8歳 / うちはヤクミA
副題:空から降ってくる爆弾は避けることができない

「ただいまー」

 くぐもった男の声が聞こえて、それがヤクミだと分かると間髪入れずに立ち上がり居間の引き戸を薄っすら開けてへばりついた。ここからだと玄関の様子までは見えないが、磨かれた廊下に影になって移る男の姿が認められる。

「わっやだ、早い」

 やだって、聞こえてるぞユズリハ!台所からぱたぱたと姉が出てくる。目の前を通り過ぎて、靴を脱いでいるヤクミのところに向かう。

「早いじゃない。おかりなさい」
「ああ、うん。思ったよりも早く終わったから、そのまま帰ってきた」

 ふぁぁ〜〜出た直帰男子。

「今ね、妹が来てるの!わぁ〜〜嬉しい、早く会って」
「……サエちゃん?オレ嫌われてるんじゃなかったか」

 おまっ………お前ら…いや、いいよ。うん、ヤクミお前よく分かってるな。

「ねえ早くって」
「分かった分かったよ、もう、オレ帰ってきたばっかなのに……」

 ちゅっ。
 二人の影が一瞬重なって、そのあとクスクスと密やかな笑い声が聞こえた。

「…………………」

 ちゅ???????
 わたしは引き戸の隙間から離れてゆっくりと席にもどる。新婚夫婦の甘々な雰囲気に被害は甚大、HPが1まで減ったと思ったらトドメが来た。目の前で地雷CPのキスシーンを目撃してしまった…リア充爆発しろ、うん!
 デイダラみたいなことを考えながら紅茶を飲み少し待っていたら、室内着に着替えて支度を整えたヤクミが居間に近づいてくる。姉はまだ来ない。なんだなんだ?わたしと二人で話そうってか。気配を察知しながら上等じゃワレと構えていると、引き戸がスッと開いた。

「わぁ!!!!」
「…………」

 ……えっ。

「…………」
「…………………」

 カボチャから血が噴き出している仮面をつけたヤクミが、手を開いて固まっている。あ?えっ何?そのハロウィンみたいな…………え、ハロウィン?ナルトの世界にあったっけ?
 やばい、そうか、ヤクミさんってこういうタイプなんだ。え〜〜〜これは驚くタイミング失ったぞ!ヤクミさん困ってる!手をわきわきさせながら困ってる!でもお前、当たり前だろわたしアカデミー生だぞ!気配くらい読めるわ!!
 どうしようどんな顔をしよう、と真顔のまま悩んでるうちに、ヤクミさんはまたスッと引き戸の向こう側に隠れてしまった。”おい、サエちゃん全然笑ってくれないぞ…”とヤクミが囁き、ついにこらえきれなくなって、あっはっはっはと爆笑する姉。
 再び現れたときには、ヤクミと一緒に姉もいて、お茶を三つとおせんべいを乗せたお盆を持っていた。

「はじめまして……じゃないけど、ちゃんと話すのは初めてかな。オレはうちはヤクミ、お姉ちゃんの夫です」
「東雲サエ、お姉ちゃんの妹です」

 対面してお互い頭を下げた。ヤクミは、柔和な笑みの中に、まだ子どもをからかうようなユニークな光を潜ませていたが、わたしがムッと頬を膨らませているのを見てどうしても笑いがこらえられないらしく唇をひくつかせて笑っていた。失礼な。

「もっと早くお話ししたかったよ」
「ふぅーん……」

 姉がまた噴いた。

「サエ、もう少しお行儀よくしなさい。あなたの義理のお兄さんになるんだからね」

 姉は、自分だって噴いた癖にいっぱしに宥めてくる。

「ヤクミさん、お姉ちゃんがいつもお世話になっております」
「ははは、いえいえこちらこそ」

 不思議な空気が流れ始めたぞと思うやいなや、姉は洗濯物を取り込まなきゃと言って席を立った。わたしは居間で、ヤクミさんと二人きりになった。

「アカデミーに通っているらしいな。授業は難しいか?」
「いえ……あ、でも幻術が苦手です」

 湯呑を口元に持っていって、一口飲みながら、うんうんと彼は頷いた。

「幻術は向いてない人は全然できないものだ。でも、幻術ができなくても立派な忍にはなれるよ。得意分野は?」
「一応忍術かなって思うんですけど、でも最近体術もマシになってきました」
「忍術か。授業ではどこまで習った?」
「印の説明やチャクラについての概要と、あとは分身の術、身代わりの術、変化の術です。全部できます」
「へえ、そうか、優秀だね」

 ヤクミはまたお茶を飲んだ。
 なんだか……うちはの人に優秀だねとか言われてもお世辞でしかないし、当たり障りのないことしか言わないからつまらない。大体わたしはこの男と積極的に喋りたいとは思っておらず、百歩譲ってうちはヤクミという人柄が察せるような話ならともかくこんな他愛のない世間話なんてとんと御免だ。まあつまり他愛のない話の中でもヤクミという人を把握し理解できるようなコミュ力があればいいんだけど、残念ながら暴力的ではないお話しの最中でも相手を見抜くような鋭い観察眼は持っていないので、このままでは埒が明かないということだ。
 観察するということは、それだけで相手の本来の姿を損なってしまうのが物理学の基本だ。光を当てる、電磁波を当てる、電子をぶつける、そのリアクションを受け取る行為が観察ならば、質問と回答で成り立つ会話という行為はすべからく暴力だ。
 しかしそれを暴力たらしめずに、全く相手を傷つけずにまろやかにやさしく話をすることができるのが、所謂接客業のプロと言われる人間たちだった。水商売の女のひとというのはその最たるものだと―――大学に進学せずキャバで日銭を稼いでいたわたしの友人を見て思ったものだ。
 コミュ力のない人っていうのは、相手により多くの刺激を与えてそのリアクションを観察しなければ、相手の姿を正確に把握できない。つまり並大抵の刺激ではその反応を精密にくみ取れないポンコツ受信機なわたしは、もっと突っ込んだ質問をしないとうちはヤクミのことを理解できないのだった。

「わたしは……ヤクミさんのこと嫌いです」

 ヤクミは先ほどよりも少し真面目な顔になって、わたしを見た。

「ユズから聞いている。……若くして、娶ったからだろう?」

 ユズ!愛称はユズですか!二人の時もそんな風に姉の名前を……と脳内が桃色に染まりかけるのを押しやって、頷く。

「だって……まだ18歳です、よ。もっと色々遊んでからでいいと思います」
「遊んでって……君本当におもしろね」

 面白いだと?18歳の高校生を娶っておいて何をぬかすかこの不順異性交遊野郎!プンプン。

「だが俺も同じ考えだったよ、まだ早い、とたしなめた。ただあのときのユズは少し様子がおかしくてな……今まで、ユズがそんなにごねたり、我儘……ってのとは違うかな、強く自分の意思を押し通そうとしたことはなかった。その時もあまり食い下がらなかったが……」

 口ごもるヤクミに、相槌を打って続きを促した。

「あと5年待とうって言ったらすぐに”そうだね”って言った。その時はもうその話題は出なかった。でも家に帰ってゆっくり考えて……ユズの表情を思い出したら、もしかしたら俺はすごく一生懸命考えた言葉をあっさり拒否してしまったんじゃないかと思ったんだ」
「……あぁ、」
「ユズって時々そういう目、するじゃないか。……わかる?あぁ、わかるよね。しつこく繰り返したりしないのに、こう、あ、これはユズの本音だな…って一発で分かるような目」

 分かる、と頷いた。いつもおおらかで、優しくて、元気なユズリハは、どれが本音でどれが気遣いなのか分かりにくい。全部本音かもしれないし、それとも全部無理してるのかもしれない、と思わせるような素振りが多くて、実の妹(この表現は不適切なような気もするが)でもちょっと分からないときがある。
 でもある一瞬、ある一刻に見せる貌で、明確にそれを伝えてくるときがあった。さりげなく喋っているようで、眼に強い感情が籠っていると確かに感じ取れるその一瞬があるのだ。

「分かります、凄く分かります」

 ヤクミもそれが感じ取れるんだ。そして、早く1つになりたいという想いが、ヤクミに対する”それ”だった……。
 こんなのってないよなぁ、と思ったら目頭がツンと熱くなってしまったので、慌てて頭の中で『お前の前のオレオとってオレオ!』を10回繰り返して冷静になろうとした。

「だから、もう一度会ったときにちゃんと話して俺から告白したよ。告白って、あれな、ちゃんとした告白の方」
「わかりますープロポーズでしょ!」
「あはは」

 ヤクミはこめかみを指で掻き、サエちゃん手厳しいな〜と苦笑いした。わたしは、お茶を飲み首を斜めに倒して、焦げ茶色のテーブルの隅っこにある、細かい切り傷をじっと見つめた。

「君が、」

 考え事をしている最中、首を斜めに倒してどこかの先端を見つめてしまうのはわたしの前世からの癖だ。ヤクミの声でハッと顔をあげると、彼は、余分な雑味を全て除いたような無表情の中、ただ一点の優しさだけを湛えてほんのりと微笑んでいた。

「……俺のことを嫌う理由は、ユズを取ってしまったからだと皆思ってるだろう。でもあいつはちゃんと分かっている。君が本当に姉のことを心配しているってことと、……君が忍として聡い子だってことを」

――うちはほど愛情に深い一族はいない。

「心配するなとは言わない。詳しくは言えないが、俺たちは複雑な状況にある。ただ俺はユズを………、」

 ヤクミの声が止まったがその時どんな顔をしていたのか視界が滲んで見えなかった。
 神経を病み脳内に異常が出るほど愛情に深い一族に愛されて、姉は幸せなんだろうか。あのとき妹も幸せだったんだろうか。脳裏に病院のベッドに横たわるあの子の姿がちらついて、やばいと思ったらもう我慢ができなかった。畜生こんな真面目な話をする予定じゃなかったのに。やめろヤクミこの術(話)はオレに効く……なんてチャカしてみても無駄だった。別れの時に前触れはない。いなくなりはしなかったけど、いなくなっちゃうかもしれない、という恐怖はあのときからわたしの心に巣食って離れない。別離の覚悟をするには人生経験が50年くらい足りていなかった。前世での琴線に触れてしまったせいで、涙が臨界点を弾けてポロリと零れた。
 ふと、影が落ちた。がさついた指がわたしの下瞼を擦って拭い、あとはアダージョのようなゆっくりとした沈黙があるだけ だった。



 姉の家を出ると外はもう薄暗かった。薄紫と橙色のグラデーションが美しい空がゆっくりと光を失っていく中、家路を急いだ。空が1ルクス明るさを失うごとに、街の明かりが一個ずつ増えていくようだ。
 ヤクミが姉に提示した猶予は5年だった。もしも彼が、今よりももう少し姉と想いを通わせていなかったら、結ばれることなくその恋はついえただろう。一体どうして、なんの因果でこんな偶然が重なってしまったのかと思うと、涙が出るほど面白かった。
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