5歳 はじめての妖狐襲来
 男がベルを鳴らして、「はーい」と言って出てきたユキの表情が印象的だった。まず最初に驚いてやたら申し訳なさそうに畏まり、視線が下に落ちてわたしとコゼツの姿を認めた途端眉がキリッと上がりいつものユキになった。

「こんばんは。警務部隊第八警邏隊、隊長のうちはテッカです」
「まあ、あの、ご苦労様です。うちの子に何が――…」

 テッカさんはユキに一連の顛末を説明して、わたしたちに一言「気を付けろ」と声をかけて帰っていった。最後まで硬い感じの青年だった。
 ユキや、帰ってきたスグリ、また最近彼氏ができたという色気づいた姉は、警務部隊の人が家に送ってくれたと言うと一様にして驚いた。そして事の顛末を説明すると、そうか、危ないところを助けてもらってよかったなぁ、と安心した。



「警務部隊って想像と違ったな。コゼツはどう思った?」
「どうも思わなかった。サエはなにを想像してたの?」
「警察みたいな感じ」
「ケイサツ?」
「あー、悪い人を取り締まる人たちのこと」

 裏庭でコゼツと組み手をしながらあの日のことを思い出した。
 コゼツが忍者になりたいというので最近アカデミーに入るための準備をしていた。わたしはといえば依然”忍者になる”ことに尻込みしていたものの、元の世界に戻るには時空間忍術や禁術を漁りまくるしかない、と思い始めていたのでコゼツとの組手にはわりと乗り気だった。
 ただ、見様見真似の組手なのでこれが正しい組手なのかわからないのが問題だ。柔道も空手もやったことないし殴り合いの喧嘩もしたことないし、身体を動かすスポーツなんてバトミントン以外碌にわからないよ。

「奴ら”ケイサツ”みたいなことしてたと思うよ」
「そうなんだけど、ほらユキの態度?態度が、ぺこぺこしてたっていうか、尊敬してる感じだったじゃない」
「そうかぁ〜?普通だったよ」
「そうかな……」
「集中してよ」
「はい」

 コゼツは感じなかったみたいだ。しかしわたしは感じていた。
 九尾事件が起きるまで、警務部隊は木の葉の中でかなり信用のおける存在だったのだろう。お勤めご苦労様です、守ってくれてありがとう、みたいな感じの接し方をする人が多いので感覚としては警察や自衛隊に近い存在だ。
 少なくとも、”警務部隊としてのうちは一族”は優秀で真面目で、他の忍と同様に里を守る忍としてちゃんと社会に溶け込んでいる。忍も、忍じゃない人たちも、うちは一族に対し畏敬の念を抱いている。その仕事を身を以て経験したわたしはその後民衆の視線が変わっていくのを想像して、納得のいく思いがした。

 九尾事件の時、猿飛ヒルゼンはうちはの写輪眼を九尾のコントロールに使うために前線に出そうとしたが、ダンゾウがそれを抑えて非戦闘員の避難誘導に当たらせた(とイタチ真伝にあった)。そして木遁忍術の絶えて久しい今の木ノ葉で、九尾を操ることができるのはうちは一族しかいない。うちは一族は過去に「うちはマダラ」という”歴代里抜け忍最強の男”を輩出しているうえ、二代目統治時代にクーデター未遂を起こした”前科”がある。ここまで揃えば上層部がうちは一族を疑うのは必然だし、当然うちは一族側も疑われていることを強く感じるだろう。
 今回のわたしの誘拐未遂のような細かい事件から大きな事件まで、警務部隊は木の葉の治安を守ろうと働いてきた。勿論、他の忍と同様に里と国を守るために戦争に出て、任務で犠牲を出してきたに違いない。そしてうちは一族は優秀なので、それ相応の戦果を幾度も残しているはずだ。
 それなのに、自分たちが里上層部に不信感を抱かれているという不安が芽生え、里の人々からの不信の目に晒されては不満が募るのも致し方ない。そして挙句の果てには、九尾事件のときには何をしていただの、九尾を操ったなどと疑われる。元々一族に対して誇り高いうちはの中で、過激派が増長していくのは必然だ。

「へぇ〜〜、そんなことになるんだうちは一族って」

 休憩中、この後起こることをざっくり説明するとコゼツは感心して頷いた。

「すごいよね、ダンゾウもマダラも本当うまくやるなって思わない?」
「ダンゾウは知らないけど……マダラは長生きだからな、無駄な知恵もつくさぁ」

 コゼツは水筒を傾けて水を飲んだ。

「でも、今の話聞いてるとダンゾウやマダラのせいってわけでもないよね?」
「なんで?オビトを反逆者に仕立て上げたのや、九尾で里を襲わせたのはマダラだよ。九尾事件を機にうちは地区を郊外に追いやったのと、根で監視して里の民の不安を悪戯に煽ったのはダンゾウだし」
「うーん……そうだけど…」

 コゼツは眉をひそめて頭を傾けている。必死でぴったりの言葉を探しているらしい。

「だって、”マダラ”も”オビト”もうちは一族なんだろ?結局は自分たち一族のせいで立場が悪くなるんだから自業自得じゃないか。うちは一族が犯人なのだって当たってる」
「……でも里に住んでるうちは一族じゃないんだよ?いい迷惑じゃん」
「でも間違ってはいない」
「正しくもないもん」
「うちは一族、嫌われ者だね。オビトもマダラもダンゾウも……あれ、もしかしてダンゾウってヤツもうちは一族?」
「違います」
「なんだ」

 コゼツは喋り終わるとまた水を飲んだ。ちょっと今の「もしかしてダンゾウもうちは一族?」は面白かったな。志村です。志村ダンゾウさんてうちは一族を嫌いなんだと思ってたけど……もしかして妬んでたのかな?写輪眼も埋めてるし。好きなモデルさんと同じ系統の服買おうとする心理かな?
 わたしはコゼツの水筒が徐々に垂直になっていくのを眺めながら心の中で少し気持ちを振り返った。うちは一族のことを被害者のように思っていた節があるけど、たしかにコゼツに言われるとそうも言えないような気持ちになる。

「なくなっちゃった」
「おかわりの麦茶持ってくるね」
「わぁい!ありがとう」

 でろんと餅のように地面に伸びるコゼツを見て笑って、家に麦茶を入れに行った。
 「強くなりたい」というだけあってコゼツはクソみたいに弱かった。もともと組み手のくの字も知らないわたしとの勝負は本当にしょうもないものだったが、それを加味しても本当に弱い。体力もないし大幹も弱いし、なんていえばいいのか、無脊椎動物かと疑うくらい身体がぐにゃぐにゃしている。
 それでもやればそこそこ身につくらしくて最近ではちょっとだけそれっぽくなっていた。わたしに蹴りがキマって喜んでいる様子をみるとか可愛いし、コゼツとの組手は楽しかった。



 精神は肉体に宿ると言われている。

 いきなり追いかけっこがしたくなったので「郵便局まで競争−っ!」って叫んで走り出した。その日はコゼツと二人、『はじめてのおつかい〜アゲイン〜』に意気揚々と挑んでおり、「今度こそ道に迷わないように!!」と再三言い聞かされ地図まで持たされた買い物の帰り道だった。案の定コゼツも負けじとついてくる。コゼツは楽しいことが好きなのだ。それが白ゼツの特徴なのか5歳児の特徴なのかわからないけど……右手に持ったネギと生姜とシイタケの手提げを振り回しながら二人で小道を走った。
 突然買い物袋を振り回しながら走り出す女子大生がいたら怖いから、やっぱりわたしの精神は肉体に宿っているようだ――いや現役女子大生だったときも突然走り出してたな。同じ学科の子と駅まで無駄にダッシュして笑い合ってたな。全然宿ってねえや。
 訂正します、精神は精神です。

 豆腐屋を出たときには空は群青色に染まっており、すぐに夜が訪れた。居酒屋に光が灯る夕飯どき、遠くで地鳴りがしてわずかに地面が揺れた気がした。忍里はよく地鳴りがする。ミラクルチャクラパワーに慣れていたのでわたしは気に留めなかった。

「ファミマ」
「マ……マダラ」
「ラッコ!」
「こ……こ…このは!」
「ハゴロモ」
「も……も?もー…もり」

 行きはしりとりで盛り上がり、帰りもしりとりで盛り上がった。コゼツは同い年の子どもより沢山の言葉を知っているくせに、やたら悩んでしりとりを引き伸ばしたのでわたしは笑いながら「なんで?」と聞いた。

「もっとスラスラ言えないの?」
「スラスラ言ったら面白くないだろ?まったく、娯楽の分からないヤツはこれだから……」
「え〜〜そんなに盛り上げようとしなくても…」
「面白い方がいいじゃないの!」
「別にしりとりの面白さなんてこんなもんだよ……」

 ふと、大勢の忍が屋根を伝ってある一方向に向けて走っていくのが見えた。やけに急いでるな、と思って首を伸ばしたとき、ぐらりと地面が揺れた。ムムッこれは……震度4!わたしの中の地震ソムリエが慣れ親しんだ感覚を告げてくる。やがて、「九尾だ!!!九尾が出た!!」と叫びながら、忍ベストを来た男が坂を猛スピードで駆けあがってくるのが見えた。
 道行く主婦らしき女のひと、非番の忍、任務帰りの忍、アカデミーから帰る子供たち。それぞれの日常に溶け込んでいた人々が足を止める。「なんだって?」「キュウビってなに?」「上忍だ」「九尾ってまさか”あの”??かつて里を襲ったっていう――……」「急いでこっちに来なさい!」彼が走ってきた方向を見る。宵闇に赤く火の手が上がっている。
 非常事態という危機感で里の民が一体となるのが肌で感じられた。わたしとコゼツは顔を見合わせて、家に向かって走り出した。
 来た。今日がその日なんだ。

 10月10日、九尾は里を蹂躙した。満月の夜だった。
 暴風で家の屋根は吹き飛び、割れた地面が隕石のように堕ちて里はめちゃくちゃになった。里の北東に出現した狐の化け物は木々を根こそぎ吹き飛ばし、地面と空気を引き裂き、轟くような叫び声をあげて移動しているらしい。下忍と一部中忍、そして警務部隊が主導となって順次避難活動が行われた。

 東雲家に防空壕という名の地下室があることはいつの間にか知れ渡っていたらしい。子供自慢なのか、うちの子ども変なの相談なのか井戸端会議なのか、とにかくユキが近隣の女子供を招き入れて地下室は満員になった。
 スグリは仕事に出ていたユズリハが帰ってきたのを確認すると、自分だけ地下室から出た。

「お父さん!なんで!?」
「お前たちはここにいなさい!ぼくはちょっと行ってくるから、ね、ユズ」

 悲壮な顔をして引き留めようとするユズリハに、ズグリは言い聞かせた。ユキは何も言わない。

「どこにいくの?」
「逃げ遅れた人がいるかもしれないから……サエ、今日ばかりはおいたはやめて大人しくしているんだよ!」
「わたしが何のためにコレ作ったと思ってんの?!」
「お前は本当に凄い子だよ。コゼツ、サエを頼んだよ」
「はいはい」

 なぜ?なぜなんだ。なぜスグリは忍でもないのに助けに行こうとするんだろう?スグリはただの大工だしそんなに正義感の熱いタイプじゃないはずなのに。何か理由があるのか?

「……スグリが行ったってなにもできないよ。忍でもないのに」

 そう言うと、スグリはわたしの肩に手を添えてじっとわたしの目を見つめた。

「火影さまも言っておられるだろう。力とは、弱きものを助けるためにあるのだと。お父さんは忍じゃないけれど、お父さんより弱きものを助ける義務があるんだ。それが木の葉の火の意思だよ」

 火の意思――ッッ!
 想定外想定外想定外。完全な想定外だ。ああ、まさか忍でもない一般人にまで火影の言葉が強く届いているとは思っていなかった。三代目火影の支持者がこんなところにもいらっしゃったとは……お前が出て行ったって大したことできるわけないだろうが。
 でもスグリがいたから助かる人がいるのかもしれない。助けを呼ぶ声を聞きとれるのかもしれない。毎年くる台風で国土のどこかが被災地になる日本。アプリで流れてきた被災地特集の記事が脳裏をよぎる。”『偶然近所のおじさんが見回りに来てくれて助けを求める声に気が付きました。あと五分遅かったら水が流れ込み、死んでいたでしょう………』”スグリのお陰で誰かが助かるかもしれない。
 ユキはユズリハとわたしをやんわりと抑えて「気を付けて」と伝えた。スグリはちょっと笑って地下室を出て行った。

 ひっきりなしに聞こえる轟音と人々の悲鳴、怒声、叫び声が、夜の澄んだ空気に伝播してどこまでも響き渡っているようだった。秋の夜長といえば睡眠だが、眠れる状態じゃない地下室にはすすり泣きの声や励ます声が満ちている。次第に”一体なにが起こっているのか”を話し始めた。

「九尾とはなんなんでしょう。誰かご存知の方はいらっしゃいますか?」
「九尾っていえば、クシナ様に封印されている化け物の名前じゃなかったか」
「クシナ様……?あの四代目様の奥方ですよね?」
「なんだ、オマエら知らんのか。妖狐の九尾っていったら嘗て里抜けした”うちはマダラ”が木ノ葉の里を襲ったとき連れてきた化け物じゃないか」

 高齢の男性が囁くと地下室がざわめいた。「うちはマダラ?」「もしかして、うちは一族の写輪眼で操れるのでは……」「クシナ様に封印されているという話はどうなった。クシナ様はうちは一族なのか?」……誰も真相がわからない。

「これか、サエが言ってたやつ」
「うん」

 コゼツがこっそり耳打ちした。しかし「言ってたやつってなに?」とユズリハが聞きつけて少しびっくりした。ユズリハは、わたしとコゼツの”分からない話”には口を出さないのが通例なのに。

「あの、えーっと、クシナ様が子どもを産むからそのときに体力が弱まるねっていう話をしてて」

 ”体力が弱まるね”ってなんだ。そんな話題があるか。

「そういえば新聞に載っていたわ。もしかして……ご出産で封印が弱まったとか?そういうことってあるのかな?」

 わたしは誤魔化しながらつい指を弄った。突然話しかけられて言い訳を用意していなかったから本当のことを喋ってしまったし、しかもユズリハの指摘がズバリ的中している。
 ユズリハは妙にクシナのことを気にした。誰かを心配している様子だ。

「クシナ様、ご無事だといいけど……」
「クシナ様はうちは一族なの?違うわよね」

 ユキまで話に加わってきた。わたしはまた指を弄りながら「違うと思う。新聞に、”うずまきクシナ”って名前が載ってたから」と答えた。なるべく声を抑えたつもりだったが、子どもの声は狭い地下室に響き渡った。

「やっぱりクシナ様が襲ったわけじゃないのか。じゃあ誰なんだ?うちは一族か?」
「こら!推測でもそんなこと言うんじゃありません。きっと事故なのよ……誰も襲おうとしたんじゃなくて、きっとイノシシが逃げたようなもので…」
「聞いたことあるぞ、写輪眼は幻術が得意で人を操ったりもできるって」

 ユズリハはそわそわと目線を揺らめかせている。地下室の灯りは、スグリが配線をひいてくれたお洒落なランプだけだったので顔に影が落ちてよく見えなかったが、それでもユズリハの目が”家族の無事”以外の何かについて不安を抱いていることが見て取れる。
 最近できたと噂の彼氏だろうか。それとも実はクシナと知り合いだったとか?

「クシナ様もご無事でありますように……」
「四代目様が守ってくださるよ」

 事件の真相を探ろうという地下室の空気は次第に「解らないことを考えても仕方ない」という流れに変わっていった。「戦争が終わったばかりなのに何故こんなことに」というつぶやきが、誰かの口から漏れた。

 悲劇の夜が明ける。
 あの一夜を生き延びた人々の耳に入ったのは、若き頭領・四代目火影波風ミナトの死、そして多くの忍たちの死だった。わたしの父は生きていたが、逃げ遅れた人を助けようとして瓦礫に片腕を潰されていた。
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