下でしょう」

 カカシは目を伏せて思案する。大蛇丸がそんなことをするだろうか?
 現状残っている証拠から考えると、その何者かは大蛇丸の部下であり、何かを回収するためにこの部屋に戻ってきた。そして封印札を張り直して外に出た。
 しかし、大蛇丸の立場から考えると、そんなことをさせるメリットよりもこうして部下のアシがついてしまうデメリットの方がよほど大きい。大蛇丸が里に居られなくなったのは、水面下で行われていた何かしらの”決着”により協力者の後ろ盾がなくなったからであり、今の木の葉における彼の協力者の価値は以前と比べて一気に高まった。里を抜けて何をしているのかは分からないが、いずれ木の葉に仇なすであろう人間にとって、情報源となる駒は必ず残しておきたい筈だ。
 侵入者が大蛇丸の部下だったとしたら、アシがつくのを覚悟の上でも取り返したい、それほど重要な何かがここの部屋にあったということなのだろうか?大蛇丸が三代目と相対した状況を人づてに聞いた限り、見つかるのも時間の問題だと思っていたようなので、であれば最初から手元に置いておけばいい。

「……パックン、この髪の毛の持ち主はどんな奴だ」
「若い女。髪の傷み具合からして、10歳程度でもおかしくないくらいには若い」
「10歳って、女っていうより子供じゃないですか」

 テンゾウが、自分のことを棚に上げて言う。カカシは「10歳…」と呟いて顎に手を当てた。そんな子どもが大蛇丸の部下?ますます怪しい。

「何か柑橘系の匂いのする石鹸かシャンプーを使っているようで、その匂いが至る所に残っている」
「シャンプー…?」

 テンゾウが素っ頓狂な声をあげた。その気持ちももっともだ、カカシたち暗部は元より忍にとって”匂い”とは個人を特定する重要な手掛かりなので、如何に女であっても色任務以外で香料の入ったものを用いることはしない。

「罠か……」
「つまり、大蛇丸の部下はまだ木の葉に残っていて、大蛇丸の指示で何かを回収していき、捜査を混乱させるために罠を残したということですか」
「普通に考えたらね」

 そう、こうも易々と匂いを残すときは大体が罠である。
 しかしカカシの中で何かが引っかかっていた。匂いによる追跡任務を得意としたカカシは、匂いの発生源が”香水”ではなく”頭髪用洗剤”であることが不可解なのだ。
 くの一は、任務によって匂いを使い分けたり、それを暗号とするときのために、香水のにおいをすぐに落とすための専用薬品を肌身離さず持ち歩くと聞く。香水が身体に染み込まないように細心の注意を払い、そうでない場合は匂いが嗅ぎつかれることを嫌って特定の任務にはつかせない。
 しかし”石鹸かシャンプー”。罠として使うためにわざわざ使うイメージが持てない。

「この匂いを覚えておいてくれ」
「わかった」

 一応三代目に報告しておこう、と留意して、同じく不可解な表情を浮かべるテンゾウと目を合わせる。「今回は何もなかったな」と言うと、「良かったですね」と帰ってきた。どうやら”今回は”、テンゾウも任務終了なようだ。
 カカシはパックンを消そうとしたが、その前に「あ、その匂いどこかで覚えがあると思ったわ」と言い出したので慌てて命令をキャンセルした。

「まさか、会ったことがある人物なのか」
「いや、会ったことがあるというかないというか……」

 パックンは、パグの特徴的なぺったりした耳を後ろ脚で掻いて、「木の葉の里ですれ違う女子がたまにつけている。恐らく里で売っている石鹸かシャンプーの類だな」と言い、カカシが「は?」と言うのと同時にポンと煙を出して消えた。
 「里で売っている石鹸かシャンプー…?」とテンゾウが首をかしげる。テンゾウにとっては、木の葉の里で売っているものだと知れたからといって、何のヒントにもならないのだろうが、そこそこ女性に縁のあるカカシは、木の葉で買える香水や頭髪用洗剤の店にも自然と詳しくなっている。

「それじゃあ、帰りますか」
「そうだな」

 カカシは棚の中に入った青い瞳を一瞥して、部屋から出た。


≪第一章:塞ぐ黄昏 / 完≫
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